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No.5ベストアンサー
- 回答日時:
当時の外交は、まだ欧州中心で考えるべきですね。
アメリカは当時原則的に「欧州不介入」ですから、まだ世界をアメリカ中心で捉えるべきではないのです。質問者さんはどうもアメリカ中心で考えておられるようで・・・この見方は第2次大戦終結後ならば正しいのですが、それ以前はやはりまだ世界は欧州中心です。
さて、欧州では中世以降、外交的対立によって対立軸がまるきり変わるというのはしょっちゅうでした。
ナポレオン戦争ではフランス対イギリス、オーストリアとドイツ諸連邦(プロイセン含む)、ロシアといった各国が対立しました。
クリミア戦争ではロシア対イギリス、トルコ、フランス、イタリア(このころはまだサルディニアですけど)という対決軸となりました。
その後に行われた普墺戦争(とイタリア独立戦争)ではプロイセン、イタリア対オーストリアという構図です。もっともこの2つは2国間の戦争ですけどね。
その後の普仏戦争ではプロイセン対フランス、という構図です。まあ、これも2カ国間の対決ですけど。といってもこの3国(イタリア、ドイツ、オーストリア)、あとで共同歩調をとります。
また、中国利権に関するアロー戦争では、イギリスとフランスは共同歩調を取っています。
なお、日清戦争で勝利した日本は、中国での利害対立からフランス、ドイツ、ロシアの3国と対立します。いわゆる三国干渉です。つまりこの3国はこのときは共同歩調。
20世紀にはいってからは・・・
日露戦争では日本とイギリス(日英同盟)、フランスとロシア(露仏同盟)という対決軸を見ることができます。もっとも、イギリスとフランスの代理戦争とも見れますけどね。
この時代(20世紀初頭)の対立軸は英・露仏・独墺伊の3すくみです。
しかし、10年後には英仏露の三国協商と独墺伊の三国同盟という対決軸となっています。
しかし対戦直前、独墺伊からはイタリアが抜けてかわりにトルコが入り、英仏露伊、独墺土という構図に変わります。
このように19世紀以降の大規模な動きを見るだけでもめまぐるしく対決軸が変わるのが欧州情勢です。アメリカと日本は、第1次も第2次も、この軸に巻き込まれたと考えたほうが良いでしょう。
No.7
- 回答日時:
その時その時の国益を考えれば、外交関係は変化するのが当然です。
現在の日米関係が続いていること、むしろ異常なのです。第一次の時は、日英が極東アジアにおける国益を考慮し、日英同盟が成立しています。そのイギリスは、アフリカ・アジアでドイツと敵対関係にありました。
だから自動的にドイツは日本の敵になるわけです。
第二次の時は、フィリピン・太平洋におけるアメリカの権益が日本に奪われそうになったため、日米関係が悪化したのです。
基本的に軍事的経済的に助け合うのが同盟です。時に名目だけの同盟もありますが…。
No.6
- 回答日時:
そもそも近世の戦争というものは、人種・宗教・思想的な対立よりまず経済的な理由から行われます。
ゆえに、「戦うより仲間になった方が得」と考えれば、敵味方なんてあっさり変るものです。第二次大戦での日本・ドイツ・イタリアの同盟などは、西欧やアメリカと対立したもの同士の連合ですしね。なお日本とドイツの場合、大戦中は双方の距離が遠い上に途中が敵の勢力圏であったためになかなか交流できませんでしたが、潜水艦によりドイツから新兵器やその図面、日本から南方から採取した天然ゴムなどの資源をやりとりしています。(途中で沈められたものも多いですが)あと、インド洋のスラバヤ泊地ではここを拠点に日本海軍と派遣されてきたドイツ海軍の潜水艦が共同して通商破壊作戦を行っていました。ドイツ降伏後にはドイツ潜水艦は日本軍に接収され兵は拘束されましたが、もともと仲がよかったので素直に譲ってくれ、日本側も収容施設でかなり自由を与えていました。
イタリアとドイツの場合、北アフリカやロシア、ユーゴスラビアなどでいちおう共同で戦ってはいるのですが、あまりにもイタリアが弱すぎてむしろ足手まとい、特に北アフリカでは本来ドイツは戦う意味が無かったのにイタリアに助けを求められて無駄に戦力を割いていましたので、むしろ損でした。
No.4
- 回答日時:
昨日の敵は今日の友、とでも言いましょうか。
第一次世界大戦の数年前は、ヨーロッパでは敵の敵は味方とばかりに、利害の一致、不一致によって次々に国際関係が変化しました。
結局、ドイツを中心とした三国同盟と、イギリス、フランス、ロシアを中心とした三国協商の陣営に分かれて世界大戦が始まります。
で、日本はと言いますと、この戦争と直接的な因果関係はありませんが、イギリス政府の要請で参戦することになりました。同盟関係を結んでいたため、どちらかの国が攻撃されたら援助するという約束です。
ドイツに宣戦を布告しますが、ドイツという国と対戦したというより、ドイツが中国に持っていた領土を、奪ったという形になりました。また、連合国の要請で、欧州に軍隊も派遣して救助活動などもしました。
アメリカは当初は中立を保っていましたが、ドイツが民間人(アメリカ人多数含む)の乗った船を撃沈したことにより、世論のドイツ批難が高まり、参戦することになりました。
そういう経緯ですので、
>第一次のときは日本はアメリカ側で
というのは結果論であり、アメリカと同盟を結んでいたとか、利害が一致して連合国側に一緒に入った、と言うのとは少し違います。
一次大戦後日本は、大戦中からの中国進出を警戒したアメリカ、イギリスなどと徐々に険悪になっていきます。列強は、東洋の小国日本がこんなに国力が大きくなっていると知って驚いたのです。
また、戦争に負けたドイツでは経済が非常に苦しく、また、その原因を作ったベルサイユ条約(第一次世界大戦の条約)に大きな不満がありました。そのベルサイユ体制の破壊を目指したのがヒトラーで、国民的支持を得ます。そんなドイツに対して、イギリス、フランスは警戒し、包囲網を形成してゆきます。
その後日本は満州事変を批難され、国際連盟を脱退しますが、国際的孤立を恐れ、ドイツに接近します。日本の軍事拡大行為も、ベルサイユ条約に反したものでした。ドイツとは一次大戦で敵とは言っても、それは間接的なものだったため遺恨はほとんどありません。
日本は中国大陸の権益でアメリカと大きく対立、ついに経済封鎖を受け、アメリカと戦争に突入します。
ちょっと話がそれますが、ドイツは日本がアメリカ、イギリスと戦争をする約2年弱前にヨーロッパ戦線でイギリス、フランスと戦争状態に入っています。
その1年後、日本とイタリアとドイツで三国同盟が結ばれます。
ですので、日本がアメリカ、イギリスに宣戦布告した時点で、ドイツ、イタリアも同盟国ということでアメリカに宣戦布告しました(イギリスとは、ドイツ、イタリアはすでに戦争中)。
ドイツはイタリアと助け合っていましたが、日本は中国とアメリカとの戦争で忙しく、ヨーロッパ戦線まで見る余裕はありません。ドイツ、イタリアも同様です。しかも、援助を受けると言っても、日本とヨーロッパでは遠すぎるので、途中で撃沈されたりもしたため、ほとんど情報交換程度で終わってしまいました。
余談ですが、イタリアは降伏した後、イギリス側に付いて今度はドイツに宣戦布告しました。
ちょっと余分な説明が長すぎました。。
この時代の国際関係は複雑なので、かなり大雑把な感じでしか回答できていませんが、ご了承ください。
No.3
- 回答日時:
日本は第一次世界大戦にはイギリスの同盟国として参戦。
第一次世界大戦後、その反省をもとに国際連盟(現在の国連とは無関係)が発足される。
その後、日本・ドイツ・イタリアが脱退、「日独伊三国軍事同盟」を締結。
第二次世界大戦に突入していく・・・。
1番さんの書かれているように兵器開発の情報交換は行われており、ドイツで開発されたジェットエンジンの設計図も終戦直前に日本に送られ、ジェット戦闘機の試作機「橘花」も製作されています。
話は脱線するが、日本の歴史の教科書はもっと明治維新から第二次世界大戦に突入していく事をもっと詳しく教えないといけないと思うのですがね・・・。
No.2
- 回答日時:
第一次のときは、日本はイギリスと同盟を結んでいました。
そのイギリスにドイツが宣戦布告したので、
日本はイギリス側に立って参戦。
必然的に日本とドイツは敵同士になったのです。
戦争後半にアメリカはイギリス側に立って参戦。
必然的に日本とアメリカは味方同士になったのです。
第二次は、日本はアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、などの
諸国と対立。
(主な理由は、日本の中国進出をこれらの国々が気に入らなかったため)
そして日本は、これらの国々と同じく対立しているドイツと同盟を
結びます。
(ドイツは第一次大戦の敗北で失った領土を取り戻そうとしているのを
これらの国々が気に入らなかったため)
結局、日本はアメリカの経済制裁に追いつめられアメリカに宣戦布告。
ドイツもフランス、イギリス、ソ連と戦争状態になり、アメリカが
日本と同盟を結んでいるドイツと戦争状態になりました。
両大戦とも、味方になった国々はお互い出来る限りの援助や協力、連携
を行っています。
食料や武器、衣服などの物資を送ったり、一つの敵国に対し別々の場所
で攻撃を加えたり・・・。
両大戦とも、それまでの戦争と違って規模も大きく、いっぱい兵隊を
失う武器が出現したり、高価な武器を使ったり、長期化したため
食料や燃料も不足したので、各国とも単独では戦争をつづけられない
状態になってしまいました。
No.1
- 回答日時:
最初の質問について。
世界情勢なんてそんなものですよ。第1次から第二次まで
間隔が30年ほどあります。
30年と言えば、ちょうど親と子ほどの時間が過ぎてる訳
ですから、その間に権力者の世代交代が各国で頻繁に起こってます。権力者が変われば国策の方向性も変わりますからね。
それと、日本はドイツという国や国民に恨みを持ってる
から敵になった訳ではないですよ。その当時の同盟関係
から敵になっただけです。
次の質問について。
ある程度は助け合いますよ。ただ第二次で日本と同盟関係
だったドイツやイタリアは地理的に遠かったので直接的な
共闘は無かったです。
新兵器の設計図を交換したりというのもあった様ですが・・・。
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