No.3ベストアンサー
- 回答日時:
カリーニンは1924年にレーニンが亡くなった後、スターリンの派閥的同盟者でした。
いわばスターリンの側近の一人で、スターリンとの同盟関係によって1926年1月に政治局員に選出され、中央執行委員会議長の地位を1919年~1938年まで維持し、1938年にはソビエト連邦最高幹部会議長という名目上の国家元首となったのです。ですから、トロツキーはカリーニンについて「最初に私に敵対し、次にジノヴィエフに敵対し、最後には消極的にルイコフ、ブハーリン、トムスキーに敵対するようになった」と書いています。
カリーニンは非常に高い地位を占めていたにもかかわらず、最初の頃から実際の権力はほとんどなく、スターリンに支配されてしまっていた名目上の存在でした。ロシアの作家ロイ・メドベージェフによれば、「カリーニンを守るという口実で、スターリンは長期間彼を事実上の自宅軟禁にし、NKVDの職員が常に彼のアパートにいた。カリーニンはスターリンに完全に屈服し、独裁者の犯罪を隠蔽した」とのことです。フルシチョフも同様のことを書いています。
実際、1930年代のスターリンによる大規模粛清の時代に作られた法律はカリーニンの署名によって発効しているのです。これによって数万人が逮捕され、長期の懲役刑を言い渡されています。
カリーニンはスターリンの政策に批判的だった自分の妻を守ることもできず、1938年には妻がトロツキストの容疑で逮捕されています。カリーニンはソビエト連邦最高幹部会議長であったにもかかわらず、カリーニンの妻はレフォルトヴォ刑務所で拷問を受け、1939年4月22日に労働収容所で15年の懲役刑を宣告されたのです。そしてカリーニンが亡くなる直前の1946年に釈放されました。
No.2
- 回答日時:
カリーニンはソ連成立初期から実権の無い国家元首という名誉職にあって、権力闘争から遠ざかっていたため、スターリンを倒す力はありませんでした。
そのおかげで、彼はスターリンの粛清対象とはならずに命脈を保つことができたのです。お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
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