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れきだい首相はなぜ伊勢神宮に参拝するのですか?
そもそも伊勢神宮とは?
靖国との違いは?

以上教えていただけますでしょうか。

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A 回答 (3件)

伊勢神宮は、正式には単に「神宮」という名の最古級の神社です。

伊勢の国(三重県)にあるから、後世、地名をつけて呼ばれるようになりました。
歴史学的には、いつ始まったのかわからないほど古い神社。(そういう神社は他にもありますけど。)
日本書紀に書かれた伝説では第11代垂仁天皇の時代に始まるといいますが、垂仁天皇がそもそも実在したかわからないほど古い伝説の世界です。
古代には、伊勢の神宮は、天皇家の祖先を祀る神社として朝廷から特別扱いを受けました。まあ、天皇家専用の神社だったわけです。古代には、天皇以外の人がこの神宮に参詣したり奉幣したりすることが禁じられ(私幣の禁)、天皇家の未婚(処女)の皇女の一人が長く神宮に仕えました。(斎宮(さいぐう)といいます。神宮の近くに住み、毎日神宮の神のための儀式をしました。)
でも、中世以降は、私幣の禁もなくなり、一般人の参詣が普通になり、江戸時代には「お伊勢参り」が大流行、日本の庶民に親しまれる神社になっていきました。
神宮の内宮の正殿の建物は、唯一神明造という古代の日本の建物の姿を想像させる特殊な形で、ブルーノ・タウトという世界的な建築家が絶賛したこともあります。
歴史、伝承、建築、どれをとっても日本の大切な文化遺産ですね。

ところで、首相が伊勢神宮に行くのは、別に歴史的・文化的には、それほど意味のあることではありません。古来の考えに従えば、天皇か、天皇が派遣する使者(勅使)が行くことに、意味があると私は思います。まあ、首相も一平民として、行っていけないとは思いませんが。

靖国神社は、同じ神道に属する神社ですが、それ以外伊勢神宮との共通点はほとんどありません。明治時代に、近代日本国家のために戦争で戦い亡くなった人の魂を祀る趣旨で作られました。伊勢の神宮のような古来からの歴史はありません。文化遺産とはいえませんね。靖国神社に参拝するとわかりますが、軍隊(旧日本軍)とのつながりを象徴するものが多く、普通の神社の平和的なイメージとは大きく異なります。
靖国神社をどう考えるか、どう評価するかは、日本人の間でも政治的な立場や、国家観、歴史観によって、まちまちです。
(私は、国のために亡くなった人たちを尊敬し、大事に考えたいと思いますが、靖国神社に対してはやや醒めた見方をしています。身内に軍隊に行って死んだ人がたまたまいなかったからかもしれません。でも、肉親を軍隊に取られて失った多くの遺族にとっては靖国神社は心情的にとても大切なものとは知っておくべきでしょう。なお、靖国に参拝する遺族の方々こそ、戦争の悲惨を最も深く体験した人たちであり、靖国参拝が戦争賛美であるかのように見なすのはあまりに表面的過ぎると思います。)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
わかりやすく、理解できました。
首相が伊勢に行くのと靖国に行くのとでは大分意味合いがちがうようですね。

回答をしてくださいました御三方、どうもありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2005/01/06 19:23

神宮と神社は同じです。

病院と医院はさして変わりないですね。
規模や歴史が違うだけ。

古事記・日本書紀によれば、天皇の起源は神武天皇。
神武天皇が作った祭事場は、今の「伊勢神宮」の場所。
江戸時代まで「お伊勢参り」は日本の伝統、そして今も。
イスラム、キリストで言えば「メッカ」の地。

さて、国際戦争に初めて本格参戦した第2次大戦。
日本人が初めて経験する「国家のための世界戦争」。
兵隊は「靖国で会おう」を合い言葉に、戦場に散りました。
別に、神社(神道)の信仰心が厚かった訳でもないけど。
日本国民にとって「靖国神社」は聖地となりました。

はてさて、今の日本があるのは誰のおかげ?

森喜朗・前首相は「日本は神の国」と発言してやめちゃいました。
歴代首相は、靖国神社を参拝して一騒動。

世界で200もの国があるのに、今や日本は第2位の超大国。
「靖国で会おう」と集まった靖国から日本人を追い出せと?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
伊勢神宮がある種の象徴的な場所であることがわかりました。

お礼日時:2005/01/06 19:17

伊勢神宮は「内宮」と「外宮」の2つに分かれています。


内宮は「天照大御神」を祀っています。
外宮は「豊受大御神(衣食住の神)」を祀っています。

靖国神社は(第2次大戦で?)戦死した人が祀られています。
中国や韓国が首相の靖国神社参拝を非難しているのは、
A級戦犯も祀られてるからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
内宮と外宮で別の神を祀るのにはどういう意味があるのでしょうか。

お礼日時:2005/01/06 19:15

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Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
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「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

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いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
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Q「輩(やから)」ってどういう意味ですか?

テレビやラジオで関西の芸人さんが「ヤカラや」って言ってるのを聞いたことがあるのですが

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Q伊勢志摩で安くて料理もいいお宿を教えてください!

4月の21日までの平日にスペイン村に行く予定です。
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旅館でも民宿でも美味しくて、安価ならかまいません。
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Aベストアンサー

先々週ここに行ってきました。
相差のかめさんという旅館です。
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Q書類送検と逮捕の違い?

書類送検と逮捕とはどう違うのでしょうか?
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書類送検でも前科となるのですか。
どういう場合に書類送検となるのでしょうか?
どうも分かりません。

Aベストアンサー

既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。長いですので覚悟してください。

刑事手続きの大雑把な流れは、
捜査->起訴(公訴提起)->公判->判決->刑の執行
というところ。全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。

犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機関が知り、必要な証拠を集め、被疑者(=容疑者)の身柄の確保をしないとなりません。これを捜査と言います。
被疑者の身柄の確保というのは、「後で裁判になった時に被疑者の出廷が必要」なので逃げられては裁判ができなくて困るというのが第一点。それと「自由にさせておくと証拠を隠滅するかもしれない」というのが第二点。
ですから逆に言えば、「逃げも隠れもしない、証拠隠滅のおそれも無い」のであれば身柄を確保する必要はありません(一定の軽微な犯罪につき、更に例外あり)。入院しているような人間なら逮捕しないことはよくあります。この身柄の確保のための手続きが、「逮捕」であり「勾留(起訴前勾留)」です(起訴前と言っているのは起訴後というのがあるからですがここでは関係ないので説明しません)。
「逮捕」というのは、被疑者の身柄を確保する手続きの内、「短時間のもの」。具体的には、身柄を拘束し最大48時間拘束し続けることです。この制限時間が過ぎると釈放しなければなりません。
しかし、それでは困る場合には、引き続いて身柄を拘束することができます。これが「勾留」です。勾留は最大10日間身柄を拘束できます。なお、勾留は1回に限り最大10日間延長することができますから、都合20日間まで勾留できることになります(例外として25日可能な場合もあります)。

ところで勾留の申請ができるのは検察官だけです。ですから警察官が逮捕した場合には、検察官に勾留申請をしてもらうかどうか決めてもらう必要があります。そこで48時間の逮捕の制限時間内に検察官に証拠物、捜査書類と一緒に身柄を送致しなければなりません(刑事訴訟法203条1項)。これを「検察官送致、略して送検」と言います。無論、警察限りで釈放する場合は必要ありません。
検察官送致を受けると検察官は24時間以内に釈放するか勾留請求をするかしなければなりません。ですから、警察官が逮捕した場合の身柄拘束は48時間+24時間の最大72時間に及ぶ可能性があることになります。このような身体を拘束した被疑者を送検することを「身柄付送検」と言う場合があります。これはなぜかと言えば、質問にある「書類送検」と明確に区別するためです。ただ、一般には単に「送検」と言えば「身柄付送検」を意味します。

さて、では「書類送検」とはなんぞや?ということになりますが、まず前提として犯罪捜査は常に被疑者の身柄を拘束するわけではないということを知っておかなければなりません。全犯罪件数から見れば、身柄を拘束しない事件の方が多いです。身柄を拘束していない場合には、先に述べたように「(203条1項による)検察官送致」をする必要がありません。と言うか、身柄を拘束していないのでできません。たとえ逮捕した場合でも、警察限りで釈放すればやはり検察官送致の必要はありません。
しかし、それとは別に、警察は犯罪の捜査をしたら原則として必ず検察官にその捜査についての資料、証拠などを送らなければなりません(刑事訴訟法246条本文)。これを「書類送検」と呼んでいます。書類(証拠物、捜査資料、捜査報告書などなど)を検察官に送致するということです。正確には送致しているのは「事件」なのですが、実際に何を送るのかと言えば「書類」であるということです。
つまり、「(身柄付)送検」と「書類送検」は同じ送検でも別の条文に基づく別の手続きです。と言っても、(身柄付)送検をすればそのとき書類も一緒に送っているので、重ねて書類送検を行う必要はないので、(身柄付)送検は書類送検を実際には兼ねていますが(と言っても、身柄付送検をすれば書類送検をしなくていいのはあくまでも246条本文に「この法律に特別の定のある場合を除いては」と書いてあり、身柄付送検が「特別の定」だから)。

というわけで、「逮捕」と「送検」というのは次元の違う話であることがわかると思います。
まとめれば、
1.「逮捕」とは、捜査において被疑者の身柄を確保すること。
2.警察が「逮捕」した場合は、刑事訴訟法203条1項により、釈放しない限り48時間以内に被疑者の身柄を検察官に送致しなければならず、これを「(身柄付)送検」と呼ぶ。
3.「書類送検」とは、警察が捜査した事件について刑事訴訟法246条本文に基づきその証拠、捜査資料を検察官に送致すること。
4.「(身柄付)送検」は「書類送検」を兼ねている。
5.警察が「逮捕」した場合でも、釈放すれば「(身柄付)送検」はできないので、その場合は「書類送検」を行わねばならない。
ということです。

そして、「書類送検」するということは「身柄付送検」をしていないということですからつまりは「身柄を拘束していない」ということになります。身柄を拘束していない場合というのは大概は相対的に軽微な犯罪であることが多いのでその意味では、逮捕した事件(これを身柄事件と言う場合があります)に比べれば罪が軽いことが多いのは確かです。しかし、それはあくまで結果論であって、書類送検だから、逮捕したから、と言うわけではありません。既に述べたように逮捕しても身柄付送検せずに釈放すれば書類送検ということになりますし。

なお、先に述べたとおり、「捜査した事件はすべて検察官に送致する」のが原則(全件送致の原則)ですが、例外として検察官送致にしないものが幾つかあります。例えば、検察官が指定した事件について、月報でまとめて報告するだけの微罪処分ですとか、あるいは報告すらしない始末書処分などがあります。ちなみに、交通反則通告制度については、微罪処分の一種とする文献もあるにはありますが、多少なり疑問のあるところではあります。
そういうわけで、どういう場合に書類送検となるかと言えば、「刑事訴訟法246条前段に当たる場合」ということになります。もう少し具体的に言えば、「微罪処分等で済ませることのできない事件で、かつ、身柄付送検等もしなかった事件」ということになります。

ところで、前科というのが何かと言えば、これは法律用語ではないということになっているのですが、法律的に見れば「有罪の判決を受けたこと」を言うと思ってください。ですから、前科が付くためには、「裁判を経て有罪判決が出なければならない」ことになります。しかし、最初に述べたとおり「検察官送致」というのは単なる捜査手続きの一部でしかなく、この後で検察官が起訴するかどうかを決め、起訴して初めて裁判になるのですから、検察官送致だけではまだ前科は付きません。その後どうなるかはその後の話です。無論、逮捕だけでも前科は付きません。逮捕=有罪ではありません(そう勘違いしているとしか思えない報道が多いのは事実ですが、有罪判決が出ない限りは被疑者、被告人はあくまでも「無罪」です)。
ちなみに、捜査したが起訴しなかった犯罪事実について「前歴」と呼ぶことがあります。

既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。長いですので覚悟してください。

刑事手続きの大雑把な流れは、
捜査->起訴(公訴提起)->公判->判決->刑の執行
というところ。全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。

犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機...続きを読む

Qなぜ昔の天皇は伊勢神宮に参拝しなかったのですか

明治天皇が参拝するまで千年以上天皇家の伊勢参拝は無かったと聞きました

本当ですか?

そうならばなぜ皇祖神を祭る神社への参拝がなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

伊勢神宮の起源を知れば理解できます。
壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)が、吉野から逃れ
伊勢に入った時、国司初め多くの国人の助けを受け、
これが勝利の元になった。
のちの柿本人麿呂の歌の中に

行く鳥の  争うはしに  渡会の斎宮ゆ
神風に  伊吹きまどはし

伊勢の神風で大海人皇子の勝利が決まったとの意。
天武天皇はお礼に国人の信仰厚い渡会(今の三重県
明和辺り)の狭く簡素な斎宮を、五十鈴川のほとりに
立派な社殿を建立し移すこととした。

生存中は完成せず、持統四年に完成し、伊勢皇大神宮
の第一回遷宮を行った。

天武天皇の私的皇祖祭祀場と見られたようです。

持統六年の伊勢神宮御親拝にあたり、強い反対が
あった。
それ以降明治まで約千年間天皇の伊勢御親拝は
行われなかった。

道鏡の事件で、御神託を仰いだのは、宇佐神宮、
後白河法皇は33回も熊野神社詣を行ったのに、
伊勢詣はない。

もうひとつ「逆説の日本史」の井沢元彦氏の説。
天武天皇の血統は称徳天皇で途切れ、光仁天皇から
まえの天智天皇の血統に戻り、それが続いたためでは
ないかと。
天武系の他の天皇の時代にも伊勢行幸はなかったので
これは関係は薄いようです。

それなのになぜ伊勢神宮は庶民に人気がある。
一つは天武天皇が、律令制度とともに定めた20年
式年遷宮が庶民の注意を惹くから。
庶民は大行事が好き。   戦乱で遷宮が中断された
時代は庶民の関心はありませんでした。
清流五十鈴川の畔で環境が素晴らしい神社だから。 
天武天皇の鑑識眼の高さです。

建立は勇み足かも知れませんが、お蔭で江戸時代j以降
民衆の楽みになりました。

伊勢神宮の起源を知れば理解できます。
壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)が、吉野から逃れ
伊勢に入った時、国司初め多くの国人の助けを受け、
これが勝利の元になった。
のちの柿本人麿呂の歌の中に

行く鳥の  争うはしに  渡会の斎宮ゆ
神風に  伊吹きまどはし

伊勢の神風で大海人皇子の勝利が決まったとの意。
天武天皇はお礼に国人の信仰厚い渡会(今の三重県
明和辺り)の狭く簡素な斎宮を、五十鈴川のほとりに
立派な社殿を建立し移すこととした。

生存中は完成せず、持統四年に完成し、伊勢皇大...続きを読む

Q[あわび]と[とこぶし]の違いを教えて!

これまで、[とこぶし]というのは[あわび]の小さいものの総称とばかり思っていました。どなたか両者の明確な違いを教えてください。
併せて、何処産のものが美味しいのかも知りたいです。

Aベストアンサー

一番判りやすいのは[とこぶし]と[あわび]の殻の穴の数を比較すると[とこぶし]は9個前後、[あわび]は7個位で[とこぶし]が多い。

両方とも殻の色は茶褐色で、赤褐色の不規則な斑紋があって内側は真珠のような光沢があり、大きさの違いが特徴です。

[あわび]は北海道南部から九州までの水が澄んだ潮通しのよい海域に生息し・・・旬は晩春から夏にかけてです。

[とこぶし]は北海道南部から九州までの各地に分布し,外海の岩礁に生息し・・・夏が旬です。

[とこぶし]も[あわび]も3~4月頃、内臓に毒性がみられますが一般に夏に解禁時期を迎えています。


[とこぶし]の美味しい所は、東京近辺では伊豆下田、火山被害で心配な「三宅島」が有名です。

[あわび]の美味しい所は、エサの海藻が美味しければ[あわび]も旨く北海道北部の昆布産地の[蝦夷あわび]は最高だと思います。

その他の有名産地では、青森県大間産、岩手県吉浜産は、乾燥アワビでは[鮑魚:パオユイ]といい、香港辺りでは最高級食材で

一個当たり、2万円~25万円(直近)で取り引きされ贅沢な饗宴に供せられます・・・

    http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=205095・・・#2参照。
    http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=285644・・・#3参照。
    http://www.the-kaiya.com/products/index.html・・・こんな鮑もあります。


*中華料理では[鮑魚]とかいてある場合、特にアワビとトコブシを区別しないようです。

*[あわび]の大きいものは、殻の長さが約15~25cmにもなり[くろあわび][まだかあわび][めかいあわび]などがあります。

一番判りやすいのは[とこぶし]と[あわび]の殻の穴の数を比較すると[とこぶし]は9個前後、[あわび]は7個位で[とこぶし]が多い。

両方とも殻の色は茶褐色で、赤褐色の不規則な斑紋があって内側は真珠のような光沢があり、大きさの違いが特徴です。

[あわび]は北海道南部から九州までの水が澄んだ潮通しのよい海域に生息し・・・旬は晩春から夏にかけてです。

[とこぶし]は北海道南部から九州までの各地に分布し,外海の岩礁に生息し・・・夏が旬です。

[とこぶし]も[あわび]も3~4月頃、内臓に毒性...続きを読む

Q膵臓が悪い時の食事の注意する事

80歳の義父が、膵臓の血液のデーターが悪いので、食事に気をつけるよう、病院で言われました。いろいろ調べたのですが、膵臓が悪い=糖尿病とほとんどなっており、膵臓が悪いといつかは糖尿病へと移行するのでしょうか。
義父は、もともとは腎臓が悪く、7年前から副腎質ホルモン剤を服用しており、たぶん薬剤による副作用で、心臓、肝臓も悪いです。
膵臓の悪いときの食事は、やはり糖尿病のような食事療法をすればいいのでしょうか。どのように気をつければいいのでしょうか。
また、そのようなレシピのサイトがありましたら、教えて下さい。

Aベストアンサー

膵臓が悪い=慢性膵炎と仮定してお話しします。
慢性膵炎の場合の食事療法の基本は「禁酒」と「低脂肪食」です。
膵臓は消化酵素を作るところでもありますから、高脂肪食を食べていると
消化酵素がたくさんでてその結果膵臓自体を消化してしまい、膵炎を悪化させてしまうことがあります。
食事については下記URLが参考になると思います。

さて話は変わりますが、義理のお父さんは本当に膵臓が悪いのでしょうか?
この病院の先生がいわれたのは、膵臓が悪い=血液検査で「アミラーゼ」の数値が高いということだろうと思います。
実はアミラーゼは腎臓が悪くなるとクリアランス(要するに腎臓から体外への排出)が低下して、膵臓が悪くないのに高い数字となる場合があります。
また、アミラーゼは膵臓から作られるアミラーゼと、唾液腺から作られるアミラーゼがありますが、唾液腺アミラーゼが高いだけで膵臓は正常な場合があります。

以上より、お義父さんが本当に膵臓が悪いかどうかは腎機能の程度と、上昇しているアミラーゼの種類(膵臓または唾液腺)および画像診断や症状などを総合的に判断する必要があると考えます。一度病院の先生に聞いてみてください。

参考URL:http://www3.ocn.ne.jp/~eiyou-km/newpage11.htm

膵臓が悪い=慢性膵炎と仮定してお話しします。
慢性膵炎の場合の食事療法の基本は「禁酒」と「低脂肪食」です。
膵臓は消化酵素を作るところでもありますから、高脂肪食を食べていると
消化酵素がたくさんでてその結果膵臓自体を消化してしまい、膵炎を悪化させてしまうことがあります。
食事については下記URLが参考になると思います。

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Q東京で赤福が売っている店は?

三重の伊勢名物・赤福を売っている店はどこにあるかご存知でしたら教えて頂けないでしょうか?

Aベストアンサー

東京駅には全国の駅弁・お土産が売っているそうで、多分赤福もあるとおもいます。
東京駅八重洲地下街、もしくは駅構内に売ってると思います。

Q自然(完全)流産の経験者の方へ質問です。

11ヶ月の不妊治療(注射と薬併用)を経験後
妊娠にいたりましたが、昨日10週で
心音が確認出来ず流産となりました。

病院の先生から、不妊治療もしていたし
子宮への影響も考えて、自然流産を待ちましょう。
この出血具合からすれば今週中にはとのことでした。
17日に診断してもらい完全流産に至らなければ
手術を考えましょうと言われました。
GW前に診察した時には元気な心音も聞こえ
いつも寝ていることの方が多い赤ちゃんなのに
動き回っていて珍しいねぇと褒めて頂いたのが
嘘のようです。

過去の質問を検索してみても
なかなか自然流産の回答が少なく
質問を立てさせて頂きました。

流産確定後、どのくらいの期間で完全流産されましたか?痛みや出血がひどいとネットで調べると書いてありますが、そんなにひどかったですか?
お気づきの点があればアドバイス頂きたく存じます。
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

私の場合昨年の8/8に10wにはいる少し前に
7週の大きさで心音が確認できず繋留流産の診断がくだされ、8/20に自然流産しました。

初めは前日ぐらいから腰がだるくなってきて、
当日は朝から生理痛のような痛みが不定期に。
近くを散歩したりしながら過ごしていました。
私もネットで調べて出血がひどくなる人や痛みの事を知り不安に思ったりしていましたが、
実際は出血する事はなく3時頃無事に完全流産になりました。

痛み止めを飲むと出血した時に止まりにくくなるという話を担当医から聞いていたので飲みませんでした。
痛みの感覚が少しづつ狭まり2分間隔ぐらいになると
冷や汗が出てきたり、足が震えたり生理痛とお腹を下した時を合わせたぐらいの痛さでしたが、流産後はやはり不思議と痛さは収まります。

今はとてもお辛いでしょうが、私は自然流産を希望してよかったと思えています。


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