【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

最近のマスメディア、特にTVを見ていると、報道番組でさえも正確な情報を伝えていないのではないかということに気が付くことがよくあります。「日本人は活字やテレビ、ラジオは嘘はつかない」と思い込んでいてマスメディアの世論操作にも全く気が付きません。同じニュースを伝えるにも必要な修飾語を意識的に抜いて視聴者の誤解を招いてしまう。マスメディア側は視聴者の問題だと言う。確かに視聴者の問題は大きいが視聴者をこんな風にしてしまったのもこれまでのマスメディアによる偏った情報の伝え方にも問題があったのではないだろうか。

そこで質問なのですが、
1.マスメディアへの内容の規制は必要か?
基本的に報道の自由は守るべきであろうが、公共の福祉に反するものは規制すべきだと思うのですがいかがでしょうか。
2.正確な報道をするように司法に訴えることは不可能か? →専門家様
3.先進諸国にあるようなマスメディア論(正しく情報を取り込み、理解する方法を検討する)の教養授業を日本の大学にも入れるべきか?
4.あなたは正確な情報を得るためにどのような方法をとっていますか?
米国のマスメディア論の授業で最も手っ取り早い方法は新聞、TVともに複数のマスメディアからの情報を取り込んで参照する。ただし**通信発というニュースをそのまま流している場合もあるので注意が必要(複数のマスメディアが同じことを言うが元は同じ)
5.体制批判だけを繰り返すマスメディアの現状をどのように思いますか?
6.前向きな発言を5割以上取り入れたマスメディアはどう思うか?

よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

1.古くから問題になっている論点です。

表現の自由を定めた国際人権規約B規約では、こんな規定もあります。

第20条(戦争宣伝及び差別等の扇動の禁止)
1 戦争のためのいかなる宣伝も、法律で禁止する。
2 差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する。

 まさに公共の福祉に反するものの規制の最たるものだと思うのですが、どうでしょう。
 ちなみに、この規定は旧ソ連が提案したもので、自由主義諸国の受けは当然のごとく悪かったそうです。
 それから、これは「正確な報道」であっても、規制が必要という趣旨ですよね?

2.表現の自由に関する事前抑制については、大変消極的に解されています。
 明らかに人権侵害に当たるようなものはともかく、単に「不正確」「不適当」というのであれば、自由な言論の場で反論をする機会を保障することが重要と言われています。

3.情報の流通経路が多様化している現在においては、マスメディア論だけでは不十分と考えます。
 インターネットも含めた外部情報に対し、どのように対処すべきかを学ぶ総合的な「メディアリテラシー」教育が早い段階から必要です。
 テレビ、新聞で言っていることは疑うが、その反論としてネットで流れていることにはころりと転ぶような傾向が、最近見受けられるような気もします(気のせいならよいのですが)。結局、基本的なメディアリテラシーを持っていないためだと思います。
 出所がどの程度信用できるのか、どの方向にバイアスがかかっている可能性があるか、論理的におかしいところはないか、等々、情報氾濫の時代を生き延びるためには、メディアリテラシーの素養が必須です。
 同時に、情報を見分ける眼を養うために、基本的な教養も身につけ、日々更新する必要もあります。(自戒)

4.情報のソースを確認することは当然でしょう。できる限り一次情報に当たるようにします。元の文献があるのなら、それを見ることです。

5.「体制批判」だけを繰り返しているとは思いません。かなりの記事が政府発表の受け売りです(それはそれで意味はあると思います)。

6.そういうマスメディアがあっても悪いとは思いません。ただ、十分な現状分析や認識枠組みも提供せず、アジテーションばかりを繰り返すのであれば「体制批判だけを繰り返すマスメディア」と選ぶところはありません。

なお、「正確な情報」という用語を多用しておられますが、「正確な情報」は瞬間瞬間に無限に生じているわけで、そこから何をどのように伝えるのかという点で、必ずメディアの選択が働きます。どこかに「正確な情報」を伝えてくれるマスメディアがあるというのは幻想に過ぎません。メディアが「正確な情報」を伝えている場合であっても、それは同時に「偏った情報」であり、その点を認識するのもメディアリテラシーの一つだと思います。
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。参考にさせていただきます。特に「正確な情報」に関しては私の中でもまだまだ定義が確立されていません。もう少し考えさせてください。

お礼日時:2001/10/22 10:19

 私は専門家ではありませんが、local_clubさんと同じ危惧を抱く者です。

話が抽象的にならないために、つい最近経験したことを元に、書いていきます。

1.現在自己規制の働いていないマスメディアに責任感を持ってもらうためには、規制や罰則の方法を探るべきだと思います。
 
 例えば、水曜日の朝のテレビ朝日で、こういうことがありました。炭疽菌について医者が出て説明していたのですが、炭疽菌らしき手紙を受け取った場合の対応として、「手を洗い、その手紙を持って医者に行くように」と言ったのです。私は耳を疑いましたが、何とかしなければと思い、テレ朝の視聴者センターに電話して、その番組の間に訂正してもらうように要請しました。訂正される気配がないので、もう一度電話して要請しましたが、訂正はされませんでした。その日の昼にもう一度電話して出てきた番組担当者は「視聴者からそういう指摘があったことも、医者の発言も聞いていないんですよね」とのことで、頭に来ましたが、翌日の放送での訂正をお願いしましたが、まあ、それは行われませんでした。
 もし、この情報を覚えていた人が炭疽菌を受け取りその行動をし、被害が拡大する場合も想定されます。このように多数の命が関わる誤情報というのが、許されるべきだとは思いません。

2.については私も専門家の方に是非お伺いしたいと思います。

3.所謂メディアリテラシーですよね。しかし、私はそれ以前に、罰則規定を作るべきだと思います。できれば自浄作用に頼りたいところですが、日本の今のマスメディアには期待できるのでしょうか。例えば、私が生活経験のあるアメリカのマスメディアでは、明らかに追放される種類の人々(無知にも関わらず専門家として誤った情報を流す人々や無責任な発言に終始する素人)が日本では、無数に登場しています。「メディアがつくる嘘」以前に「単なる嘘」を追放すべきだと思います。新聞などについては署名記事にするなど責任を明確にすることは効果があると思います。

4.嘘を全部見抜くのは不可能ですが、なるべく話の筋道を考えるようにして、無理を感じる場合は、それにまつわる情報を英語メディアも含む何カ所から調べるようにしています(英語メディアもいろいろですけど、署名がある分かなり違うと思います)。あと、自分も思いこみがあるということをなるべく気を付けて冷静になるようにして。それから、小学校の時は勉強が好きだったので、その時の知識と照らし合わせて、「理科」的に変とか、「小学社会」的に変とか、何か変な情報を見抜くのには、非常に役立っています。

5.体制批判だけというのはある意味でバイアスがかかった批判だと思いますが、体制批判にも、批判している体制以下のロジックや情報しかないというのは、勘弁してほしいと思います。

6.貧弱な情報発信能力しかない今の状態で前向きになってもらうのも、どうかと思います。

 ところで、local_clubさんは、なぜ、こういう状態でも前向きになってもらいたいのですか?そこを聞きたいという感じもします。それから、「前向き」という場合、どういうことを想定されているのかも。「前向き」ということが、正確さに努力した有益な情報コミュニケーションということであれば、大賛成です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。基本的にyamachan62の考えに賛成です。「前向き」というのも「正確さに努力した有益な情報コミュニケーションということ」と判断していただいてOKです。

お礼日時:2001/10/22 10:23

1 不要です。


>公共の福祉に反するものは規制すべきだと思うのですが
独裁国家が報道を検閲して、国民を洗脳するときの理由付けがまさにこれですね。

2 専門家ではありませんが、報道によって人権が侵害された場合、司法に訴えることは十分可能です。単に、「正確な報道をしろ」という訴えであれば、「正確な」の定義が何かという点で、議論が紛糾するだけだと思います。

3 メディア・リテラシーというやつですね。大学どころか、高校の授業でも取り入れるべきです。

4 同じ事実から、全く別の情報が流れることがあります。例えば、米国の高官の、「ショー・ザ・フラッグ」という発言を、「自衛隊を参戦させろ」と、「アメリカの立場を支持することを示せ」と、全く違う意味で解釈し、報道されているのはご存知でしょう。
 この場合、両方の報道を、報道される数量にかかわらず、対等のものとして取り扱います。どちらが正しいかは、後から出てくる新しい情報から推察することができます。
 あと、NHKラジオは、かなり報道が冷静です。何らかの映像を入れなければならないため、どうしても恣意的な報道になってしまうテレビに対して、ラジオは落ち着いた報道ができる利点があるようです。

5 戦後日本のマスコミの原点は、戦前・戦中共に、政府を無批判に肯定したことで、時の政府の暴走(戦争だけじゃなくて、国民に対する人権侵害も含みます。)を止められなかったという強烈な反省にあります。
 したがって、政府のやることを何でも批判するのは、むしろ当然の行動なのです。政策による悪影響の事実、あるいは悪影響の発生の予測に関しては、たとえ小さなことであっても報道すべきです。それ自体、重要な情報です。
 重要でない情報は、単なる揚げ足取りの報道で、(森政権時代によく行われましたが・・・)これは簡単に見分けがつくので、視聴者側にメディアリテラシーがあれば何の問題もありません。

6 単に「前向き」なマスメディアは、情報収集能力がないか、さもなくば将来日本を専制的な国家にして、その中で特権的な地位を得ようと企んでるに違いありません。前向きなだけなら、政治家の意見を垂れ流しにするだけで事足りるのですから。
 「建設的」なマスメディアなら、よいと思います。今の日本で比較的建設的な報道をしているのは、日経新聞くらいでしょうか。報道の視点が、経済の側から見ているため、他とは違った視点で楽しめます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
5.に関して「政府のやることを何でも批判するのは、むしろ当然の行動なのです。政策による悪影響の事実、あるいは悪影響の発生の予測に関しては、たとえ小さなことであっても報道すべきです。それ自体、重要な情報です。」とありますが、戦前・戦中のマスメディアが国民に与えた「悪影響の事実」に関しての反省が十分にできているのでしょうか。私には現在のマスメディアは恣意的に日本政府、官僚、社会体制を批判しているだけのように思います。これによる悪影響も十分に検証されるべきだと思います。

お礼日時:2001/10/22 10:32

1.何をもって公共の福祉に反するのか定義が難しいので規制するのはどうかと思う。

そんなにフィルタリングされた報道が嫌ならば国営のメディアを並列で一つ作ればよいのでは?

2.専門家じゃないので、すみませんがパスです。

3.記憶が確かならば選択科目で既存だったと覚えていますが。

4.そもそもこの「”正確な”情報」の定義が浅学な私には分かりません。何をもって正確だと言えるのでしょうか?宜しければあなたの意見をお聞かせ下さい。他の方も答えやすいと思います。情報の取得方法はHP70%テレビラジオ等10%会話20%程度です。

5.まあそんなものかと10年程前から思っています。

6.またまたすみません。この「前向きな発言」の定義も良く分かりません。例えば「BSEから新型ヤコブ病になった事例は今日まで日本では無いから牛は大丈夫だよー。さあ、みんな行政(農水省)を信じて怖がらずに食べましょうー」、っていう報道は前向きな発言なのでしょうか?よく分かりません。補足をお願いします。
    • good
    • 0

幾つかだけ。


4.少し英語が理解できるのと、ネットの発達のお陰で、日本や西側だけでない、世界各国のマスメディアの報道を直接知ることが出来るようになりました。
また、個別の事件についてなど、MLや個人HPを通じて、マスメディア以外の主張も取り入れることが出来るようになりました。

5.結構なことだと思います。日本には民報と国営さんもあるわけですし、もはやマスメディアの唯一の存在理由にもなっているのではないでしょうか。

6.受け手との需要と供給の結果という気もします。というか実際そうでしょう。BSやCSを使った特長のある報道番組をつくる動きもありましたが、地上波では相変わらずどこも似たり寄ったりですね。

そういう私は、テレビ東京に好感を覚えるものです。(笑
    • good
    • 0

こんにちは!


私もこの年(30代)になって新聞やテレビは必ずしも正確には情報を伝えていないということに気付き(ある本を読んだのがきっかけです)、最近は過去(太平洋戦争など)に関するいろいろな本などを自分なりに選んで読んだりしているうちに教科書問題や靖国問題などいろいろわかるようになってきました。いざ自分の頭でいろいろ考えるようになってくると今まで信じていた新聞でさえも信じられなくなってきました。
 ある意味、新聞やテレビを客観的にみられるようになり、ここの局の言ってる事はちょっと情報操作してるんじゃないか~?なんて思いつつ見ています。ですから3のご意見は賛成です。5の体制批判はひどいですね。いいかげんにしてほしい!と私は思いますけど。
では。
    • good
    • 0

専門家ではないのですが暇なので1を(^-^;



最近のマスコミは

ある一部分を誇大表現する

視聴者に偏った刷り込みをする

視聴者の多くが同意見を持つ

誇大表現をした部位に視聴者が共感を覚える

というように、ある種、宗教か!? と思ってしまうほど
同じようなことを繰り返してるように感じられます。
私みたいなひねくれ者は別ですが、意外に多くの方は
アナウンサーとかが喋ったことを、批判無しに受け入れているのでは?

今の日本は、何所の局でも同じようなことばかり放送していて
視聴者の意見をあまり求めていないような気がします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そのとおりだと思います。どうすれば国民は覚醒するのでしょうか。

お礼日時:2002/03/26 23:51

1.公共の福祉の線引きをどこにするかで紛糾し、一元化はできないでしょう。

現状でいいです。個人レベルで耳をふさぐ事で対応します。
3.4.全ての情報がありのまま正しく手に入れられれば最高ですが、それは「できたらアドバンテージになる」位のもので、無理してまでほしい物でもありません。
5.6.いつもどこの局のトップニュースも同じという状況は、確かに不気味です。ユニークな視点を持った全国ネット局が1つだけできるといいと思います。

視聴者1人1人が自分なりの意識を持ってれば、当局にお出まし願う必要もないと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに我々国民一人一人が判断できればそれに越したことはないのですが

お礼日時:2002/03/26 23:48

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!