14歳の自分に衝撃の事実を告げてください

選手の皆さんは とっても楽しんで競技しているように感じます。

そんな皆さんに 悲願は 似合わない気がします。

A 回答 (6件)

”念願の”の方が似合うって感じですかね。

    • good
    • 0

昔は本当に悲壮感ありましたが、今はただ自分がやりたいことの高みを目指し楽しむというスポーツ本来の姿が見られるようになって良かったと思います。



が、旧来の「国の名誉を背負う」「代表の使命」「補助金使っているんだから」のような感覚の持ち主はまだまだいて、そういう人が報道すると「悲願の」のような通りいっぺんの文言を押しつけてしまうんでしょう。
さらに、涼しい家で一杯ひっかけながらの観戦で期待に沿わない結果を出した選手を口汚く罵る無責任なウジ虫もわいてくるのです。

まあ、中には優勝が悲願でそれのみ目的で頑張る選手もいるでしょうが、それについても外野からわあわあ言うのは本当にみっともない行為ですよね。
オリンピックでしか競技見ない輩がそういうことしていたりしますね。

自分たちがとてもできないことをやっている人に対するリスペクトが持てないって何なのでしょうね。
    • good
    • 0

質問者さん個人が勝手に感じていて気がしているだけですね

    • good
    • 0

運動部スポーツ未経験者には、わからない世界があるということでは。

    • good
    • 0

似合わないくないですわ。


私は学生時代は陸上とバスケに取り組み、自分でもバカじゃ
ないの?、と言うくらい “死ぬ程練習” 致しましたわ。
けど、そんな辛い状況でもくじけず続けられたのは、「もっと
上手くなりたい、速くなりたい、強くなりたい」と言う気持ち
があったからですわ。
この気持ちこそ、スポーツに取り組んでいる人が誰しも抱いて
いるモチベーションですわ。
高2の時、バスケでは市大会で敗退、チームの悲願は「来年は
きっと県大会に行こう」でしたわ。
それで、チーム一丸となって過酷な練習に取り組んで、翌年は
県大会進出、ベスト8まで勝ち上がりましたわ。
この結果を見出したのは文字通り「悲願」があったからですわ。
県大会レベルとは比較にならない超々一流のオリンピアン達が
高見を目指すのは当然の事ですわ。

「楽しむ」と言うのは、レベルが高く、プレッシャーが激強の
試合に臨む際に自分自身をリラックスさせる為に言い聞かせる
方便であり、「悲願」は自分を高める為のモチベーションだと
私は思いますわ。
ホントですわ(感涙)!!
    • good
    • 0

多額の税金を使って強化練習し送り出しているんだから、


期待して当然です
国民と、オリンピックに行きたくて行けなかった選手の思いを
忘れてほしくない
楽しみにやるなら趣味やったらいい
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A