牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

なぜ1900年代初期に大量の日本人がブラジルや南米に移住したのですか。

A 回答 (12件中1~10件)

農家の次男三男の仕事探し。


日本国内より、海外のほうがよく見えた。
2.3年頑張れば大地主だぞって、誇大広告っぽい求人もあったそうで。
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国策です。



日本が貧しく、日本にいては
食えない。

一方で、ブラジル、南米は
人手不足。

それで、日本政府が移民を
奨励した結果です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B3%BB …
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100年前の日本というのは、非常に貧しい国でした。


江戸時代ごろから子供を大切にしようという気運はありましたが、避妊技術などはありませんでしたから、行われていたのが口減らしだったりします。その流れが昭和初期でもありました。
なので、そんな極貧から抜け出すにも、新天地に対するあこがれというのは大きかったのだと思います。
それより少し前になりますが、明治時代ごろの北海道の開拓も似たようなものだったようです。よくそんなことが出来たなと思うような話が沢山あります。
ハワイや南米の移住は、日本国が農地に最適な広大な土地を用意してますみたいな宣伝もしていたようです。しかし行ってみれば荒れ果てた荒野で土地も狭く食っていけず、地元の農場で働く奴隷になった人も少なくなかったようです。

日本も貧しかった、国に騙された、根性が半端なかった、そんなところでしょうか。
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薩長偽官軍が無節制に人口増加政策を推進したので、日本国内で賄いきれないほどの人口大爆発が発生したからです。


特に農村部であぶれた人は、都市部に流入し、貧民窟に流れ込みました。貧民窟での悲惨な生活は社会問題化し、薩長偽官軍は国民を大量輸出することにしたのです。棄民政策ですよ。
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当時の日本の農業は、地主が小作農を雇って行っていたことが多く、小作農民は貧乏でした。



自分の土地を手に入れて農業で稼ぎたい人を中心に、移民していったと言えます。

それより遡れば、北海道の開拓を兼ねる形で屯田兵や移民が多くありました。
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棄民です。

明治以降の人口爆発によって養えないほど人口が増えてしまったことが一因とされています。
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歴史は苦手?

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とにかく南米各国がゴムやコーヒーの輸出で経済を成り立たせていたため人手不足で移民を奨励していました。


「母をたずねて三千里」でマルコの母親が出稼ぎでイタリアからアルゼンチンに出稼ぎに行ってたのもその時代です。
1900年代初期ではないですが、戦後に猪木家がブラジルに行ったのもその流れですね。
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日本の周辺国から多くの労働者が自国より労働条件が良い日本に移住する人が多くなり、国内の底辺労働者の仕事を奪うようになった。


大陸や半島からの向上心が高い(学力も高い)人たちが流入すれば、凡人の日本人は生活の場を奪われた。隣国からの移民により人口増大への対策として、日本政府へ手を差し伸べたのが南米等への移民要請です。
それにのせられてたくさんの日本人が南米へ旅たったのです。

そもそもは、近隣から移民を制限しなかったことが発端です。
それにより、人口増加し、全ての人民を養えいから外に送ることにした。
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移民政策には、増える人口に対して、日本国土が諸外国に比べて狭いと言う事と移民によって、他国との関係性の構築、そして、米国に多い韓国議員の様に、その国に影響を持つ事などが表向きの理由です。

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