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昭和天皇が
靖国神社に戦犯を合祀する事は反対だったと聞きました
なぜ反対だったのでしょうか?
詳細をご存知の方お願いします

また
合祀はどういう経緯で決定されたのでしょうか?
政府主導で決定されたのでしょうか?

A 回答 (2件)

 昭和天皇が靖国神社にA級戦犯を合祀することに反対だったのでしょうか?


 戦後,天皇が個々の案件に賛成だ反対だなどと意見を述べられることは極めて異例なことですから,A級戦犯合祀について発言されたのであれば,その影響力はあまりにも大きく,報道機関や天皇を信奉する団体が見逃すはずがありません。つまり,A級戦犯合祀に関する昭和天皇の賛否は,推測の域を出ない情報でしかありません。
 A級戦犯を合祀しようと靖国神社の宮司が皇居を訪れた際,昭和天皇には会えず,侍従次長が憂慮を表明しましたが,その宮司は半ば強引にA級戦犯を合祀しました。
 
 昭和天皇が靖国神社に参拝しなくなったのは,A級戦犯が合祀されたからだとおっしゃる方がいます。しかしこれも正しくないと思います。同じ戦犯でもA級は駄目だけどB級・C級はOKとでもおっしゃったのでしょうか。BC級戦犯が靖国神社に合祀された以降にも,昭和天皇は靖国神社に参拝しています。
 
 1975年,三木武夫首相が,戦後の首相としては初めて,終戦記念日に靖国神社を参拝しました。政教分離の原則に反するのではないかとの指摘に「私的参拝である。」と言い切っています。
 私的参拝四原則と言うのを掲げたのです。
1 公用車を使用しない。(実際にタクシーで行かれた)
2 玉串料は私費から支出する。
3 記帳する際には肩書きを書かない。
4 公職者を随行しない。
 
 この1975年の11月21日に昭和天皇・香淳皇后が靖国神社と千鳥が淵戦没者墓苑に参拝しています。
 この両陛下の参拝に際して国会で議論になりました。両陛下の参拝は私的参拝か,公式参拝か。
 三木首相が掲げた私的参拝四原則ですと,天皇は,1と4をクリアできず,それ以後両陛下が靖国神社に参拝されなくなりました。1975年11月21日に参拝されたのが最後となりました。
 A級戦犯が合祀されたのは,その後の1978年です。
 
 靖国神社だけがことさらに取り上げられており,正月に首相が伊勢神宮に参拝していることや天皇が地方の護国神社に参拝していることは全く取り上げられていません。それだけ靖国神社というのは特殊な神社ということなのでしょう。
 
 さて,靖国神社は元々,陸軍省・海軍省の管轄でしたから,合祀は政府主導で行われていました。戦後,陸軍省・海軍省の解体と政教分離の原則から,政府の手を離れましたが,第一復員省・第二復員省,その後は厚生省が関与しており,戦没者名簿を靖国神社に提供していたようです。このことが国会で議論となり,当時の厚生大臣が「不適切なことであった。」と答弁しています。
 
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この回答へのお礼

teinenさん
ご回答ありがとうございます

昭和天皇が自分の意見を表明する人ではなかったことを考えると
確かに合祀に反対だったというのは推測でしかないのかもしれませんね

詳細に記述して頂きましてありがとうございました

お礼日時:2005/08/20 21:15

昭和天皇の本心は、軍部の嘘の情報に騙されて、国を崩壊の道へと歩ませてしまったという反省と怒りがあったと思います。



特に、天皇や内閣を無視し、勝手に戦争を拡大した関東軍には激しく怒っていたと思います。

逆に軍部も、軍に非協力的な昭和天皇を排除して、秩父宮を擁立する動きを何度も見せました。

個別に見ると、東条はまめに昭和天皇に報告はしていたようですから、評価はしていたようです。子孫も厚遇されていると思います。

個別に嫌悪していたと思われるのは、板垣、土肥原あたりではないかと推測しています。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます
秩父宮擁立の動きは知っておりましたが
昭和天皇が関東軍に対しどのような考えをもっていたのか
あまり伝わってこないような気がします

また何かありましたらお願いします

お礼日時:2005/08/20 11:53

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