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先祖調査に詳しい方。日本史に詳しい方。
明治17年の養子のやり取りから、先祖の家柄の格を推測できるのかという質問です。


<背景事情>
私の例で申し訳ないのですが......
私は安藤家(仮)の直系です。
私の高祖父は、佐々木家から養子でうちに来ました。
ですが今もなおなぜか佐々木家の話ばかりが伝わっていて、自分の安藤家の情報がわからずです。
なので、安藤家を探す上で、彼らがどんな格の家だったのかをわかれば知りたかった。


<養子のやり取り>
私の高祖父は、先ほど言ったように佐々木家から養子できました。
もらった側の安藤家の戸主がなくなり、後継がいなかったので、急遽養子だけ貰ったという考察を戸籍からしています。(入籍日と家督相続日が一緒)
婿養子でもないことが読み取れています。(結婚は12年後)


<安藤家(養子をもらった側)>
貰った側の安藤家の情報は。。。
侍の家系。
大坂夏の陣に行った。
甲冑や刀が家にあったが盗まれた。
安藤家である祖父の戸籍には士族の表示あり。
ぐらいの話程度。

<佐々木家(養子をあげた側)>
送った側の佐々木家の情報はあります。
某戦国大名の直属の家臣。関ヶ原の戦いでは負けて帰ってきた。
自分の苗字を村の名前に与え、自分は佐々木を名乗る。
その後は藩に仕えず、その村で豪農として政治的な影響力を与える。代々肝煎・地主の名主。


→質問1:
養子を送る側、もらう側の家の格は同じ?それともどちらかの方が上という法則はある?

質問2: 安藤家は侍の家系と言っても、ここから侍の地位としてどのくらいだったか推測できる?足軽も考えられる?

質問者からの補足コメント

  • 安藤は、仮名です

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/30 10:21
  • 逆に、2番に関して、士族だけなら下級武士以下なら、これ以外に何かがあればそうではないという文章に見えるのですが。この辺りもし何かあれば。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/30 18:14
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A 回答 (4件)

私は歴史に詳しくありませんが、三点述べます。


第一に、他の回答者さんもおっしゃってるように、佐々木家の「口減らし」でしょう。「長男以外は」「養子に出します」は、なるほど言い得て妙だと思います。
仮に、佐々木家の「長男」が安藤家へ養子に行くのだったら、佐々木家は絶えて安藤家が存続し、豪農の全財産と侍の家系とが合体するわけである。
しかし、長男ではなかったんでしょう? 佐々木家は口減らしのために(というと聞こえが悪いが、同家の財産を減らさないために)、長男以外の子(の一部)を養子に出した。持参金を少しばかり付ける風習が見られた。

一方、安藤家は没落士族だったと思われます。後世に情報が残らないような下級武士で、明治維新後さらに没落したのでしょう。
だからこそ、少しばかりの持参金欲しさに、農家の息子をもらい受けたのです。「家の格」の釣り合いというような格式張った話ではなく、口減らしと一時金(持参金)などの庶民的な話だと思います。

第二に、私の説に私が反論し、再反論してみましょう。
持参金なんて無かったかも知れないよ? いいえ、持参金付きでないなら、豪農の経済的恩恵も分けてもらえないわけです。そんな農民出身の子を、士族の家が跡取りとして迎えるでしょうか。
下級じゃなくて中級以上の武士だったかも知れないよ? いいえ、それなら跡取り養子として、もっと階級の高い家の子をもらうでしょう。

第三に、明治17年(1884年)の時点では「口減らし」「持参金」のような状況だったとしても、約140年も昔のことです。その後、いっぱいお金を儲けたり、いい学校に行って出世した子孫などがいたら、家の格とやらも上がったでしょう。昔話は昔話であって、今現在の話こそ大切だと思います。まあ、今どき「家の格」なんて言う人もあまりいませんが。
なお、「長男以外は口減らしのために養子に出します」は本当だったようで、たとえば夏目漱石の実家は、町人としては最高位の「町役人」の家柄だったが、五男坊の漱石は養子に出されている。この経験は漱石の人格形成に暗い影を落としたらしい。
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回答1 ありません。


回答2 できません。藩主クラスではないことは推測できます。
戸籍をたどってゆけば江戸末期生まれの人までは遡れますから本籍地、出生地の藩の記録や過去帳を探せば地位は判るでしょう。
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問い1について



法則はわからないが、
佐々木家のほうが安藤家よりも上だったように思える。
高祖父さんは幼少期に佐々木家から安藤家に入っている。
そうしないと安藤家が絶えるからである。

よって安藤家は後嗣(あと継ぎ)を立てるに当たっては、へなちょこ家から養子に来てもらうはずがない。
面目の保てる家から後嗣として男子を迎えた、それが佐々木家である。

問い2について
安藤家は侍の元祖 藤原の「藤」を戴いている。
足軽ということはない。
士族というのは明治維新により華族と別れて後の地位称であろう。
士族に新政府は扶持の義務を負わなかったから維新前からの田畑山林を保有しなかった士族は辛いことになったと思われる。

安藤家に伝来の甲冑や刀類・諸道具等が失われたのは、単に盗難ではないように思うのが妥当ではなかろうか。
この回答への補足あり
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1.ありません 長男以外は口減らしのために養子に出します


2.士族というだけなら下級武士以下
士族なら証明書を国からもらっています
明治時代は戸籍を作って出せと急に言われたので
捏造などが多いです
この回答への補足あり
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