
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
たぶん、明治以降の日本における中国美術史の定義の中で生まれたのが「六朝」という概念。
なので和製漢語として漢音が使われた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E9%9F%B3
「、明治時代、西洋の科学・思想を導入する際の訳語(和製漢語)に使われたことで広く普及することになった。」
傍証1
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849483/1
君台観左右帳記 には各王朝の切り分けはあっても、六朝という切り分けはない。
傍証2
http://www.nishogakusha-kanbun.net/02kanbun-396j …
明の人である朱舜水との交流で
六朝と唐・宋文章の区別 という現代文の説明があるが、朱を尊敬するならば、当時の民音で継承するはずだが、継承していないのは、朱が六朝として伝承していないのではないか?
傍証3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%9C%9D% …
清代の康煕帝の時代から後で 六朝楷書が発掘され評価された
傍証4
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%9C%9D
英語版はあるのに、中文版がない
No.1
- 回答日時:
「六朝」あるいは「六朝時代」と名付けたのはいったい誰かを想像して下さい。
その時代に生き、梁や陳に住んでいた人とは思えません。
後の時代の隋や唐の人かも知れませんし、ずっと後代の人かもしれません。
私見としては、日本の研究者が「六朝」を漢音で「りくちょう」と読んだからだと思います。
また「呉音」ですが、本当に中国南方の発音なのか、実証できる史料はないようです。別名で「対馬音」や「百済音」とも言われているようですので、朝鮮や中国北東部の方言であった可能性も考えられます。
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E9%9F%B3
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