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第二次世界大戦中、ドイツはイギリスと戦争し、ついでソ連に参戦しました。
その後アメリカとも戦争するのですが、
これは日本がアメリカと戦争状態に入り、自動的に日独伊三国同盟が発動されたからですか?
ドイツの立場からするとアメリカとも戦争するのはリスクが大きすぎると思います。
三国同盟を反故にすることも可能だったと思うのですが、
どうしてドイツはアメリカと参戦したのでしょうか?
それとも一方的にアメリカが攻めてきたのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

当時アメリカは宣戦布告のない状態で実質的にドイツに対し戦争状態でした。


アメリカ海軍の駆逐艦はドイツ潜水艦に対し攻撃を行っていました。 それ以前にも中古でしたが50隻もの駆逐艦をイギリスに供給してドイツ潜水艦に対抗する英国を助けていました。 これも厳密には当時の国際法では許されぬ違法行為でした。
英国がバトル・オブ・ブリテンの戦いに生き延びられたのもアメリカの輸送船供給と物資供給があってこそでした。

しかしドイツはアメリカと戦う事の不利益は判っていたので宣戦布告までは躊躇していたのです。

ところが日本が対米開戦に踏み出し、緒戦の真珠湾攻撃で大勝利を収めてしまったのがドイツにとっては不幸でした。
ドイツとしては偶然にもアメリカを2正面作戦に引き込めたので戦争遂行に希望が持てたので、三国同盟により宿敵アメリカに宣戦布告して参戦したのです。
三国同盟を破棄する余裕はドイツにはありませんでした。  猫の手も借りたかったのです。

ドイツはアメリカが対日戦に注力するのを期待したのですが、アメリカはヨーロッパ戦線を優先する戦略で全力でドイツに攻撃を集中し勝利を収めたのです。

アメリカは既にソ連の弱体化にはヨーロッパでの強化が必要な事を承知していましたし冷戦の予感を抱いて、パットン将軍などは対ソ連で強硬な態度をとるべきであるという主張を実施する程でしたのでやむを得ず暗殺した位です。
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第一次大戦中、米国ウィルソン大統領が14ケ条を発表し、ドイツを初めとする世界に休戦交渉をおこなった。

これによると、ドイツが降伏すればドイツ政府と国民が不利益無く収まるものであった。ドイツは降伏し、ベルサイユ条約が締結された。ドイツ政府は解体され、多額な支払い不可能の賠償金を課せられた。ヒットラーは米国に騙されたことを国民に訴えた。ポーランドに対して、もとはドイツ領であったダンツィとポーランド回廊を要求するが、もとドイツ領シュレジアは放棄すると訴えた。話し合い中にドイツ人が虐殺される事件が起こったが、ヒットラーはこれを開戦理由にせず、話し合いに固執した。ポーランドが英国に助力を求める交渉を行ったため、ヒットラーはボーランドに軍隊を派遣した。英国と仏国がドイツに宣戦布告を行う。
ポーランドを占領したヒットラーは、アルザス域を除いて、奪われたドイツ領を承認することを条件として、和平交渉を行ったが、これは受けいけられなかった。英国人捕虜275人を乗せたドイツ商船アルトマルク号をノルウェーの領海侵犯を果たして攻撃奪回した英国は、ノルウェー侵攻の偽情報を流して中立国ノルウェーを戦渦に巻き込んだ。
米国ルーズベルト大統領は、ドイツ製品の輸入品に高関税をかけ、米国内のドイツ資産を凍結したが、ヒットラーはこの挑発に乗らなかった。米国は英国を助ける代償に米英間貿易の不平等を解決したかった。米国は日本を挑発して裏口参戦を果たした。
ヒットラーはポーランド侵攻後に米国がいずれ介入することを予期していたので、米国は日本が「相手」をすることを望んだ。出来れば日本が米国を制圧するというプランを抱いていた。ドイツは三国同盟を「相互参戦」と日本に押し付けることに成功した。

1897年に米国は日本を仮想的国とする「オレンジ計画」を策定する。真珠湾攻撃の35年前である。
これは「仮想的国」好きの米国ならではであり、レッド計画(対イギリス)、ブラック計画(対ドイツ)、ブルー計画(対フランス)、パープル計画(対ロシア)とある。
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まず日独伊三国軍事同盟によって参戦したのではありません。

 第三条にそれらしきことが書いてますが、よく読むと攻撃を受けた場合に助けると読めますので、関係ありません。
 ヒトラーがアメリカと戦争をしたくなかったことは間違いないでしょうが、ドイツはほかに有力な同盟国がなかったので、参戦したとの考えがあるそうです。

参考URL:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sanngoku …
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> ドイツはイギリスと戦争し、ついでソ連に参戦しました。


> その後アメリカとも戦争するのですが

全然違います
まずドイツとソ連がポーランドに侵攻し、ポーランドの同盟国のフランスとイギリスがドイツに宣戦し、ドイツがフランスに侵攻して講和、イギリスへの空爆開始日本が仏印進駐、イタリアが英領エジプト侵攻、日独伊三国同盟、アメリカがイギリスへ軍備支援、日ソ中立条約、ドイツがソ連と仲間割れして宣戦、アメリカが宣戦布告無しに対独参戦、日本がアメリカに宣戦、アメリカが独伊に宣戦、という流れです
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 あーちゃいます、平たく言うとドイツが世界征服を狙ってってフランスやイギリスに戦争を仕掛けていたところに、アメリカが参戦してきたのです。



 で日本はその隙に乗じて、アメリカを攻撃してしまえと参戦しちゃったのです、その後三国同盟ができました。
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ヒトラーはあの時点ではアメリカとは戦争したくなかったようです。


日本が改選したために三国同盟によりしぶしぶ宣戦したということです。
アメリカは実質的には連合国側でドイツと戦争したがっていましたが、アメリカから宣戦することは世論上からもまずく、どうかして口実をみつけたがっていたところに日本が戦争を始めてドイツのほうから宣戦してくれたのは渡りに船でした。
というか、そのために日本に戦争を始めさせるように仕組んだというのが現実のようです。
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ドイツ(とイタリアが同時に)の方から、


アメリカに対して意宣戦布告したのです。
真珠湾から3日後の12月11日のことです。

アメリカの参戦が”早まった”のは
日独伊三国同盟のせいだということはできると思いますが、
根本的な原因はヒトラーの誇大妄想にあります。

ヒトラーはアメリカはユダヤ人が牛耳っていて
イギリス・アメリカという資本主義陣営は
ユダヤ人による世界征服の尖兵となっていると考えてたので
日本の攻撃成功をむしろ喜び、
ドイツ軍首脳部の困惑を他所に、本人は嬉々として宣戦布告しました。

結局のところバトル・オブ・ブリテンを途中終了して
バルバロッサ作戦を発動させたことでもわかるように
ヒトラーの精神構造には理屈が通りません。
ラテン語の格言に、
神は滅ぼさんとするものをまず狂わす、
という言葉がありますが、そういうことなんです。

1942年早々にユダヤ人根絶計画を本格化させますし、
皮肉なことに、日本が真珠湾を攻撃した直前、
つまりモスクワを占領を阻まれた時点から
枢軸国陣営は一気に敗色濃厚になっていったわけです。
ま、日本は率先してババ引いたようなものですな。


ドイツが三国同盟を反故にする云々は、
ヒトラーの念頭には全く無かったでしょうね。
反故にするならイタリアがエジプトに侵攻した時点ですべきでしたから。
結局、三国同盟は三国それぞれにとって
何の恩恵ももたらさなかっただけでなく
害にしかなりませんでした。
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基本的には、三国同盟の発動でしょうが、それだけではないでしょう。



当時ドイツは、イギリス、ソ連と戦っていました。
そのイギリスやソ連を援助していたのがアメリカです。

アメリカの立場は、完全中立ではなく、ただ兵士を送っていないだけで、実質イギリス、ソ連の同盟国でした。

日本とアメリカが戦争になれば、ヨーロッパへの支援が減少する事や、あわよくば、日本軍のソ連侵攻か、ソ連極東軍の牽制なども期待できますから、単純に三国同盟の破棄はできなかったでしょう。
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