牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

昔、祖母が“絶対にガンにならない飲み物”を作って家族全員に飲ませたことがあります。
(たしか、近所の人に作り方を教わったとかで、生卵など家によくある食べ物を混ぜたものだったと思います。ガンにならないなんてメリットはありえないし、でもデメリットも特にないものです。)

当時の私は「そんなものあるわけないだろ! おばあちゃん騙されてるんだよ!」と断固拒否。家族で一人だけ飲みませんでした。

でも今考えると、おばあちゃんの「家族に病気になってほしくない」という意思を汲んで、適当に「そうなんだねー、ありがとー」とでも言って飲むべきだったんじゃないかと思います。
拒否した私はガキだったんじゃないか、騙されたフリして飲むのが大人の対応だったんじゃないかと思います。

その反面、「自分がああ言わなきゃきっとほかにも騙されてた」という思いもあって……。

どうするのが正解だったのでしょうか?
皆さんだったらどうされますか?

A 回答 (6件)

その時、つまりガキだった時のあなたの反応があなたにとっては精いっぱいの反応だった、言い換えるとその頃のあなたが出した(出せたと言ってもいい)正解だった、と思うことにしませんか。

後悔の材料にしなくていいんですよ。過ぎてしまったことだし、飲まなかったあなたに対し残念な気持ちを抱いたかもしれないけど、そのことで可愛い孫のあなたを嫌いになったことはなかった筈。

タレントのさんまは「落ち込むことないの?」と質問されて「ない」と即答しています。落ち込む人は己を過信している。うまくいかなかった時は、俺はまだまだだなと感じても、己を過信していないから、落ち込まないんだって。その日(の判断やした事、これは私自身の解釈になりますが)が自分にとっての頂点だった、と思うことにしているそうな。自分を責めすぎてどこかに自分の頭をぶつけてしまうような人って(なんで俺はダメな奴なんだと悔いて自傷する人)「俺はもっとあんなこと、こんなことできた筈」と「本来は出来る筈の自分」を前提にして言ってる気がします。
サンマの言葉を借りるなら「過信」しているのね

あなたもガキだった頃の「飲まなかったという判断&行動」をその時のあなたなりの頂点だったと思うことにしたらどう?

それにさんまとは別の視点で(偉そうに言ってるように聞こえたら、ごめんね)あなたはそれはそれで正解だった、と思うんです。聞いた話を鵜呑みにして、まずいという味の問題だけで済むなら、健康被害にはならないけど、毒キノコを見分けできなくて運悪く家族全員食べちゃって、不幸な結果になることもあり得るわけで。その点あなたがこれは怪しいという自分の気持に正直になり、飲むことを受け入れなかった、という場合は、あなたは命の危険から免れることも出来るわけで。

絶対にガンにならない飲み物と聞くと「そんなのあったら、即商品化されているし、その飲み物でなんとかなるなら医者はいらんだろ」と私も思います。ただ、家族思いのお祖母様には「絶対ガンにさせたくない飲み物」だったのでしょう。現実的に捉えると、家にあるもので出来てしまう安価な飲み物が高価ながん治療薬を超えるとは到底思えません。でも、そこを飛び越えて真剣に飲み物作りに励めるのも家族愛のなせる技なんですね。

だから、おばあさんにとってはその飲み物で、家族をがんから守ろうとする行為がお祖母様の頂点だった、と考えましょう

世間一般的に捉える「正解」と異なるかもしれないけど、正解は人の数だけあるのかもしれません

当時のお祖母様がした飲み物作りは、病気(がん)にさせてなるものかという熱い家族愛によるものだった、と今、理解できたなら、拒否一点張りだった頃のあなたより、大いに進化したではありませんか。人の気持がわかるようになって。

あの頃の俺は、あの頃の私は、と振り返っても多くの人には後悔しかないでしょう。学習を重ね経験を積んだ大人になった立場で、まだ幼くて未熟だった頃の自分を見て言うのですから、自分に「はなまる」を、今の言葉で言うと「イイネ」を与えられないんですよ。

あの時の俺はあれで精いっぱいだった。これからは、善意で言ってくれる人について頭ごなしに否定、拒否する言い方は控えておこう、そう思えばいいではありませんか。

あなただけでも,ご自分の優しい味方になってあげましょう。
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この回答へのお礼

さんまさんの過信の話、すごく納得しました。今の自分なら昔よりは良い言い方ができるのかもしれません。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/04/20 16:47

正解だろうと不正解だろうと過去には戻れないだろ。


「あの時ああしていればよかった」と思いながら二度と会えなくなった人間はたくさんいるよ。

せめて同じ思いをさせる人間を増やさないようこれからの人付き合いに精進する。
できることはそれしかない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。過去には戻れないのだから、これから気をつけるしかないのですね。

お礼日時:2024/04/20 20:30

いくら善意だから、高齢だからって、根拠も内容もわからない得体のしれない物を人に飲ませるのは、無知の愚行。


やり方は過激すぎたけど、正しい考えを教え、そういうことは迷惑だと学習させるのも必要なので、あなたの考えや行動も正しかったです。

「僕の体を思って作ってくれてありがとうね。でも、これは飲めないです。お気持ちだけありがたく受け取っておきます。」
ありがとう、ありがとうと相手を立てつつ、しかし、断固として飲まない。
飲むとまた作るから。
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この回答へのお礼

あとは言い方だけだったんですかねぇ。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/04/20 16:14

その時点で既に高齢でしたよね?祖母ってくらいですから



そうすると、孫が騙されてんだよ~て言った程度で考え方が改まるとはとても思えません

まぁ祖母自身が半信半疑で試してみた
程度の状態ならまともな判断に立ち返る可能性はあったのかも知れませんが

まぁ私は飲みませんね
だってどう考えたって美味しくないでしょ
薬だと思って飲む人は美味しくなくても我慢できるでしょうけど
まがい物だと分かっているので、我慢して飲む気持ちにはなれません


そう言う困った行動が毎日繰り返されるようなら
その元凶の住人を制止します

たまに思いついたように行う程度なら放置します
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この回答へのお礼

味は…想像したくないですね。それ以降は飲まされる(飲まされそうになる)ことはなかったので大丈夫でした。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/04/20 10:52

それで商売をやろうって考えているなら止めた方がいいけど、ただ善意で作って飲ませているだけなら「誰一人ガンにさせるものかというおばあちゃんの優しさが入った飲み物」として、みんなで飲めばいいのではありませんか。



騙されて損をする人がいないし、本気で騙される人もいないだろうし、みんなで騙されたフリをするのが、おっしゃるとおり大人の対応だろうと思います。

おばあちゃんが亡くなる際、「おばあちゃんの飲み物のおかげでガンにならなくてすみそうだ。私は長生きできそうだよ、ありがとう」って看取ってあげればいい、とは思います。

しかしあなたの「騙されているんだよ」という指摘も一種の善意だと思います。

善意というより正義に近いものかもしれませんが、ともあれ、おばあちゃんにもあなたにも、それぞれに善意があって、その善意の向かう先が少し違っていただけです。
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この回答へのお礼

祖母がまだ生きているうちに祖母の善意に気づけてよかったのだと思いました。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/04/20 10:41

どちらも正解。



幼少の頃は「感情」という感覚だけが
自分自身の命を守る手段です。

そこに知識や経験が加わり、
相手を思う思考が加わり
「飲んでも支障はないか?」
という総合的に判断できるようになります。

そのことを身体をもって教えて頂いたのが
お婆さま。

そう考えれば今から優しく接してあげればよいし、
既に他界していたのであれば、「師」として
同じ様に考え進む。

自分はそうやって「時間が解決」するような
考えを持つことが出来ました。

少しでも伝われば幸いです。(^^)/
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この回答へのお礼

相手を思う思考、当時の私には無かったのでしょうね。これからの接し方を考えさせられました。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/04/20 10:22

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