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邪馬台国は原文では「邪馬壱国」と書かれ、3文字目の「壱」は「臺」の間違いだとされ、正しくは「邪馬臺国」、臺の新字体である台をあて、邪馬台国と書くの通説でしょう。卑弥呼が亡くなった後、国が乱れたが卑弥呼の宗女の「壱与」を立てたら国が治まったとあるのは皆さんのご承知の通り。先日、録画した「関口宏の一番新しい古代史」の第4回を「・・・邪馬台国はどこ」(BS-TBS,2022/4/23放送)をみていたら、「壱与」を「イヨ」と読むとしていて非常に違和感を覚えました。この番組には2人の古代史の専門家、編集工学研究所所長松岡正剛氏と明治大学名誉教授吉村武彦がついています。しかし、「壱」が「臺」の間違いなら、「臺与」つまり「台与」のはずで、それなら「イヨ」とは読まないでしょう。私が持っている岩波文庫ぎ「新訂魏志倭人伝・・・」のこの部分には注がついていて、「台与」の誤りであろうとあります(54ページ)。NHKBSPで2021/1/1放送の「邪馬台国サミット」(邪馬台国の専門家が集合し、邪馬台国がどこにあるかを議論した番組)でも2代目女王は「台与」と書き、「トヨ」と読ませています。吉村氏のような古代史専門家の中にも邪馬台国の2代目女王を「イヨ」と読むのが正しいとする人はほかにもいるんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • No1さんへのお礼コメントには書いたことですが、ほかの回答者の方は読んでいないかもしれないので補足しておきます。私がとくに関心があるのは第2代の女王の名前そのものというより、彼女の名前が「台与」であるとしたとき、「台」を「ト」と読めることです。「台」が「ト」と読めるなら、邪馬台国は「ヤマタイコク」ではなく、「ヤマトコク」となる。桃崎有一郎氏が「文藝春秋」本年3月号に寄稿した「邪馬台はヤマトである」は邪馬台国近畿説を裏付ける画期的論文だと思いますが、「邪馬台国」をヤマタイコクと読んできたことが邪馬台国論争の最大の誤りだとまで述べています。3世紀に「魏志倭人伝」等に日本語の地名を「邪馬台」と音写したころ中国の「台」の発音は「ダ」と「ドゥ」の中間のような音だった。さらに、「台」と発音がまったく同じ「苔」が飛鳥・奈良時代に「ト」と読まれた証拠は「日本書紀」をはじめ我が国の正史にはたくさんある。

      補足日時:2024/07/07 11:26
  • (続き)「ヤマト」なる音を聞いた中国人は「ヤマダあるいはヤマドゥ」のような音として聞き取り、「邪馬台」と書いた。後に、日本の正史には日本全体や奈良地方全体を表す「ヤマト(大和)」を「野馬台」とか「夜摩苔」とも書いた。「台」が「ト」だった証拠だ。くわしくは、前掲の、桃崎論文を読んでください。

      補足日時:2024/07/07 11:51
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A 回答 (4件)

正体を考えれば、台与のほうが


妥当でしょう。
邪馬壹國が邪馬臺国とできるなら壹与も臺与になるでしょう。
それで豐鋤入媛になるなら、それでいいと思いませんか。

いろんな学者が自分が当てたい場所へ読者を
誘導し、読者はまるで術にでも掛かったように
きがつくと、学者の思うツボにはまって
その誘導された地でいいと錯覚あるいは洗脳
されてしまっている気がしませんか。
その意味で大和朝廷説以外はご当地ソングみたいなものでしょうね。
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まず史料についてですが、「魏志倭人伝東夷伝」が載っている『三国志』は宋代に書き写された写本です。

陳寿が記したとされる「正史」の原本はありません。写本の『三国志』で最も古い物が宋代(1002年)に刊行されたものですが、これも存在しません。現在残っている最古の三国志の写本は「紹興本」と呼ばれるもので、宋が南に遷った直後の1131~1162年頃に刊行されたものと言われています。つまり原本の発行から900年も後の写本です。更に、1190~1194年頃に「紹煕本」というものも刊行されました。現在の日本で最も良く目にするのが、この「紹煕本」になります。写本という性格上、「紹興本」と「紹煕本」とでは幾つか表記の違いが見られますが、本質的な部分に関わる表記違いはありません。この宋代の二つの写本では、どちらも「壹與(いよ)」表記になっています。

一方で唐代の636年に編纂された『梁書諸夷伝』という書物には「復立卑弥呼宗女臺與為王」と書かれていて「臺與(とよ)」となっています。他にも唐代に書かれた書物では「臺與(とよ)」表記が多いため、時代の古い書物で殆どの書物が「臺與(とよ)」になっているのだから、宋代の『三国志』の方が写し間違えたのだろうという考え方が優勢になっています。

ところでテレビ番組ですが、紹介していた文献は、あくまで宋代の『三国志』の中の「魏志倭人伝」ですから、当然「壹與(いよ)」表記になっているため、原文に忠実な読み方をすれば、「いよ」と読むしかないでしょう。テレビに出ていた学者が、どういう考え方をしているのかは別として、単に宋代の史料を引用したのなら、原文に忠実に「いよ」と読むしかないです。これを「とよ」と読んでしまうと、解釈が入ることになってしまい、色々と文句を付けられたりしますから、単に原文に忠実に読んだだけではないでしょうか。ちなみに吉村教授は著書の中では卑弥呼の宗女を「台与(とよ)」と表記していますので、「とよ」が正しいと考えているはずです。
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この回答へのお礼

回答者さんもこの番組「一番新しい古代史」(2022/4/23放送)のこの部分をご覧になっていたんですね。たしかにここでは吉村教授は原文を読み下しながら説明していましたが、説明用のパネルにも「13歳の少女壱与(いよ)を王に立て国内が安定」とあります。しかし、吉村教授がご自分の著書の中で「台与(とよ)と表記し、「とよ」が正しいと考えている」なら、説明のあと壱与(いよ)は台与(とよ)と読むのが正しいとする説もある旨説明すればよかったのではないでしょうか。

お礼日時:2024/07/06 13:49

「邪馬台国」についての読み方にはいくつかの異なる説がありますが、特に「壱与」(「イヨ」)については議論が続いています。



「壱与」は「邪馬台国」の2代目女王である卑弥呼の宗女です。 彼女は卑弥呼の死後、国内の混乱を収めるために即位しました。

「壱与」は「イヨ」と読まれることが一般的ですが、これは「臺」(新字体の「台」)の誤りから派生したものです。 本来は「台与」であり、「トヨ」とも読まれます。

吉村武彦氏などの古代史の専門家の中には、「イヨ」が正しい読み方であるとする立場もあります。

ただし、他の専門家や学者の中には「台与」を正確な読み方とする人もいます。

質問者さんが持っている「新訂魏志倭人伝」の注釈によれば、「台与」の誤りである可能性が指摘されていることがわかります。

NHKBSPの番組「邪馬台国サミット」でも2代目女王は「台与」と書かれ、「トヨ」と読まれていました。

総じて、この問題は学者や専門家の間で意見が分かれており、正確な読み方については未解決のままです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。意見がわかれている根拠な何なのでしょうか?「イヨ」説を主張する専門家は「壱与」の「壱」は「臺」の間違いではなく、そのままが正しいということでしょうか?ちなみに、No1さんへのお礼で引用した桃崎氏も[女王卑弥呼]の死後もその縁故者台与(「とよ」とわざわざフリガナを付している)が女王に立てられた」(文春3月号364ページ)と、第2代女王は「台与」(トヨ)としています。「邪馬台国サミット」に集まった「邪馬台国」専門家たちも2代目女王の名前は「台与」(トヨ)で合意しているということですよね。

お礼日時:2024/07/06 12:13

まず原文と書かれているのは、三国志の原本(すでに失われている)ではなく、宋代に作られた現存する最古の写本の文章のことだと思われます。


ご存じのように、この宋代の写本”のみ”、邪馬台国が邪馬壱国、台与が壱与、と台(の旧字、臺)が壱(の旧字、壹)に書き換えられています。この宋代の写本以外や、三国志以外の本やその引用においては台の字が使われているので三国志の原本でも台の字であっただろうというのが定説です。
(これに異を唱えて有名になったのが邪馬壱国で有名な古田氏ですが・・)

ただ世の中には、ぶっちゃけ興味ないという人が圧倒的ですので、トヨだろうがイヨだろうが、どちらでも気にしないという人が多いのです。

似たような?話として『信長公記』という本があります。信長というのは日本の戦国史でも有名な織田信長のことなのですが、この本のタイトルの読み方としてはシンチョウコウキと読まれます。これは戦国時代の人物名の読み方が分からない人が多いため、全部音読みとするのが通例となっているためのようで、ノブナガのように有名で読み方も定まっている者でもシンチョウと音読みされるのです(最近ではノブナガコウキと読むこともあるようですが)。
台与、壱与、は少し違いますが、吉村氏も一番古い写本が壱与となっているのでイヨと呼んでいるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

早速ご回答ありがとうございます。私が持っている「新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝宋書和国伝・随書倭国伝ー中国正史日本伝」(岩波文庫)で、本文のほうに読み下し文と注がついていて、付録に原文が載っています。この原文が宋代の「写本」だったんですか、この岩波文庫の「まえがき」を見たんですが、その点(原文が宋代の写本であること)については書いてありませんね。
 いいえ、2代目女王が台与(とよ)であるか、「壱与」(いよ)であるかは私には大変重要です。わたしはかねがね「邪馬台国」「ヤマタイ国」ではなく「ヤマト国」と読むのが正しいのではないか、と考えてきたので。。。台がトなら、邪馬台国はヤマタイ国ではなく、ヤマト国と読める。最近文芸春秋3月号に「邪馬台はヤマトである」という、たいへん説得的で、画期的な論文が出ました。著者桃崎有一郎氏は「ヤマタイ国」と読んできたことが「邪馬台国論争」の最大の誤りとまで言っています。

お礼日時:2024/07/06 08:08

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