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古代朝鮮の高句麗、新羅、伽耶諸国を、各々、こうくり、しらぎ、かやしょこく、と読むことは納得できます。
しかし、百済を、くだら、と読むのは、(私にとってのみでしょうか)難しいです。
なぜ、百済は、ひゃくさい、と読まず、くだら、と読むのですか? 謂れを教えて下さい。

A 回答 (15件中1~10件)

こんにちは。

 

これはとても意味のある質問です。 何故なら『百済』は日本と深い関係があるからです。

『くだら』は『くんなら』の訛ったものです。 

『ナラ』は朝鮮語で『国』という意味を持っています。 『クンナラ』は偉大な国家。 『クンナラ』と『ナラ』は深い関係にあります。 企業で言えば本社と工場の関係です。 

それを裏付ける歴史的な事実があります。 遣唐使が中国に派遣される。 その航路は難波の港を出て、瀬戸内海から朝鮮半島へ。 そこで百済の船と一緒になる。 百済船に先導され、半島沿いに中国山東半島へ。 大陸の旅も百済使節の先導です。 長安の都に着く。 そこでの皇帝との面会、通訳も百済の使節がやってくれる。要するに『おんぶにだっこ』だったのです。

ところが西暦662年に百済は唐と新羅の連合軍に白村江(しらすきのえ)というところで戦いに敗れ、滅びます。 『百済滅亡』です。 これ以降、日本の遣唐使派遣は大幅に縮小され、頻度も激変します。 朝鮮半島沿いの安全な航路は使えなくなったからです。 東シナ海を横切って福州の寧波へ行く。 これは当時の日本の航海術では困難だったのです。 

百済滅亡を機に日本は大陸から離され、独自の道を歩むことになるのです。 
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
<『くだら』は『くんなら』の訛ったもの>
から出発するのですね。回答者様が説明を省かれた部分を、私が(誤りをおそれず)独断で穴埋めして書きます。
もともと百済の地は、”百済”(読みは不明)と呼ばれていた。その地を、百済人と友好国の日本人は、敬称として、偉大な国家すなわち”くんなら”と呼んだ。そこで、”百済”の読みが”くんなら”となった、ということですね。したがって、高句麗の人などは、百済を”くんなら”と呼ぶはずはない、ですね。

お礼日時:2014/05/08 11:08

「くだら」又は「くたら」と読む


倭、和、大和を「やまと」となぜ読むのかわからないのと同じで、なぜ「くだら」と読むのかは謎です。
古代朝鮮語は現代朝鮮語と根本的に違う可能性が高く、現代朝鮮語からのアプローチには根拠がないので注意が必要です。


本トピとは関係なく、横ですいませんが失礼します
※14さん

>百済は662、3年の白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に敗れ滅亡します。 この国には天孫民族神話がありました。 それは大和民族のそれと酷似しています。 百済王朝の一族が別々に日本列島にやって来たことは想像されます。 今の宮崎県と島根県です。 我が国に残っている天孫民族神話は百済のものだと思われます。
> 彼らは当時の日本列島に住んでいた豪族とは比べ物にならないほどレベルの高い鉄製の武器を持っていたことでしょう。 島根県に上陸した百済人たちは斐川(ひのかわ)から出土する豊富な砂鉄から鉄製の刀剣を鋳造します。  優れた武器を持つ軍団が周りを平定しながらひたすら東へ進んで行く。 そして四十数年後に近畿地方に統一国家を樹立する。  そして自分たちを正当な権威者と宣言するため歴史書を作ります。 古事記です。 



あの百済の建国は346年とされています。
日本に鉄器が普及するのは紀元前後で、自力で生産できるようになったのは1~2世紀と言われています。

既に鉄器が普及している日本に、鉄製の武器をもった百済王朝の一族が、刀剣を鋳造して優れた武器を持つ軍団?という不明の内容になってしまいます。

朝鮮半島と日本に鉄器を輸出していたのは楽浪郡であり、朝鮮半島南部と、日本では鉄器の普及に差はほとんどありません。稲作に至っては現在では日本から朝鮮南部へと伝わったことが確定しているため、人口的にも
日本の方が優位です。
なので、技術的文化的に同等の倭が、何故か日本列島で少数の移民に征服される、というのはいささか空想的すぎると思われます。

広開土王碑などをみると、倭の勢力が朝鮮半島に及んでいたことがわかりますしね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
残念ながら、
<、なぜ「くだら」と読むのかは謎です。>
ですね。古代は、どうしても闇に包まれやすい、のですね。

お礼日時:2014/05/11 12:41

こんにちは。

 #2、#4の三度目の入場です。 

百済について多くの方の知見を読み賢くなった気がします。 とても参考になります。 

百済は662、3年の白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に敗れ滅亡します。 この国には天孫民族神話がありました。 それは大和民族のそれと酷似しています。 百済王朝の一族が別々に日本列島にやって来たことは想像されます。 今の宮崎県と島根県です。 我が国に残っている天孫民族神話は百済のものだと思われます。 

彼らは当時の日本列島に住んでいた豪族とは比べ物にならないほどレベルの高い鉄製の武器を持っていたことでしょう。 島根県に上陸した百済人たちは斐川(ひのかわ)から出土する豊富な砂鉄から鉄製の刀剣を鋳造します。  優れた武器を持つ軍団が周りを平定しながらひたすら東へ進んで行く。 そして四十数年後に近畿地方に統一国家を樹立する。  そして自分たちを正当な権威者と宣言するため歴史書を作ります。 古事記です。 

それ以来、我が国には数々の刀剣の名工が生まれています。 彼らは備前(岡山県)に住み、付近の砂鉄を原料に切れ味の良い日本刀を作ります。  『備前長船(びぜんおさふね)』の誕生です。 

奈良時代の有名な歌人に柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)がいます。 (660~720) 彼の最後は謎に包まれていますが、出雲の国の日御碕(ひのみさき)から船で逃れて行く途中で追手に捕えられ殺されています。 ここからどこへ逃げようとしたのでしょうか。 逃げるとすれば朝鮮半島しかありません。 
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この回答へのお礼

再三の説明ありがとうございました。
日本が、荒れる国際情勢のなかで、懸命に舵取りをしていたことが、良く分かりました。国内問題も国際問題も分けることができず、一体だったのですね。

この欄をお借りして、頂いた貴重な回答を、整理します。
”くだら”という読みは、何処で使われてたのか、といことを尺度に、雑駁ですがですが、2分させてもらいます。
1.朝鮮で”くだら“に類する呼び方がされていた、という説明をされた回答者様は、No1様 No2様 No8様 No9様 No11様 No12様の1から5、でした。
2.一方、日本でのみ”くだら”という呼び方がされていた、という説明をされた回答者様は、No6様 No10様 No12様の6、でした。

貴重な説明を、基にこれからも考えて行こう、と思っています。

お礼日時:2014/05/09 19:36

   #12です。

訂正です。

    穢と書きましたが、サンズイに、歳と書くのが普通です。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございました。

この欄をお借りします。
金容雲氏の「日本語の正体」という本を見つけました。
クンナラという言葉があり、「本国」という意味だったそうです。記紀の筆者である百済系の人は、百済を
”クンナラ”(クダラと変化したが)と読ませた、そうです。
これは、No2のIXTYS様のよせられた、「本店」と同様な解釈ですね。

お礼日時:2014/05/09 09:27

色々な説があるのですね。


1。  タは大の意。タラは村落の義(三品彰英、日本書紀朝鮮関係記事考証)
2。  貊族国の意のバクタラ(貊山)の略(大言海所引金沢庄三郎説)
3。  神楽坂カグラ(楽浪)の転訛か(日本古語大辞典=松岡静雄)
4。  コダラ(小多羅)か(雅言考)
5。  梵語クタラから(和句解)
6。 その国の人を河内国久多羅郡に住まわせたことから(和訓八例)

    の六説が『日本国語大辞典』に出ています。 僕はド素人ですが、分からないことが非常に多い分野だと思います。

    例えば、貊の位置は、下記の紀元前1世紀ごろの地図では現在の中国東北に位置していますが、紀元2世紀には、現在の朝鮮半島のウォンサン付近にあり、匈奴の圧力で南下して来た可能性があります。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4% …

    百済の前身と考えられる馬韓は、支配層が夫余系、被支配層が韓系の言語を使っていた(李基文『韓国語の歴史』p。47)とみられ、朝鮮半島の言語史は平面的な相違だけでなく社会的にも複雑と見られます。

    このようなことで、新羅系の今の朝鮮語が台頭し、全半島を風靡する「前」の語源は、「何語では、何という意味で、その証拠は○○である」という論拠がはっきりしない限り、意味が無いように思います。

   「くだら」は、数多い扶余、高句麗、沃沮、穢、貊、伽耶、百済など消滅した言語のただ一つの生き残り、である可能性もあり、その場合答えは永久の謎となる可能性もあると思います。
    http://www.weblio.jp/content/%E6%BF%8A%E8%B2%8A
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
やぁー、沢山の説があるのですね。日本の
<河内国久多羅郡>
もあるのですね。
<朝鮮半島の言語史は平面的な相違だけでなく社会的にも複雑と見られます。>
ですね。先人は、懸命に探索していたのですね。敬服します。

お礼日時:2014/05/09 09:06

上田万年他「日本外来語辞典」(1915年)では、次のような説明があります。

ご参考まで。

「クダラ 百の音は paik にして貊族たることを示す。 tari は、山の義、nara は国の義なり。クダラはpaik-tara 又は paik-nara の約にて、貊国、又貊山の義なるべし。」
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この回答へのお礼

早急な回答ありがとうございました。
単純に考えると、まずpaik-tari-naraと並べられ、次にpaik-taraあるいはpaik-naraに約された、ということですね。そして、いつか、百済という字でありながらも、
<貊国、又貊山>
の意を含んで、クダラと読んでいたのですね。

お礼日時:2014/05/09 08:55

余談だけど「百済」の (現代) 朝鮮語読みは #9 の参考にもある通り


ペクチェ
となります (「クチェ」ではない). 「ク」はパッチムなので強く発音されることはなく, 極端にいうと
ペッチェ
に近い感じ (ただし「ク」といおうとはしている) になります.
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
ご丁寧な補足でした。

お礼日時:2014/05/09 08:21

まあ, 「百済」は「くだら」と読むことが多いかな? 「ひゃくさい」も, 実は聞いたことがあるんだけど.



参考URL:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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この回答へのお礼

早急な回答ありがとうございました。
引用して頂いた説明によると、“クダラ”はある地名“居陀”や“古陀耶”なのですね。ただし、その比定地において、難点がありますが、ということなのですね。
今までとは、別の視点からの説明でした。

お礼日時:2014/05/08 22:23

補足



今日、たまたま韓国時代劇「デ・ジョヨン:BS7毎週月~金PM0:57~2:00」を観ていたら、韓半島の色んな国名が出て来ましたので注意して見聞してましたら

百済:韓国俳優はクチェと発音してました。
尚、字幕は百済(くだら)ルビ入りでした。 
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
韓国では
<クチェ>
と呼んでいるのですね。これは、”くだら”の”くだ”に関係がありそうでうね。
今までの貴重な回答をまとめますと、日本では”くだら”、韓国では”クチェ”や”クンナラ”、中国では”ひゃくさい”と呼んでいるのですね。

お礼日時:2014/05/08 20:00

くだらない国だったからです(^_^;

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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
”くだら”ない国の、どうでもよい”くだら”ないことを、”くだら”ない者が質問しましたら、”くだる”知恵者が貴重な”くだる”説明を送って下さいました。
ありがたいことです。

お礼日時:2014/05/08 19:43

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