「コーラ、ハンバーガー、野球、ジーンズ」などアメリカから日本に入ってきたものがありますが、他にどのようなものがあるのでしょうか。おそらく日常生活の中に溶け込んでしまっているものがあるのではないかと思いますが、ご存知の方がおられたら、回答お願いします。

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A 回答 (4件)

日本は今アメリカの被支配国ですからねえ。



ポピュラー音楽なんて(特にロックとジャズは)半分以上そうだし、インターネットもそうだし。

男の子のピアスなんていうのもそうか。

ただし元は英語でもアメリカじゃなくてイギリスの場合や、一般的にヨーロッパ文化の場合もあるので区別すると、結局第2次世界大戦後、日本に入ってきたものが中心かと。

テレビとテレビ文化。
No.2のかたがラジオを挙げておられますが日本の意識としてはアメリカというより西洋文化でしょう。
ただしラジオのDJとかリクエストはアメリカでしょうね。
視聴者参加番組なんてのもそうですね。あと。CMももとはそうか。
アニメーションもアメリカ、というか特にディズニーの影響が大きいのは確かです。

スポーツでは3大アメリカンスポーツ、野球のほかにバスケットボールとアメリカンフットボール。
スポーツではないけどプロレス。

いくらでもあります。
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実生活に密接しているといえば、食文化?


↑鶏卵・肉類とか?
以下、質問の意図が『レポートの答え』を探しているようにも思える(レポートは自分の答えを書かないと評価が低い&自分が教官なら以上の応えは不可)ので、実例は避けます。

MBA,MOT
そして産業クラスター←シリコンバレー+スタンフォード大学について調べると良いかも?
また、ある経済学系の教授が、
"グローバルスタンダード≒アメリカンスタンダード"
だと批判していました。
それに関連して資料を漁ると、
『ああ、なるほど』と思えるところがあります。

少し経済学的になりましたが、自分は理系です←あしからず。

後は、文化的な面で考えると、結構色々と考察できるのでは?
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電信、電話、鉄道、自動車、ラジオ、映画、コンピュータその他いろいろ

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クレジットカードとか?



Dinersかーどが世界初のクレジットカードだったと思います。
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Q下人とはどのようなものだったのでしょうか

芥川の「羅生門」を読んでいてふと思ったのですが、主人公は「下人」という身分(というか職業?)ですが、下人ってどのような就業形態で、どんな仕事をしていたのでしょうか。何か関連文献などありましたら教えていただけるとうれしいです。

Aベストアンサー

安寿と厨子王が、下人の身分に落とされたという設定であったかと記憶しております。

他人の財産として、夫婦であろうと親子であろうと、バラバラにされて売買対象になっております。

Q柄袋とはどのようなものなのでしょう?

桜田門外の変のとき彦根側の武士が刀にかぶせていた「柄袋」とはどのようなものなんでしょうか?

教えてください。

Aベストアンサー

布で出来た袋で刀の柄と鍔をカバーするのが目的です。柄には柄巻きと中には鮫皮がありますし、雨や雪などで濡れたり汚れたりするのを防ぐのが目的です。時代劇を見ると旅をする人は柄袋をかぶせてますね。桜田門のあの日は雪が降ってましたから柄袋をしていたのでしょう。襲う方の水戸脱藩浪士は当然ながら刀をすぐに使うのですから柄袋はしていなかったでしょうね。

Q貴族の特権とはどのようなもの?

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これらの貴族には具体的にはどんな特権があったのでしょうか?
国や年代によって違ってくると思いますが、よかったら一例を挙げて教えてもらえるとありがたいです。
また日本にも戦前華族というものがあったようですが、こちらはどのような特権があったのでしょうか?

Aベストアンサー

貴族というのは君主から功績に応じて与えられた特権を有していました。
領地、財産などを世襲で所有し、納税の義務はなく代わりに軍務や奉公の義務がありました。

珍しい特権には初夜権というものもある場合がありました。
内容は時代や国により様々です。
日本では明治維新の功績による貴族と、旧徳川幕府での各藩の藩主が横滑りした貴族の2種があり貴族院議員となって国政に参加することができました。

Q江戸時代の花見はどのようなものでしたか?

千葉大の中村郁郎准教授(植物遺伝学)によると、かつて桜の花見は遠くから眺めるものだった。野生桜の多くが巨木になるためだが、ソメイヨシノの登場で花の下で花見をする文化が誕生した。
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20090317dde001040025000c.html

上記記事によれば、昔の花見は遠くからながめるものだったです。
実際に江戸時代の江戸の花見はどのようなものだったのでしょうか?
やはり桜の下で飲み食いをしていたと思うのですが。

Aベストアンサー

北斎や広重の浮世絵の江戸百景や名所図会に、庶民が桜、梅見などの花鳥風月や、虫の声を聞くなどの楽しみをする風景があります。
花の下の縁台(茶屋が用意したものか?)に腰を掛けている者のほか、ござを敷いている者もいます。   徳利が見え酒食しているのは今と同じです。

Q日中戦争の頃の中国の武器はどのようなものでしたか?

日中戦争の頃の中国側の武器はどのようなものでしたか?
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飛行機などあれば日本本土を空襲したはずですよね。

中国の装備が貧弱であったので、日本はやすやすと侵入できたと考えてよいでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

当時の中国軍の装備はドイツの軍事顧問の指導により改善の途中でした。
チェコより輸入した機関銃は当時の最高級で、揚子江河口地区の防御陣地はトーチカなど近代陣地の装備でした。
この為上陸した名古屋師団はこの陣地に肉弾戦を挑み大損害をうけました。

当時中国軍は蒋介石の政府正規軍と軍閥の私兵からなっており、正規軍はかなりの近代装備を有していましたが軍閥の私兵は貧弱な装備でした。
正規軍は37ミリ以下程度の対戦車砲も有しており日本軍の軽戦車は撃破されたのです。
しかしこれらの装備を有していた正規軍が初期の防衛戦で消耗すると、彼我の兵器差は大きく開きました。

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しかし戦争末期にはビルマ経由の援将ルートで米英の近代重火器が到着しこれを装備した中国軍に北ビルマの防衛拠点を次々に奪われ玉砕が続きました。

中共軍とはゲリラ戦で困らせられ、かなりの兵力を貼り付けざるを得なかったのですがここでも戦争末期に
中共軍の百団大戦攻勢で板垣師団は大損害を受けました。
決して中国戦線では勝利だけではなかった事実は知っておく必要があります。

当時の中国軍の装備はドイツの軍事顧問の指導により改善の途中でした。
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