とっておきの手土産を教えて

本当に貴重なものならば、失う前からありがたみは十分にわかるはずです。それを「失ってはじめてわかる」というのは、たんに喪失感が価値観を歪曲させているのではないでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    要は、
    「失ってはじめてわかるありがたみ」
    なんていうのは嘘で、そんなものは邪魔に思っていた、でも喪失感がその前の記憶を消していたずらに価値観を増していったということです。

      補足日時:2024/04/22 09:45
  • うれしい

    たとえば、本当には愛していなかった恋人など、失ってみると、さも純粋に愛していたかのような錯覚に陥るのは、この具体例ではないでしょうか?

      補足日時:2024/04/22 09:53
  • うれしい

    ほんとに単純に言うと、
    「失ってはじめてわかるありがたいもの」
    というのは実はありがたくはなかったものだということです。
    ありがたいものならば、その瞬間瞬間で「貴い」ということを「感じざるを得ない」からです。

      補足日時:2024/04/22 11:17

A 回答 (11件中1~10件)

旦那は70迄生きたくないと言っていたのでいいよと言いましたが


無くなってしみじみ生きていてほしかったとか
存在が大きかったと思います。
大阪ガスのエアコンとかどこに頼んだら修理できるんだとか
冷凍庫の氷は自動が壊れていて手動で旦那が作っていたとか
居なくなったとたんお中元やお歳暮も現金収入も無くなったし
電球も変えてくれないしゴキブリの掃除してくれないし
とても不便です
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この回答へのお礼

それって、存命の時から「貴重だ」と思わないのは変なんじゃないですか?

お礼日時:2024/04/22 10:15

頭で解っているのと、実際に経験した


のでは違います。

百聞は一見にしかず。
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この回答へのお礼

そりゃそうですが質問とは関係ないです。

お礼日時:2024/04/23 07:34

失って初めてわかるお金のありがたみ。


失って初めてわかる健康のありがたみ。

どちらも現状に不満がない人はそれが「ふつう」だと思っていることでしょう。
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この回答へのお礼

普通とは思ってないです。

お礼日時:2024/04/23 07:34

>いや、一様に、すべて「失ってはじめてわかる」ものなど貴重ではないのだということです。



相変わらず話になりませんね。多分お互い様なのでしょうけど。
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この回答へのお礼

はい。お互い様です。

お礼日時:2024/04/22 14:30

いや、この言葉は


ありがたみが十分にわかっていなかったものを
言っているのであって
「十分にわかるはずです」と言うもののことを
言っているわけではありません

わかっていなかったことを
言っているから
この言葉があるのです

「何が」ではなく
それは個人的な事柄であって
あれがそうだとかこれがそうだという
例は人それぞれです

自分は
ありがたいと思っていたから
人も同じだというわけではありません

あなたの意見では
個人がそう思っているのに
あなたが
俺はそうは思わないと
他人の思いに難癖をつけているのと
同じです
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この回答へのお礼

難癖ではなく進言です。
>ありがたみが十分にわかっていなかったもの
そういうものは存在しないと私は言っているのです。ありがたみはその瞬間瞬間で感じざるを得ない。本当に自身にとって貴重なものならばです。

お礼日時:2024/04/22 11:15

>それはそうですがね。

でも一般に「失ってはじめてわかる」≒「普段はありがたさを感じていない」≒「実はそれほど愛着を感じていない」ってことは言えるのでは?

だから時と場合と申し上げているでしょう。
そう言えることもあるでしょうし、そうでないこともある。両方あるのが当たり前のことです。
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この回答へのお礼

いや、一様に、すべて「失ってはじめてわかる」ものなど貴重ではないのだということです。

お礼日時:2024/04/22 10:41

時と場合、人による感じ方、人によるそれまでに歩んだ人生経験の違い。


などなど様々な要因によるもので、一元的に決め付ける問題ではないと思います。
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この回答へのお礼

それはそうですがね。でも一般に「失ってはじめてわかる」≒「普段はありがたさを感じていない」≒「実はそれほど愛着を感じていない」ってことは言えるのでは?

お礼日時:2024/04/22 10:00

年明け早々能登で地震がありました。




テレビを囲んで正月番組を観る家族、兄弟、仕事、中間達、水道、生活道路、、失ったものすべてが当たり前に思っていたのではないでしょうかね。もちろん喪失感もありますね。

それに、加えて送られて来る支援物資や公的支援など失って初めて分かる有り難さ、と思います。
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この回答へのお礼

>テレビを囲んで正月番組を観る家族、兄弟、仕事、中間達、水道、生活道路
これらを当たり前だと思っている感覚が分かりません。

お礼日時:2024/04/22 09:49

オレは空気とか水は普段からありがたいなと思ってませんが、失くなったらありがたみは痛感すると思います。


普段からありがたいと思ってる人もいるかも知れませんけど。
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この回答へのお礼

空気とか水って普段からありがたいと思ってます。

お礼日時:2024/04/22 09:42

そういう場合もあるでしょうね。



でも、あって当然だったものを失ってありがたみに気づくことはいろいろあります。 

例えば、災害によってインフラを失ったときです。
下水なんて普段は何も思っていませんが失った時にありがたみを知ることになります。
それは錯覚でも歪曲でもないですね。
家人が入院していろいろな物の在りかや支払い手続きなどわからず右往左往するとかね。
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この回答へのお礼

いや、それらのものって、普通に「当り前じゃない」って思ってませんか?あって当然のものなんて私は身の回りには感じません。

お礼日時:2024/04/22 09:40

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