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初めまして、こんにちは。
早速ですが、質問させていただきます。

実はこの間知ったのですが、僕の友人は好きでグ○画像(したい等)を見ていたのです!
メッセしてて、見せてきたときに発覚しました・・・。

彼が言うには 【グ○画像をふざけてみていない、グ○画像を見ることによって世の中で起きている悲惨な現状を「認識する?】みたいな事を言ってたのですが、明らかに楽しんでて、好きで見ています。
理由も後からとってつけてきたもので、グ○画像をみることでを正当化しています。

僕はグ○画像ばかりみていると心がすさんでしまうのではないか?と心配しています。

そこでお聞きしますが、グ○画像を見ることは人間にどのような影響を与えるのでしょうか?

専門家の皆さん、よろしくお願い致します。

A 回答 (6件)

精神科医の先生が、興味本位で見てしまう人は結構いると言ってました。


人間に与える影響はトラウマになる程度じゃないでしょうか。
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こんにちは!



そういった画像をどういう意図を持ってみるかによると思います。
私もOGRISHを隅まで閲覧した経験があります。やはり最初は興味本位でしたが、見ていくうちに殺害された死体も無残さや、交通事故や自殺死体みて自分は絶対自殺などしないと決意できるほどのインパクトがありました。

確かにショックはあると思います。ただそこから前向きな得る何かが
あればよいのではと思います。
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 そうした画像を見て心が荒む人もいます。

現に近年の犯罪報道の中で「ネットで死体画像を見て残酷なことをしたくなった」と犯人が供述していると伝えられる事例が複数あります。

 逆に、#1さんの書いておられるように「慣れる」人もいます。そうした画像が殊更の刺激にはならず、ひとつの現実の姿としてありのままに見る状態です。それは悪いことではありません。医療関係者のようにそうした冷静さを積極的に求められる人ばかりではなく、普通の人にとってもひとつの覚悟が腹に座ることは良いことです。

 結局、そうした画像を見ること自体が良いとか悪いとかではなくて、画像の見方を適切に学ぶことが大切なんだと思います。私は、こうした画像が世の中に出回ることは害が多いと考えていますが、それは「画像の見方」を置き去りにして刺激と興奮だけが蔓延するからです。正しい「画像の見方」を伴う限りは、むしろ知るべきことだと思います。

 古い仏教では「不浄観」という瞑想法が行われました。美しい女性の死体が次第に腐敗して塵と消える様子を克明に観るものです。昔の仏教修行者は、そうした諸行無常の理を知り、執着を離れました。現代の俗世界を生きる私たちにそこまでの必要はありませんが、暴力と死が世界には当たり前にあふれていることを静かに認識することは、実は必要なことのように思います。

 ですから、悲惨な現状を認識するんだというご友人の言い分自体は、私は支持をします。ただ、もしかするとあなたの印象どおり、ご友人にとってそれは取って付けた理屈で本当は刺激を愉しんでいるだけなのかも知れません。ただ、あなたの質問の書きぶりを見限り、あなたの側にも「そんな画像を見るのは悪趣味でしかない!」という強い観念があるように見受けられます。あなたも、ご友人も、この問題を語り合うことをタブーにせずに十分に議論を戦わせてください。異なる意見、異なる感性を持つ者同士が議論をすることが、偏見を意識し真実に近づく一番の方法ですから。
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心臓の弱い人は血の気が引いて倒れたり、気分が悪くなったり、ショックを受けて夢にまで出てきてトラウマになったりするでしょうね。



しかし現実を直視するという意味では非常に重要であると思います。嫌な事から逃避すればするほどその嫌な事に出会ったときのショックが大きくなり不安定になる。しかし直視すれば小さくなり安定を保てます。

そのような画像を見ると普段ほとんど意識していない又はわざと意識から遠避けている、あるいは幻のようにさえ思っている「死の現実」について考えたり、意識したりしますね。

人(あるいは自分)が死ぬところをイメージする時、映画やTV等で人が銃で撃たれたり、崖から落ちたり、車に跳ねられたりするシーンを思い浮かべませんか?
その死体というのはとても綺麗です。

しかし現実は違うんだとしみじみ思いますね。
猫や犬が道路で轢かれて破裂して横たわっているシーンを見てしまうとき(見たくも無いですが)まるで別世界の出来事のように感じてしまいますが、人間だって同じです。現実はあんな姿になってしまう。

気を付けなきゃとしみじみ思います。
安全・危険に対しての心構えが違ってきますね。

まあ好きで見ているとうのも好奇心からでしょうから全否定はしません・・・・・。
人間誰しもそのような思いはありますから。
人前では見ないけど、自分一人だったら見る人も結構いると思います。
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回答ではないですが,参考までに。



ものの好き嫌いは個人に属することではありますが,広く見れば,社会にも影響を与えることは否定できません。

ただ,個人の嗜好の問題をダイレクトに社会問題にすりかえて,見たくない人に「見るべきだ」と迫るような態度は筋違いです。

交通事故や戦争被害者の写真を見なくとも,交通事故や戦争を起こさない方法を話し合うのは,十分可能なことですからね。
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初めは誰でもショックを受けるようです。


しかし、慣れます。

中には慣れない人もいるようですが、そういう人たちを見ていると常識人、思いこみが強い人が慣れない傾向にあるようです。
つまり、グロ画像は見てはいけないもの、非常識的なものと考える人や、俺私はグロは絶対ダメな人なの、と考える人はいつまでもグロに抵抗する傾向があります。

ところが面白いことに法医学の授業とかを履修するとその教科書にはこれでもかというほどグロ屍体写真が満載なわけですが、この教科書に載っている写真に対してはあまり抵抗が無い人が多いようです。

つまり社会的には受け入れてもOKとされている、あるいは受け入れざるをえない(受け入れて教科書を読まないと単位を取れない)状態だと人はグロでも行けちゃうんですね。

グロをおもしろがる友人の趣味は褒められたものではありませんが、そのグロもまた現実であります。
戦争、犯罪、事故あるいは牛豚の・・・全て現実です。
友人のいたずらはともかく、そういうグロを見て、これは紛れもない現実と受け止めることは大事なことではないかと思われます。
むしろグロは教育に良くないなどの「正しい」理由をつけて、そういう現実から目をそらしている方が問題があると私は思います。
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