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未だに同和教育を実施している学校があるみたいですね。
僕の中学校でも同和教育がなされました、中学生なんてガキですからそうしたらそれをきっかけにちょっと変わった奴はみんな「あいつ部落やで」と言われて学年じゅうで噂が広まりました。
これなどは同和教育なんてものがなければ起こりえなかった言われなき差別です。

ネットが発達してから部落と言われたコ達の自宅などを調べましたがそんな地域には住んでおらず立派なお家のお嬢さんでした、ただちょっと変わっている人だったので疎まれていただけです。

同和教育が差別を増長しているように思えます、それなのに同和教育を継続する合理的必要性がありますか?
僕が浅知恵で詳しくないからそう思うだけですか?
それとも同和教育をしたほうが実際に差別は減っているのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • この画像みたいにです

    「部落差別って忘れる事が一番の解決法ではな」の補足画像1
      補足日時:2024/01/25 13:17

A 回答 (7件)

過度の同和教育が逆に差別を助長している、確かにその可能性はあると思います。

個人的には自分のまわりでそうした差別を実際に見聞きしたことはありませんでしたが、学校の授業ではじめて「そんなことあるんだ」って教えられましたし。実際に大人になれば事実はわかることもあるんでしょうし、まわりに実態がさほど見られないのに子どもの頃に無理して教育する必要があるのかなと思います。
 *先ほど回答を削除されてしまいました。どうもこの問題で片方の方々のことに触れるとまずいようです。
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この回答へのお礼

B解放同盟が「差別があった!」などと騒いでいますが、どんな差別かというと便所の落書きだそうです(笑)
しかも自作自演でしょう(´▽`)
それぐらいもうB差別なんかに誰も関心が無いのです。

お礼日時:2024/01/31 23:52

No.8です。



何やら「公教育の場での同和教育の是非」が「学校でのイジメ」という(卑近な)ネタに収斂されてしまうような雰囲気だが、言うまでもなく両者は異なるカテゴリーの話である。

もちろん「公教育の場での同和教育の是非」と「エセ同和や人権屋の跳梁跋扈」も別の話。

イジメの原因(口実)が部落界隈だろうが何だろうが、イジメはあってはならないのだ。すでに「いじめ防止対策推進法」が平成25年に施行されている。

同和ネタのイジメに限ってダメだってことではなく、たとえば生徒の同和以外の出自や症状が顕在化していない持病や家庭環境などが何かの拍子に皆に知られてイジメが発生したとしても、ならば複雑な家庭環境の者がいる事実(社会問題)や疾病の存在を学校で教えてはならないってことには繋がらない。

そもそも、スレ主氏の言う「部落差別って忘れる事が一番の解決法」というのは、実現不可能である。

繰り返すが、部落差別ってのは存在しているし、確固とした事実である。事実である以上、忘れることなど出来ない。

「部落差別を忘れること」を実現しようとすれば、マスコミへの検閲を手始めにネット上のワードを虱潰しに抹消したり、住井すゑの「橋のない川」や島崎藤村の「破戒」といった文学作品を廃刊処分にしたり、「福田村事件」「私のはなし 部落のはなし」などの映画を公開・配信禁止にしなければならないが、そんなことが出来るはずが無い(もしも出来るのならば、全体主義国家と一緒だ)。
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以前、大阪の某市の会社に勤めていた時のことです。


市が会社の工場長や人事部長クラスの人間を集めて、人権啓発会議なるモノを招集して、私もとある企業から参加してました。
 その会議が、午前に二科目、午後から二科目の講義があって後援者の話を聞いたり、形だけ質疑応答があるんです。
 その一日に四科目の講義の中で、常に二科目が同和問題、一科目が在日韓国朝鮮人問題、残り一科目がその他すべての社会的弱者の人権についての講義でした。

 あるとき、ふと、質疑応答の時に、その講義の配分について疑問に感じることを質問しました。
 今の社会で、人権を守るべき人たちとして、シングルマザー、貧困者、障がい者、老人たちなど様々な人たちがいます。同和や在日韓国朝鮮人問題以外の社会的弱者の問題をもっと取り上げることはできないのでしょうかと。
 その質問を聞いた途端、会議の運営をしている市の職員が大慌てで、「いろいろなご意見も大事にしつつ……、部落差別や在日韓国朝鮮人問題を……」とか称して、私の質問など無かったかのように片付けられてしまいました。
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この回答へのお礼

在特会も市役所に凸して人権=在日ばっかりで比率がおかしいって突っ込んでましたね。
でも役所の人間は何かを隠しているようで歯切れが悪く、きっと脅されているんだと思います。

お礼日時:2024/01/27 13:32

「部落差別って忘れる事が一番の解決法」というような物言いは、それこそ昔から少なからず存在していた。



そして、そのたびに人権関係の団体だけではなく各自治体からの「反論」が提示され、論破されてきたようだ。

(まあ、たとえば「部落差別 寝た子を起こすな」というワードで検索してみれば、その内容が分かると思うけど)

さて、本スレッドに関する回答としては、「部落差別って忘れる事が一番の解決法」なる意見は的外れかと思う。なぜなら、部落差別が存在していることは厳然とした事実だから。

これがもしも「部落差別は過去に存在したことは無いし、現在も無い」というのが真実ならば、部落差別なんてのはただのデマであり「忘れること」が一番であることは論を待たない。

しかし、どこをどう調べても「部落差別は過去に存在したことは無いし、現在も無い」という結論には至らないし、差別が事実である以上、忘れることなんか出来やしない。

たとえ教育現場で同和教育を取りやめても、部落差別は存在した以上、その事実はアンダーグラウンドなルート(主にネット経由)を伝って大衆の耳目に達する。しかも、その時は話に怪しげな尾ひれが山のように付いているという状態だろう。そして差別は陰湿化する。それを回避するためにも、公教育における同和問題の必要性はあると言える。

もちろん、ネット社会の急速な広がりと、同和教育の衰退(人権教育の中に埋もれてしまう等)で、事態は好転しているとは言えないのだろう。

また、いわゆる「エセ同和」「人権屋」という存在も悩ましい。

けれども、人権を尊重して差別を無くしていく方向性自体は間違ってはいない。LGBTなどのネタもそうだが、少数派・被差別層に対して不快感を抱く向きがネット上では目立つようだ。しかし、マイノリティが暮らしやすい社会ってのは、多数派にとってもメリットが大きいのだ。なぜなら、いつ何時誰もが(理不尽な事情で)少数派にカテゴライズされる可能性はあるからね。
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この回答へのお礼

ウチでも同和教育をした次の日から「昨日習ったやん、あいつとあいつがそれやで」みたいな噂が学年じゅうに広まり卒業してからもみんなから部落民認定されていました。
「部落差別がある」っていう話は聞いたことがあるけど本当かどうかは実体験が無いと分からない。ヒトラーによるユダヤ人虐殺も捏造だったし。

お礼日時:2024/01/26 23:53

教育者とは不思議なもので 教育をすると差別がなくなると思っています。


部落ですが差別なく付き合いましょう.....。

特権が未だにある 特別扱い、優遇してきた行政の姿勢 それも無くさないと結局差別がなくならない。
https://www.pref.osaka.lg.jp/jinken/measure/ishi …
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この回答へのお礼

ウチの学校では同和教育をした途端に「アイツ部落や」「マジか」という噂が広まるようになりました。アフリカ人並みの民度です。あ、これも差別ですね。

お礼日時:2024/01/25 14:25

プロ市民の飯の種ですからなんどでもオカワリしてくるでしょう

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同和地区の人が教育が必要と言ってるようです。


知らなければ差別も起きないと私も思うけどね。
実際社会人になるまで同和問題なんて知りませんでしたからね。
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