No.1ベストアンサー
- 回答日時:
日本海ルートで鼠ヶ関の方を通ったようなので。
越後を支配していた城氏は奥州藤原氏と婚姻関係も結んでいたので、目をつぶって通してくれたのかもしれません。
最後は城氏も頼朝の軍門に下り、奥州藤原氏を攻めますけど。
No.4
- 回答日時:
白河の関は義経用ではないのですよ。
そもそも義経一行はここを通過していません。
江戸期の初期、咎人(罪人)はみちのく(陸奥)に放逐されました。
そのとき護送隊は下野(しもつけ)宇都宮で日光街道と別れ、京都を発って黒羽を通る東山道(とうざんどう)で那須の山地を越えたのですね。
登り切って下ったところが福島の白河でした。
護送の役人はめんどくさいし疲れたので、福島に入ったら安達太良ヶ原の鬼婆塚(あだたらがはらのおにばばつか)付近で咎人どもを放して戻っちゃったのですよ。
その咎人どもが山賊となって旅人を殺したりしたことから安達太良ヶ原の鬼婆伝説が生まれたのです。
そして職務放棄した役人たちは江戸の手前の千住あたりで3週間ほど酒飲みして暮らし、いかにも道の奥(未知の奥地)まで行って来たみたいな顔をして千代田城に帰参報告したのね。
いっぽう安達太良ヶ原でおっ放された咎人どもが江戸に戻らないよう白河にチェックポイント(関)を置いて護送役人の何人かが残留しました。
だから白河の関は幕府の正式な関所ではないのです。
役人らのポケットマネーで作ったいい加減な関なのです。
行ってみたら解ります。いかにもお粗末な関ですよ。
(関の山というコトバの始まりです)
後年芭蕉が弟子の曽良と訪れたとき、あまりのみすぼらしさに芭蕉は絶句。
代わりに曽良が詠んでいます。
卯の花をかざしに関の晴れ着かな
No.2
- 回答日時:
義経は、牛若丸時代にも京を脱出し、途中で元服した後、奥州平泉に脱出している。
兄頼朝と決裂後は、一度は京や西国での挙兵を図ったが失敗。やむなく再度奥州に向けて正妻とその子供を連れて脱出を図り、苦難の末に平泉に山伏姿で到着している。
脱出ルートは二度とも不明だ。不明ではあるが二度目が山伏姿であったということは、畿内から奥州に連なる山岳地帯に住む山伏などの山の民の助けを借りていたことは間違いない。そういうことなら関所を通ることも迂回することも可能だっただろう。
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