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最近すごく茶髪の小学生が増えたと思います。
私は22歳の大学生ですが、私が小学生のときは茶髪の子はほとんどいませんでした。(田舎の学校だったというのもあると思いますが…)

私は小学生が茶髪にするのは反対です。
小学生は茶髪は駄目という法律もないですし、倫理的・道徳的問題よりになります。
小学生低学年の子供が自ら茶髪にしたいという意思に従って髪の毛を染めているとは思えません。
おそらく親の意思でしょう。
では親は子供に何を求めて茶髪にするのでしょう?
これが一番聞きたいことです。
失礼な言いかたになりますけど、本当に子供のことを考えているのか疑問です。

もともと小学校は茶髪を禁止していないのでしょうか?
小学生が携帯電話を持ってるのもどうかと思いますが、この物騒な世の中なので、それは理解できます。
しかし茶髪を認める理由は何なんでしょう?
思想の自由と言えば、それで終わりなのでしょうか?
では誰が止めるのでしょう?
最近の小学校事情は全くわかりませんが、先生は何も言えない時代なのでしょうか?

茶髪の賛成・反対、小学校の対応、親御さんの意見等、何でもかまいませんので、
是非みなさんの意見を聞かせて下さい。

よろしくお願いします。

A 回答 (24件中1~10件)

#16、kneisslです。



いろいろ考えたのですが、私自身、あんまり考えを整理するのがうまくないので、ひとつひとつ整理しながらですが、「子どもの茶髪の是非」とそこから派生して考えたことを語りたいと思います。

・自由への衝動の時代は、抑制できるのか?

自由への衝動を抑えられない世の中になりつつあると言いました。それへのあなたの反論として、「まだなっていないですよね。諦めていいのでしょうか」という意見が挙がりましたが、私の言い方が甘っちょろかったですね。私見では、今は過渡期ですが、確実になるでしょうということです。努力どうこう、諦めどうこうではなくて、そういった精神論で歯止めをするような時代にはないということです。それは便利になっていくということと同じです。電気製品が溢れて、現代はすごく便利になりましたが、それが20年、30年前の時代に戻れるかどうか、考えてみればわかると思います。環境破壊が進んだ、そしたら我々は以前のような牧歌的な生活に戻ればいい、理論では言えますが、実際には無理です。誰も望んでいませんし、現に誰も戻ろうとしないのです。それと同じことは、自由への衝動にも当てはまります。自由になれば自由になるほど、それは個人個人の欲求に関しては、便利であると同義なのです。ですから、現代人の自由を制限するのは、殺人者のクビを吊ることぐらい、人権問題に関わってくるのです。

・子どもが茶髪にすることが本当にそれほど悪いことなのか?

私はいまいち、あなたがおっしゃる『茶髪オッケー』、『携帯オッケー』、『お小遣いたっぷり』、『先生の言うことは無視』の悪さというか、問題点がわからないんですよ。子どもが茶髪にして、携帯を持って、お小遣いをたくさんもらって、なにが悪いんですか?親に金がないんならまだしも、日本人は今中流以下といえども、それぐらいの裕福さはあるわけです。先生を無視してもいいよ、それは個人個人の親の考え方なんですよ。「教師なんて信用ならん」そう思ってる親だって、中にはいてる。それが正しいか間違ってるかではなくて、そういう親はいてるもんです。親にそういう教育を受ける、茶髪オッケー、ケータイオッケー、小遣いいっぱい、教師無視オッケー、そういう教育を受けた子どもがどういう大人になって、社会に出るかわかりません。当然甘えた大人になるかもしれないし、意外と社会性のある人間になるかもしれない。どっちにころんだとしても、例えばそいつが甘えたヤツになろうが、実は損をするのはそいつなんですよ。教師の話を聞けないから、大人になっても人の話を聞けない、それで損をする、社会性のなさで損をするのはそいつです。子どもの時に茶髪にした、ケータイ持った、金を持った、そのリスクはそいつが大人になったときにすべて背負わなければならないんです。それが私の言った、自由と自己責任の時代です。つまり、そいつが大人になってそうなったとしても、それは全部自己責任、親に文句を言うのは勝手ですが、それでいや、これは間違ってる、と思えなかった、そいつが悪いわけで、私が言った自由とはそういった意味です。どんな結果になろうとも、誰にも文句が言えない、それが自由と自己責任、個人主義の時代だ、私の意図した意見はこれです。だから、慰みのようなことを言えば、あなたが心配しなくても、損をするヤツらは出てきますしね、勝手に淘汰されていくんです。特に自由な個人主義の時代では、誰も味方になってくれませんから、それはそれでいいんですよ。ただね、それが安心な社会かどうかといったら不安な社会であることは、それは間違いない。あなたの言うとおり、私は殺したいから、殺したんだ、そう言われるとどうしようもないんです。でも、そんな社会のよい例が、アメリカです。ご存知のとおり、そう言った社会に求められるのは、自衛能力です。個人主義、自由ですから、殺されたってどうしようもない、自由を優先すると、殺したいから殺すヤツがでてくるのは当然で、それでアメリカが至ったのが、殺されないようにする個人的防衛方法の行く末、拳銃社会というものです。自分の身は自分で守る、誰に殺されても文句言えません、それがアメリカが体現する自由の社会です。ですから、日本もやがてそういった時代になっていくでしょう。確かに不安定です。しかも、そんな自由で不安定な社会であるアメリカを根底で支えたのはなにかと言うと、キリスト教的精神、それへの信仰でした、つまり宗教ですね。ですから、自由で危険なアメリカでもなんとかやってこれた、やっていってるんです。でも、日本の怖いところは、かつての道徳とか儒教的な考えがもはや無力となって、そしたらそれに取って代わるものは何なのかといったら、もう何もない、そういうところです。ですから、私は良心とか道徳とか、そんなことで自由の歯止めをするのは無理だと思っているので、規制ですね、法的な規制、それも今のような甘っちょろいもんではなくて、アメリカのように罰を厳しくする必要がある、それと対人間関係の充実です。特に今、精神的なものがどんどん物理的なものへと還元されて表現されている、引きこもりだってそう、自分は誰にも心を開かない、それを表現するのに、物理的に部屋に鍵をかけなければならない、表を歩いても心を閉ざすことはできるのに、そうなってるでしょう。自転車乗りながらケータイで喋る人、今おっさんでも若い子でもすごく多いですが、やっぱり電波で繋がることが、人間関係の繋がりだと思い込んでる、そういった人間関係における希薄さというのは、どうも払拭しきれない。ですから、私としては、良心・道徳・精神論、それだけを武器にしてると、結局自由に押しつぶされる、人間欲求が勝ってくるのではないかという主張です。あなたの意見もわからないことはないが、ドライにならざるを得ないですね。情に訴えかける、情にほだされる、それは過去の遺物だと思っています。

ここからは、余談というか、追記になるんですが、あなたが日本全体をよくしたい、そう思ってるというのを伺ったので、それに関してですが、私の印象からして、あなたが本当に日本をよくしたいと思っているのなら、問題提起として、今回のスレはどうなのかな、と思いました、正直。印象ですが、「目標はでっかく、言うてることちっちゃい」という感じですね。日本をよくしたいと思ってる人間が、「子どもの茶髪はダメだ」みたいなことを言っていてはいけません。そんな段階で止まっていてはいけないと思います。もうなんか、前時代的な「服装の乱れは、精神の乱れ」って感じで、今の感覚でいくと「ババアの小言」ぐらいにしか、聞こえないんですよ、言い方悪いですが。多分、そう思う人もいると思います。だから、目標せっかくでかいんですからね、もっと本質的なことに関わっていって欲しい。正直、私はこの日本をよくしたいとも思っていませんし、よくなるとも思っていない、それどころか何がよくて何が悪いかなんてわからないとさえ思っている。どんな社会にだって、どんな時代にだって、それぞれのメリットとデメリットあると思うんです。諸刃の剣やと思うんですね。だから、何が問題で、それを解消するためには精神論やそんな次元ではなくて、どういった政策、対策を講じるのか。明日から、なにができるかを考えなければならない。それをね、あなたは子どもを茶髪にすると、行く末不安ですよ、なんて、それははっきり言って整合性を持ってるとは思えないですよ。まだ結果も出ていないですしね、ちゃんとした両親からしかちゃんとした子どもしか生まれない(なにがちゃんとしたかもありますが)、そんな事実もありませんしね。だから、世の中を、日本全体を変えたいと思ってる人間が、感覚で喋ってはいけません。あなたの好き嫌いは別です。それは一個人としてあっても構わないけれど、そのレベルで留めて置くならいいけれども、それで日本は悪くなるなんて、そんな考えははっきり言って差別と偏見の温床です。髪の毛を染めてるからなんて言うのは、やっぱりどこまでいっても本質的な問題ではない。私らの子供時代はもっと不自由でした。給食を残して食べさせられたし、居残りもあった。好きなもの持って来るなとも言われました。だから、そういう時代の人間からしたら、腹立たしかったり甘えてるように見えるかもしれませんが、それが時代の流れというものです。それでも、私らは不自由だなんて思ってなかった。アホやったからかも知れませんが、私らは私らなりの自由を満喫してました。私らには私らの不自由さがあったけれども、現代っ子には現代っ子の不自由さがある。短絡的に、物事を感覚的に喋ってはいけない。あなたみたいに世の中を変えたいと思ってる人は少ないです。その思想は立派ですが、それだからこそ、私はそんな次元で止まって欲しくないなと。それができないのなら、やっぱり世の中を変えるなんて思わないほうがいいですね。正義が常に正しい結果を導き出すとは限らないからです。正義の心というものは、思ってる以上に個人的なものですからね。そのレベルに留めておいたほうがいいと思います。
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私も質問者さんと同じでかなり抵抗があります。


でも中には時代とともに変わる価値観だから気にする必要はないと言うような趣旨の発言が有りますが。

私が思う最大の問題は髪の毛の色の問題ではなく、わが子を人形やペットのように扱う親のバカさかげんです。ペットですから子供の健全な発達なんぞ願う訳も無く(本人はそんな事無いと言うでしょうが)子供の将来なんてどうでも良いんじゃ有りませんか?

それが証拠に私の周りにも居ますがはっきり言ってあえて差別的な言い方をすればバカ親が多いですよ、ほんとに。
やはりまともな親はそんな事させません。
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茶髪を禁止する理由が分かりませんが…??


タバコのように体に悪いとか、全く理由が分かりません。
子供らしくない?だとしたら、価値観の押し付けに他ならないと思います。我々(50代ですが)の若い頃は、長髪だけでもガタガタ言われて反発しましたが、だからといって、私自身、不良でもなかったと自負しています。
自分が子供の頃のことを思い出して頂ければよく分かると思うのですが、子供は大人と同じことをしたがります。母親と同じ、あるいは好きなタレントと同じ髪型や髪色にしたいと思うのは、僕たちの子供の頃と変わらないと思います。
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小2女児の母です。

茶髪の小学生は多いです。
うちの子は元々、少し茶髪で「染めたか染めてないかわからない」程度の地毛です。

子供のお友達に3人姉妹・茶髪(金髪に近い)子がいます。
「誰が髪の手入れしてくれてるの?」と尋ねたら「お母さん。私もおねえちゃんも妹も、髪を黒くしたいのにお母さんが「人になめられるからあかん。」って言うねん。」と悲しそうな表情でした。

他の茶髪・親子に尋ねても同じ答えでした。

携帯を持たないと不安なのは最近の醜い、子供を狙った犯罪の多発という社会背景があるのではないでしょうか?経済的に許されるのならGPS機能付きのものなどな、メリット有りかと思います。
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こんにちは。


私も質問者様と同意見です。
私は今年高校を卒業したばかりですが、小学生もそうですが中学生の茶髪も嫌いです。
まだ義務教育が終わっていないのですから。
私は小学生の頃から髪の毛を染めたいと思っていましたが、やはり学校も厳しいですし、親も絶対許してくれません。
なので高校に入るので染めるのを我慢して来ました。
茶髪の義務教育の終わっていない子供達を見ると「親が甘いんだな」と思ってしまいます。

今の学校は甘すぎだと思います。茶髪にしたからと誰かに迷惑を掛けるとかそう言うのはありませんが、まず身だしなみと言うのが大事だと思います。
それと小学生ぐらいだと髪の毛なんかツヤツヤしてて凄く綺麗なのに勿体無いと思います。
染めるということは髪だって痛みますし、綺麗な状態を殺すわけです。
大人になって髪がボロボロになってもいいなら染めてくださいって感じですが(笑)

幼稚園の子でも多いですよね。幼稚園の子なん親に染められたと思うと可哀想です。
多分親はオシャレ感覚で染めてしまうのでしょうね。
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茶髪の小学生・・・


みただけで気の毒ですね。
親がおかしいとしか思えません。
何の理由でそうしているのか、理解不能です。
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私もNO.17さんと同意見です。

子供の茶髪には大反対です。(ついでに小学生の化粧にも大反対です)
NO.1さんやNO.16さんの意見は一見立派な意見のようですが、このような意見が(極論ですが)世の中をダメな方向に向けてると思います。(大人の茶髪には賛成はしませんが反対もしません)
確かに法的には子供の茶髪を禁じる理由なんてないでしょう。しかし、それ以前に常識とか道徳という概念がないのでしょうか?子供は子供らしいくいるべきでは無いでしょうか?こういうとまた「子供らしいってなんだ?」とか色々と反論がおありでしょう。しかし、なんと言われようとおかしいものはおかしいと思います。一事が万事、このような子供を甘やかす意見が義務を放棄し権利ばかり主張する子供を作るといっても過言ではないでしょう。個性というのはまずルールや常識や道徳を守って、その上で発揮されるものだと思います。
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天然ではない金髪の子供を見たときに 親に対して想像する事は



この子の親は煙草を吸い副流煙を掛けているだろう。
子供の喫煙・飲酒をそのうち認めるんだろうな
子供の将来のことなんて考えずに自分の思いつきで皮膚にダメージを与えているんだろうな
乳児の頃は車に子供を乗せたままパチンコをしていたんだろうな。
車の運転は乱暴そう。
一日中、怒鳴り声やマフラー改造などで近所迷惑そう
自分できちんと教育もせず教師を責めるんだろうな。
ひょっとしたら親子で万引きもしているかも?(これは実話)
夜の9時を過ぎても親子で出歩いているんだろうな
 (これはキレやすい子供を作ると新聞で読みました)

私の想像なので(一部を除き)事実では無いと思いますが
友達になりたくない人種と判断し距離を置く目安にします。
処世術ですね。見ただけで解りやすく、助かります。
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人間は何千年と経て、ようやく自由を手にし始めました。

これからの世の中は、より自由に、そしてより自己責任に、という時代になると思われます。自由になるとは、どういうことかと言うと、自己表現の可能性がひろがるということです。今まで、いくつまではこうこうでなければならない、そう言いたくなるような気持ちもわかりますが、そんなことでは自由への衝動、志向性にはもう歯止めが利かない時代になりつつあるのです。そんなあなたも、誰かの意見や世間の目に従って生きる、そんなことに息苦しさを覚え、ある程度自由意志を優先させていると思うのです。そもそも、子どもの頃から茶髪にさせると、どういった弊害があるのでしょうか?髪の毛を染めているからヤンキーなんて、そんな時代はもうとーっくに過ぎました。ですから、子どもの意向いかんで、親が子どもの髪の毛を染める、悪く言えば子どもを私物化しているような親もいますが、それはそれで親としての表現であったり、教育方針であったりするので、それで社会が悪くなるなどということは言えないのです。あなたができることは、自分が親になったら、どうするかということです。はっきり言ってしまえば、子どもを塾に行かせるのも、子どもにブランド服を着せるのも、もっと言えば、子どもを有名大学に入れようとしたり、タレントにしようとしたりするのも、子どもを茶髪にするのとなんら変わらないのですよ。ありとあらゆるものが自己表現になり、人がそれに用いられるのは非人間的だという意見はわかりますが、そういった意見が実際に抑止力を持つとは言えないということを理解しておけばいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

すごく意味の深い回答でうれしく思います

>>これからの世の中は、より自由に、そしてより自己責任に、という時代になると思われます。自由になるとは、どういうことかと言うと、自己表現の可能性がひろがるということです。

これは鋭いところをついてますね。
私は日本全部を背負ってるような感じで、
どうにか日本全体をよくしたいという気持ちでこのスレッドを立てました。
でも現実を見ると貴方のいう通り『より自由に、より自己責任に』という時代に近づいてる気はします。

>>自由への衝動、志向性にはもう歯止めが利かない時代になりつつあるのです。

なりつつある。ですよね?まだなってはないですよね?
あきらめていいのでしょうか?
現実を見ると厳しいです、確かに…
でも私達大人が諦めていいのでしょうか?
夢見てるのかもしれませんけど、ここは努力すべきところではないでしょうか?
では子供に『茶髪オッケー』、『携帯オッケー』、『お小遣いたっぷり』、
『先生の言うことは無視』と教える親がいてもそれも自由だから放っておけと…
注意したければ、それも個人の自由だけど、刺されても知らないよと…

>>それで社会が悪くなるなどということは言えないのです。

そうでしょうか??
では上にあげたように『茶髪オッケー』、『携帯オッケー』、『お小遣いたっぷり』、『先生の言うことは無視』
と言われて育った子供が大人になって社会に出たとき我慢を知らないがために他人様に迷惑をかけたとしても、
それは社会が悪くなったと言いませんか?
人を殺しても『これも自己表現の一つなんですね。私の怒りの表現はこうなんです』ってなっても文句は言えないと…
では遺族はどうすればいいのですか??
『我慢』は重要です。
我慢強くさえあれば、殺人など起きません。

豊かな日本です、そんな子供がたくさんできると思います。
これは極端な話ではないですよ。
要は『なんでもあり』なんですから。
人間楽なほうに流されるのは当たり前のことです。
今でも我慢ができない人間が増えてると思います。



ちょっと的確な返事ができなくて申し訳ないです。
あと皮肉っぽい文章ばかりですいません。
でも貴方の意見にはすごく興味があるので、またコメントする時間があれば、よろしくお願いします。

お礼日時:2005/07/15 01:15

個人的に、茶髪がいけないとは全く思いません。


クラスメイトに茶髪がいたときは、校則があるのに逆らうなんて愚の骨頂
と思っておりましたが^^;

髪の色も髪型も、個人が責任を持って考える事だと思います。

TPOを考えた言動や服装は、おいおいそれぞれが勉強して行く事だと思い
ますし、個性を主張するあまり突拍子もないようだと、スムーズな人間関係を
築けない物だとも思います。

子供達の服装や髪型は、その親の保護の下にある幼いうちは、親の意見が
多少なりとも反映されるものだとも思います。

子供の茶髪、髪が傷むとかハゲるとかあるのですか?アトピーの子なんかは、
皮膚状態が悪化するかもしれませんね。きまりを守るという事や、道徳倫理
教育にも関わってくるのでしょうか?そういうこともみんな、その子自身や
親御さんが真剣に考えられる事でしょう。

携帯電話やゲームなど、今の世の中には、今社会を動かしている大人達の
子供時代にはなかった物が溢れています。自分の意見は正しい!という思いは
誰にでもありますが、それと同じように、自分の育った環境が子供を健全に
育てるはずなのに、今の世の中はそうではないと批判的になるのはいかがな
ものかと思います。

世の中は、これまでもこれからもどんどん様変わりして行くと思います。
その時その時の価値観が、道徳、倫理観が、その時代を生きる子供達にとって
最も必要なのだと思います。排他的な視点では、次の世を生きる子供達を
健全に導くのは難しいと思います。茶髪うんぬんよりも大切な事があると
思います。また、今の子供達の問題が、茶髪に代表されるという風にも、
全く思えません。

カナダ在住、黒髪一家です。私が自宅でハイライトを入れる時、小学生の
子供達が、自分もして欲しいと言って来たら、数カ所のハイライトは抵抗なく
許可しますよ。もちろん校則で禁止されている事ではないからですが。
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