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低学歴って生きてて恥ずかしいですよね、綺麗事抜きで。
もし自分が慶應や東大出てたら、、なんて思うと本当に涙が止まらない。
超一流企業で本社勤務になろうが、周りを見渡せば自分より圧倒的上の学歴しかいない。
実力で上に昇っても、「こいつ〇〇大卒なのかよ、しょーもな」って思われるのが落ちです。
社費留学でMBA取ったり、会社辞めて一流大学入り直さないと、この惨め感は多分一生消えません。

本当に低学歴(MARCH以下)って生きてて辛いし、恥ずかしいし、惨めだし、負け組ですよね…?

質問者からの補足コメント

  • この度は人々を不快にさせる質問をしてしまい、
    申し訳ございませんでした。
    しかし、これだけ多くのご回答をいただくというのは、やはり私の主張が真理だからこそだと思います。
    低学歴は恥ずかしいことだし、惨めで負け組であるという「不幸」を受け入れてこそ、次の人生に進めるのだと思います。

    低学歴であるという現実を受け止め、謙虚に慎ましやかに生きていくことを心がけます。

      補足日時:2024/09/25 20:16

A 回答 (52件中21~30件)

>負け組ですよね…?


そうです、その通りです、解っているじゃないですか。
そのうえで、何が質問なの?。
神が存在するとしても。人を助けるときも決して奇跡を起こしません。
自ら助ける者を助けるらしいです。
自ら助ける=自助努力
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早慶とMARCHでの線引きネタ、意外に釣れてますなー

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はあ?何で若い頃の受験結果をそんなに引きずるのか理解できません。

大学は卒業した後が勝負だよ。入学時はあくまで高校までの(一方的に与えられるだけの)暗記中心の学問の、極論すればいわば暗記力の勝負。大学は自ら学ぶことを学ぶ場です。その結果卒業したら君より高学歴な奴は君と同じ部署にいるんだろ?君がどこの大学か知らないけど、勝負はこれからじゃない。何を悲観して勝手に負けてるの?しっかりしろよ!
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えっ?そんなこと感じながら生きる環境の方がドン引きなんですけど。


高学歴って大変だなぁ
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>低学歴って生きてて恥ずかしいですよね、



学歴や経済力や出世する事こそが人間の幸せだ!と人と争って抜きん出ようとしている心の貧しい戦々恐々の人々の方が、私は滑稽で哀れに感じます。

あと、職業等で、人間の位が高いだの低いだのを決めたがる人や、未だに勝ち組だの負け組だのと手垢のついた陳腐な言葉を使いたがる人……。

そのような人々がいくら高学歴だろうが、お金を稼いでいようが、地位や名誉があろうが少しも羨ましくないです。
低学歴でも低所得でも、人と争うことの虚しさを知っている、心豊かで穏やかで、楽しく慎ましく行儀良く生きている清貧の方々な方が、私はよほど幸せそうに感じます。

あくまでも、私がそう感じる……と言うだけですので。
お気になさらずに。
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恥ずかしくないですよ。



そういう気持ちを抱えながら生きているから尊いと思いませんか?。貴方と同じ立場で、貴方と同じように思う人が他にも沢山いるはずですよ。その人たちは自分の苦しさを隠して生きているのでしょう?

だから気がつかないだけですよね。

だとしたら、

「どれだけ多くの人が苦しさを隠して笑顔を振り舞いているのか?」

と驚きませんか? 人間って素晴らしいじゃないですか。

以下は長いですが参考にして欲しいと思います。

●劣等感や嫉妬は善性の現れである

自分の悪いところを褒められて、「羨ましい」と言われても嬉しくないでしょ。劣等感を感じる時は「自分も、あの様に皆に称賛されたい」と言う思いから生じます。つまり「自分の根底は善である」と確認できたことでもあります。その様な素晴らしいシーンであるのに「苦しさ」に負けては勿体ないでしょう。

●同胞についてもっと信じる

「自分だけが劣等感を感じているのか?」

もしも違うのならば心配になりませんか?「世の中が安定していて幸せな人ばかりいる」と信じるなら「自分だけが可哀そう」として良いと思います。しかしそうではなく「全ての人が自分と同じ苦しみを味わっている」のならばどうでしょう?

「そんな・・・何をしても劣等感を感じるなんて。世の中どうかし
 てないか? そんなので社会は大丈夫なのか? みんなが俺と同
 じ気持ちを抱えているのに、誰にも知られていないなんて、涙が
 出てくる。誰か何とかしてあげて欲しい」

●実際に何をしても劣等感を感じるメカニズムがある

高学歴の人は「自分の青春を犠牲にしても名門大学に合格する価値がある」と捉えていたかもしれませんよね。少なからずそういう気持ちを持っていたと想像してみましょう。

「みんな。おめでとう。僕の自慢はこの大学に受かったことです」

「みんなそうだよ。で、他に君の自慢は無いのかい?」

これまで自分を支えてきた興奮は現実の前に一瞬で無くなります。何故かと言うと、その場所(受かった大学の中でのクラスメートの間)では、何も自慢にならず、他の事で優劣を競う事になるからです。

●劣等感はどこへ逃げても付きまとう

優秀な人たちが集まれば、その中で優劣を競う事になります。自分と接する人たちは自分と同じ能力を持っています。自分が自慢できる(と思える)対象はその場所には一人もいません。

「僕は頭が良いなんて思ってたのが恥ずかしい。この大学で僕は
 頭の悪い方に入る。頭が悪いけど元気な奴を演じている。恥ず
 かしいよ。何を希望にして生きて行けばいいのか」

実家に帰って家族に褒められたり、友人に褒められたりすることはあるでしょう。その時に「悩み(実は僕、馬鹿なんです)を相談できない」と気がつくはずです。これほど苦しい事は無いでしょう。しかも「その大学に合格した人の殆ど」がそうなっているはずです。優越感を感じられる人は極わずかだからです。

●挫折を知らない優秀な人も、いずれ挫折を知る

MLBでMVPを取り、国の英雄となりレジェンドとなる。職業プロ野球選手を目指す人にとっては夢の頂点でしょう。この方々は「劣等感」から解放されたように見えます。しかしそうなのでしょうか?

「もっと凄いやつを見て劣等感を感じることがあるかもしれな
 い。自分の記録なんか大したことが無いと思われる時が来る
 かもしれない。その時にイキッていた自分を思い出して赤面
 する事が一番怖いよ」

挫折を知らない人が「挫折から逃れられる」という事は無いのだと思いますよ。どんなに「逃げきれた。俺はもう大丈夫だ」と思えても「偉そうにした自分」という事実を歴史に残しては行けないんですよ。

●どうすると苦しさ(劣等感)から救われるのか?

「自分より凄いやつ。努力してるやつが劣等感で苦しんでいる。
 最初は贅沢だという怒りが沸いた。また、自分と同じ気持ち
 を知って貰えて溜飲が下がった。しかしそれは一瞬だ。俺が
 満足した後も『奴は苦しみ続けているのだ』と知った時、そ
 の不条理の方に哀しさを覚えた。俺より努力して、俺より良
 い成績を残したのに、俺より強い劣等感を感じている。しか
 もその原因もどうしようもない。俺は奴を救いたい。悲しい」

こう思ったとき「自分の方は後回しにしても良い」と納得できるものですよ。

●自分の善性を開放する

自分に劣等感を感じさせる相手と言うのは「自分が勝手に思うヒーロー像を体現した人」でしかないんです。他の人は特に何も感じていないからです。

「自分のヒーローが苦しんでいる」「自分のヒーローが挫けそうになっている」こう思ったとき、人は本来の善性を発揮するのだと思います。

「負けないで欲しい。お前だけは強くないと駄目なんだよ。」

「それでも負けるかもしれない」と思うでしょう。「それでも、それを見るのは嫌なんだ」と言い切る。願う。この時に自分も同時に救われるんです。

●どうすると苦しさ(劣等感)を感じないで済むのか?

強い嫉妬を感じて苦しんでいる時は(先ほど述べたように)「相手を思いやる(仁)」によって自分の善性を開放します。「お前だけは負けないで欲しい」と真に思えた時に救われます。

次は「とはいえ、ああいう苦しさは二度と味わいたくない」と救われた後に欲しくなる「予防」方法でしょう。

予防方法としてポピュラーなのは(普段から)「この人も努力の果てに自分の目の前にいるのだろう」と考える習慣を作ることです。この気持ちを「礼」と言います。

●「礼」の本質的な考え方

「全ての困難を乗り越えて私に会いに来てくれた。本当にあり
 がたい。君が負けてしまっていたら、この出会いは無かった
 はずだから」

自分が出会う全ての人は「自分のヒーロー」なんですよ。例え相手の態度が気に入らなくてもです。それは疲れ果てているからでしょう。自分に出会うまで色々あったんでしょう。そういう満身創痍の状態で「やっと出会えた」わけです。それを考えれば「よく来てくれた」「傷を癒せ」「これからの事を話そう」と考えても良いではないですか。

自分に負けてしまい「途中でリタイヤした運命の人」がいるかもしれませんよね。そういう人もいたかもしれないと思いを馳せることです。

●「劣等感乗り越えクラブ」を目指しましょう

全ての人が「何を達成しても劣等感を感じる」様に仕組まれているのだとしたら? 現実世界で達成した全ての成果は「劣等感乗り越え試験の準備」でしかないという事です。優秀な人ほど「劣等感を感じるまで時間がかかった」というだけです。ここからが本番なんです。

「他の人もこれを乗り越えたのか? あのオッサンですら?」

と改めて驚き「馬鹿にしていた存在」に対して尊敬の念を覚えた時、試験の半分は終わっています。社会の評判に惑わされず「自分の心の苦しさ」だけに集中し「これを何とかした人は誰であっても凄いと思う」と素直に思う事です。そして「乗り越えられなかった人」が人類の歴史上で無数にいると想像しましょう。強い劣等感を感じた時、自分は今まさに記録に挑戦しているのです。

●恒久的な救いになる

何を達成しても、達成した後で「他の事柄で劣等感を感じる」事は防げません。しかもその悩みは他人に打ち明ける事が出来ず、苦しみが続きます。苦しみから逃れるために「まともに戦い挑戦する」のも良いでしょう。しかし、その後も同じになるんです。

「一生繰り返すのか? もう疲れたよ」

もしも「劣等感乗り越えクラブ」に入会できていたとしたら? このような苦しみは入会できた時点で恒久的に無くなるのです。

残りの人生を楽しむためにも「早く入会」するべきではないでしょうか。

●気晴らしと憂さ晴らしの違い

自分を救うためには「仁」が必要です。同じ状況に成らない予防として「礼」が必要です。これらで身を守っても「安心してしまったので何時の間にか戻ってしまった」と言う事はあるんです。

そのため恒久的な救い(劣等感乗り越えクラブへの入会)は、普段の「気晴らし」も充実させないと行けません。

「少しは優越感を感じないとモチベが変なところに向きます」

これは避けて通れないんです。そこで気晴らしが必要になります。この時に「他人を馬鹿にする」と言う行為をすれば「礼」を失いますし、思いやりに欠けるため「仁」すらなくします。一気に転落するでしょう。こういう物を「憂さ晴らし」と言います。気晴らしとは言えないのです。

●お勧めの気晴らし

他者を見て「自分より劣っている」と感じる気持ちに蓋をしては行けません。大事なのは「まあ、だから手伝うか?」と趣味的な感覚で付き合う事です。これを「信」と言います。それは「気晴らし」であって思いやりではありません。しかし「憂さ晴らしをしてしまう自分」と「その未来」を比較したとき(例え)「気晴らし」であっても「良い未来を選択」しているのですよ。

「自分より劣ると思う人の面倒を見る。この気晴らし以上に
 良い気晴らしは無い」

●総括

これらの葛藤と救われる方法は大昔からありましたし、何とか子孫に伝えようと、ご先祖様が頑張った痕跡があります。しかし「自分だけが辛いのだ」と錯覚してしまうと転落するしかないんです。逆に「他の人は大丈夫なのか?」と目を向けると「自分の事など、どうでもよくなる」ものです。しかし、一生気がつかないで終わる人生もあります。自分だけはそうなっては行けないと思うんですよ。

貴方も全ての人を応援しませんか?

以上、ご参考になれば。
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黙っていれば低学歴だろうが高学歴だろうがわからないから恥ずかしいことないです。

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そう思うならば。


そこに価値観、重きを置くならば。

今すぐにでも。
高学歴を目指せばよろしいのでは。

なぜに。

悔しくて。
涙が止まらない。

ままで…止まるのでしょう。

何があなたを。
そうさせているのでしょう。

辛さ。
恥ずかしいさ。
惨めさ。

これって全て。
己の中の、勝手な妄想。

思考にすっかり操られております。

狭い世界でマウント取るような人たちでは無く。

もっと憧れたくなるような、素敵なライバル。
見つけるのもいいかも?!

ブッダ、おススメの一方です。
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自分は高卒ですけど、東証プライム上場企業の開発部に中途入社で入り、毎週、一流大卒の技術者を相手にして講習会を開いて私の培ってきた技術を教えてますよ。


学歴が無くても、これだけは誰にも負けないというものを1つでも持っていれば、それが強みになります。
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学歴はあるに越したことないですが、人は学歴だけではないです。

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