初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

古今和歌集は江戸時代にはどのような立ち位置だったのでしょうか?
その時代でもまだ必須教養として寺子屋で学ばれたり、武士の教養であり続けていたのでしょうか?

A 回答 (3件)

#2です。


小倉百人一首は江戸時代に、庶民でカルタ取りとして、隆盛して
現代まで続いています。
識字率70%ならでの事ですね、江戸時代末期に、尾崎雅嘉が書いた
「百人一首一夕話」が大石真虎の挿絵と相成って、ベストセラーに成り
ました。http://amazon.jp/dp/400302351X
吉川久さん校訂本が岩波文庫から出て居ます。
当時の挿絵の版が文庫本に挿入されているのですが、吉川久さんの
注釈があっても綴り字が読めないのです、現代人は江戸庶民より、
退化している事が実感させられました。
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「古今和歌集」は解釈を古今伝授として残しました、古今伝授の一人


細川幽斎は関ケ原合戦の前哨戦で石田側の軍勢に取り囲まれましたが、
朝廷が使者を送り、両軍を和解させました。

柳澤吉保の側室 正親町町子は古典に造形が深く、その影響で、吉保は
北村季吟と交流があり、北村季吟を支援していたようです。
北村季吟は、注釈を上段に原文を下段にする、画期的な方法で注釈書を
多数書き残しました。
明治以降の文筆家は、北村季吟の注釈書のお世話になってます。
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漢籍と同様に国風文化の象徴として「万葉」「古今」「新古今」は教養人必須の知識だったでしょう。



寺子屋は、読み書きからスタートする実学の勉強が中心でしたし、社会道徳的なものは漢籍の勉強だったでしょうから、すべての寺子屋ですべての教え子に対して古今が必須であったとは思えません。希望者が入れば希望者に教える程度の寺子屋が多かったのではないかと思います。
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