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世の中には、「熱心に祈ればガンが治る」だとか、「毎日祈ってたら植物人間だった家族の意識が戻った」だのと勧誘する怪しい宗教がありますよね。正直、そんな祈ったからってガンなどの外科系の病気が治るわけないと思っていますが、ことメンタル系の病気に関してはどうなんでしょうか。
メンタル系の病気って言うのは精神的なものですよね。たとえば僕はパニック障害で広場恐怖とかが酷いんですけど、広場恐怖は気持ち的な不安が原因だと思うんです。これらは宗教によって気持ちにゆとりができればよくなったりはしないものでしょうか。
たとえば広場恐怖で症状が出そうなときに、念仏を唱えることによって気持ちが落ち着いて症状がおさまったりだとか。そうなればそれはある意味宗教やったから良くなるのかもしれないと思うんです。
宗教によって心に頼れるべき存在ができれば不安も少なくなったりするのかなあって。
みなさんはどうおもわれますか?

A 回答 (10件)

現在の科学で理解出来る部分と出来ない部分が宗教にはあります。



で、理解できるほうから書くと、
>念仏を唱えることによって気持ちが落ち着いて
⇒これは素早く息を吸い、ユックリ吐く事になりますから、自律神経を落ち着かせる方向になります。
別段念仏で無くても、歌でもこれが目的だとすると良いわけです。

一段階現代科学で理解できない方になると、言霊と言うのがあり、その波動が肉体・精神に作用するようです。
此の部分は一部分原理が分かってきてはいますが、まだだまだメジャーでは有りません。

又、もっと理解できないほうだと、念仏により霊的な作用が起きます。
これは家系なども関係して、新興宗教や既存の宗教で解決できる人もいれば、その程度では許してもらえない家系もあります。
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この回答へのお礼

なるほどです。科学的に効果のあるところもあるわけですね。とにかく自分の場合は落ち着くことが一番症状に対して効果的だと思いますので、前向きに考えてみてもいいのかもしれませんね。ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/12 13:22

どうもはじめまして。



私は、若い頃強迫神経症で
悩み、困った末に
近所にあった由緒ある
お寺で5000円くらい払って
お祓いしてもらったんですよね。

で、次の日面白いくらいに
軽快しました。
病気になる前より元気なくらいでした。


この出来事を後々冷静に考えると、
由緒あるお寺でお祓いをしてもらったという
出来事が、
自分にとって
自分が思うよりはるかに効果があったようです。

正直、何かが憑いていた訳ではないと思いますし、
お寺の方もそう言ってました…(^-^;


ただ、もっとお布施を払えとか
何かが憑いている とか、
そんなことは一切言わない
押し付けがましくない、お寺の住職さんのお祓いが
逆になんだかよくわからない
勇気になったようです。
後から考えるとですね。


ちょっとうまくまとめられないんですが、
私にとって、結果的に
あのときお寺でお祓いしてもらったことは
抜け出すきっかけを頂くという意味で
大変よいことだったようです。
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この回答へのお礼

お祓いなどをやってもらって、「これで大丈夫」と思えたら強くなれることはあると僕も思います。やはり気持ちの問題ですからねぇ。ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/12 13:25

私は基本的に宗教が何かを救うとは思えない性質なのですが、「自己暗示」というのは多分あると思います。

(苦手な場所でおまじないを唱えるような。私も人前に出るときに緊張したら、手のひらに人って書いて飲み込みます)

本来心が頼るべき場所は自分自身であるはず。それを外部(他人や宗教)に依存してしまっては、自分で考える力がなくなっていくのでは?帰って逆効果なような気もします。本人はそれで救われた気持ちになるかもしれないですが…。

物にもよりますが、怪しい宗教もありますよね。大量殺人を犯そうとする宗教団体の人たちも、自分たちが悪いことをしたとは最初は思っていなかったはず。それが世のため・人のためと思っていたから…。殺人なんて子供が考えても悪いことだと分かるのに、判断能力が落ちてしまうとそういうことも可能になってしまいます。

もちろん一般的にごく当たり前のように行われてる、神社でのお祓い程度であれば構わないのではないのでしょうか。
高額な金銭を要求したり、ある行為をしないと死ぬなどと人に恐怖感を与えるようなものは宗教ではないと思いますので、頼るべきものはしっかり吟味したほうが良いと思いますよ。逆に自分を傷つけてしまう宗教もあるわけですから。

宗教が怪しいものではなく(個人の思想を100%奪ってしまうようなもの)、またそれを人に押し付けないのであれば、信仰は自由だと思います。
というか日本の多くの家庭は仏教徒のはず。とりあえずご先祖様にお線香をあげるところからはじめてみては?
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この回答へのお礼

宗教を考えてみる上で怖いのは、深くのめりこみすぎることですよね。自分はなにか救いの支えみたいなものがいれば強く生きていけるかも、くらいに考えていますが、やっているうちにドンドン深くなっちゃうものなのでしょうか。そうだとちょっと考えているものと違うので悩んでしまいますね。

お礼日時:2005/06/12 13:41

宗教によって病気が良くなることは有り得ることと思っています。



精神的な病はいろいろな種類があるわけですが、
「自己暗示」によって発生している症状や悪化している病態も多いはずで、
だからこそno.3さんの言う「自己暗示」が有効な場合があるはずです。
この場合もちろん、本人の自己暗示がうまく作用しなければ意味がないわけで、
たくさんお布施をすればいいんだという安易な発想や、
家族が宗教にはまって快癒するとは思えません。

また、「座禅」「写経」「読経」「瞑想」などは、
乱れた精神を安定させたり、や高ぶった心を静めたり、
平常心を取り戻すのに大変有効な方法であると思います。
散歩やヨガや太極拳や呼吸法などのような効果が望めるはずで、
科学的・医学的に立証できるものと思いますが、
これはやってみると実感すると思います。

余談ですが自分の経験をお話いたしますと、
数年前に大事な身内を亡くしたおり、
うちは浄土真宗の檀家なのでお寺のお坊さんに、
「毎日仏壇で念仏を500篇唱えなさい」と言われました。
悲しみとつらさと混乱でいっぱいの精神状態でしたが、
唱えていると不思議なものです、頭から余計な思考が取り除かれ、
不思議な集中力で念仏と一体になるというか、
自分の中から混乱がなくなっていき、穏やかともいえるような境地になっていきました。
ふだんは、故人は死後も苦しんでいるような気がしてならず、
自分もそれを感知してシンクロするような苦しみを感じていましたが、
念仏をひたすら唱えて自分自身が落ち着き、平常心でいると、
自然と故人も安らぎを取り戻すような気がいたしました。
これは念仏に超能力めいた力があるのではなく、
「念仏をひたすら唱える」という行為に意味があり、
精神的な作用が引き起こされるのだと思います。
体ではとてもよく理解しているものの、言葉でうまく説明はできません。

だから私は、特定の宗教を信じるということはないのですが、
こんな経験から、自分なりの宗教観と信仰心を持っています。
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おはようございます。



「メンタル系の病気」=「精神的なもの」、が全てに当て嵌まると言う訳ではないと思います(質問者さんも「全て」とは仰っておられませんが、閲覧した方がそう思ってしまうケースもあるかと思いまして…)。

どちらかと言うとパニック障害の様な神経症(不安障害)の領域だと当て嵌まる気がしますが、統合失調症・躁鬱病・鬱病は「脳の機能障害」だと私は捉えているので当て嵌まらないと思います。
※例えば鬱病: http://utsu.jp/04.html (こころの薬箱/うつ病の原因)
人格障害(性格の偏り)の場合も、気持ちの持ち方とは異なるかな、と。

質問を読んで私がパッと思い付いたのが「プラシーボ(偽薬)」。それについて詳しい訳ではないのですが、ちょっと似てるかな、と思いました。
※治験ナビ: http://www.chikennavi.net/word/placebokouka.htm
とても信頼していて一緒に居ると安心出来る人(若しくは物)の傍だと不安が強くなり難いのと通ずるのではないかと思います。
「…こう言う状況になると絶対不安になるんだよな」、と思っていると不安が的中して(と言うか思い込みが強くて返って自分を不安にしてしまい)具合が悪くなる事と反対に、「こう言う状況になると絶対安心なんだよな」と信じる事が良い方に作用するのかと。
疑わずに信じられる「安心材料」と言えるでしょうか。それとも、これなら大丈夫!と言う「自信」でしょうか。
脳の機能障害だとすると、安心や自信では回復しません。

抗不安剤がどんな風に身体(脳や神経?)へアプローチするかに詳しければ、不安の和らぎ方の過程が比較出来るんでしょうかね…。

質問の「宗教」から離れてしまいました。
思い付いた事の羅列で、読み辛くて申し訳ありません。

参考URL:http://utsu.jp/04.html ,http://www.chikennavi.net/word/placebokouka.htm
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この回答へのお礼

僕が苦しんでいる広場恐怖に関してだと、やはり不安が不安を呼ぶことになっているのではないかと思います。そういったことで、安心できる存在に信仰が役立ってもらえないものかと考えているのですが。

お礼日時:2005/06/12 13:48

#4です。



持ち論だけ述べて、質問者様の疑問にちゃんと答えてないような気がしたので補足します。

私の結論から言うと、自己暗示によって病の軽減を狙う場合、
これは正直暗示の強さを自分でコントロールするのは難しいですから、
そこら辺は運に賭ける必要があると思います。

そして、質問者様の言葉を借りて「宗教に頼る」という気持ちですと、
あまり効果はないのではないでしょうか。
どちらかというと確実に効果が望めるのは、宗教の中で
「修行」とされるような行為だからです。
そしてこれを繰り返すことにより、パニックになりそうなときでも
平常心を取り戻す感覚を覚えていくので、パニック障害にもかなり効くのではないでしょうか。

また私は今でも、写経をしたり(100均ショップで売ってるんですね)
念仏を唱えたり、瞑想もどきのこともしますが、
「散歩」や「編み物(ひたすらマフラー)」などでも
ほとんど同様の効果があったことをお伝えします。

no.5さんは、鬱病などへの効果を否定されてますが、
私はあるような気がしますね。
こういった行為は要するに、脳へ作用しているはずですから。
医者が「散歩」を鬱病患者さんに勧めるのもこういった効果があるからですね。
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この回答へのお礼

自己暗示。その効果を期待しているわけです。いまは悪いほうに悪いほうに自己暗示がかかっていると思われますから、これに対抗できる存在として、宗教をすることによって、支えてくれる存在を心に持てるのかなと。

お礼日時:2005/06/12 13:53

宗教に入って そういう効果があるかどうかというのは


俗に言う「信仰心」次第ではないでしょうか?

信仰心=信じる気持ち・傾倒する度合い
だと思っています。
「頼る」のではなく、「信じる(思いこむ)」ことで
不安を払拭している人をよく見ます。
また、あまりにも傾倒しすぎて
周りの人に強要している人もいます。
(そういう人は恐怖症などとは無縁なようです。)
逆に宗教に入ってから心身に不調をきたした人も見ています。
(ストレス負けしているような感じ)

自分とは違うところに意識の中心を持っていくので
信仰心を持っていない人と比べると我慢強いところはあります。
ただ、よほど傾倒している人でないと
その宗教内での問題に悩まされ続けることにもなります。

ですので一概に 良いとも悪いともいえませんが、
「病気を治すために宗教に入る」ことだけはおすすめできません。
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この回答へのお礼

そうですね、頼るだけじゃなくて、「だから大丈夫」と信じ込むことによって効果が生まれるのではないかと僕も思います。ただ、宗教は難しそうでもありますね。

お礼日時:2005/06/12 14:13

自分も鬱とパニックを持っていて現在通院中です。


たまにどうしようもなく怖くなって仕方が無いときがあり、
その時は決まったとある安定剤を飲み、
「もう大丈夫」と安心することによって
症状が緩和されています。
自分があること(宗教に限らずですが)
を信じる行為によって
良い方向に向かう、という点では
自分のそれは『薬に対する信仰(或いは自己暗示)』
に近いかもしれません。
昔から『病は気から』という言葉があるとおり、
何かにすがってそれで体調が良くなればそれが例え
宗教であってもなくても、信じることは良いことだと思います。
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この回答へのお礼

自分も安定剤を飲んでいますが、飲んだ瞬間から気持ちが楽になります。今はその薬が頼れる存在ですね。このままでもいいんじゃないとも考えられますが、やはり心が弱いからかもっと常に頼れるものはないかと考えた上での宗教での神や仏の存在です。気持ちのもちようなんで効果はあるのではないかと考えていますが…。

お礼日時:2005/06/12 14:04

宗教が人を変えるのではなく


その人の信じ方がその人の心を変える。その結果
自分という者の見方、人生観が変わり、その結果
病気になりにくい、という事は考えることが出来ます

自分の支えるものが出来るという。のは大きい

これは私の信仰のあり方で他の人に当てはまるものではありませんのであしからず、あくまで参考だけにしてください。
僕も昔はみんなの前で話すのがいや!
自分の考えを言えない
等ありました。昔を比べればすごく成長しました。
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この回答へのお礼

>自分の支えるものが出来るという。のは大きい

ですか。そうですねぇ。今の状態だと困ってもあたふた混乱に陥るだけなんですけど、「自分には○○がついているから」と信じ込むことによって楽になれそうな気はします。ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/17 11:28

~諸刃の剣です~



宗教は、確かに精神に拠り所を提供し、強めてくれる場合が多々あります。
 但し、ことメンタルな面においては副作用が多い劇薬です。

いくつか例を挙げて説明しましょう。
たとえば、もともと仏教に関心があり、関わりがあった方であれば、阿弥陀様の慈悲にすがることによって、死の恐怖でさえも克服することが出来ます。

たとえば、キリスト教世界に関わりがあった方であれば、赦しと救いを受け入れることによって、死の恐怖から逃れることができます。

これらは、普遍的に同じ救いを説いているのですが、前者(仏教と関わりが強い方)が後者のキリスト教を勧められることは、たとえ本人が強く意識していなくても、その人の宗教観を一度付突き崩して新しい信仰の概念を受け入れさせることになりますので、非常にメンタルな面で不安定になります。
そして、いうまでもなくはっきりと信仰を持ってしまえば、メンタルな面が安定したからその信仰を棄てる・・・なんてことをするとそれこそ自我が崩壊するほどの衝撃を受けます。

私は信仰を持つ方を尊敬していますし、尊重するようにも努めていますが、自身やご家族が信仰を持つ際にはよく自問し、話し合い、熟考の上決定されることをお勧めします。
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この回答へのお礼

そうですか。なるほど。確かに一度深く信仰にすがっていけば後戻りは出来ない気がします。そういった依存性は高そうですね。じっくり考えてみてからでも遅くはないですね。

お礼日時:2005/06/17 11:31

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