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山本五十六は連合艦隊司令長官ですが、海軍大臣をトップとすれば連合艦隊司令長官とは上から何番目のポストなのでしょうか?
また、真珠湾攻撃は山本五十六指揮のもと行いましたが、翌年のミッドウェイ海戦は指揮官は山本五十六ではなかったのでしょうか?
ミッドウェイの時は山本五十六は何をしていたのでしょうか?

A 回答 (1件)

「海軍大臣」は、日本海軍の文民統制機関であり、海軍省の長官でした。

  一方、「連合艦隊司令長官」は、日本海軍の外戦部隊である「連合艦隊」の指揮官でした。  両者は文民と軍人と言う異なるポストであり、比較することはできません。  ただし、連合艦隊司令長官は、海軍大臣や軍令部総長以上の知名度と人気があることが知られています。 また、「連合艦隊司令長官」は、海軍中将以上の艦隊司令長官か鎮守府長官から海軍大臣が推薦し、天皇が任命する親補職でした。 

ミッドウェイ海戦の指揮官は山本五十六ではありませんでした。 ミッドウェイ海戦の指揮官は、第一艦隊司令長官である長谷川清大将でした。  山本五十六は、ミッドウェイ海戦の前から、香港、マニラ、シンガポールの重要軍事拠点を覆滅して東亜における米英勢力を一掃するとともに、国力造成上の見地からスマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスおよびマレーなどの重要資源地帯を攻略確保するための南方作戦(あ号作戦)の指揮を執っていました。 攻略目標は、フィリピン、マレー、ジャワの三つが柱になっており、資源地帯の蘭印の中心ジャワを最終目標としていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。ミッドウェイのころの肩書はなんという肩書だったのでしょうか?
また連合艦隊司令長官と第一艦隊司令長官はどのような違いがあるのでしょうか?

お礼日時:2023/11/16 14:33

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