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弟子たちの間接的な書しか無いのは直接の書だと言い逃れできない絶対のことばになり、論破されると困るからオブラートにくるんで破綻がないようにしたのでしょうか。

A 回答 (3件)

仏教や儒教の事は分かりませんが、キリスト教について言えば、最初期の教会では聖典はいわゆる「旧約聖書」でしたから、イエス・キリストの言葉を文字で記録するという発想はありませんでした。

当時は終末が間もなく来ると考えられており、記録する意味もないと考えられていたことでしょうし、多くの言葉は口伝で残されていました。そして決定的なのは、キリストの教会は聖霊を受けて新しい神の民となり、もはや刻まれた文字を墨守することから解放されていると考えられていたのですから、書き記して固定しなければならないという発想は後代のものなのです。使徒パウロは「文字は殺し、霊は生かす」という言葉を残しています。

それはともかく、間接的な書は直接的な書よりも価値が低いかのように論じるあなたの発想は一体どこから来てるんですかね?そんなロジックは最初から破綻していると思うんですけど。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
疑念持たない、持ってはいけないのが宗教。
真っ暗闇

お礼日時:2023/12/08 19:00

識字率が低かったということだと思います。



そういう状況下で
切羽詰まった現実への対応を最優先にするには
直接対話しかありませんが、それにも限界がある。
それを補うために支持者が追随して補う
という形でしかありえなかった。
その際の支持者のよりどころは
自分たちがメモしたという位置づけの書物だった。

のではないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
綸言汗の如し。皇帝の言ったことでさえ取り消せない、ましてや聖人や神の子であれば書にしちゃまずい。証拠は残してはいけない。

お礼日時:2023/12/08 13:48

貴方と違って、聖人君子は、そんな姑息な策は用いません



仏陀、孔子、ソクラテスは口伝です、
弟子がすべてを書き残しています
イエスに関しての記述は皆無です。
聖書は後の作文です

ソクラテスは、弟子プラテンがソクラテスの思想を書きとどめただけでなく、行動に移した事は有名です

仏陀は、マハーカーシャパやアーナンダが、釈尊の死後直ちに仏典結集に取り組んでいます
そして、まもなく、仏典結集のために五百人の比丘を選び、釈尊の説法を集成する事業に取り組んでいます、
 約百年後の第二結集、アショーカ王の時代に第三結集が行われています
次いでクシャーナ朝のカニシカ王の時に、第四回目の仏典結集が行われています、おかげで、釈迦の言説の全てが残されています。

儒家の始祖孔子の説は、弟子たちの言行録として残されています
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

十二分に姑息ですよ。

お礼日時:2023/12/08 10:01

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