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受け入れないという生き方で幸せになるにはどうすればいいですか

A 回答 (7件)

受け入れないと云った生き方では、幸せになる事は無理かも知れません、その理由を書きますので後は自分で考えて下さい。

人間の不幸とか苦しみの原因が分かりますか?不幸も苦しみも同じ原因から始まっています。

それは全てが受容出来ない事から始まっています、神経症には様々な症状が在りますが全てが同じ理由からです、神経症の場合の症状は恐怖症や不安症や、又感情障害やその他にも違った沢山の症状が在ります。

それらは全てが意識地獄状態になると云った特徴が在ります。

簡単に説明するなら、書かれている事が理解出来るならOKですが、一応確認のために書いてみます。

人間の苦しみとか不幸の反対語が分かりますか?それは聖書では天国と書かれています、仏教では極楽です。

聖書に書かれている言葉にヒントが隠されています。その天国に一番近い存在と云う言葉がヒントになっています。

天国に一番近い存在は幼子と書かれています、この意味が分かるなら人間の幸福とか地獄とかが何処に或るのかが分かるからです。

それは人間の脳科学を説明すると自ずから理解出来ると思いますので、人間の脳の説明から入ります、

人間の脳が成長してくると脳の機能が左右共に分化してそれぞれの機能として別々なものとして働き始める事になります。

中二病と云われ始める頃の事です。それ以前は二つの脳の機能は一つのものとして機能していた状態を指します、この状態を幼子と形容しています。

この意味は恐いものでも、不安な事でも、只怖いとか只不安と云う風に感じていたからです。

思春期頃になって脳の機能分化が進んだ状態になって来ると、見ている自分と、見られている自分と云う風に自分が二つに分かれて相争う状態にに発展してくるからです。

大人の感情が湧き上る事を意味します。それがイチジクの葉が登場する心的な背景です。

心同士が折りあえるか折り合えないのかの瀬戸際が始まる事を意味します、折り合えない場合では精神的な不幸が始まる事もあるのかも知れません。

二つになった心同士が矛盾を起こしたり、対立したり分裂さえも起こす事もある様です。

人間の脳の機能の説明です。ウイキぺデアの記事からです。

是はてんかんの治療のために左脳と右脳を繋いでいる脳梁の切断を一つの治療の方法として行っていた時代の、沢山の脳梁の切断された人が存在していた時代の研究成果の一つです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

この記事を補完するために、脳卒中になってしまった脳科学者の講演の様子の動画も載せてみます。

脳科学者である女史が脳卒中になってしまって、右脳の自分と左脳の自分を体験として語っているものを載せてみます。



この動画の中で、右脳の自分として感じている者は『自分の無意識の意識です。』仏性と云った方が分かり易いかも知れません、は無意識を司っている意識ですので、左右の脳の意識同士は絶えず切り替わっていると云った処で、出会う事はほとんど不可能に近い事です。

此処で始めに戻ります、幼子の心は生れ付いた瞬間から全てが備わっています、その理由は東洋では仏性が脳の中に組み込まれているからです、又西洋では神と呼ばれる者が脳の機能に組み込まれているからです。

仏性も神も同じ者です。その意味は言葉にするなら『人間の生命の発生装置兼生命維持機能と云った働きをする機能という意味です。』禅の中で語られている通りです。『人間そのものを働かせる働きそのものの意思』という程の意味です。

仏性は人間全てが持っていると云うのに、如何して修行をしないと分からないのか?と云った疑問が『道元が仏門に入るきっかけになった。』と記されています。

人間の自意識は『左脳に存在している機能』の事ですが、説明する必要さえも無いかも知れません、処が左脳の機能は左脳だけで完結していると云った浅はかさに拠って、精神疾患とか苦しみとか不幸が起きています。

今の精神医学は昔から比べるならば、進化しているような気がしているかも知れませんが、釈迦の時代よりも退化しているのかも知れません、その理由は『人間は如何して苦しまなくてはいけないのか?や人間の苦しみは何処からやって来るのか?』さえも理解していないからです。

神経症の原因でさえも、精神医学の立場に立つならば『原因は分っていません。』と説明にならない説明になっていますが、仏教ではしっかりと説明が出来ています。

その理由は『無明の故』となっています。この意味は自分が自分を苦しめている事が分かっていないからと云っています。

簡単な話で説明するならストレスと云う言葉を説明するだけで分かるかも知れません。ストレスを感じるという場合ではそのストレスは感じている人が自分の頭の中に作り出して、自分が作り出したもの、自分が感じているという意味が在ります。

こう云った場合のストレスを感じて苦しんでいる事を無明の故と説明しています。

余り話が長くなると、訳が分からなくなりますので結論を書いてみます。

神経症の場合では『湧き上がった感情とか、沸き上がった考え』と云う風に分けて考える事も可能と思いますが、命の働きの機能には他にも沢山在ります。

ホルモンの調節とか自律神経等の神経とか、その他の神経系統とか消化器系統や循環器系統とかもありますが、そう云った事などに於いても自我意識と相争う場合もある様です。如何なる精密検査をしても異常が無い場合等でも『異常感を引っ込める事が出来ない場合とかの事です。』

どちらにした処で『自身の生命の源から受ける圧迫感という意味からしても、大変に辛い症状に苦しむ事を意味します。』

と云う事で二つになった心を一つにすると云った言葉が出て来ます。それを仏教では『見性』=自分の性を見る=悟りを開くと表現します。

又キリスト教でも同じように『神と会って和解して、神の後に付いて行く』と表現しています、

精神疾患にしても神経症にしても治し方は同じです、症状としているものは総て右脳からの情報ですので、分け隔てなく受け容れる事で完治します。

死に対しての恐怖感にした処で同じです。死にたくない気持ちは皆同じです、処が不安とか恐怖感はますます大きくなって行きます。

死ななくても済むかも知れないと云った予感はまだまだ『迷える子羊状態』から一歩も抜け出していない事を意味します。

処がどこかに転機があるかも知れません、自意識が消耗し尽くし切って『我が死ぬ時の事です。』

その時が来た場合では『脳梁の中で二つの意識が出逢う場合が在ります。』その出会いを悟と表現します。相容れる事が無いもの同士の出逢いです。

その理由は自意識は言葉が話せる事から有限を代表する機能から成り立っていますが、それは言葉と云う意味から推し測るなら割り切れるという意味です=有限の良き理解者という意味です。

他方右脳の意識には言葉がありません、高いと云った感情と云った情報は言葉なしの情報です、その他にも右脳からの情報例えば漠然とした不安感とか、納期が来た場合での焦燥感などにも言葉が必要在りません。

また永遠とか無限と云った意味なども、有限の自意識には理解不能です。ところが自意識のそう云った永遠とか無限への憧れを、自意識に抱かせているのにも、理由があって右脳特有の雰囲気そのものを感じ取って憧れているからかも知れません。

そう云った訳で、脳梁の中での出会いに拠って二つの意識が出逢う時がやって来ます。その出会いは『正に折り合える筈がない二つの意識の出逢いを意味します。』処がこの出会いを『絶対矛盾の自己同一』と云った化学変化が起こる事を意味します。

その出会いの事を禅では『今更お前は誰かと聞く必要さえも無かった。』と表現しています。

禅は精神衛生には大変に有効な手段と云う風に、西洋とかヨーロッパとかアメリカでも云われている様です。

精神疾患居しても神経症にしても、又苦しみとか死にたくないと云った感情にした処で、苦しみが続く事を意味します、何時まで続くのかと云うと『それ等を受け入れるまで続く』と云う事を意味します。

処がこれらを受け入れた場合では、『生死の問題が解決する』と云っています。神経症ならば完治した事を意味します。神経症の完治という意味は『症状を受け入れた事によって症状が頭に挙がってこなくなる。』という意味です。

この事が神経症とか心を病むという場合では、症状別な治療方法が在る訳ではなくて、症状の受容だけが、完治する条件になっていると表現する事が出来ます。
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幸せになる秘訣は、


自分が、最高に幸せだって事に、自分で気付くだけだよ。

BY 逆転地蔵 ♪♪(=^・^=)♪♪
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それこそ「受け入れないという生き方」を徹底すりゃ、幸福になれるでしょう。



要は「不幸な現実」や「他人の価値観」などを、受け入れなければOK。
そもそも幸福なんてのは、主観的には、「自己満足できるかどうか」だし。

たとえ貧乏で、他人から同情されても・・。
「貧乏」が「不幸な現実」で。
「他人から同情」が、「他人の価値観」ですな。
では「心配してくれてありがとう。でも私は幸せだから!」と、笑顔で言い張れば良いだけのこと。

ただ、客観的とか相対的な幸せを望むなら、真逆。
まずは、客観的な事実や現実を「受け入れること」から始めないと、話にならない。
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自分の気に入らないものを一切受け入れないという生き方ということであれば、そういうものの存在を否定し、欠点を見つけて非難し続けることですね。

一人では難しいので、仲間を見つけて付和雷同することです。
「時代遅れ」だとか「ダサい」とか思えれば成功と言えるでしょう。

しかし、その幸福感も、時間と共に泡のように消えてゆくと思います。

他者を受け入れない、否定するということは、根本的誤りだと考えています。
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自身の受け入れるべき事柄と、受け入れるべきでない事柄を正しく理解することです。


そうすれば、必然に“受け入れないという生き方”に依って、幸せになれる可能性が出てきます。
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回答を受け入れない質問はただの主張なので幸せにはなれないですね

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なにを?

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