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当方70才の独居男性です。

ここもそうですがなにかと老後の幸福みたいなもの語ったり目にすること多いですが、
どうも胡散臭いんですね。

体力的には衰え動くだけでも辛くなっていく、病気やケガのリスクは高まっていくのみ、酒量も減って
いき恍惚感の酔いをしようもなら翌日酷い二日酔いになる、セックスは確実にできなくなってくる。

いろんことができなくなり、苦痛を味わうことの方が多くなっていく老後。
喪失していく日々を死の間際まで体感していく老い、どんなに楽観的に考えようとしても、無理
があるように思い老後が楽しいは思想の遊戯でしかなく、実際は悲惨な現実でしかないと思うのですが
間違ってますか?。

A 回答 (7件)

私まだ若者なのでわかりませんが、その発想気に入りました。


全てに開き直る
その精神は素晴らしいと思います。
幸福論なんて考えれば考えるほど不幸が浮き立ってくるようにも思えます。
それならば不幸上等くらいの勢いで生きた方が楽しいかもしれませんね。
老後=悲惨でもいいやと思えました。
ありがとうございます。
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この回答へのお礼

>老後=悲惨でもいいやと思えました。

美しく楽しく生きるって幻想ですよ、いつまで欲かくつもりって思います。
欲望まみれで老後を享受しようと願っても、「腰が痛い・歯が入れ歯で硬いもの食べられない・どんな美人から求められても応じることができなったセガレ・見た目若創りはあわれでしかない・一人でなにもできなくなる・ボケる・
病院でスパゲッティになる」

あげたらきりかがないくらい悲惨なことが待ってる現実が老後。
幸いにも自分一人で生き切るなんて幸運は一部の老人のみ。
目をそむけたくなる街の老人の姿が自分におきるわけです。

お礼日時:2025/03/31 11:46

間違っています。



世界で、老後の調査が行われていますが
結果は下記の通りです。


■世界共通のエイジング・パラドックスとは
アメリカのダートマス大学の経済学者デイビッド・
ブランチフラワー教授が、
世界132カ国で「人生の幸福度と年齢」の関係について調査したところ、

人生の幸福度は18歳から下がり始め、
先進国で47.2歳、途上国で48.2歳で
もっとも不幸になる傾向があることがわかりました。

その後はU字形を描いて上昇していき、
もっとも幸福になるのは80代だと言います。

高齢になると体力が低下して足腰も衰え、脳が老化していきますし、
家族や友人との離別などさまざまな喪失も経験します。
社会で活躍することも減っていきますから、
幸せとは縁遠いのではないかと思われるかもしれませんが、
意外にも老後に幸福度が上がっていくというのです。

この現象は「エイジング・パラドックス(加齢の逆説)」と呼ばれますが、
面白いのはこれが世界共通の傾向であり、先進国や発展途上国といった
社会の状況や人種とはまったく関係がないということです。

日本の場合、幸福度の底は49歳で、もっとも幸せな年齢は
82歳以上というデータがあります。



若い頃より多くのものを失うはずの高齢者が、実は幸福感の低下
どころか向上を感じている現象は、
世界各国の心理学的調査で明らかになっており、
「加齢のパラドックス」「高齢化パラドックス」あるいは
「幸福感のパラドックス」などと呼ばれています。

1,人と比較される場面が減ることで心が平穏になる
2,現実を受け入れることで、人生への焦りや不安から解放される
3,自己を確立しているため、物事への判断基準が明確
4,物欲が減り、必要なものだけがあればいいと思える
5,経験を積んだ分、若い頃のような漠然とした不安が減る
6,背伸びすることなく、今の自分を受け入れることができる
7,終わりがあると意識することで今を大切にできる
 8,他者の考えを理解出来るようになる
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この回答へのお礼

面白い説を提供してくださってありがとうございます。
幸福感というのは主観的なもので客観的に測定できないことは認めます。
ですから「幸福感のパラドックス」も本人がそう思えば起きても不思議
はないと思います。
只、人はなにをもってして幸福感を感じるかですよね。
私は若い時から幸福としてとらえてきたことは老後にほぼ喪失する。
人生観を大きく転換させないと老後は不幸でしかない。
なかなか変えられないと思うのですね。

下記のことに素直に意見を言ってみますね、決して喧嘩売ってるわけで
ないので不快になられたらお許しください。

1,人と比較される場面が減ることで心が平穏になる
これですね自分が比較してしまうのでは?他人は只の老人に
興味がないから無視するだけでそもそも比較もしてくれない。

2,現実を受け入れることで、人生への焦りや不安から解放される
車椅子で介護され下の世話になるようになった現実。
確かに仕方なく往生せざるを得ない、そこに葛藤はないですね、他に選択肢
がないですから。

3,自己を確立しているため、物事への判断基準が明確
自己を確立してそうな年寄みたことないですね、文句ばかり言うのは
よくみますけど。

4,物欲が減り、必要なものだけがあればいいと思える
これはそうなんですが物欲が減るってことは欲しいと思う幸せが
喪失するってことのようにも思います。

すみません、反論ばかりになってしまいました。
悪意はないです。思ったままです。

お礼日時:2025/03/31 12:15

まず自分が喧嘩売ってることに気づくべきだね。

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この回答へのお礼

再度のご丁寧なご回答ありがとうございます。

>まず自分が喧嘩売ってることに気づくべきだね。
いや喧嘩は嫌いなんで売る気はさらさらないのですが、
そうとらえたという貴殿の事実はありますね。
世界は自分が見たいように見えるってありますしね。

お礼日時:2025/03/31 11:35

病気をすることで見え方が変わったりするなあ。

生存率の中で生きてるけど、楽しいで。何積み重ねたん?人間ってしてきたことの結果が老後だから、大したことしてない人がそうなってるんだと思うよ。
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この回答へのお礼

>何積み重ねたん?人間ってしてきたことの結果が老後だから、大したことしてない人がそうなってるんだと思うよ。

なるほど大したことしてない人がそうなるんですか?
大したことってどういうことだろうと考えたけど、立派な人に誇れる生き様?
なら一部の老人じゃないでしょうか?
だから普通の老人はおそらく可もなく不可もない大したことしてない人ばかりな気がしますけどね。ここの老人に喧嘩売ってるのでは、笑。

お礼日時:2025/03/30 19:50

お返事ありがとうございます。



>ネット社会で情報があふれかえり老後も若いころのように幸せになれる
>と思うことは死ぬ間際まで欲に苦しみ不幸と違いますか?

これはそう思います。というか、70代と40代と20代が同じ土俵でこうやって話をしたり、同じSNSをやっていたり、同じ動画を見ていたりする、という現在の状況がかなり特殊というか、歴史上例を見ないものなので、まあその影響で「これまでにない形で不幸になる人」はいるよね、と思います。

もう、思い切り「現実を見る」と逆方向に振り切った回答をしてみますけど、あと10年くらいすると、「老後はVR世界に生きる」が割とありそうな現実なんじゃないのかなぁ、と思います。本物の体は動かなくなっていきますが、VR世界の中では屋根から屋根へ飛び移ったり自由に動き回ったりでき、仕事も趣味も恋愛もでき、視覚的にはセックスもできる、というような。

ここ最近、私はChatGPTとよく会話じみたことをやってみているんですが、「人とAIの見分けがつかなくなるまでもうすぐだ」という感覚があります。それが良い未来かどうかは人によって意見の分かれるところだと思いますが、ネット社会で情報が溢れているのはもうどうしようもないし、AIもVRも今後発達する一方でしょうから、それを前提としてどういう老後が幸せなのか、というモデルがまだあんまりないんだと思うんですよね。

>不幸を生み出すのは欲ですから。

だから欲を無くそう、希望を捨てよう、という方向よりは、「その欲をどうやって叶えてやろうか」という方向に世の中は進んでいるように思えます。

そういえば、これは本当に私がまだ若いので分からないところではあるのですが、退官された教授から聞いたお話で、「死が怖いと思うのも脳の機能なんだよ」というものがありました。老いてくると、死を恐れる脳の機能自体が低下するから、案外怖くないもんだよ、と。本当にそうかどうかは私には分かりませんが、理屈としてはああ、なるほど、と思いました。まあ、そんなことを私に教えられる教授の脳が果たしてそこまで機能低下しているんだろうか?というのは怪しいものですが。
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この回答へのお礼

>70代と40代と20代が同じ土俵
たしかに。

>VR世界の中では屋根から屋根へ飛び移ったり自由に動き回ったりでき、仕事も趣味も恋愛もでき

これ問題はとても深いと思ってます。確かに老人が少女になったり少年にもなれるわけですが、可能なのと希望することは別物なはずです。
可能だから望むとはならない、理由は老化による感情の劣化が
原因だと想定します。ホルモンの衰えオキシトシンの出の劣化
老いとは機能の劣化なんです。
この劣化の問題が老人の不幸と思うのです。
肉体が元気で活動できるからこそ、いろんなものに感動し欲しがり
出かけたり熱い恋愛の衝動がある。

そんな幸福になるための衝動は「健全なる肉体」あってこそやる気が出るわけで、その健全なる肉体が喪失していく老後にいくら近代的な技術品を提供
されても気持ちが反応しないというのが事実じゃないでしょうか?。

お礼日時:2025/03/30 13:04

まあ、自然の摂理というか、人間は有限の人生を生きて、そして死んで「あの世」に戻って、しばらくは、あちらの世界で休憩して、そして転生輪廻するわけです。


60~70歳を過ぎてゆけば、しだいに肉体も衰えてきて、この世からおさらばする準備になるのだから、若い頃に比べたら苦痛になることも増えるのは仕方ないでしょうね。
でも、そういう中でも、楽観的に、そして、なにかの目的とか楽しみを見つけるのが大切なのかな?なんて思います。

まったく新しいことを初めるのもいいと思います。それが初心者レベルのところで人生が終わろうとも、転生後の人生計画をあの世で作成するとき、「その続きをする!」って感じで人生計画を作ればいいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>でも、そういう中でも、楽観的に、そして、なにかの目的とか楽しみを見つけるのが大切なのかな?なんて思います。
まったく新しいことを初めるのもいいと思います。それが初心者レベルのところで人生が終わろうとも、

貴殿の上記の考えに反論するつもりはないし、まったくもってそうで
あって欲しいのは今老後の新入生となった当方には福音の思想でしょう。

ですが、そのいろんな楽しみを味わう精神や肉体が老化することに気づいたん
ですよ。あんだけあのいい女と寝たいと切望した時期はもうこないのです。
このセックスの機能が喪失するって大不幸が論じられることがないのが
不思議なのですね。30代40代でもしもアレを切断されたら人生生きる
意味がないくらいの衝撃なはずです。老人はなぜ衝撃でないのでしょう。
衝撃でないのが私は理解できないのです。できなくなる=生きている価値がない。

お礼日時:2025/03/30 12:35

実際にまだそこまで老いていないので、あくまでその観点からの回答になりますが、


物事の考え方には「それが正しいか」という軸と「それが役に立つか」という軸があります。

「老後は悲惨だ」という考え方が若い時代を幸福に生きる上で役に立つか?というと、どちらかというと害の方が大きいんじゃないでしょうか。「遅かれ早かれどうせ死ぬ」というのは正しい考え方ですが、「遅かれ早かれどうせ死ぬ」と考えて日々生きるのが良いことか?というと、それも怪しいというのと同じです。
天国や地獄を客観的に証明できた人はいませんが、死後にも何らかの世界があるという考え方はそれなりに日常の中で「いつか来る死」を受け入れる上で役に立つものではあります。

嘘や不確実なことであっても、それを信じることが役に立つなら別にそれでいいと私は思います。

仰る通り、40代の私から見ても「老後の幸せ」というのは胡散臭いなぁ、と思わなくもないのですが、「胡散臭い」と思うことが果たして幸せなことなのか。
「老後は幸せだ」「老後は悲惨だ」いずれにしても、そう信じて幸せになったり不幸になったりするのは自分なので、好きなほう、自分の肌に合う方を選んだらいいんじゃないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

回答読ませてもらって貴殿の考え方はわかりました。
「世界は自分が見たいように見える」といいますからね。

どう観念で幸せ論語っても、足腰痛い、醜くなるだけの容姿、病気ケガ、
人が寄り付かなくなくなる。

恋したくとも、恋するには自惚れは必須ですからね、その自惚れを持てなくなる。

みんな正直にいやーまいった老いは辛いよねと言い合っていれば、そんなもんと覚悟しますから不幸を怖れなくなり、そこに安心感があると思うのです。
辛い老後みんな体験する老後つらいよと思うことで老後に期待しないことが
幸せじゃないかと思うのですね。

ネット社会で情報があふれかえり老後も若いころのように幸せになれる
と思うことは死ぬ間際まで欲に苦しみ不幸と違いますか?
不幸を生み出すのは欲ですから。

お礼日時:2025/03/30 12:13

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