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土御門上皇の(伝)終焉の地と言われる徳島県土成町・御所神社に、下の御製が記されています。

[山ふかく住みけるほども知られけり 月夜の猿の窓ぢかきこゑ]
[埋もるる木の葉の下のみなし栗 かくて朽ちなむ身をば惜しまず]

雰囲気は分かる気がしますが、全体の「現代文」訳を知りたいです。

特に、
・住みけるほども知られけり
・かくて朽ちなむ身をば惜しまず

また、「みなし栗」というのは、地に落ちて落葉の下にある、実は食われてしまったイガだけの栗、でしょうか。

A 回答 (2件)

回答例2



御質問ありがとうございます。土御門上皇の歌、味わい深いですね。以下に現代語訳と解説をいたします。

[山ふかく住みけるほども知られけり 月夜の猿の窓ぢかきこゑ]

現代語訳:山奥深く住んでいることが、ついに猿にも知られてしまったようだ。月の明るい夜に、猿が家のすぐ近くで鳴いているのを聞く。

解説:「住みけるほども知られけり」は、「住んでいることが(猿に)知られてしまったのだなあ」という詠嘆の表現です。「けり」は詠嘆の助動詞です。ひっそりと隠れて暮らしているつもりでも、猿でさえその存在に気づくほど、すっかりこの地に馴染んでしまった、というニュアンスが感じられます。上皇の孤独と諦念が滲み出ています。 「窓ぢかきこゑ」は「窓の近くで聞こえる声」という意味です。猿の鳴き声がすぐ近くで聞こえるほど、人里離れた場所に暮らしている様子が表現されています。

[埋もるる木の葉の下のみなし栗 かくて朽ちなむ身をば惜しまず]

現代語訳:木の葉の下に埋もれている、中身のない栗の実のように、私もこうして朽ち果てていくのだろうが、この身を惜しむ気持はない。

解説:「かくて朽ちなむ身をば惜しまず」は「このように朽ち果てていく自分の身を、(私は)惜しみはしない」という意味です。「ば」は強調の係助詞です。もはや俗世への未練はなく、静かに最期を迎える覚悟が示されています。

「みなし栗」について

おっしゃる通り、「みなし栗」は、中身を食べられてしまった、イガだけの栗を指します。「実のない栗」→「中身のない自分」と重ねて、自身の境遇を嘆いていると解釈できます。 落葉の下に埋もれている様子からも、朽ち果てていく運命を受け入れている心情が読み取れます。

全体を通して、隠遁生活の寂しさ、そして死を目前にした達観が表現された歌と言えます。特に猿の鳴き声は、静寂な山奥に響き渡ることで、上皇の孤独をより際立たせていると言えるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。このご解説を私の Goo blog「徳島だより」
https://blog.goo.ne.jp/angels17
[土御門天皇(上皇)]の項に、出典明記の上掲載させて頂いて、よろしいでしょうか?

お礼日時:2024/11/11 07:04

土御門上皇の御製について、現代文訳を以下に示します。



「山ふかく住みけるほども知られけり 月夜の猿の窓ぢかきこゑ」

現代文訳: 「深い山に住んでいることも知らなかったが、月夜に猿の鳴き声が窓の外から聞こえてきた。」

解説: ここでは、山の奥深くに住んでいることを知らなかったという驚きと、月夜の静けさの中で猿の声が響く様子が描かれています。

「埋もるる木の葉の下のみなし栗 かくて朽ちなむ身をば惜しまず」

現代文訳: 「木の葉の下に埋もれている栗の実は、こうして朽ちていく自分の身を惜しむことはない。」

解説: ここでは、自然の中で朽ちていく栗の実を通じて、自分自身の運命や老いを受け入れる姿勢が表現されています。

「みなし栗」という言葉についてですが、一般的には「みなし栗」は、実が落ちて葉の下に埋もれている状態の栗を指します。食べられてしまったイガだけの栗という解釈も可能ですが、ここでは「実が落ちて朽ちていく様子」を象徴的に表現していると考えられます。つまり、実が地面に落ちて自然に還る過程を示しているのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。このご解説を私の Goo blog「徳島だより」
https://blog.goo.ne.jp/angels17
[土御門天皇(上皇)]の項に、出典明記の上掲載させて頂いて、よろしいでしょうか?

お礼日時:2024/11/11 07:03

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