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陸軍の兵制を創始した蘭学者の大村益次郎の生涯をについて

山崎正和と司馬遼太郎の対談から

山崎「大村益次郎という人はいろいろ偉大なことをしただろうけれど、あの人は生涯になにが好きだったろうかと思うと、暗澹たる気持ちになります。
司馬「水のような。普通の意味での主体性はないようで、別の目で見ざるをえません。もう主体というのは、ほとんどない。」

質問は、陸軍の兵制を創始した蘭学者の大村益次郎は、生涯になにが好きだった、のでしょうか?

A 回答 (4件)

蘭学者だったことから、軍事の他は医学じゃないでしょうか❓


確かシーボルトに師事し、
村田良庵として医師をしていたと記憶しています。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
医学なのですね。

お礼日時:2023/11/02 10:12

好物は豆腐、湯豆腐だったと言われていますよね、ずっと豆腐でも平気な人だったとか...と、食べ物の話ではないんでしょう(笑)



大村を主役にした、司馬の「花神」でも、他の司馬の作品とちがって、大村が何を目指し、人生の華として行動するか?の美意識的なものが伝わってきませんよね。質問者殿の疑問もこのあたりが出発点かと想像します

村医者がオランダ語を学び、オランダ語が得意で兵法・理学を理解して塾を開き、なぜか長州藩の兵法・戦術を指南して、四境戦争を勝利させ、彰義隊を封じて、戊申・奥羽戦線の勝利を得て、44歳で暗殺されるという、あまりに一本道な人生です

私は大村を「日本最初の理系人間(理系ヲタク)」だと語ることにしています。竜馬や薩長藩士に理想や思想・夢とかいった「面倒なもの」はすべてまかせて、大村はテクノクラートとして、幕末を駆け抜けます
その徹底ぶりは、見事なまでに「理系」です

理系人間の彼の満足感は
「大砲の砲身にライフルを入れれば、命中安定度は向上し、安定して敵を殺せる」
という仮説どおりに戦争が進んだときに得られて、たぶん、勝利とか、倒幕などということは二の次だったのでしょう

ただ攘夷戦争時代の福沢諭吉との逸話が、司馬の花神などでカスタマイズされた言葉
「(長州が生き残るには)狂気しかないのだ(だから、負けて当たり前の攘夷戦争をするのだ)」
というセリフは、人心をもロジカルに考察し、その中に身を投じて運命を共にするという、幕末人としての価値観は感じるところです

いかがでしょうか?
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この回答へのお礼

早速のご怪盗ありがとうございます。
冷でも湯でも、豆腐は滋養になり好物でだったのですね。
私は驚くのは、緒方塾から最後まで、彼はどの時期・どの状況でも優れていたのですね。したがって、彼は一生を貫くものは一体何んだろうか、と疑問に思ったのです。
<「日本最初の理系人間(理系ヲタク)」>でしたね。
<テクノクラート>でありましたね。
<竜馬や薩長藩士に理想や思想・夢とかいった「面倒なもの」はすべてまかせて、>いましたね。
大村を鮮やかに解析していただきありがとうございました。

お礼日時:2023/11/02 18:23

勉強でしょうか。

医者なので医学中心。シーボルトの娘イネさんとニアミス、、してるけど恋愛感情は、全くなかったみたいで。。
食べ物は、豆腐にこだわりがあったようです。
西郷隆盛が子供の時よく食べてたのが、豆腐を造る時にでるオカラ。
なぜか、西郷さん、大村益次郎に頭が上がらなかったみたいで。。
故郷に対する愛着が少し。だから、桂小五郎の要望に応じて、長州に帰国。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<医者なので医学中心>なのですね。
イネさんが大村の最後の看病をしたそうですが、下種な私には、男女の関係が気になります。<西郷さん、大村益次郎に頭が上がらなかったみたいで>ですか。大西郷にもそういう気持ち(うまく表現できませんが)があったのですね。

お礼日時:2023/11/03 11:55

学問と嫁。

この二つは好きだったと思います。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。

お礼日時:2023/11/08 17:51

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