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フジテレビアナウンサーだった長谷川さんがフジテレビの性接待文化を公表しました。
笠井さんは否定していますし
「おすぎさんや小倉智昭さんはもう亡くなって故人で反論できないのに批判するのは良くない」という批判もありました。
ですが、故人は反論できないから批判すべきでは無い、という考え方がおかしいと私は思います。
故司馬遼太郎先生は、
戦犯として処刑され、
反論できない状態にある昭和の軍指導者を、
毅然として批判しておられるからです。
もし、「生前に批判するか、さもなくば黙っていろ」ということであれば、
司馬先生はこれだけの業績を残せなかったと思います。
刑法第230条
①公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
②死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。

このように、生きている人については、摘示した事実が真実であると虚偽であるとを問わず名誉毀損罪が成立しますが、死者については、摘示した事実が虚偽である場合にのみ名誉毀損罪が成立します。摘示した事実が真実である場合にも名誉毀損罪が成立するとすれば、死者に対する歴史的評価が不可能になるからです。

日本では「死者を鞭打つな。」という傾向が強いのですが、確実な資料・根拠に基く死者への批判は表現の自由に属します。それがおかしいと思えば反論を提出すれば良く、色々な意見が出揃うことで、死者に対する評価が固まっていくのです。

ですから私は故人含めて批判するのは良いことだと考えますが、皆さんはどう考えるか?色々ご意見教えてください。

A 回答 (5件)

中国では、「棺を蓋いて事定まる」という考え方がある。


人間の評価は、その人が生きている間に公平に下すことは難しく、死んだ後にならないと定まらない。ひとかどの人物やお歴歴に対しては、生前は忖度もあるから。
質問者さんもおっしゃる通り、故人を批判できないなら「歴史」は書けない。

ヨーロッパでも、たとえばイギリスの歴史家、E.H.カーの名言がある。
「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」
(『歴史とは何か』E.H.カー、岩波新書)

この言葉が味わい深いのは、「対話」と言っていることです。
ネトウヨなら、「過去を現在の基準で裁くな」と言って、大日本帝国の悪行などを擁護するだろう。
しかし、対話は双方向だ。まず、過去に対して耳を傾けよ。虐殺された人も、殺した側の人もいた。それでも「死人に口なし」ではない。彼らが語りかけてくるのが聞こえる境地まで、没入せよ。その上で、現代から過去へ語りかけもするのである。

それを禁止しようとする、「現代の価値観で過去を断罪するな」論は、一見正しそうで実は浅い考え方でしょう。
歴史資料と言えば文書が重視され、それらに基く「客観的な実証」が歴史学だという人もいる。しかし、すでに古文書自体に、それを記した人の主観が入っている。

「日本は世界最古の歴史を持つ国」などと思い上がった論調も見られるが、近代国家としてはイギリスが日本よりはるかに先輩である。歴史とは何か、彼の国の知識人の洞察に学ぶことは多い。
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故人含めて批判するのは良いことだと考えます


 ↑
故人の批判は一切許されない、というのは
明らかにおかしいですね。

これでは歴史的評価が出来なく
なってしまいます。

歴史から何も学べなくなってしまいます。



日本では「死者を鞭打つな。」という傾向が強いのですが
 ↑
これは、中国やヨーロッパに対する
抗議みたいなものです。

中国やヨーロッパでは、遺体を墓から
引きずり出して、鞭打つ、なんてことを
平気でやりますから。
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ピーコさん亡くなってたんだ。

初めて知りました。
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J氏みたいに生前に批判はできない人も、鬼籍に入ってから正々堂々とその悪行を暴くことができたという事例は枚挙にいとまが無いです。


死者を評価するのが歴史ですからね。それを否定するのはいかがなものかと思いますよ。
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おすぎは亡くなっていません。


亡くなったのは双子の兄であるピーコです。
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