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行く環境整備としては、やはりA級戦犯を靖国から出す以外ありませんか?

A 回答 (7件)

私は、何故、現在の日本人がそんなに靖国神社、靖国と安国のように唱えるのか理解できない。



 昭和天皇は政治に負け、庶民/農民を裏切ってしまった、その、自己嫌悪を行動で表していた。

 ことのほか生産者を重視し、その中でも、農民/庶民によって国は成り立っている事を痛感されており、天皇自身も田植え、稲刈りと生産者としての心を忘れまいとしていたものですね。

  第二次大戦の必要性を解いたならば、決して正当若しくは聖戦とはいえないものがあります。

 戦犯の28名が、欧米諸国から村八分を受け、頭にきて決起を庶民/農民に促し、多くの玉砕者をうんだのみで、結果は悲惨に終わった。

 東條英機などは無能に近い、怒りに任せた采配であり、理論に基づく論理もまったくされていない状態であった。
  中国の南京での軍隊の行為は、物資調達と云うよりか、遊びの感覚が多かったようにも取れるものである。
 シンガポールも攻略し、昭和島と名前を変えたが、継続する要などまったく考えていなかったものがあり、即刻変換する嵌めに陥るのみで、その後も多くの玉砕を強いられた庶民/農民の兵隊ばかりであったのでしょう。

 戦犯の28名を認める国民性が私には理解できない。

 彼等のすべてが自決する事無く、生き残った。
 敗戦後、この戦犯達のほとんどが震え佩びえ気が狂ったものまでいる始末。
 各地方でも、庶民/農民を強制的に召集した豪傑とも思える、国家公務員のすべてがGHQから逃げ惑い、大和民族を語れるような勇者など数人にしか視られなかったものである。

 多くの玉砕に向けた管理をする人間は、この人達をまるで将棋の駒が打つ手が無いように振り回して、裁判で生き残ったものがいるのだ、私に言わせればもってのほか。

 天皇は、庶民/農民の心を汲んで靖国神社への参拝をしなかったものです。

 何が英霊であるか、
  英霊は、庶民/農民が肉弾となって散って行った者を云う。

 28名を合祀から降ろすも降ろさないの議論の前に、国民の考え方が理解できない。

 英霊とは何か?

東京裁判で裁かれた者たち、合計28名

荒木貞夫,板垣征四郎,梅津美治郎,大川周明,大島浩,岡敬純,賀屋興宣,木戸幸一,木村兵太郎
小磯國昭,佐藤賢了,重光葵,嶋田繁太郎,白鳥敏夫,鈴木貞一,東郷茂徳,東條英機,土肥原賢二
,永野修身,橋本欣五郎,畑俊六,平沼騏一郎,広田弘毅,星野直樹,松井石根,松岡洋右,南次郎
武藤章

 
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/09/02 00:03

A級戦犯を始めとして,東京裁判で有罪判決を受けた人の名誉が回復されているかは議論の分かれるところですね。


判決直後は,国内的にも戦犯者は他の犯罪者と同じ扱いでした。
ところが,1951年(昭和26年)から『戦犯在所者の釈放等に関する決議』などにより事実上の名誉回復が成されました。
それを示すように,A級戦犯の判決を受けた重光葵は,外務大臣などの要職に就きました。
ところが,日本政府は公式に「A級戦犯の名誉を回復する」とは宣言していません。
あくまでも,「事実上の名誉回復」です。
さらに,国際的には東京裁判の判決を無効とするものや,「A級戦犯の名誉回復」等は行われておりません。
なので,重光のような後に活躍した者も国際的には「前科者」であり,名誉は回復していないという主張もあります。

この辺りのズレが,話をややこしくしているような気がします。
国内的にはA級戦犯の名誉は回復されたけど,国際的には戦争犯罪者は戦争犯罪者であるとの認識でしょう。

本題の天皇参拝問題ですが,「A級戦犯合祀がきっかけ」という説はあります。
昭和天皇は1945年・1952年・1954年・1957年・1959年・1965年・1969年・1975年に参拝をされました。
そして、1978年(昭和53年)10月17日に「昭和殉難者」として東条英機らA級戦犯が合祀されました。
これについて,昭和天皇が直接語った史料は残されていません。
ところが,最近宮内庁長官であった富田朝彦による『富田メモ』が話題に登りました。

『富田メモ』が出た直後は,偽物説やら別の人の発言を記したものだなどと陰謀論的な発言が相次ぎました。
ところが故徳川義寛侍従長の『侍従長の遺言 昭和天皇との五十年』,侍従の卜部亮吾による『卜部亮吾侍従日記』にも『富田メモ』と符号する記述があるため,一次史料として重要な意味を持ってきています。(あくまでも,実証歴史学ではですが)
日本近代史を中心に研究されている秦郁彦氏は,この『富田メモ』が報道に出る前に読んだそうです。
それを見て,重要な史料となるとともに「天皇不参拝の一因がA級戦犯の合祀にあった」のだと納得したそうです。

まぁ,今のところA級戦犯合祀について昭和天皇がどう思っていたかは,「不快感を示した」側に近いといえるでしょうか。
とはいえ,それが直接不参拝に繋がったかはまた別問題です。
不参拝については,他にも三木武夫が首相の時に靖国参拝をした後,「総理としてではなく、個人として参拝した」と述べ,それが国会で問題となり,政治問題化したためとの説も根強いです。
私個人としては,それらの複合要因ではと邪推してます。

A級戦犯分祀だけで今後の今上天皇の参拝が実現するかは,正直難しいでしょうね。
既に靖国神社は中国・韓国のネガティブキャンペーンの象徴になっています。
つまりは,国際政治化問題となりやすい施設ですので,天皇家の政治不介入の原則が崩れかねません。
また戦後に天皇が現人神ではなく人間となってから,明治時代に整備された国家神道は多くの矛盾を抱え込んでいます。
国家神道と教派神道との関係とか,国民の象徴たる天皇が一宗教だけ優遇していいのかとか・・・。
まぁ,色々と不都合が多すぎて,A級戦犯分祀だけではなかなか難しいでしょうね。
というか、そもそも教義上分祀が可能かどうかさえ定まった説はありませんからね。

長文乱文失礼しました。
参考になれば幸いです

P.S. 直接関係ありませんが,昭和天皇は東条英機に好感を持っていたそうです。歴史の皮肉でしょうか。
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>行く環境整備としては、やはりA級戦犯を靖国から出す以外ありませんか?



環境整備としては、アメリカ合衆国による米韓併合があります。

韓国人・朝鮮人は日本に併合されていた時代が一番発展し、一番幸せでしたが、韓国人や朝鮮人を支配したいと考える韓国人支配層によって史実は捻じ曲げられ、いまや日本が半島を面倒見てあげる環境がなくなりました。

韓国人を支配したい韓国人は、アメリカ合衆国に対しては、領土侵犯もしていないし、職業売春婦への賠償請求も、いまのところ始まっていないですから、アメリカ合衆国に米韓併合を請願するのが良いでしょう。

問題は、アメリカ合衆国がかつての日本の様に気前よく、投資したり、名前を変える選択肢を与えてくれるかどうかですね!
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ANo.6の回答者さんを全面的に支持します



いわゆる東京裁判でA、B、C級戦犯とされた方々の名誉は昭和31年~33年にかけて全て赦免されて回復されてます。

これは当時の国会で全会一致で決められた事であり、サンフランシスコ講和条約に添っての国際法においても戦勝各国によって認められた事。

法治国家の日本国において 国内法、国際法で認められた事に対して 今も異を唱える日本人が居る事に不思議な思いがする。

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回答:陛下の親拝中止は彼等の合祀が原因ではないので、違います。



この類の質問では、「A級戦犯」の呼称にこだわる方がいるようですが、
靖国に合祀された時には彼らは既に赦免されており、正式に名誉を回復されています。(詳細は後述)

また、現在彼らをその呼称を使うことは、彼等に対する侮辱となるので、控えていただきたいと思います。
(同時に自分の無知を晒してもいますし)
現在、日本政府は彼らを「法務死者」(靖国神社では「昭和殉難者」と呼称しています)

天皇の親拝中止の理由を元戦犯の合祀ではなく、↓のように日本国内の反日団体が騒いで中国を煽ったのが原因です。

1:1975年、昭和天皇がいつも通り靖国神社を親拝されます。
2:社会党がこれを問題化し、それが原因で天皇陛下は靖国親拝ができなくなりました。
(元A級戦犯の合祀は1978年です)
3:昭和60年、中国が首相の公式参拝を抗議。→仲曽根首相は参拝を止めました。
(当時の国民は参拝に反対していませんでした)

これ以降、マスコミが靖国参拝を騒ぐようになり、首相交代や夏になると靖国の事を質問するようになりました。
これらの騒ぎに拠って、中韓に靖国は強請りのネタになると思われてしまいました。

これに対して、陛下は毎年親拝していないから、親拝中止の時期がズレても問題ないというという意見もあります。
しかし、これは状況証拠による推測に過ぎません。
この場合、親拝中止の理由は戦犯の合祀であると主張する方がそれを証明する義務があります。
これを。【告発側の立証責任】といって、議論や裁判の世界では常識以前の事です。


この件では、いわゆる富田メモの問題がありますが、以下の疑問点が指摘されています。

4:問題の部分は手帳ではなく、手帳に張られた紙に書いてあった。(→書いた時間、人物が不明)
5:日経新聞は宮内庁・皇室が了解済みして発表。(宮内庁は了解を否定しています)
6:メモの記述に疑問。(陛下の場合は「親拝」であり「参拝」という言葉は使わない)
7:松岡は病死であり、軍人ではなく戦死者や公務死でもない。
  →A級以前に合祀の条件を満たしていないという指摘ではないか?

また、富田メモ研究委員会のメンバーは、発表元である日経が集めたものなので信用性に欠ける上に、一組織の見解にすぎず、公的・多数の結論とするには無理があります。


そもそも、前述のように合祀時には元A級戦犯は、↓の経緯で国際的にも国内的にも赦免されています。

1951年の平和条約により、日本は主権を取り戻します。
通常の平和条約では、締結の時点で、占領国が行った立法・司法(裁判)は無効となり、それらの失効も継続もその国の自由です。
ところが、この平和条約は日本に東京裁判を受け入れることを要求しています。
これは、いわゆる戦犯の名誉を公的には回復できないことで、講和後の主権国家の内政に干渉しており、異常な内容です。

しかし同時に、条約では裁判参加11ヶ国の過半数が同意すれば、彼等の赦免・減刑ができることにもなっていました。
その後の1958年、その11ヶ国から、戦犯者の刑の残りを免除する通知が出ています。

国内的にも、服役中の死亡は「公務死」、逮捕者は「抑留又は逮捕された者」とし、恩給や社会的な権利も復活させています。
この時点で、いわゆる戦犯は存在しなくなっています。


国名も出さずに世界が合祀に反対しているという主張もありますが、それを叫んでいるのはあの3国しか知りません。
しかし、それらの国々は平和条約に調印していないのでこの件で何を言う権利もありません。
彼等の靖国批判は反日による国内の不満を逸らすことが目的です。
とどのつまり、自分の都合による言い掛かりでしかありません。

未だに自力で統一もできず分裂中のかの国々については、戦時中は併合により日本だったのと、その為に連合国は戦勝国とは認めていません。
更に、条約によりそれ以前の問題は解決済みという合意ができているので、何を言う権利もありません。

その国の元宗主国については、以前、旧社会党が訪中した際に、
「日本は戦争により中国に多大な迷惑をおかけしました」と謝ったことがありました。
これに対して、その国の国家主席は「なにも謝ることはない。日本軍は我々に大きな利益をもたらした。日本軍のおかげで我々はこの国を手に入れることができた」
と応えています。



いわゆる元A級戦犯の罪状についてですが、彼らは冤罪による被害者であり、本当に犯罪を犯したわけではありません。
彼らを裁いた東京裁判は↓のように、戦勝国の都合による裁判とはいえない私刑でしかありません。

1:判事は、国際法より連合国の意向に沿う判決を要求されていました。
(「法」以外の何かの「意向」が優先されている時点で裁判ではありません)
2:元A級戦犯の罪状である「平和に対する罪」が戦時中には存在しない「事後法」を適用している。
3:判事や裁判官に戦勝国側の者しかいない(裁判の公平性が保たれていない)
4:判事に国際法の専門家は、インドのパール判事しかいない。(パール判事は、日本の無罪を主張)
5:実際の審理も、連合国に有利な証拠は審理が甘く、敗戦国側からの証拠や弁護は認められなかったり却下されている。(これは、判決後、裁判に関わった者も指摘しています。)
6:戦争を個人の罪として裁いている。

6ですが、国際法上は、戦争は国家の行為であり、戦争指導者であっても個人に責任はないと言うのが常識です。
これは東京裁判で日本の弁護を担当したアメリカ人も指摘し、裁判自体の無効を主張しましたが却下されています。(動画も参照)

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そうは思いません、A級戦犯と言われる人達も日本国の為に働きました


勝った国が勝手に戦争犯罪人と決め付けた人達と、そのほかの人と
何の違いも無いと思います
天皇の国事行為として参拝するなら内閣の助言と承認があれば可能と思います
ただ、現実の問題として 現在の閣僚が参拝するのも異義をとなえる人達が居るのですから
暫くの間は、天皇の靖国参拝は無いでしょう
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/09/02 00:02

専用の車で行けるから環境整備までしなくてもいいとおもいます。

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