AKB48の推しメンをセンターにできちゃうかもしれない!? >>

私の父は75歳、会社の社長をしておりました。
私は父の一人息子です。母は離婚して今は別居中です。私も独身でしたがわけあって別居しておりました。
大変元気で、死の一週間前に会食したのが最後でしたがステーキを一緒に食べていました。3日前には電話もしております。もちろん変わった様子はありませんでした。
警察から私の職場に電話があり、父が亡くなっているのを管理人が発見したと聞いたときは目の前が真っ暗になりました・・・。風呂上りに急性心不全で亡くなったのではとの監察医の言葉が虚ろに聞こえました。
独居老人の孤独死はニュースでは聞きますが、まさか私がその当事者になるとは思ってもみませんでした。
監察医の話では「この年齢の急性心不全は、たとえだれかがそばにいてすぐ救急搬送してもほとんど助からない」と言ってくれましたが、父を一人で死なせてしまった罪の意識から抜け出せません。どのように気持ちを整理したらよいのでしょうか・・・

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A 回答 (9件)

なんと優しい方なのでしょう。



私もこれまで身近な人を何人も亡くしてきました。一番最近では、昨年、養父を亡くしました。

養父は何度か入退院を繰り返した後、自宅療養中でした。私たちは自営業で同居で暮らしていましたが、その日は物凄く忙しい日でした。少し、手が空いたので養母が様子を見に行ったときには既に呼吸心拍ともに止まっていました。最初、養母はその数時間前に、往診で点滴を打って貰ったので、よく寝ていると思ったようです。(肺に水が溜まっての呼吸困難による心不全だと思います。)

で、慌てて人工呼吸をしつつ、救急隊に来ていただきまして、直ぐに病院に搬送され息を吹き返しましたが、2週間に亡くなりました。結局、意識は戻りませんでした。そんな訳で、私も、同居していても、養父は独りで亡くなったのだと思っております。

そして別の意味での罪の意識ってのは有ります。何故なら、逆に救急車を呼ばないでおこうか?とまで一瞬思いましたもの。下手に助かって後遺症で苦しんでいる方も居りますから。

でも、結局はその人の寿命なんだと思います。

少しくらい罪の意識は有っても良いのではないのでしょうか?そして、それを元に故人を偲べば、それも供養の一つなんだと僕は思っています。
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私の父も2ヶ月前に「1人」で亡くなりました。


ご質問者様のお父様とほとんど状況が似てます。
(父の場合は寝てる間(朝方)に・・・)

私も、わけあって一緒に暮らすことが出来ませんでした。

私の場合は前日に一緒に食事をしたんです。
それでも同じように「一人で死なせてしまった」、「なんで一緒にいてあげられなかったんだろう」と、「一緒にいればもしかしたら・・・」とかすごく自分を責めました。

私は母も病気で亡くしていますが(6年前程)、今でもその時の罪の意識みたいなのは蘇ってきます。もっと早く病気に気が付いていれば助かったんじゃないか・・・って。
大事な肉親を亡くせば、どんな状況でもそうなんですよ。

>>>>罪の意識から抜け出せません。どのように気持ちを整理したらよいのでしょうか・・・

無理に今罪の意識から抜け出さなくてもいいと思います。
だって無理ですから。
私はそう感じた時は、仏壇に手を合わせたり、お墓参りにいったり。楽しかった頃を思い出してアルバムをめくったりします。
それから。
お墓参りなどで手を合わせてる時は必ず「ありがとう」って感謝の気持ちを込めます。
その方が両親が喜ぶような気がして。
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この回答へのお礼

この場をお借りして、皆さんにまとめてお返事をする身勝手をお許しください。
今にして思えば、あれほどきれい好きだった父の部屋が、死後入ってみるとけっこう荒れていたのは、そういうところに気を回せなくなるほど弱っていたからだったかも知れません。社長をしていたと言いましたが、後から聞くと決して順調だったわけではなかったようです。

一見元気そうに見えたのは、心配をかけまいとする親心からだったのではと思うと、決して弱音を吐かなかった誇り高き父の生き様を垣間見るような気がして、やっぱり親父ってすごいなと思ってしまいます。

最期を看取ってあげられなかったのは悔いが残りますが、やはり天命だったのでしょう。はからずも納骨までしばしの同居をしている親父と、思い出話でもして静かに送ってあげたいと思います。

心温まるアドバイス、本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/08/31 00:56

 お気の毒に・・・。

言葉もありません。

 罪の意識を感じているとのことですが、そのように感じることで、天国のお父様もきっと、「息子にいらぬ心配をかけてしまった」と心配していることでしょう。天国のお父様に心配をかけないためにも、はやく立ち直ってくださいね。それが今のあなたにできる最大のお父様孝行かと思います。
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どのような状況でも親の死に立ち会えなかったことは誰もが傷つき、罪の意識を感じるのだと思います。

本当におつらいですね。

お父様は社会的に成功している方ですよね。そのような立場の方が独りで亡くなったのは確かに孤独であったかもしれません。監察医の方の話では、急性心不全は救急搬送してもほとんど助からないとのことですが、せめてお父様が亡くなるときに立ち会えていたらpapaXさんの罪の意識も緩和されていたかもしれませんね。

死の一週間前に会食し、3日前には電話もしていらっしゃるのは、お父様にとって楽しいひと時であったと思います。あの世に逝かれる前にpapaXさんと楽しいひと時を過ごせた事はきっと嬉しかったと思います。

お父様のご冥福をお祈りしています。
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  突然の別れでは心残りは沢山ありますよね。



  当方は結婚8ヵ月後に実父を交通事故で、義父を4年後に亡くしました。実父は一人で旅行に言った先での事故で家族の誰一人、末期に間に合いませんでした。義父は一年に一度会えるかどうかの遠距離に居た為、医師による家族の集合連絡を貰ったものの、事情により訃報より5日も過ぎてからの対面になりました。

  実父は60の還暦を迎え、今まで胸に抱いて来た夢を実現させるんだと卒業までクラスメートで居られなかった負い目から始めて参加した同窓会で意気揚々と語った数ヵ月後でした。車同士の接触から2時間後、家族の居ない旅先の病院で死亡宣告を受けました。出掛ける時は「行って来る」と言って出て行ったのに、白い箱に入って帰って来たのです。悔やみました。1300ccクラスの車で出た為に側面からの接触で父の車の運転席のドアは衝撃で全部剥がれました。当時、当方が乗っていた車がスカイラインだったので「もし父に自分の車を貸していたら一命は取り留められただろうに…」 反目する事が多かった御親子でしたが、喪ってから父親の存在を、重さをヒシヒシを感じました。近くでの事故であったら駆け付けられたかも知れない、それを思わずして過ごせた日など殆ど有りませんでした。悔しかったです。悲しかったです。空ろになりました。食事もどうでも良くなりました。そして時間も経ちました。現在、他界して10年が経ちます。未だに困難にぶつかると「我が父だったら何て言うんだろう? 親父が生きていてくれたら、助言を貰えたんだろう…」 当方もそこそこの年にはなりましたが、やはり父の懐が恋しくなります。父に会った最後は事故の一週間前、「じゃあね」が当方からの最後の言葉… 

  義父の別れ際には地理的な問題から、集合の連絡が入っても動けませんでした。病室に駆け付けた我が相方の兄弟たちは義父の枕元で「(相方が)来てるよ」と方便をしてくれたそうです。最初の電話連絡から数時間後、「安らかだったよ」と連絡が入りました。見る見る形相が崩れていく我が相方の顔。一人にして欲しいと部屋に篭り、ドアの向こうから聞こえてきたのは悲しみの雄叫びでした。二人とも悲しみに疲れ果てて眠った翌日、我が相方に言ったのは「これだけ子供が悲しめるのは、それだけお父さんとの交流が深かったからだよ。自分たちも最期に子供が大泣き出来る程に深い関わらなくてはお父さんに申し訳ないよね。」そして再び二人で泣きました。  現在 当方夫婦の両親は皆揃って石の下に居ます。

  60歳の誕生日を迎えて数ヶ月でこの世を去った我が父から見たら、質問者さんのお父様は長生きされ、それだけ長く交流のチャンスがあった事は正直な所、(言い方は悪いかも知れませんが)羨ましいです。人の始まりは予兆があるから判ります。人の終わりに予告は無かったりします。喪って胸に残るのは後悔の念が多いのは普通です。気持ちの整理なんか付きません。何をしても心に出来た穴はふさがりません。振り返って涙を流す時間が多くあっても仕方ないです。泣いて下さい。自分が無くなるほどに、子供に帰って思い出に浸って泣いて下さい。質問者さんがどれだけ悲しみに打ちひしがれて、自責の念に囚われていても日は昇ります。そして日は暮れます。取りあえず、今日一日を生き抜いて下さい。そしたらその翌日も、その翌日も生き抜いて下さい。心の汗を流したら、チョッピリだけ前を見てください。

  思い出すとやっぱり胸が痛み、今だ感傷に浸ってしまうので上手に伝えられません。何の慰みにもならないのでしょうが…
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えーと、シチュエーションとか違いますが、


何か感じるものがあるかも…。

http://www.chironoworks.com/yuell/html/4-1.html
(フラッシュ「母さんが死んだ」   注:音が出ます)

多分、どんな逝かれ方をしても、
気持ちを整理するには時間が必要かと思います。
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1週間前に食事を共にし、3日前電話で話されて


お父様は独居老人の孤独死だったのでしょうか?

幾ら毎日病院に付き添っていたとしても
死は突然で
結局、寂しいけれど死ぬ時は一人なんだと思います。

何で家を出たか分かりませんが
子供が親から自立して生活をしていくのは当然の事ですし
どんな状態にあっても死は必ず訪れる事で病死や老衰は誰かのせいではないと思います。
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ご愁傷様です。


心不全としかわからないのですか。。。
心臓に関して病院にかかっていたというなら
悔いも残るでしょうが 突然の不幸ですので
同居していたとしても 時間帯によって気がつかないうち
例えば夜中とか仕事に出たあとなど どうしようもない
こともある と割り切るしかないでしょうね

不遜な言い方かもしれませんが 寿命だったんです
お父様の。
その時は苦しかったでしょうが 物は考えようです
私の母は癌で昨年末亡くなりました
日に日に弱って行くのを見るのは辛かったですし
ある日突然目は開いてるのですが 一点を見つめる
ようになり息子の私がきてるのもわからなくなり
次の日の未明に亡くなりました
人の死はあっけないものです。

長期間苦しまなかっただけでも よかったでしょう
あとは 事情があり別居という部分の
事情の部分だけでしょう 親孝行したい時には親はなし
と言います。 こればかりは墓前で謝ってください
きっと許してくれると思いますよ。親なんですから
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父に恥じぬように生きていけばそれでいいじゃないですか!

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Q母の死後、後悔や無念で育児が手につきません。

母の死後、後悔や無念で育児が手につきません。

その日まで元気だった母(60後半)が突然、心筋梗塞か脳血栓で他界し
10日ほどが経ちました。通夜と葬儀に比べたら落ち着いたものの、
普段の生活に帰ったら、その中に母がいた風景を思い出し、クヨクヨしています。
もう変わらない事実だって事、仕方がない事、全てわかってはいるのですが。

私は遠方に嫁に行ていて主人と子供二人と暮らしています。
はじめは優しかった主人も、1歳の下は特に手がかかる時期なのに、
あまりにも私がクヨクヨして子供たちの相手を放棄しているので少々あきれ気味です。

特に何が無念かと言いますと、

一つは、母の病気の事をもっと真剣に知ろうとすればよかった、
心配をしてあげて、私が大きい病院を変えるとか入院をするとか何か真剣に対策をとっていれば、
10日前のあの日ではなかったかもしれない、
という死なせずに出来たのではないかという後悔。
不整脈の病気があるのに、何年も元気に通院していたので、一人暮らしのまま、
母にすべてを任せていた。特にここ数ヶ月は愚痴を聞いてあげる優しさがなく、
弱音を吐く母に、頑張ってって、私も大変なんだからって、叱咤ばかりしていたこと。

もうひとつは、死ぬ前にもっとしたあげたかったことが、毎回伸ばし伸ばしにして、
出来ずに終わってしまった。本当に元気だったので、まさかこんなに早くこの日が
くるとは思わずに、自分の生活と自分の家族と過ごす事を優先にしてしまっていた。
旅行の約束も何年も伸ばしてしまった、やっとあと2ヶ月後に実現するはずだったのに。
育児と仕事に追われ、休みの日も掃除などの家事に追われ、母と妻と仕事人の自分を懸命に
生きるあまり、高速で3時間かければ行けるところに住む一人暮らしの母の娘であることを
おろそかにしていた。
特に最近は、愚痴が多いのが嫌で少し距離を置いてしまったいた。優しくなかった。
もっと孫を連れて顔を出せばよかった、メールや電話ももっとすればよかった。
優しい言葉をかければよかった。全てこうなってから気づく事。

すみません。まとまりのない感情になってしまいました。
母のためにも乗り越えて、愛していた孫たちのお世話をするのが供養だということは
わかっています。でも子供たちの顔を見ると、こんなこと出来るようになったとか、
今こんなことしてるんだ、とか母に話したい、相談したい、こぼしたい、
写真を添付したい、見てもらいたいといった気持ちにかられて、辛くなってしまいます。
特に下の1歳に方はぐずられるとイライラして、「今あんたがこんなに大変だから、
私はばあちゃんを心配する余裕がなかったんだからね!」みたいに
チビのせいにしてしまう気持ちがあります。母として最低ですよね。
主人がいるときは主人に甘えています。
本当は育児も家事も仕事もなにもせず、布団とパソコンにいたい気分です。

何かスピリチュアルとかカウンセリングに行ったほうがいいですか?気持ちは解決しますか?
ああいうのは偽りで、お金を取られるだけでしょうか?
母と話がしたい、謝りたい、許しを請いたい、、、戻ってきて欲しい。
それは無理だとわかっていますが。私の症状にスピリチュアルなどは有効でしょうか?
どうすれば、、、無念を乗り越え、現実の生活を頑張れますか?

母の死後、後悔や無念で育児が手につきません。

その日まで元気だった母(60後半)が突然、心筋梗塞か脳血栓で他界し
10日ほどが経ちました。通夜と葬儀に比べたら落ち着いたものの、
普段の生活に帰ったら、その中に母がいた風景を思い出し、クヨクヨしています。
もう変わらない事実だって事、仕方がない事、全てわかってはいるのですが。

私は遠方に嫁に行ていて主人と子供二人と暮らしています。
はじめは優しかった主人も、1歳の下は特に手がかかる時期なのに、
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Aベストアンサー

大事な人を失った悲しみは津波のようにあとからあとから押し寄せてくる物です。
ですから、正直な話、何年も心の整理が付かない、というケースも多々あります。
私自身も母親と兄弟を続けて亡くしました。今年で3年になります。日常生活に
支障はありませんが、やはり苦労を掛けた母や、あまり理解をして上げられなかった
兄のことを思い出すと、今でも新しい涙がこみ上げてきますし、なにか美味しいものを
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数年経った私ですらこうなのですから。
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http://www.grief-care.org/about/index.html

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それはとてもよく分かります。でもお母さんの死でひとつ学びましたよね。
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失った悲しみは大きなものですが、今ある幸せは小さな物ですか?
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どうぞこの詩を心に刻んで下さい。

http://home1.netpalace.jp/counseling/room/room.cgi?mode=koumoku&no=27


そして、今ある悲しみはどうぞそのまま。癒えるときが必ず来ますから。
無理に元気にならなくても大丈夫。今はしっかり悲しむことが大事です。
たくさん泣いて、たくさん後悔して。そして今生かされてる自分や家族を
愛しましょう。

「日常」は残酷です。知り合いが幼い子を亡くしたとき「私は悲しみに浸って
いたいのに、ゴミの日はやってくるし、洗濯物もたまってくる。なんて理不尽
なんだと思ったけど、今思えばそれが心のリハビリにもなっていた気がする」と
言っていました。煩わしいけど避けられない日々の暮らし。でも本当はそれが
一番大事なものかも知れません。

頑張る必要はありません。ご主人やお子さんを支えに少しずつまた立ち上がれば
いいんですよ。必ずその日は来ます。1年2年。気長に待ちましょう。

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大事な人を失った悲しみは津波のようにあとからあとから押し寄せてくる物です。
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支障はありませんが、やはり苦労を掛けた母や、あまり理解をして上げられなかった
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Q親がある日突然死んだショックを引きずっています

去年母を亡くしました。父はすでに死んでいるので私は一人暮らしになりました。
ある日突然死んだので、心の準備ができておらず、今でもつらいです。

母が入退院を繰り返すなどしてたら心の準備もでき、母の死を受け入れられ、悲しみや寂しさも時間とともにやわらいでくると思います。突然死だったから辛いのです。それまでふつうに暮らしてたのに
ある日突然倒れ、そのまま死んでしまいました。70代でした。

私は独身男性ですので「お嫁さんをさがしたら?」と言う人もいますが、そう簡単に結婚相手が見つかるものではありません。

今でも時々母を亡くした悲しみや寂しさに襲われ、胸が締め付けられるような辛さを感じたり、うつ状態になることもあり病院で相談して薬を出してもらっていますが、それでもどうしようもない辛さに襲われることがあります。

「予測できる死」と「突然死」では同じ死でも悲しみの度合は違うと思いますか?

親の突然死の悲しみをやわらげるいい方法はありますでしょうか?

Aベストアンサー

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃないかなと思います。それでも貴方が現在おいくつか分からないですが、少なくとも20代、30代で両親を亡くすというのは普通じゃないことですし、「予測できる死」と「突然死」という死の基準よりも、死という現実を受け入れる年齢が、「早いのか」、「遅いのか」ということ。

親が死ぬと言うことは誰でも経験することではありますが、実際若い身空で親の死を経てフラットになった時、何にもない自分に喪失感が出てくる気持ちは非常によく分かります。

結論からいいますと22歳の私はその踏ん切りつまり親の死を乗り越えたと、自分で思えたのは26の頃でした。質問者さんと同じく22ぐらいの時にはわかったような口を聞く大人に「はやく結婚すれば?」と言われました。結果、26で結婚しました。そのとき初めて肩の荷が降りる思いでした。

19の頃は絶望感ばかりがあり22の時にその加速度が増しました。大学もやめ、バイトをしながら親の貯金を食いつぶし、親が残した有り難くないコトを整理して俺が何をしたっていうんだよ!って毎日思ってました。23、4のとき就職をきっかけに地元を離れ違う土地へ行き、それこそ色んな年相応のことを経験してに両親のことに対して前向きな諦めをつけた瞬間に彼女が出来て、すぐに結婚~という流れになりました。ただし結婚して全てのことが払拭されたわけでもなく10年経っても未だ悩みはつきません。
だけど、自分の経験したことは確実に同世代にはない経験でしたし、自分の友人らにもし突然のことがおきても冷静に対応できるだけの能力は備わったと思っています。

できれば10年前の絶望感ばかりだった自分に今、まともに生きていることを教えてあげたい。

質問者様へも私自身、早く結婚しろとはいいませんが、今すべきこと、10年後のよりカッコいい自分を想像してみてはいかがでしょうか?そのために今自分がなにをすべきなのかが見えてくると思います。
それが答えです。

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃ...続きを読む

Q母が急死私のせい

母が急死しました寝てる様子だったので起こさないで居ましたら亡くなっていました
前日は好物の昆布巻を食べましたが、食べ過ぎでもないと思いましたがお腹の弱い母は下痢をしてしまいました。3回下痢をし おさまりました 夜中2回ほどトイレに行きましたが下痢はしてませんでした しかし朝亡くなってました 私が食べさせた昆布巻のせいで下痢をして なくなったのか
検視では心臓病のうたがいとなっていました 寒くて亡くなってしまったのか 部屋の暖房は20度ぐらいでした一緒の部屋で寝ていた私はきずかず朝起きてすぐ食事の準備をし もう息絶えていた母にきずかず雨戸をあけ 水筒に薬の水とお茶を用意してました 娘を車で美容院まで送り家に戻り
お昼の準備をしました。その間も気が付かず お隣の奥さんがお花を持ってきました お正月の花だと母に見せに部屋に行きそこで母が亡くなっているのに気が付きました
何度も気が付く 場面があるはずが私は大ばか者です

Aベストアンサー

あまりご自分を責めないで下さいね。

お母さんは亡くなる前に好物の昆布巻を食べれたんだから貴女に感謝してると思いますよ。

同じ部屋に居て気づかないって事は苦しんで亡くなられた訳じゃなかったんだし。

ちゃんと貴女の事
見守ってくれてますし貴女が悪いなんてお母さんは思ってませんよ。

逆の立場になって考えて下さい。

貴女は娘さんに好物を食べさせて貰って次の日に亡くなった…
貴女は娘さんを恨みますか?

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも、手術を受け、半年間の抗がん剤治療をし、去年の年末には腫瘍マーカーの値も下がり、快方に向かっていた…はずだったのに、年明けに早くも癌が再発。その後は、脳梗塞・脳内出血・てんかんなどを立て続けに併発して抗がん剤治療ができなくなり、あれよあれよと言う間に逝ってしまいました。

 母とは大親友以上の仲だったので、亡くなった当初は天地がひっくり返るような感じだったけど、四十九日を終えて、少し落ち着いたつもりでした。でも、三ヵ月半たった今、なんとも言えない虚無感でいっぱいです。

 母はきっとどこかで見ていてくれるから、前向きに生きていかなければいけない。…とか、
 私が悲しんでばかりいたら、きっと母も辛いだろうな。…とか、
 40年間ほとんど我慢するだけだった結婚生活を送った母だから、きっと今ごろ若くして亡くした最愛の両親と、天国で平和に暮らしてるんだろうな。…とか、
 常に人への感謝の気持ちを忘れずに、いつも回りの人を笑顔にしていた母の心を受け継いでいかなければいけない。…とか、
 そんな心を、自分の子供にも引き継いでいかなきゃいけない。…とか、
 まだ3歳の子供の前で、しょっちゅう泣いているのはきっと良くないんだろうな、…とか、
 いつか母にもう一度会えた時に恥ずかしくないような生き方をしていくしかないかな、…とか、
 きっと時間にしか解決できないことなのかな、とか。

 頭ではいろいろ考えるのですが…。 

 飛行機と電車を乗り継いで6時間かかる実家に、職場にこれ以上ないくらい無理を言っては、しょっちゅう長期で帰って、してあげられるだけのことはしたつもりだし、最期にも間に合ったから、後悔はあまりしていないつもりです。だからか、亡くなる前や亡くなった直後の方が、悲しみは深いながらも上に書いたような前向きな悟り、みたいなものを心から感じていました。でも、ここに来て、なんだか時間が止まってしまったような感覚に陥ってしまっています。

 長い文章を読ませてしまい申し訳ないですが、皆さんはどうやって身近な人の死を乗り越えられましたか?乗り越える手助けになった本なども、もしあれば教えていただけませんか? 

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも...続きを読む

Aベストアンサー

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
なので天国で~,といった感傷はありません。
でも,「生きていたらどう言うだろうか」というシミュレーションはします。
祖父はとくに
「死亡通知は出さない。形式ばかりのお悔やみをもらっても意味がない。知人から連絡があったときに,こういう事情で亡くなりましたが故人の意思によりご連絡しませんでした,と返信せよ」
と,若い世代でもなかなかできない思い切ったことを遺言しました。
「死者は生者を惑わすべからず」が信念でした。

また,私自身は非婚男性で,おそらくこのままだと思いますが,「先祖代々」といったつながりは重視していません。
よく言われる「たくさんの人が先祖にいてあなたがいる」というのも信用していません。

霊感商法が問題になったときに,祖父の言った言葉が強烈な記憶になっています。
「先祖が苦しんでいるから供養がどうのなんていうが,子孫を苦しめるようなことをするはずがない」
私はさらに拡張して,子孫を苦しめるような祖先はいなくても結構だ,と言っております。

でも,これだけ極端に過激な考えを持ってる私でも,純粋に今でも「かっこいいなあ」と思います。
現代の若い世代でもこんなこと言えるのは何人いるんだ?と,身内贔屓ながら思ってしまいます。

死後の世界を否定しても,受けた教育や影響,話してくれた体験談や直接見聞きした記憶というものはちゃんと残ります。
長所も短所も個人の記憶として残っています。
自分のDNAは残せなくても,こういう考えをした人がいる,という話は伝えられます。
教育は誰も奪うことのできない財産であり,絶対に消えないものだと信じています。
残っているのは過去の出来事であっても,そこから新たな法則性や価値基準は抜き出せると思います。

視点を,ちょっとだけ亡くなったお母様から外してみませんか。
~してはいけない,~しなくてはいけない,と考えるのはどんな場合にもつらいです。
お母様は,あなたをここまで育てあげたんだから,あなたは何をするにも自分の考えと都合に素直に従っていいと思います。
泣きたいなら泣いていいでしょう。そこで泣けるように育ててくれたんですから。
お母様がどう思うかと意識が集中しすぎるとつらいと思います。
親がどう思うかで動くのは,言い方は悪いですが,ある種子どもの考え方ですよね。「怒られるからしない」と同じような。
でも,一個人として成長すれば,誰が何と言おうと私は嬉しい,何と思われようと私は悲しい,といえるようになります。
それで必要かつ十分です。
いま,質問者さんはどうしても亡くなったお母様に視点を合わせてしまうために,どう思うだろうか・これではいけない,と自分を抑えつけてしまうのではと思います。
自分を信じてあげてください。自分を大事にしてあげてください。
ときに自信がなくなったら,「お母さんが私には合格出してくれたんだから私はこれでいい!」と考えてはいかがでしょうか。
ご参考になれば幸いです。

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
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Q家族の死を受け入れるには

家族が残り僅かな命を宣告されて、それを受け入れる事ができずに毎日泣いてばかり。
かなりの高齢、しかも寝たきりなのでそろそろ...とはわかっていたつもりでも、いざ直面するとその時が来るのが辛くてつらくて堪りません。

迎える死を受け入れる、気持ちの整理をつけるはどうしたらできるものでしょうか。

(いただいたご回答の返事は遅れるかもしれませんが何卒よろしくお願いします)

Aベストアンサー

私は両親をガンで看取りました。
だからあなたの辛さが痛いほどわかります。

何年たっても家族の死を受け止める事も出来ないし、ずっと無理だと思う。日常生活では「笑ったり、ご飯食べたり、普通に会話」もできます。でも、どこか心の中にいつも家族の死があります。心の闇というか、家族の死に関しては心が凍ったままです。

家族の死を受け入れるというよりも、余命宣告された家族へ今までの感謝の気持ちを込めて精一杯の笑顔でお見送りするしかありません。家族との一日一日を大切にし、旅立つ人が「この子は私が死んだらどうなるんだろう」とあなたを心配しないように泣き顔は見せない事です。

私の両親も娘の私を気遣い、辛い治療の泣き言は言いませんでした。末期の病気になっても娘を気遣う両親の気丈な姿を見て、愛しくて抱き締めたくて、一人になると泣いてました。私も辛かったけど、泣いてばかりだときっと両親は残された私の行く末を心配するだろうな…と泣いてる姿は見せないようにし、元気なふりして乗り切りました。旅立つ家族としては、自分の肉親が泣いてばかりだと「この子は自分が死んだあと一人で大丈夫だろうか?」ときっと心配したまま亡くなって、心残りになると思います。

私はガンと闘う毅然とした親の姿を見ていると、そんな親がとても誇らしく「自分も負けていられないな」と思うようになりました。その親の強い思いが、今の自分を支えているような気がします。ヘタレな私でしたが「親が子供にできる最後の教育」と思い、がん闘病中の親の姿が目に焼き付いて離れません。未だにその気丈な姿に勇気をもらってます。

私は、亡くなった人はきっと自分の生きざまを天国で見ていてくれる。あの世で再会したら「よく頑張ったね」と誉めてくれることを楽しみにして、毎日をすごしています。気持の整理なんて何年たってもできないけど、時々亡くなった人の気配を感じる時があります。だから「見守ってくれてるんだな…見ててね」と恥じない生き方をしようと思ってます。

受け入れる事はできないけど辛い記憶は時間が癒してくれます。ふと…思い出して涙する時もあるけど、きっとあの世で会えると…私は思うようにして毎日を生きてます。

私は両親をガンで看取りました。
だからあなたの辛さが痛いほどわかります。

何年たっても家族の死を受け止める事も出来ないし、ずっと無理だと思う。日常生活では「笑ったり、ご飯食べたり、普通に会話」もできます。でも、どこか心の中にいつも家族の死があります。心の闇というか、家族の死に関しては心が凍ったままです。

家族の死を受け入れるというよりも、余命宣告された家族へ今までの感謝の気持ちを込めて精一杯の笑顔でお見送りするしかありません。家族との一日一日を大切にし、旅立つ人が「この子は...続きを読む

Q両親の死が辛い

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気のいい母でした。少し口やかましいところはありましたが。私が子供をつれて実家に戻ってからは、ずっと食事など皆の世話をしてくれました。
娘にとっては、祖母であり母親でした。私は小さい時から母が大好きで「一緒に死ぬ歳まで待って」と言ってましたが先に逝ってしまいました。当然です、21歳違いですから順番からは親が先です。

父も自分が先に逝くはずだったと嘆き、「寂しい」とションボリしている日が続いていました。昨年末に手術・退院後は回復に向かって喜んでいましたが、やはり体力は弱っていたのでしょう。母の急死で気が弱り余計に菌を受け付ける体になっていたのです。母の法要の後に入院し5日後に亡くなりました。
続けて二人を送り、私は気が動転し何も興味がなくなりました。
今は、夕暮れ時になると母を思い出し、そして父が亡くなる前に世話になったと書き残した言葉と顔を想い辛く悲しく、気が変になりそうです。
また、自分もいつか天国へ行く日が来る、今度は娘たちが同じ想いをする、させてしまうと思うと、どうしようもなく悲しく、それまでに身辺整理をしなくては…とあせってしまいます。
みんな生まれると、必ず死が待っている事は分かっているのですがなかなか立ち直れなくて、もう一度会いたい、声を聞きたい、話がしたいと云う思いに胸が押しつぶされそうです。

迷惑ばかりかけていたとは思いません。母も「お前たちと暮らすようになって生活に張りが出来た」と言ってくれていました。父の病院通いにも毎日行きました。母は元気でした。元気に見えていました。血圧降下剤は飲んでいましたが、それが悪かったかも…と言う人もいます。もっと早く気付いていればこんな事にならなかったのに。もっと手助けをしていれば、もっと早く帰って母との時間を持っていれば…、など色々悔やまれる事ばかりです。
今日は母の4回目の月命日です。もう4ヶ月たちました。まだ4ヶ月なのかも…当初は何がなんだか分からず泣いたり後悔や自責の日々でしたが、今は忙しくしている時や会社にいる時などは忘れる時間があります。
こういう時は両親に対して罪悪感に似たような気になってきます。少しずつ落ち着いてきたので良いのかな?と思ったりもしますが、夕暮れ時や、何もないのに突然悲しくなったり、会って誤りたいと落ち込みます。こんな事を繰り返しながら日々を送り、いつの間にか普段の生活に戻るのかなあとも思います。
もっと若くして親と死別した方々もおられますが、私はもういい歳です。60です。次は自分の事を考えなければならない歳です。娘が嫁ぐと一人になります。その時こんな気弱でどうしていけばいいのでしょうか?
世間では親の歳を聞いて「大往生」と言いますが自分の親なら、大事に思っているからなおさら「大往生」だとは思いません。母は病気で寝込んだ事はないのです。夜中に一人で逝ってしまったのです。
82歳でした。まだまだ一緒に買い物も遊びにも…

私は娘に心配をかけまいと頑張り、仕事と家事で疲れています。これはかえって悪いのかもと思いますが今はまだ「気分転換にどこかへ」という気になれません。

会社のストレスもあり(小さい会社で休むのもままならないです)早く辞めて家の事だけにしたいと思いますが、そうなると収入も減るので大変です。

両親とか大切な人との別れを経験した人はどのようにして、どれくらいの年月でこの辛さがマシになるでしょうか?
私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていてはいけないのでしょうか?

宜しくお願い致します。

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気...続きを読む

Aベストアンサー

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして寿命というものがあり、親から先に旅立つのは必然です。
しかし、そんな事は頭で理解できることであり、決して心では
理解などできないのが本音だと思います。
私の両親はまだ健在なので、まだ死別の悲しみを味わったことは
ありません。
ただ、大好きだったお婆ちゃんとの別れは経験しました。
肝臓癌が判明してから、あっという間でした。
本人には知らせていなかったので、遠く離れて暮らしていた僕が
急に何度もお見舞いに行くと、おばあちゃんが自分の病を疑う
かもしれないと思い、泣く泣くお見舞いの回数を減らしました。
今思えば、愚かな気遣いであったと後悔しています。
何であろうと、毎日でも会いに行けばよかった。そしてたくさん
話をすればよかったと悔やみます。

人は大切な人を失って初めて、いろんな後悔に押し潰されます。
あの時こうしていたら、あの時もっと・・・・。尽きることは
ありません。
でも、悔やんだところで、亡くなった人は戻ってきてはくれ
ません。
それも頭で分かっているのですが、複雑な思いでした。

私はいつも近しい人とのお別れを経験する度に、思う事があります。
それは、人の死というのは、最後にその人から教えられる
愛なのだということです。
人は死というものがいつも身近にありながら、中々そこを見よう
とはしません。
ですから、そうした愛する人の死を目の当たりにすることで、
そこで改めて、死について見つめることで、それまで気付かなかった
事に気付くのです。
自分がその時を迎えた時、どんな思いで旅立つのだろうか?
思い残すことがあるのだろうか?
残していく大切な家族へどんな思いなのだろうか?
などと、リアルに感じることができます。

私も、41歳となり、結婚して妻も子供もいます。
あなたが言うように、私もいつかその時が来るのです。
妻や息子を残して旅立った後、妻や息子が私の死を悲しみ
苦しみ、毎日を泣いて暮らしていたならば、きっと心配で
心配で、残してきたことを悔やみ、きっと次なる場所へ行けなく
なってしまうと思います。
故人への一番の供養とは、故人に心配させないような生き方を
することだと、ある人から教わりました。
そうすることで、故人は思い残すことなく、次へと向かうこと
ができるのだそうです。
私は、その言葉を頂き、それからは、おばあちゃんに対して、
いつも「ありがとう。僕なら心配ないからね」って伝えるように
なりました。

この世へ誕生することをそばで見守ってくれた親へ、今度は
あの世へ向かう時に、そばにいて見守るのが、子供としての責任
だと思っています。
今度はあなたが、子供さんへ教えてあげる番です。
しかしあなたはまだお若いですから、まだ見えない先のことを
考えて悲観的にはならないでください。
そして、また今度会いに行けばいいでは無くて、会いたいと
思えたら、すぐに会いにいくのです。
伝えたい言葉があれば、すぐに伝えるのです。
それが後悔の無い人生というものです。
あなたのお母さんとお父さんがいてくれたから、今のあなたがあります。
そして、子供さん、お孫さんへと命のリレーはどんどん繋がって
いるのです。
私の祖母も祖父と二人で人生をスタートさせてから、今では30人という
家族たちができました。
そして今もなお、増え続けています。
そうした歴史も踏まえて、それぞれのドラマがあります。
辛い事、苦しい事。そして楽しいこと、嬉しかったこと、涙が出る
ほどの幸せな思いを感じてきたのです。
今はとにかくとことん泣いていいと思います。
気が済むまで泣けばいいのです。
そしていつか、涙を拭いて、新しい一歩を踏み出して下さい。
お母様とお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして...続きを読む

Q母が亡くなって3ヶ月…。まだ泣いてしまいます。

30代女性です。
2年間、病と闘った母が3ヶ月前に亡くなりました。
告別式を迎えるまでの4日間…ふいに溢れる涙を自分でもどうしようもなく、本当に泣き続けました。

告別式を終えても、本当はもっと泣き続けていたかったし、母の思い出に浸っていたかったけど、「毎日」は容赦なくやって来て日常生活に引き戻され…。

もう3ヶ月も経つのに、一人の時間に、またふいに涙が溢れてしまいます。

同じような経験をされた方がいらっしゃいましたら、ただお話しをかき聞かせて頂ければ…と思っています。

Aベストアンサー

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分を
責めてしまいます。

写真のなかの笑った父を見ると、会いたくてたまらなくなります。

今でもとても淋しいです。


亡くなって半年頃、うつのお薬も飲みました。(2週間くらい。)

特別なことではなく、こういうのもアリなのだと思います。

遺品整理でまた泣けて、父の手帳を見てまた泣けて。


でもそうやっているうちに、少しずつ、涙の量が減っていきました。

今でも思い出すといろんな気持ちが溢れてきます。

ただ、自分の悲しさと少し距離の取り方が学べた気がします。

母のときとはまた違うので、亡くなるたびに、また一からですね。


いつまでも泣いていると亡くなった人が悲しむといったことを聞きますが、
そうでもない気もします。

子どものとき、こけて痛くて泣いていたときのように、天国から、
あーあ、泣いてるね、と、笑って慰めてくれているような気がするのです。

kataomaさん、声が聞けなくて、触れなくて、とても寂しいですが、
きっとそばにいてくださっていると思います。

本当に鵜悲しいですよね、大切で、大好きだったのですから。
だからkataomaさんはとても正常なのだと思います。
(すみません、変な言い方ですが。)

どうぞ安心して悲しんでくださいね。
それが人の通る道なのだと思います。
そしてきっとその分、お気持ちに優しさが増えていくのだと思います。

お気持ちを逆なでしてしまったら申し訳ありません。

お辛いですが、悲しいお気持ちをしっかりとお受け止めになれるといいですね。

そうしながら、お気持ちはまた、少しずつ元気に向かわれていると思います。

悲しくて泣かないではいられないほどのお母様との思い出を、これからも
きっと大切にしていかれるのでしょう。

応援しています。

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分...続きを読む

Q死んだ人と話がしたい

主人が亡くなりました。本当に突然何の前触れもなくなくなりました。
半年が経ち生活も落ち着いてきましたが、何か最後に話をしたかったのではないかと気になります。よくテレビで死んだ人と話をしているのを見ますがどこに行けばいいのでしょうか?教えてください。

Aベストアンサー

多くの方が仰っていますが、残念ながら不可能だとお考えください。

というのは、現在いわゆる幽霊や死後の世界というものは人によって様々に(というか好き勝手に)言われており、自称霊能力者たちに都合のいいように作られています。彼らの詐欺的行為によってあなたのご主人との思い出を汚されてしまう可能性を考えると、おやめになられたほうが賢明でしょう。

また、テレビ(マスコミ)は基本的に自分たちの視聴率のみが重要なもので、そのためならば嘘を流すことも厭いません。特に、アンビリーバボー、USO、これマジ、といったものはもちろん、特命リサーチ、あるある大辞典など、嘘や誇張の情報を平気で流しております。あれは基本的にエンターテインメントとお考えください(エンターテインメントですから芸人さんや単なるタレントなどが司会やゲストをしています)。また、あのような番組に出ている自称霊能力者が実はカルトの教祖だったりすることなどは比較的多いケースです。

ご主人が最後に何か言いたいことがあるとするなら、それはあなたの思い出の中のご主人に尋ねるのが最もよいでしょう。

Q親の死に目にあえなかった人。

元気だった母(70歳前半)が急死しました。
苦労してきた母でした。
春にはどこか旅行にでもと思っていた矢先でした。
最後に会ったのは1ヶ月前。

独り誰にも看取られずに死にました。
苦しかったのかも分かりません。

毎日電話すれば良かったとか後悔ばかりしています。

毎日泣いています。
昼間は仕事で気を紛らわしてますが、家の事は最低限の事しかできません。
子ども達が手伝ってくれてます。

こういう経験のある方、どうやって乗り越えていきましたか?

Aベストアンサー

初めまして。
お辛いことと思います。
切なくてたまらないでしょう。
皆さん人生のどこかの地点で味わわねばならない悲しみですね。そして乗り越えねばならない修行。
皆さんの御回答、特にANo.5のかたの御回答を拝見して思わず涙ぐんでおります。
私も3年ほど前に母を看取りました。
私にとって母は生前いろいろと葛藤を与えられた人であるにも拘らず何よりも大きな存在で、亡くなったときは足元の地面が抜けてしまうように感じられるほどの絶望感で、街中に出ると、流れる人並みを見て
「私の母が死んでしまったというのに、何故この人たちは、ここにこうしているの?」
などと理不尽なことを思ったりしました。でも、そのときの私にとっては
「それでも世界は廻っている」
ということのほうが、よっぽど理不尽に思えたのです。
しかし否応なく時は流れ、いまは
「こうして笑いながら歩いている人たち、でも、あの人たちのなかには、くず折れそうになるほどの苦しみを笑顔の下に隠して歩んでいる人もいるかも知れない」
こう思えるようになりました。
これが
「時が癒してくれた」
ということなのだろうと思います。

うちの母は長らく病に苦しみ最後は何も喉を通らなくなって苦しいままで亡くなりました。
ですから私はなるべく苦しみの時間を短く、よく言われるように「ぽっくり」と死なせて欲しいと思います。殆んど天涯孤独の独り身ですので、いずれ看取ってくれる人もおりませんし。

貴方が、お母様のお立場なら、どうでしょうか。
「娘たちに厄介をかけずに済んでよかった。
いまのところ孫たちもすくすく育ち、幸せにやっていってくれてる。私も長患いせず、精一杯やることはやって、いまこうしてお迎えが来た。みんな、これからも逞しく元気にやっていっておくれよ。」
親の立場なら、もし、お母様にお口がきけるものなら、きっとこう仰るのではありませんか?
それは貴方御自身が人の子の親であるのですから理解できるのではありませんか?

人の最後は本当に様々。
そして最後はひとりです。

幾多の御苦労を乗り越えてこられた母上のこと、お子様たちに、たくさんお話してあげてください。そしてまた、お子様たちは、そのお子達に貴方のお母様のことを語り継いでいくでしょう。その間は、お母様は決して本当には死なないのです。これは幸せなことですよ。

いまは気の済むまで泣かれて、ご無理なさいませんように。必ず、それなりに落ち着かれるときがやって来ます。

御立派であられたお母様の御冥福を心よりお祈りさせていただきます。

初めまして。
お辛いことと思います。
切なくてたまらないでしょう。
皆さん人生のどこかの地点で味わわねばならない悲しみですね。そして乗り越えねばならない修行。
皆さんの御回答、特にANo.5のかたの御回答を拝見して思わず涙ぐんでおります。
私も3年ほど前に母を看取りました。
私にとって母は生前いろいろと葛藤を与えられた人であるにも拘らず何よりも大きな存在で、亡くなったときは足元の地面が抜けてしまうように感じられるほどの絶望感で、街中に出ると、流れる人並みを見て
「私の母が死ん...続きを読む


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