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ゆとり教育の弊害について調べています。
ゆとり教育の弊害とはなんなのでしょうか? 良かった点はないのでしょうか? 個人的には良かった点もあるんでしょうが、悪かった点の方が多いのではと考えています。

ご意見の他にも、参考になりそうなURL、お勧めの書物、などございましたら、ぜひ教えて下さい。よろしくお願いします!

A 回答 (7件)

ゆとり教育といいますが、決して勉強面だけがマイナスになった訳ではないと思います。


春秋とあった遠足は 秋だけになりましたし、野外教室が3泊4日だったのが2泊に。
運動会も昔は春と秋にありましたよね。
そういう学力とは関係ない授業時間も削減されています。

世の中は週休二日制。
学校の先生も二日休みたいでしょうね。
その問題だけなら、うまく授業のスケジュールを組んで、交代で休んだらいいと思うのです。

でも、土日休みになって 子供は嬉しいですよ。
親子で出かけるのにしても、土曜に出かけて日曜はのんびり出来ますもんね。
家族と過ごす時間も増えたし、友達と遊ぶ時間も。
学力は落ちたかも知れませんが、それ以外に学ぶ事も多いと思いますよ。
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こればっかりは時間が経たないと分からないんじゃないですか?


確かに、目に見える形では学力を測るというテストでの
点数は落ちていますが、それが将来どのようになってくるかは
誰にも分からないはずです。
現に「詰め込み教育」の反動が「ゆとり教育」という形に現れたわけだし・・・。
それに、ゆとりの無い教育で育った世代が現代日本を支えているわけですがどう思いますか?今の日本。何か大事なものが欠落している感じはしないですか?
僕はそう思います。
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塾に通わせたり家庭教師を頼める家庭のこどもと、家計に余裕がなく学校での学習だけのこどもの学習面での差が大きくなり、家の裕福さによってこどもの将来が決まるという傾向に大きく傾いたと思います。

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こんばんは。


「ゆとり教育」の導入には、大いなる論理のすり替えがありましたね。受験競争が激しかった時代の問題点は「学歴至上主義」でしたが、「詰め込み教育」が犯人扱いされたのです。そして、「詰め込み教育」の反省として「ゆとり教育」を文部科学省が確信犯的に導入してきたのです。
「ゆとり教育」の弊害は思考力の低下でしょう。思考力のソースとなる情報は学校教育の枠内にとどまるものではありませんが、もともと「詰め込み教育」の情報量(小学校から高校までのカリキュラム)はたいしたことはなかったのです。頭の訓練にはある程度の情報量が必要です。それが義務教育から奪われたのですから文部科学省の犯罪的行為と言えるのではないでしょうか。
「ゆとり教育」は「愚民政策」の一環ですが、愚民政策は国力の低下を生みますし、日本の主たる資源はヒト(人的資源)ですから、国の存立を脅かすものです。

参考URL:http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3940.html
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ゆとり教育とともに学校5日制になり、


土曜が休みの分他の日に授業を振り分けたせいで、
中学年では5日のうち3~4日が5時限
高学年では4日以上が5時限となりました。
子どもたちは宿題が増え、帰りが遅い上に宿題に追われています。
土曜も学校に行ったほうがゆっくりできるといっています。(友達にもあえるし)

また、PTA関連の行事を土曜に開催しにくくなるとともに、尚更授業が圧縮されてしまっている。

「ゆとり」の時間そのものは、先生の力量や傾向によって、大きな差があるが、楽しいことができるチャンスはある。

研究指定校ともなると、先生の仕事が一段と増え、保護者との対話もままならない。

子どもの心や教育の実態を知らない人たちの思いつきで組み立てられたバランスが悪い積み木のようだと思います。

数年の間に、教育のあらゆる問題が悪いほうに悪いほうにと変わってきました。あえて救いを考えれば、少人数学級の緩和でしょう。
イギリスの新聞で、世界有数の先進国の教育がこのように短期間に多くの事柄で変わる国は他に無いという記事があったと聞いています。

ちなみに、うちの長男が高校受験の年殻受験の手順が大きく変わり、それから年々少しずつ変わっています。また、今年は高3で大学受験の準備をしていますが、センター試験も変わるそうで、指導する先生方も内容を良くつかめず、戸惑っています。
大人にとっては今年でも、来年でも、改革したいときにはとにかくやってみるというのもアリでしょうが、子どもの1年1年は大変貴重な時間です。
小学2年の年は1回しか来ないし、中学3年という年も1年きりです。
重要な分野の必要な改革は当然実施しなければなりませんが、まるで実験のように不確かな思い付きを実行するには子どもたちがかわいそうでなりません。
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 児童生徒にとっては、学校に行く日が1日減り、授業の密度も下がり、「学校での負荷」に関して、確かにゆとりができたと思います。



 教師の側からだと、たとえ休日が増えても年間の行事が減るわけではなく、それによって業務密度が上がっているように感じます。
 そうは言っても、同じように職員室で働きながらも、忙しい人は以前にも増して忙しく、そうでない人は相変わらずゆとりの恩恵を受けている、二極化が進行しているのが現状ではないでしょうか。

 実習助手という常勤職員だった昨年度、1ヶ月のうち本当に休んだ日が1日だった時期がありました。授業の準備・整理はもとより、部活に関連した遠征やら合宿やら会議やらで、バーンアウト寸前の状態で1年を過ごしました。

 でもマイナスばかりじゃなく、「土曜日が非勤務日」になることで、何も重ならなければその日は休みですから、「休みの重み・ありがたみ」をいっそう痛感しました。
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三年前まで中学で実際にゆとり教育を受けていた世代です。



結論から言ってしまいますと二極化が進みました。
塾に行く金が無い人は授業も少ないですからどんどんできなくなっていきます。
酷いのになると入試寸前で方程式の基礎ができませんでした。
逆にできるのは授業中も塾の課題を進め、休みも塾に行って勉強しますから
どんどんできるようになっていきます。

高校への最終的な進学成績で見ますと
慶應など一流私立に進学した生徒も
地区の上位公立に進学した生徒も例外無く全員塾通いでした。

東大なんかも昔は苦学生が多かったと言いますが
今は金持ちのボンボンだらけだそうです。
要するに学校教育のレベルが下がり過ぎて
私立や塾に行ったり家庭教師をつける余裕の無い人は
良い学歴を付けられなくなってきています。

どちらかというと「ゆとり教育」というよりも「分別教育」なんて言った方が適切かもしれません。
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この回答へのお礼

返事がおくれて申し訳ありません。
大変参考にさせていただきました。
みなさん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/01/05 17:27

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