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最高の人生とはどんな人生なのだ?

A 回答 (35件中1~10件)

こんにちは。



最高の人生を感じる瞬間は、
個人的には、人生を意識するのは、死を意識したときです。
自分の思いをやり切って、他者に委ねる時間があったときです。
振り返ることができる走馬灯の時間があれば良いのですが。。。

ただ、自分のそんな瞬間の時間軸ではなくて、連続で捉えると、
生まれてから今まで、自分が居たことで、なにか未来にできることをする。
それが、最高の人生だとおもいます。

だって、年老いたときに、それなりのことも言いたいし、
今でもいろいろありますしね(笑)

余談ですが、また明日、仕事頑張ります。
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死ぬ直前或いは人生を総括できる状況で


自らの人生、生き方、在り方、価値観に
概ね満足でき後悔なく死ねる事
「最高の人生とはどんな人生なのだ?」の回答画像34
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大切な嫁と結婚して、人生のバトンを子供に渡した時です。

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後悔のない人生なのだ

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死ぬ時に、楽しかったな、と思える人生。

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死ぬ直前でないので解らないですが、出来るだけ嘘をつかない日々を過ごし、軽運動・ストレッチを継続します。

加えてバランス良い食事と、良質な睡眠を執り続ける日々の人生だと思います。
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大卒や院卒


お金に不自由ない
結婚し子供に恵まれる
ホワイト企業就職
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話が大きくなると想像ができなくなり「何を主張しても正しい(どうせ正解は無いという安心感)」様に見えてしまいます。

そういう場合は日常にあるものを例えとして考える事をお勧めします。

「最高の食事とはどんなものなのだ?」

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

食事の例を出しました。最初は自分の好きな食べ物を思い浮かべるでしょう
。その後で何時も同じだと飽きてしまうと考えるでしょう。変化も欲しいと言い出す人もいるはずです。また不味い食べ物は何かと具体的にあげ、その逆の方向に正しさを求める人もいるはずです。

「いずれも料理の話ばかり。自分の舌の能力について
 心配している人がいないのが笑える」

つまり個人には「味を感じる能力」があるのを忘れがちです。舌がマヒしている人がどんなに「美味しい料理」を手に入れても「美味しい食事」にはならないんです。

「味を感じる能力を鍛えるべきだって? うんまあ。
 そうかもしれないけど。自分は特に不便を感じてい
 ないから普通だと思う。だから先に美味い料理を手
 に入れるべきだよ。それで不満があったら舌の問題
 を考えて後で改善すべき」

「舌を改善するのを後回しにして美味い料理を先に味
 わうべきという主張だね。順番逆にした方が良いと
 いうのは分かってるよな? 分かってない(笑)?」

これは「上手い食事を味わう回数」も念頭に入れた時の話です。人生の最後で「この料理はこんなにうまかったのか。もっと食べたい」と言う人と「知らなかったのか。生きてて良かったと何時も感じていたよ」という人がいた時、どちらが「最高の食事」をしていたのか自明です。

「世の中クソです。不味い料理しか無いです。何喰っ
 ても鉄さびの味がするし。痛いのを我慢しないと
 いけない。食事何て無ければいい。栄養補給ゼリー
 ほど旨い物なんて無いね」

「ちょっと口あけて見ろ。うは。酷い。虫歯と口内炎
 だらけだ。舌にこんなに口内炎出来てて血が出てる。
 まあ栄養補給ゼリーが美味しいというのはわかる。
 それ治療する気はあるのか? 料理の話とは別の次
 元に思えるぞ」

舌を鍛えるどころか口の中に病気や怪我をしている人もいるはずです。こういう事態も想定しないと「最高の食事」を語れないはずです。

「そんなこと言ったら・・・俺は胃腸が悪くて・・・」

「俺も俺も。最近油っぽい物を受け付けなくて・・・」

「僕は間食しすぎていつもお腹減ってないんですよねえ」

「飯より酒だ。手が震えて叶わん。酒の肴で充分」

現実的に考えれば「最高の料理」を食べる人には「最高の体調」が必要になると思えます。そうじゃなければ勿体ないです。これらが揃って最高の食事になるはずです。逆に「最高の料理」でなくとも「これはこれで上手い」と感じられるはずですからね。また先ほども述べた様に「人生で一回だけ」では物足りないでしょう。なので何度も最高の食事が出来る環境を整えないと行けないはずです。

「体調を整えない人が『飯が不味いのは料理に原因があ
 る』と頑なに考え『美味い飯』を誰かが運んでくれる
 のを待っていたら常に最低の食事を続けられる」

逆説的に言えば上の様になります。

「ゼリーが美味いっていう僕は悪いんですか? 固形物
 を食べられる人がそんなに偉いんですか?」

「年寄りは固形物好きだよね。古いんだよ。ゼリーの美
 味さとか分からないんだ。時代が変わったのについて
 いけないのさ」

「古い考えにあわせて無理する必要ないよ。口の中が痛
 くなって損するだけ。食事に夢を求めるとか心理がわ
 からん。食事は苦痛なだけだよ。栄養さえ取れれば問
 題ないんだよ」

こう言う風潮が蔓延して不可思議に思う年配の方も多くなるでしょう。しかし「ちょっと口あけて見なさい」「何で何度もトイレに行く?おい、吐いてるじゃないか?」等と少し注意してみて上げれば「もっとヤバい」と分かるはずです。

「食事の例は分かったよ。体調とか舌の能力とか気には
 してなかった。どっかで試すよ。だけどさ料理の場合
 だけだろ? 幸せを感じる能力とか言い出したら流石
 に信じられないね。俺が不幸を感じるのは世の中が悪
 いからだと思う。哀しい事や嫌な事があったらそう感
 じるのが普通だろ?」

「現代に生きていてセロトニン不足について知らないと
 言うのは古代人過ぎるだろ? 時代についてイケてな
 いのはお前の方じゃないか?」

現代の若者の10割が軽いうつ病にかかっているそうです。これを40年以上前に予測して精神科医たちが抗うつ剤の大量生産に走ったそうです。酷い話です。つまり「口を怪我ていない若者がいない。彼らが料理のマズさを語る」みたいな状態が続いています。つまり「肉体的な病気により幸福感を味わえない(詰んでいる)若者ばかり」なのです。

「他人を言い負かしても病気や怪我は治らない。悪化す
 るだけだ」

言い負かしても想像しても無駄です。体に原因があるからです。

「上手い料理を想像しても病気や怪我は治らないしね。
 いかに早く怪我を治し、いかに早く舌を鍛え、いかに
 して上手い料理を手に入れるかで食事は充実する」

他の人が美味しいというのに自分だけは辛いと感じたら「口の中を怪我していたり」「消化器系の病気を疑う」ものですよね? 幸福や満足感と世の中関係についても同じように考えれば「脳内の異常」について疑うべきなんです。これはホオッテおくと命にかかわります(私もそうだった)。

「身にしみてわかった人はセロ活してるけどね?」

「美味い食事とは何か?」を語るには健康を前提にしないと行けません。その上で本人の舌の能力に差があることも考慮しないと行けません。また料理を手に入れるのと並行して治療や舌を鍛える作業を(出来るだけ早く)やらないといけないでしょう。

「大体分かった。で?最高の食事とは?」

「出来るだけ早く病気を治して舌を鍛えた人が積極的
 に料理を食ったという経緯そのものだ。口が痛くて
 食事が嫌いだという期間を少なくした人が語るもの
 すべてだろう。つまりその人の活動にある。物とし
 て存在するわけではない」

口の中を怪我している人は「料理の話」が出ればイラっとして怒りをぶつけるでしょう。最高の食事とか言う話題になれば悔しいし哀しいはずです。

「どうして自分だけが・・・・酷いです」

「だから病気なんだって。早く医者にいけよ」

当たり前の話なんですけどね。料理に原因があると思って文句を言い続け「運ばれてくる美食の数々を無理に食べて痛い痛いと言い続ける」食事刑みたいなのがあったら切ないですよね。

しかし「思い立って治療しました」という人にとっては「刑罰どころかご褒美」に感じるはずです。これが早いか遅いかで最高から最低まで分れるという事なのです。

「なんか単純化されたな。幸せを感じる能力を幼少の
 頃に鍛え捲って長生きした人が最高の人生?」

「そう。世の中で起きている事が何であろうと、そう
 しなかった人と比較すれば相対的に幸福を感じた時
 間が長いはずだからね。論理ではそうなる」

セロトニンを出す活動はうつ病の治療に役に立ちますが、治った後も更に効果を出します。つまり舌と同じように鍛えられるのです。

「自力の要素(自分の味わう能力を鍛える)が強すぎる」

と言うのが答えです。

「最高の人生について自分なりに語れる人は健康である。
 小さな幸せに答えがあると主張する人は、過去に病気な
 どになり治療に専念した経験がある。意識して幸福を感
 じる能力を(大事に)育てているはずだ」

と思います。

「料理を語るのもいいよね。だけど本音で言うと何喰って
 も美味いんだよね。もう食い物差別の話はどうでも良い。
 腹減ったわ。生きてて良かった」

と言う人が最高の食事をしているのでしょう。そして何が起きても嬉しいと感じられる脳の状態(そういう物が本当にある)を長く維持した人が最高の人生を味わったのだと思います。

仏像が薄ら笑いを浮かべているのは「慈愛」を現しているのではく、セロ活を究極まで仕上げた人が「脳内の快感」に痺れて幸福を感じ続けている姿(座って目を閉じて居るだけで幸せ)なのでしょう。

「究極まで仕上げると何もいらない状態になる」

他の人を評価したり批評したりしても「自分の脳の状態は変わらない(逆に悪く成る)」分けですから意味がありません。そんな無駄な事をせずに自分のために自分の脳を調整すべきでしょう。こればっかりは他人が手伝う事が出来ないガチ勝負の世界なんです。

結局(現代の科学をもってしても)幸せや最高の人生は自分の心(脳)と向き合うガチ勝負からしか生じないという事です。これを避けると「普通」どころか「地獄」がデフォルトになってしまうんですよ。

以上、ご参考になれば。
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最高の人生とは人それぞれの考え方、感じ方次第でしょう



小さな事でも幸せと思える 自分の物差しで考えて、感じて生きられる事かなと思います
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金に不自由せず、怪我と病気もしないで


生きられる人生。
よき仲間とパートナーに恵まれた人生。
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