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源義高がもし生きていて、木曽に帰って仲間を募ったらまた歴史は変わりましたか?

A 回答 (5件)

No.4です。


やはり本当によく考察されていますし、
とても興味深いです。

ただ、義経が追われる身となった時期の頼朝は、
傘下の武将が多いので、勢力図からいって、
あの大局を覆すのは、木曾勢あるいは、
木曾勢+奥州藤原氏でも難しいでしょうね。

そうはいっても、
>義経がもし欧州藤原に逃げ込んだ訳ではなく、
義高の勢力に奇策を用いて逃げ込む、
もしくは義高から義経に何らかの手段で取り込む流れになれば

これを後白河院が裏で手引きして、義経を義高のもとへ逃亡させ、
木曾勢に合流させていた可能性が大きいと思われます。
木曾勢はのちの木曾氏となっていると考えられ、
残存する兵力はそれなりにあったようです。
そして、義仲と後白河法皇の不仲の決定打は、
後白河法皇が頼朝の東海、東山、北陸道の支配を、
認めざるを得ないという動きになったためです。
後白河院は本質が蝙蝠タイプですので、
本当は頼朝の東海、東山道の支配を快く思っていません。
表の顔では義経追討の院宣を出しておきながら、
義経が木曾勢に合流し、義高が組み、
頼朝への牽制球になると考えた時に、
義経に北陸道方面への逃亡ルートを示唆して逃亡させます。
義高には頼朝から、東海、東山道を共に取り戻そうともちかけ、
義経の保護を秘密裏に依頼していくことが考えられますね。

ご指摘の通り、後白河院にとっては、
義経の方が自分の立場を守るためには、
便利な駒でしたから、これを庇護できる勢力があれば、
そこに逃げ込ませるように暗躍していた可能性が
高いと考えられるわけですね。
そこにもし、頼朝の東山道支配に反対する藤原秀衡が合流したら…
これは頼朝にとってはかなり怖い想像です。

それでも頼朝無双状態を打破できるかというと難しいですけど、
非常に厄介で巨大な、目の上の瘤になっていたことは
想像に難くないです。
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この回答へのお礼

私の言いたいことを正確に補完し、また予測してる大まかな流れを、細かく足して記してくださりありがとうございます!
すごくすっきりしました。

実は普段は物書きの仕事をしていて、普段は歴史などは書かないのですが、大姫の存在を知って可哀想すぎて、興味を持ち、このあたりの歴史の流れを教科書であらためて見て、関係性などを検索してみるうちに色々想像が膨らんだので、趣味の方で(専門ではなく自信はないので)大姫救われる話を書いてみようかなと思っていたのですが、できれば歴史改変をちゃんと可能な範囲ことを書きたくて。
歴史を詳しい方にお伺いしてみたかったのですが、当てがないので質問させていただきました。

とても参考になる貴重なご意見ありがとうございました。ご回答を参考にして、さらに調べを進めたのち書いてみようと思います。

お礼日時:2024/07/16 19:33

おもしろい着眼点ですね。


正直なところ、義仲という頭を失ったことで、
木曽の源氏勢は終われる身となっていましたから、
大勢として鎌倉幕府が成立しなかったという程の
大変化はもたらせないかもしれません。
でもここで新たな頭領として嫡男の義高が帰還すれば、
少なくとも頼朝にとっては、頭の痛い集団として、
息を吹き返すことは考えられますし、
もともと義仲が親王の命で挙兵していたという
大義名分もあるので、再び頭を得ることで、
大勢に影響を及ぼしていた可能性はあります。
決別した後白河法皇を頼朝が追い落とそうとする動きに乗じて、
源平合戦に加わるか、勝手に参戦するか、
いずれにしても頼朝にとっては、
いずれ対処しなければならない勢力となるので、
義経だけではなく、義高問題があとで尾を引きそうですね。
問題が二方面に残るため、鎌倉幕府の成立が、
大幅に遅れることになったというくらいの影響は、
あったのかもしれません。

逆に言うと、そんな未来を恐れたので、頼朝は必死になって、
義高を追ったと考えるといいでしょうね。
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この回答へのお礼

すごく親身な回答ありがとうございます。

義経をうったあと、ぶつけるにめぼしい台頭する勢力がなく、源頼朝無双状態になってから、後白河法皇が征夷大将軍にしたところを見ると、法皇としてはそうせざるを得なかったんだろうなと思ったんです。

そこで、義高が生きながらえてそれなりの勢力を保持していればと仮定すると、頼朝は平家を滅ぼした後、あのように義経排除に強くでられなかったんじゃないかと思い始めました。

つまり義仲と頼朝がかつて手を結んだように、義経がもし欧州藤原に逃げ込んだ訳ではなく、義高の勢力に奇策を用いて逃げ込む、もしくは義高から義経に何らかの手段で取り込む流れになれば、もしかして頼朝勢力はかつての平家のように滅ぼされることなったのかなー…と。

思ったりしたんです。

お礼日時:2024/07/16 13:06

変わらなかったでしょう。



源義仲を滅ぼした時点では源頼朝の関東での支配権は盤石なものになっていました。逃げることができて平家と共同戦線をはっていたらという気もしますが、畿内は戦の天才、義経が押さえていましたから、無理でしょう。

親の都合に振り回された義高と大姫が可哀想ですね。
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木曽義仲のことですか?

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この回答へのお礼

いえ、ここで質問してるのは、息子の義高のことです。

お礼日時:2024/07/16 12:28

変わらないんじゃないかな。

。。。

源義仲に人望があったから、源頼朝に調略によって木曽に帰っても仲間が思ったより集まらない可能性が高いです。
北条時行の例と同じような感じになりそうです。
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