日本の古代史に関する本を読んでいます。その中に朝鮮のことが出てくるのですがさっぱりわかりません。
 夫余種族、阿羅・閼・安羅(同じ読みなのに違う場所を示すようです。)、加羅、百済、任那、高句麗、高麗、新羅・・・学生時代、用語としては学んだのですが、何のことだかさっぱりわかりません。どなたか教えてください。また、よくわかるURLがありましたら教えてください。

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A 回答 (6件)

 


  先の文章は記憶に基づいて記していたので、年代等について、かなり違っていました。以下に補足します。

  (なお、扶余による、高句麗、新羅、百済の国家構築と、扶余が、倭にやって来て、大和王権の座についたという、わたしの述べた説明は、オリエント学者だった江上波夫(こういう字だった)の「騎馬民族征服説」を敷衍して、松本清張が、「清張通史」に記している説で、わたしは、この説で、非常に分かり易く合理性があり、説得力があると思い、この考えを受けれています。無論、松本清張の説が書かれた当時も、反論とか、そうではなくこうだという色々な説がありました。しかし、何が正しいのか、よく分からないということがあります。邪馬台国論争は、邪馬台国は恐らく近畿だというので、大体合意ができつつありますが、北九州説も無意味になった訳ではありません。朝鮮半島の古代史については、実に色々な説があり、松本清張の説は、あるいは現在、否定されているかも知れませんが、否定している主張が、どれだけ根拠があるのかというと、また、難しい問題になります。とりあえず、扶余が、征服し国家建設して行ったと考えると、非常に綺麗に理解できるので、この説をわたしは採用しているというか、この説で、三国時代の朝鮮史を把握しているということです。そういうことを留意の上、つまり、他にも色々な説が一杯あるということを知った上で、一つの有力な説として、了解してください)。
 
  そこで、年代的な誤りですが、唐が、高句麗、新羅、百済を冊封したのは、624年であると或る資料では出ています。しかし、高句麗の建国は、紀元の初で、新羅と百済は、4世紀の半ばに、三韓時代と呼ばれていた南朝鮮で、国家成立しています。
 
  扶余族は、朝鮮の北部、昔の満州の南にいた種族で、最初に高句麗を建国します。その後、南下して、小国乱立状態だった南朝鮮に入り、新羅と百済として国家構築したというのが、松本清張の説です。
 
  非常に簡単な図式を述べたのは、細かく朝鮮半島の勢力推移を述べていると、色々な説があり、また非常に錯綜してきて、文字通り、訳の分からないものになるからです。
  
  例えば、高句麗は、紀元1世紀に建国していますが、しかし、その後、朝鮮半島の大国とならなければ、歴史から忘れられたような規模の小国であったということです。高句麗が大きく姿を現すのは、後漢が滅び三国時代に入って、中国が混乱期に入り、更に、晋の統一も束の間で、中国は、五胡十六国時代あるいは南北朝時代に入り、混乱期に入りますので、この機に乗じて、中国の分領でもあった「楽浪郡」という準国家を高句麗が滅ぼし、北朝鮮を領有する大国となった313年つまり、4世紀初めです。この後、新羅、百済の建国があり、4世紀末には、高句麗の広開土王(好太王)が、南朝鮮に進出しようとして、百済を攻め、倭は百済を支援するため兵を出したのですが、広開大王に破られ敗北します。この記録が、「高句麗好太王碑」という巨大な石の記念碑に刻まれているのですが、この頃、日本はどうなっていたのかというと、中国の史書に「倭の五王」として、中国式の名前の支配者が倭におり、朝貢してきたなどとあるだけで、よく分かりません。「高句麗好太王碑」碑文の評価についても、色々説があるようです。
 
  これらの複雑で、よく分からない過程を大まかに図式にすると、わたしが述べた、5世紀(4世紀の方が適切でした)頃、扶余族が、高句麗を国家構築し、続いて、新羅、百済を、国家構築し、その後、加羅にやって来て、そのまま北九州に入り、倭で、大王家の位置についた、という図式になるのです。
 
  邪馬台国については、まだ部族連合という形で、これに対し、巨大古墳(「仁徳天皇陵」など。これは仁徳の陵ではないというのが、一般の説ですが、4世紀頃の古墳であるのは間違いありません)を造ることができた、倭の五王の時代は、4世紀から5世紀ですが、この時の大王権力は、相当なものがあり、それ以前の部族連合国家ではなく、もっと強力な統一国家が近畿に成立したということで、この王朝を築いたのが扶余族だ、という説です(これが、騎馬民族征服説です)。
 
  >高句麗、新羅、百済は夫余種族の国なのですね。その人たちがたくさん
  >日本にもやって来た。もしかしたら、日本も夫余種族の国なのかしら。
 
  高句麗は扶余族の国ですが、しかし、楽浪郡を攻略して、北朝鮮の支配者となった時、その支配の下に置かれた人々は、必ずしも扶余族ではないでしょう。扶余族も含まれていたでしょうが、それ以外の部族、民族も含まれていたはずです。新羅、百済の場合、王族が扶余族であって、大多数の国民は、「当時の朝鮮人」です。「当時の朝鮮人」とは何かよく分かりませんが、朝鮮半島には古来から色々な民族が住んでいたということです。しかし、百済や新羅ができた頃は、大体、「当時の朝鮮人」とでも呼ぶ、似たような人々だったのでしょう(部族の違いなどは無論ありますし、中国人も朝鮮半島にいましたから、何がどうなっているのかよく分かりませんが)。
 
  日本の場合も同様で、支配階層が扶余族で、倭の国民は、昔からの「倭人」でしょう。昔からの「倭人」とは何かという話になると、今度は、日本列島の住民の起源というような話になります。この時代の倭人は、縄文人の血も受け継ぐ弥生人で、北方、南方、そして朝鮮半島から、日本列島にやって来た人が混血してできた人々だということになります。比較的、南朝鮮の人たちとは、文化や、民族で似ていた可能性がありますが、日本の文化や人の歴史は、壮大な規模で、一種の「独自性」があり、独特の文化や人の構成が、縄文時代において成立しています。
 
  なお、倭と百済は、言語的に同じだったのではないかと、わたしは思っています。つまり、倭の言語と、百済の言語は、方言か、それよりもう少し離れた程度の差で、大体、互いに会話して通じたのではないかということです。新羅の言葉もそうではないかと思っています。(未確認ですが)。
 
  >>夫余種族というのは、朝鮮半島に5世紀頃に北方からやって来た遊牧民族
  >とすると、それ以前に半島に住んでいた人は何種族というのでしょうか。
  >またその人たちは、南方から半島に移住した人なのか、中国大陸から移住し
  >た人なのか、どのように考えられているのでしょうか。
 
  上で、「当時の朝鮮人」などと言っていますが、南方、北方からの人々が混血してできたのでしょうし、中国からの移住民も入っていたはずです。(部族や、部族国家は一杯あり、南朝鮮の三韓時代には、何十という地方部族国家があったとされます。これらの部族ごとに、民族が違っていたのか、違っていなかったのか、分からないとしか言えません)。
 
  一般に、文化や言語や部族の名などは、歴史で区別が付くことがありますが、民族の系統などは、よく分かりません。(何々人と呼んでいる場合、文化や言語や築いた国の違いでそう呼ぶことがあります。百済人とか新羅人とか言っても、実は、民族的には同じである可能性が高いです。現在だと、北朝鮮人と韓国人は、国籍の違いで、同じ民族でしょう。民族の系統は、発掘された遺骨などを調べて比較するしかないのです。日本の縄文人と弥生人は、骨格が明らかに異なっているので、違う民族というか人の系統だということになります)。
 
  >質問の趣旨とは異なるのですが、「天武よりも持統に都合がよいこと」と
  >は、どんなことかな?と興味があります。
  
  これは、表現が不適切でした。天武は、即位してあまり長く在位できす崩御するので、自分の計画を実現できなかったのです。そこで、天武の後の持統(この人は、天武の皇后で、天智の娘です)が、天武や自分自身を正統化するような、史書を造れと命じたのだという意味です。元々天武がそう計画したのですが、実際に、史書編纂にかかる前に、亡くなったので、天武の皇后であった持統天皇がその遺志を継いで(あるいは、自分の意志かも知れません)、史書の編纂を命じたのです。
 
  わたしは、「天武というより持統の意を受けて編纂された」と書いたので、元の発案者は天武であろうが、実際に編纂命令を出したのは持統であるので、こう書いたので、天武と持統は勝利者ですから、利益は一致していたはずです。
 
  なお、新羅が、唐に滅ぼされたと先に書きましたが、新羅のその後は知らなかったので、実は、新羅が朝鮮半島を統一し、唐と戦って、唐の勢力を朝鮮半島から追い出したようです。その後、新羅は国家衰退して行き、930年頃、高麗が朝鮮半島を統一します。高麗は、1260年頃、元に滅ぼされ(独立国家ではなくなり)、その100年後、李氏朝鮮という王朝が成立します。
 
  個人的な考えですが、古代の新羅と、高麗のあいだで、何か、文化的に断絶があったのかも知れません。現在の朝鮮・韓国の人々よりも、日本の方が、古代朝鮮半島の文化の継承者であるような可能性を考えています。
 
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この回答へのお礼

 早速の御回答ありがとうございます。

>高句麗は扶余族の国
>新羅、百済の場合、王族が扶余族
>日本の場合も同様で、支配階層が扶余族
>倭と百済は、言語的に同じだったのではないか
>新羅の言葉もそうではないか

 なるほど、と思いました。
 今、読んでいる本には日本の地名は夫余に起源のある地名、高句麗、新羅、百済に起源のある地名が多く、彼らの出身地に応じて名をつけたらしいことが書かれています。言語が同じならなるほどと思えるし(同じ読みなのに違う場所を示す阿羅・閼・安羅などはその例ですよね。)、支配層だったから、地名を命名することもできたのでしょうね。

>日本の方が、古代朝鮮半島の文化の継承者であるような可能性

 可能性大ですよね。すごく興味が出てきました。

 ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/24 00:18

No.4さんちょっと間違っていますよ。

足利義満は明の冊封を受けています。
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  間違いました。
  秀吉に対し明は、「日本国王」として冊封すると言って来たのでした。日本には天皇がいますから、秀吉はこんな提案を受ける訳にはいかなかったということです。(確か、足利義満だったか、「日本国王」と称したとか記憶にありますが、無論、中国の王朝の冊封を受けたのではありません)。
 
  なお、中国の武将が日本に攻め込み天武天皇になったというのは、そういう説もあるというだけで、あまり一般ではありません(持統朝以前のことは、どうもよく分からないのです。日本の正史である、「日本書紀」と「古事記」は、天武というより持統の意を受けて編纂されたもので、かなり作為的歪曲があるとされます。持統に都合のよいように、また自己に都合のよいように、藤原不比等が編集したという説もあります)。
 

この回答への補足

 ありがとうございます。
 質問の趣旨とは異なるのですが、「天武よりも持統に都合がよいこと」とは、どんなことかな?と興味があります。

補足日時:2001/11/23 03:35
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  他の方が、参考URLをあげておられますので、詳しい意味は、そこに載っていると思います。以下では、簡単ですが、どういうことなのか、述べてみます。
 
  魏志倭人伝とか後漢書東夷伝などを見ますと、日本の地域的国名が色々書かれていて、これはどこの地域かというのが今でも問題になっています(もっと有名なには、邪馬台国はどこにあったかということでしょう)。中国の史書には、朝鮮半島の地域国家などについても、色々記されていて、また日本の記録でも、朝鮮半島の地域国家の名前が記されています。
 
  朝鮮半島は、「任那日本府」などをめぐり、倭(日本)が朝鮮状況に大きな関心を持ち、また干渉していたというか、よそ事でなかった、紀元6世紀7世紀には、多数の地域名が知られており、また、この頃は、すでに、北の高句麗、南の新羅、百済、そして準独立地域としての加羅などに纏まっていました。しかし、なお古い地域名として、多数の5世紀4世紀の朝鮮半島にまとまった国家がなかった時代の地域国家の名称が地名として、また準地域国家名称として出てくるということです。
 
  夫余種族というのは、朝鮮半島に、5世紀頃に北方からやって来た、遊牧民族だとされ、一つの説では、分裂状態にあった朝鮮半島を、扶余が制服するというか、地域ごとに国家統一して、高句麗、新羅、百済を建国したとされます。扶余は、加羅のあった、朝鮮半島南端の地域にも訪れたのですが、ここで国家統一をせず、そのまま、対馬海峡を渡って、北九州に国家建設し、更に、東進して、倭の西部を国家統一し、「大王家=天皇家」として、倭の豪族の上に立ったというのが、「騎馬民族征服説」のおおまかなアウトラインです。実際はどうであったのか色々説がありますが、かなり、この説で歴史に合うようです。
 
  この場合、加羅の当たりは、百済でも新羅でもなく、独立領域として残された訳で、加羅が本国で、そこから日本列島に植民地というか、部分領土として確保したというのが、加羅に残った扶余族からの見え方かも知れませんが、加羅よりも広大な領土を占めた倭の扶余からすれば、加羅は本拠地であったが、いまは、倭が自分たちの国だということにもなります。「任那日本府」などというものはなかったのですが、しかし、この位置が丁度、加羅で、加羅は任那とも呼ばれ、倭の領土だったという言い方もできます。
 
  新羅が半島の覇権を奪おうと、唐と手を組んで、まず百済を征服しようとした時、倭は、百済と深い関係にあり、同盟国でもあったので、百済を守り、加羅を領土として確保するため、朝鮮半島に当然干渉します。干渉というのは、日本と朝鮮半島を別の国だと思うとそういう表現になるのですが、当時、倭もまた朝鮮半島に領土を持っていたということからすれば、干渉ではなくなります。倭も巻き込まれた、新羅、そして唐の征服戦争に対する対応であったのです。
 
  結果として百済は滅び、倭=日本は朝鮮半島から手を引き、唐が更に倭を攻めるのではないかと危惧し、天智は、大津に遷都し、琵琶湖を伝って、いつでも日本海に逃げられるようにする他方、西日本に唐の侵攻を考え、石城を多数造ります。唐は、使者を日本に派遣し、日本の状態を確認した後、日本征服の軍は起こさなかったと一般に言われていますが、唐の武将が日本に攻め入り、その武将が、天智を倒し、天武天皇になったという説もあります。
 
  結局、朝鮮半島は、新羅も高句麗も唐に滅ぼされ、その後、かなりの時間が経って、高麗という朝鮮人の統一国家ができ、中国の王朝が、これを冊封します(冊封とは、中国から「冊(書状)」を送り、そこで、汝を「朝鮮国王」として封じる[中国の臣下として認め、皇帝に帰属する臣下の王として、封土を与える]と宣言することです。豊臣秀吉が、朝鮮半島に軍を送り、困った明は、秀吉に、汝を「朝鮮国王」として、冊封するという書を送りましたが、秀吉は、予は、明の臣下ではないと怒って、これを拒否したことがあります)。
 
  大体、こういうことです。
 

この回答への補足

 ありがとうございます。
>夫余種族というのは、朝鮮半島に5世紀頃に北方からやって来た遊牧民族
 とすると、それ以前に半島に住んでいた人は何種族というのでしょうか。またその人たちは、南方から半島に移住した人なのか、中国大陸から移住した人なのか、どのように考えられているのでしょうか。
 高句麗、新羅、百済は夫余種族の国なのですね。その人たちがたくさん日本にもやって来た。もしかしたら、日本も夫余種族の国なのかしら。
 高句麗、新羅、百済、加羅、そして先住の人たち、それぞれの仲は良かったのでしょうか、悪かったのでしょうか。何だか悪そう・・・。

補足日時:2001/11/23 03:44
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 下記URLを、参照してください。

参考になると良いのですが。

参考URL:http://www.melon.net/omoni/Q&a/rekishi.html
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こんにちは。



日本の古代史を勉強していくと、どうしても朝鮮半島の歴史まで触れざるを
えなくなります。それだけ、古代の日本は朝鮮半島とのつながりが深かった
のでしょう。

少しHPを検索してみましたが、参考URLのサイトが読みやすかったので
紹介します。「山梨県と韓国・朝鮮」というサイトなので、どうしても
ローカル(山梨県)の話題に傾いてしまってますが、古代朝鮮についてよく
まとめてあります。


書籍として、司馬サンの「街道がゆく」の「韓のくに紀行」が初心者には
わかりやすいかもしれません。

参考URL:http://www.yin.or.jp/user/woodsman/yama_korea/in …
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。
 せっかく、HPまで探していただいたのに、やっぱり、さっぱり、わかりませんでした。ゴメンナサイ。
 「街道がゆく」でお勉強したいと思います。
 ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/23 04:06

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1、「宋書」
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421年 讃 叙爵
438年 珍 安東将軍・倭国王
443年 済 安東将軍・倭国王
451年 済 安東将軍・使持節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓6国諸軍事
462年 興 安東将軍
478年 武 安東大将軍・倭国王・使持節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓6国諸軍事

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当時、任那という地域が存在し、その「軍事」(当時の中国の官職)に「倭王」が任命されていたことを証明しています。

2、「広開土王碑」
広開土王碑には次のような記述も見られる。
曰く「大軍をもって新羅城を奪還すると、撤退する倭兵の背後から任那加羅まで急追していった」

3、「日本書紀」
日本書紀には、当時の倭国は朝鮮半島に大規模な軍事力を駐屯させており、任那日本府というのはその駐屯地などを兼ねた日本の朝鮮半島における拠点であった。
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2、また、広開土王碑についても、旧日本軍の改竄説を主張して、論拠を否定している。

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1、「宋書」
次の中国南北朝時代の「宋書」から倭の五王についての官位・爵位の記録を見て下さい。

421年 讃 叙爵
438年 珍 安東将軍・倭国王
443年 済 安東将軍・倭国王
451年 済 安東将軍・使持節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓6国諸軍事
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