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侍で弓組にいたりする者や鉄砲足軽などは戦さで侍大将を射止めても戦さ目付に評価してもらえず秀吉の様に出世ができなくなってたのですか?もう組ごとの全体評価ですか?

A 回答 (3件)

基本的に黒色火薬の発する白煙のせいで


一斉射撃や乱戦の中の射撃では自分の弾が
どこに飛んだのか自分でもほとんどわかりません。
銃弾はかなり予想外の軌道で飛ぶケースもあり
よほど間近で撃たない限り、自分の弾丸で死んだことを
立証できないでしょう。

しかし銃弾で倒すだけでなく首級をあげれば問題ありません。
倒した後、首を刈ってくればその足軽には手柄が与えれます。
また狙撃の際に誰か組頭が証人となることが可能な字状況ならば
例えばその敵将を狙うように指示があった場合などは
狙撃者の手柄が認められることはあります。
褒賞は基本的に信頼関係であって、事実認定ではありませんし。
出世できるか出来ないかは現代と大して変わりません。
運次第のところもあります。

あと敵の侍大将を倒しても秀吉のような出世は無理でしょう。
秀吉自身、敵将の首を取ったことがありません。
槍働きをする武将の評価は、一般に内政や外交にたいする働きの評価よりも低いです。
というのは、上級武士ほど与えれた土地にたいする内政能力を求められるからです。
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この回答へのお礼

実務に即した解説ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/12 20:37

当時の鉄砲の有効射程距離は100メートル位でした。


しかも鉄砲隊としての集団的運用はまだ普及しておらず個人技でした。  戦場での功名は多くの場合それを証明する人がいて成り立つ定めでしたから首をとってきて証明するのですが鉄砲の場合は距離もありそれが難しい場合が多かった事でしょう。

戦目付はこのような場合を見逃さず確認するのが役目でしたがそれもかなわぬ時は功名は埋もれてしまうわけです。

おおくの場合、鉄砲は足軽だけでなく士分の者も使う事がありその場合は家来が目撃します。
関ヶ原合戦で西軍の島左近を狙撃したのは黒田隊の士分の武士でした。
大抵の場合かなりの接近戦ですから人の目に触れる事も多かったのです。
長篠の合戦のように集団的に運用された場合だれの玉が当たったのかはわからぬ時は集団の功名となったでしょう。
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この回答へのお礼

細かく事例をもって解説していただきありがとうございます。

お礼日時:2005/06/12 20:36

日本の鉄砲兵は西洋の銃兵とは異なって、それぞれ自分で照準をつけて打つことが認められていましたから誰の弾がその侍大将に当たったということがわかればそのものの手柄になったでしょう。


ただ、侍大将が鉄砲でうちとられるということはよほどの乱戦か敗走中に狙撃されるかでないとないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/12 20:34

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