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こども(小6)が
「宿題をやって行かないと 連帯責任で 体育の授業が受けられない」
と 言ってました。

先日 ニュースで どこかの中学でタバコを吸った生徒たちに連帯責任を取らせて坊主にした記事がありました。(検索エンジンで 「連帯責任 坊主」で出てきます。)
==質問==========================
何故、連帯責任では 指導する立場の人が一緒に 責任をとらないのでしょうか?
例えば タバコを吸った生徒がいたら 「私の指導が悪かったので 私が責任をとります」でしょう。
何回言っても わからなかっくっても それでも 責任は大人側ではないのでしょうか?
(これが 現行の少年法の考え方にも反映していると思います。詳しくはわかりませんが。)

もうひとつ質問があります。
何故 坊主になることが 責任を取ることなんでしょうか?これだけ 髪型や髪色が多様化してて 坊主もひとつの髪型ではないのでしょうか?
それ以前に 「人は見かけで判断しないこと」と教えるのに何故?
(第一 髪の毛は 半年もすれば 男子ならフツーの長さになるのに・・・。)
(もちろん 強要するのは ダメだし、他人の体の一部分ですから 無理に切ったら 傷害罪?)
不思議です。
==================
私は 40代のオヤジです。
気分でたまに坊主(0.5mm-3mm)にします。
伸ばしてオールバックだったのが 翌日 いきなりってこともあります。
短くすると 電車などで ぶつかられて よく謝られるような気がします。不思議??

A 回答 (14件中1~10件)

いつも楽しく回答を読ませて頂いています。



>確認ですが、ミソギで坊主にするのが 時代錯誤がはなはだしいんですよね?
という一言に思わず吹き出してしまいました・・・(笑)

さて、私も基本的には連帯責任に教育的価値はないと考えておりますし、実際にはそうしなかったとは言えその様な発言があったこと自体が残念です。

ただ最近の子供達に多く見られる特徴の一つに、他者への咎めを他人事としか捉えることが出来ないという点があげられます。
例えば授業中に話をしている子供が何人かいたとします。私達の時代であれば一人に注意を促せばクラスの皆がピリッとしたものです。
しかし最近では誰かが注意を受けても自分への名指しでなければ「私じゃないのね」といった感じで再び話し始めるのですよ。
教員によっても確かに子供達の反応は違います。ですのである程度までは教員の指導力を問える問題なのですが、それでもやはり限界があります。
公立の場合は中学、高校になるほどその傾向が強くなります。
個々への対応がより必要な時代になってしまいました。
いわば『連帯責任』で何とかなる時代は既に終わっているとも言えます。

「時代錯誤」というのは的を射た言葉で、坊主頭や軍隊、みそぎ云々という時代的観点からではなく、「現代の子供達の心理、行動面を本当に理解しているか?」という点において正に時代錯誤だと考えます。
今、多くの子供達にとって連帯責任は仲間から反感を買う材料でしかありません。言うまでもなくそこから連帯感など生まれるはずもありません。
教員も本当はそれが分かっているはずです。もし本当に分かっていない教員がいたとすれば情けない・・・。
では何故そうするか、そう言うか?ですが、多くの場合はそれ以上の指導力を持ちえていないゆえの悪あがきでしかないと想像します。
懇談で話をしたくても、本当に来てもらいたいと思う保護者ほど懇談には不参加だったりします。
なので子供達の口から伝わることも十分考えた上での発言であると思います。しかし子供だって墓穴を掘ることはしませんから、本当に宿題をしなかった子供は親に言うはずがないわけで、これもまた虚しい結果に終ることは目に見えています。

以前中学生の息子が「同じ班の誰か一人でもマスクを忘れると全員が翌週も給食当番をしなきゃならない。今週も又エプロン洗わなきゃならないんだ。迷惑かけてごめんね。」と2週にわたり言ってきたことがあります。お陰で3回も洗濯させて頂き、保護者としての連帯責任を取らせて頂きました(笑)
忘れる子供は大抵決まっています。
何故かその後も一緒の班になることが多かったようですが、2週続けて洗うことは以後ありませんでした。
教員も本当に困っていた様で、懇談の際には息子に対して「彼の事で何かと迷惑かけて悪かったね」と言ってやって下さいました。
肝心なのはその後の対処ではないかと思います。ねぎらいの言葉がけを忘れずにすることで、上手くいくこともあるのです。もしその言葉が無ければ息子は恨みの感情を持っていたかもしれません。
教員がどこまで子供の心を理解し、踏み込むことが出来るか?で、その価値は多少変わってくるのかもしれません。

>何回言っても わからなかっくっても それでも 責任は大人側ではないのでしょうか?

仰る通りです。
叱られるより、親が自分の為に頭を下げている姿を見せる方が余程子供の心に訴えかけるものがありますよね。
それと同じで、「誰かが宿題を忘れたら私が一人で教室の掃除をします」と宣言し行動すれば何かが変わると思いますし、そうあってほしいと願います。

同じような事ですが、過去にクラスで物が無くなる事件が相次いだ際、教員が警察に通報すると言って初めて名乗り出た子供がいました。
その時に教員が「名乗り出てくれるまで毎日先生が教室の掃除(←また掃除・・・笑)するよ」と言って頑張る姿を見てることで名乗り出させた方が、より良い結果に繋がったかもしれませんね。
しかし最近の子供達だと「ラッキー」という感じで流されそうな不安も無きにしも非ずですが。

余計なお世話かもしれませんが、

>短くすると 電車などで ぶつかられて よく謝られるような気がします

やめた方がよいかもです。ファッションの一部にはあまりなってなさそうですし・・・。
それにスケベオヤジに見えなくもないので、電車に乗る時には別の意味でも注意してください。

ということで、

>何故 坊主になることが 責任を取ることなんでしょうか?これだけ 髪型や髪色が多様化してて 坊主もひとつの髪型ではないのでしょうか?

見かけで判断する人間が多いことを教員自身が分かっているからですね。
再生するという点で言えば、爪でもよいわけですね。
「それでは連帯責任で全員爪を切るぞ!」と言って一人づつちまちま切ってる姿を想像すると「なんだかな~」と思いますし、実際聞いたことありませんね。
やるからには大きめのパフォーマンスも必要なのでしょうか。
「やってやった」という満足感が欲しいのかもしれませんね。
可哀相な人達です。

この回答への補足

補足です。

質問とは関係ないですが・・・。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1729465

補足日時:2005/10/27 18:23
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。発言があっただけでも遺憾なことですね。

「連帯感を持つ」と「連帯責任をとる」とは違うことですよね。

>教員がどこまで子供の心を理解し
理解=連帯感(=communication) なのかもですね。
(相互理解がcommunicationだから当たり前か・・。)

「ラッキー」は大人であり過ぎなのでは?と感じてます。自省を含めてですが、大人気(だいにんきではない)とは自制心を持っててコントロールできることだと。公共の福祉を考えてみるとか。

>見かけで判断する人間が多いことを教員自身が分かっているからですね。
自分が見かけで判断するからなんだと思いますよ。
私は こどもに 罰で坊主頭にしようとは考えません。だって自分が 罰でないのに坊主頭なんだし。
「爪でもよいわけで」と読んだとき、「爪をはがすのかぁ。過激だなぁ。」と思っちゃいました。

>「やってやった」という満足感が欲しい・・・。
この質問にご回答を!
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1728669
=========================
えっ 「ぶつかられて」ですよ。自分からはぶつかったりなんかしませんよ。
スケベオヤジには見えます!もしかして 私のことを知ってるのですか!?
==坊主の話======================
坊主(丸刈り)にしたのは、高校のときに運動会の棒倒しで負けて 次の日に坊主にしたのが初めてでした。前髪がないと自分を隠せる?感覚がなくなり、気分が前向きになります。
サッカー選手やお笑いの松本やタレントさんでも坊主頭(剃ってはいません)おおいと思うんですが・・。
洗髪時にシャンプーやお湯の量が少ないので環境にやさしい髪形ですし、セットも整髪料も要らずで 寝癖もつかないし。それに おでこをぎりぎりまで洗えますし。
とにかく 否のない髪型です!!
でも 雨粒が痛かったり ちょっとものに当たると痛いのが難点ですね。髪の毛が頭が保護しているのを実感できます。

お礼日時:2005/10/27 17:24

連帯責任。

確かに馬鹿げた話だと思います。
坊主になることが責任をとることではないと思います。日頃から坊主頭にしている人に対して失礼でもあります。
しかし「指導する立場の人が一緒に 責任をとらないのでしょうか?」というのはどうでしょうか。
本当にその人の「指導が悪かった」のでしょうか。
教育とは、その時に生徒に理解されなくても、後で「あの時に先生が言っていたのは、このことだったのか…」と生徒が気づけば成功なのです。
ですから、もし先生が悪いとするなら、それは法律を犯すような行為をした生徒に何も言わなかった場合や、連帯責任などという理不尽な処置をした場合ということになるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>「指導する立場の人が一緒に 責任をとらないのでしょうか?」というのはどうでしょうか。

そうですね。ここの部分は、なんともです。
連帯感を強制的に持たせるための指導者からの強制的な連帯責任であるなら、指導者自身が連帯責任に入ってしまったほうが、連帯感を持ちやすくなるのではないだろうか?と直感的に私が考えてしまっているためです。
(これ以上の説明がつきません・・・。)

お礼日時:2005/11/03 11:13

>教師は特権階級?では ないですものね!


ただ、次世代に対して大きな影響を与える職業なので 責任と権限を明確にして より大きな責任と権限を持たせるのが良いと考えております。
(「なんでも 学校に相談下さい」的では破綻してます。)

「権限」の意味をご存知でしょうか?
教員が公の職業である以上、法規制以外の処罰を与える権利はありません。
又指導者にとって『より大きな権限』なんてものは存在しません。
権限が大きさを増せば個人的な『権力』でしかありませんから。

あまりに極論なので閉口してしまいますが、「学校に相談してください」という意味もどうやら誤解されているようです。何でもかんでもじゃまるで馬鹿としか言い様がありませんよね。ポリシーは持ちつつも相手の意向を受け入れ思考する柔軟性をと余裕を持つことこそ指導者に必要な要素であるわけで・・・。
よく教員が発する「相談してください」はそういう意味合いですね。「私は私なりの考えでより良い環境を整えていますが、疑問に感じたことなどがあれば遠慮なく・・・。」といった意味ですね。

>指導=処罰 と世間で考えられてしまっているのが残念です。

誰が決めた「世間」ですか?少なくとも私はその様には考えていませんが。
指導=処罰と認識しているのは、ほんの一部の処罰に対する快楽主義者でしかないと今日の今日まで思っていました。
躾と称した虐待で我が子を殴り殺す殺人鬼と、行っていること自体は何ら変わりありませんよ、極論で言えば・・・ですが。

>「教育現場ではそんな悠長なことはしていられないんだ。現場をしらないからだ。」と突っ込まれそうですね。

そうですね・・・(笑)

どうしても議論になってしまいますので、もし自動的に削除がかからなければ自分で依頼します。
それでは、またどこかで・・・。

この回答への補足

言葉の定義とか 言い回しとか これだけの短文で書き表すのは難しいですよね。
(ISO用語での 責任と権限 でつかってみました。)

だから バカなんですってば。
でも、愛想の良い校長や教育長などの発言はそうもとれなくもなくないですし。
(私はそうは理解していないのですが、PTAなんかで話していると なんでも こどものことを任せられると考えている保護者の方がいらっしゃいます。)

なんとなく 私と似たような 考えなのかなぁと感じてしまうこともありますが・・。
(と思われるの嫌でしょうけど・・・。)

でわ でわ~

補足日時:2005/11/01 12:55
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この回答へのお礼

補足です。

>だから バカなんですってば。
って 主語は「私自身が」です。

お礼日時:2005/11/02 19:55

すみません、余計ややこしくなりましたね(笑)



基本的には

>No.4にも書いたように連帯責任とは学校側が生徒に対して科す「罰」であり、いかなる「罰」も受ける側が納得するかどうかなど考慮しません。これは「罰」だけではなく「罰」を与える判断基準となるルールも同じで、お子さんが通う学校でもすべてのルールと処罰を生徒が納得した上で決定してはいないでしょう。
 つまり「ルール」や「罰」というのは、それを決定し実行する側と従う側に権力の偏りと強制力が生まれます。そして「ルール」や「罰」は集団全体の秩序を守るために作られるので、従う側の心情というのは考慮されません。質問内容が「何故、連帯責任では指導する立場の人が一緒に 責任をとらないのでしょうか?」と「何故 坊主になることが 責任を取ることなんでしょうか?」の二点でしたので、私は連帯責任という「罰」の性質についてNo.4で説明したことをご理解ください。
 ただし『教育現場における「連帯責任」の弊害や「坊主」という罰の問題に関しては質問と関係ない』と書いたように、教育現場で用いる「罰」として連帯責任が正しいかどうかは疑問です。overtoneさんはお子さんが納得していないことを気にしていらっしゃいますが、問題は子供が連帯責任を「納得するかどうか」ではなく「理解できない」ことで、子供が理解できない「罰」を用いても教育効果は現れません。ですからovertoneさんが連帯責任という「罰」をなくしたいならば、「子供が納得できない」を理由にするのではなく「子供が理解できない」ことを申し出るべきだと思います。

というNo.10さんの回答に対する個人的見解を述べたまでで、あくまでルール違反ですから削除対象かと思われます。
勿論No.10さんの回答は質問に忠実であるとは思いますしそれを教育現場に適用することに賛同されているのではないことも理解しています。
ただ、もしも教育現場に「連帯責任」という名の罰があるとすれば、それは少し違うのではないかと感じた次第です。
しかしマナー違反には変わりありません。反省しています。

しつこいようですが、私は教育現場における連帯責任を他の連帯責任と同一線上で語ること自体が基本的に間違っていると思います

ところで他の連帯責任と・・・と自分で書いておきながら何ですが、日常生活において連帯責任があるとすれば、一体どのような場面で出合われた事がおありでしょうか?私は数十年前に小学校で経験したのが最初で最後です。笑い話の一つにはなっていますが、それによって何か得たか?と言えば、不満以外は何もないですね。

そもそも教員に処罰を与える権限があるということ自体不思議でなりません。親の私でさえ処罰の資格は無いと考えているのに・・・。
あ~、関係ないかもしれませんが、我が家では理に適ったルールしかありませんので。
宿題を忘れれば翌日に2日分させますし、失敗すれば初めからやり直し、物を壊せば小遣いから弁償し、法に触れるような悪い事をすれば交番に連れて行きます。
それが「責任を取る」ということだと考えています。ですので親子双方に罰という認識は一切ありません。

又、質問にお書きの「喫煙に対する処罰」は教員が行うものではないと考えます。
きちんと警察に自ら出頭させる・・・それが唯一指導者が取るべき行為ではないかと思います。
それを一斉に丸坊主・・・。
連帯責任という名目で真っ当な教育をしたかのような気分に陥っている教員を可哀相な人と評価するのはそういった考えのもとに発したものです。

責任を取ることと罰を受けることは、全く次元の違う問題です。
罰から得られる物があるとすれば、それは子ども達が自らそれを決定した場合に限り一部有効であると想像します。
あまり好きなやり方ではありませんが、どうしても罰を利用した教育を求めるならば(色んなやり方があるでしょうからあえて否定はしませんが)、教員はあくまで提案だけにとどめ、後は子供達に委ねるのが最良の方法かと思います。

余談・・・家庭で「連帯責任」と称して関係のない兄弟にまで罰を与えたなら、一生兄弟関係は上手くいかないだろうな~。学校ならそれが有効に働くのかな~・・・ちょっと不思議。私はまだそんなことしたことないし、しようとも思わないけどな~。
上の息子がタバコを吸った罰として下の息子の髪の毛も一緒に切るの?え~っ!

「辞職」することによって「責任を取った」つもりのお偉方・・・あれと同じような発想かな(笑)

この回答への補足

複雑すぎますっ!

もう わかんないんで、見当違い過ぎることを書いてしまうかもしれません。
========================
「連帯責任」は、
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1745267
のNo.6で書いたような、こどもに対する保護者としての責任なんかはそうだと考えてます。
でも 連帯が足して100%なら そうではなく 保護者各人が 100%の意識を持つ必要があると考えています。

保護監督の責任として、警察に連絡する。ものと思われます。未成年者に出頭させるのも一理とは思いますが・・・。

教師は特権階級?では ないですものね!
ただ、次世代に対して大きな影響を与える職業なので 責任と権限を明確にして より大きな責任と権限を持たせるのが良いと考えております。
(「なんでも 学校に相談下さい」的では破綻してます。)

指導=処罰 と世間で考えられてしまっているのが残念です。指導=指差して、導く と考えております。(間違えているかも)
「教育現場ではそんな悠長なことはしていられないんだ。現場をしらないからだ。」と突っ込まれそうですね。
でも、テロの憎しみの連鎖については 否定していながら、自分の目の前の矛盾を容認する。そんな 教師の方もいらっしゃいます。残念です。(論理の飛躍?)

辞職などで責任をとるのを容認するは世間と思いますが・・・。
====
教育=教え育む(そだてるではない!)
労働=(共に)働き(共に)労う、(他人を)労わるために働く
そんな 概念なんだと思いますが・・・。
よく こどもともそんなことを話しています。

補足日時:2005/11/01 10:23
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的外れな回答でしたらスルーしてください。



単に強制力を持たせただけの「連帯責任」という罰が、教育上有益なるものを与えることが可能だとは到底思えません。
宿題忘れに対しての授業放棄・・・大人であれど理解は出来ませんよ。子供に理解できるはずなどありませんし、私も説明できません。

私が書きたかったのは「連帯責任といえど、様々な状況の中では、やり方次第で何とか出来なくもない(否定の否定で極めてゆるやかな肯定)」という事です。

ただ現実問題として、理解出来もしないことを無条件に受け入れる時代ではなくなった事を教育者側が理解しておかなければならないと思うのですよ。
連帯責任がその役目を果たせなくなってしまっている事にさえ気付かず、それを指導や教育という範疇で行われていることに疑問を感じます。
うちの息子のように個別にねぎらいの言葉をかけることが必要なのだとすれば(教員がその点を理解していたのが救いではあったものの)、一体何の為の連帯責任なのかが疑問です。

相手を鉄砲や爆撃で殺傷し国を滅ぼすことが目的の軍隊などと、知性を与え、人を愛し育まれ育むことを目的とした教育現場が、同じ理論の下で不条理な罰則を与えるというやり方で人間そのものを矯正しようと考えるなら、それはやはり根本的に間違っているとしか言えません。
罰だから何でもありですか・・・。
そんなものから本当に仲間意識が生まれるでしょうか?
確かに子供によっては迷惑をかけないよう配慮する力が育つでしょうけれど。
それにしてもやはり『道理』は必要であると感じます。
マスクを忘れて当番を2週・・・これは取って付けたような友情論で何とか子供への説明がついた為黙認しましたが、授業放棄となっておれば「何故そうするのか?」と教員に尋ねたと思います。
教育における罰にも条理が必要です。
法の場における罰にも条理は必要です。だからこそ長い時間をかけて裁判が行われます。同じように1人の人間を殺したとしても量刑が違うのもその為ですね。

そして子供を育てた経験のある人間であれば分かるはずですが、「理解」のみならず、「納得」のないところには何も育たないという点は無視できません。
納得のいかない部分から反省は生まれません。反発が生まれるだけです。

余談ですが、喫煙は何故20歳以上ならOKなのでしょうか?
答えは一つしかありません。それがルールだからです。
19歳ならダメで20歳なら許される。何故??
統計上まだまだ明確になっていない部分もあるようですが、健康上の理由からなら全面禁煙にすべきですね。
最近では学校内での教職員の禁煙も珍しくなくなりましたが、今でもスパスパ吸っているところがあります。
子供達が頻繁に出入りするにもかかわらず・・・受動喫煙の観念はなさそうです。
なのに子供がタバコを吸えば罰則ですか?
警察に通報すればよいのです。そこで国が定めた処罰を受けさせればよいのです。それが法律なのですから。
逆に、教員に違法行為を処罰する権利があるとでも言うのでしょうか?
教員は裁判官ですか?どこぞの刑務所の刑務官ですか?

そこには納得も理解もありません。
納得や理解がなくても許されるのは罰ではなく取り決めに関してのみです。それも法で規制されていない部分でのみです。
勘違いしてはなりません。

要するに「宿題を忘れたら罰を与える」という取り決めは指導する側が必要に応じて行えばよいのです。
問題は、『罰の度合い』を一教員が個人的な感情の下に決定することにあります。
学活の時間にでも「宿題忘れが何人いた時にどのような罰を与えるか?」を子供達に話し合わせると良いのです。
そうすれば細かな部分で納得がいかなかったとしても「クラスの皆で決めた」という点で説得力があり効果が期待できます。

別に批判するつもりはないのですが、確かに質問内容に対してのNo.10さんの回答は的確です。
ただ、
>No,7に補足質問が投稿されているので回答します(以下省略)
の部分についてはどう読んでも補足質問には受け取れません。学校側に対しての発言であることは十分理解できると思いますし、実際私はそう理解しました。
別に説明不足ではないと思いますが・・・。
(この発言もルール違反ですね。お気に触れば削除依頼して下さい。)

参考URL有難うございます。がんばります。

この回答への補足

私がバカすぎてわかりません!
これは 私に対するご回答なのでしょうか?
難しすぎる・・・。ん~。

補足日時:2005/10/31 22:31
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 No,4とNo,7に投稿したKotarou-BBです。

No,7に補足質問が投稿されているので回答します。

>「連帯責任の小学校における教育効果を教えてください」と聞いています。

 OKWaveでは議論が禁じられています。ですから最初の質問にみんなが答え、自分の回答に対する「この回答への補足質問」や「この回答へのお礼」にのみ追加で回答や補足、提案を行うのがルールだと私は理解しています。

 当初の質問は「何故、連帯責任では 指導する立場の人が一緒に 責任をとらないのでしょうか?」と「何故 坊主になることが 責任を取ることなんでしょうか?」の二点であり、私が回答したNo,4のコメントで質問(もしくは疑問)と思えるのは「強制的に連帯責任を負わせるのは こどもでも納得ができないようです。(大人なら納得できますか?)」という一文です。これを見る限り私は「連帯責任の小学校における教育効果を教えてください」という質問をされていないので、それ以外の質問には答えようがありません。

 ちなみに「連帯責任の小学校における教育効果」に該当する内容はNo,4に記載しています。

『教育現場における生徒の「連帯責任」はルールの強制力を増すことと、「自分がルールを破ったらみんなに迷惑をかける」という状況で仲間意識や集団生活を学ばせる意図があり』

 表現は「意図」となっていますが、「教育効果」というのは教育する側が意図した結果のことを指します。ですからそれ以外の結果は「教育効果」と呼びません。つまり上述した一文を「教育効果」と認識して問題ありませんし、実際にどれだけの効果が現れるかというのは教育現場で統計をとらない限りわかりません。

この回答への補足

再度ではありますが、
論理的な展開のご回答を戴いている(と私が思っている)方に対して、「答えられないだろなー」などとチャチャを入れていられません。

本当に説明不足で申し訳ございませんでした。

補足日時:2005/10/31 12:24
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この回答へのお礼

ごめんなさい。

説明が不足しておりました。


>「連帯責任の小学校における教育効果を教えてください」と聞いています。
は、こどもの通学している担任教諭への連絡帳へ書いたもので、Kotarou-BB様へ向けてのご質問ではございません。

また、その下の「答えられないだろうなー」もこどもの通学している小学校に対しての言葉であります。

まったくの説明不足で、Kotarou-BB様をご不快にしてしまったことをお詫び申し上げます。

また、「教育効果」については 私が素人なので わかっていないで用語を利用したものです。
教えていただきありがとうございました。
(担任教諭から 「教育効果がこんな風にあります」みたいな回答がきたら おかしいって事ですね。)

いろいろとご教授・ご指摘 ありがとうございます。

お礼日時:2005/10/31 07:57

まずびっくりなのが「連帯責任で体育の授業が受けられない」と言うこと。

小学生ですよね?小学校の教師に子供の義務教育を邪魔する権限などありません。教育委員会に訴えたほうがよろしいかと。そもそも国民の税金で食わしてもらってる公僕のに難癖つけて職務を果たさないとは言語道断ですね。

個人的に連帯責任ほどくだらない物はないと思います。他人は他人、自分は自分。自分が間抜けでタバコすってるのがばれたら自分の責任、教師に怒鳴られるなりされればいいのです。関係ない人間を巻き込むなと思います。「何もしてないのに連帯責任取らされるなら俺らもやっちまおうぜ」と言うことにもなりかねませんし。ま、個人的に未成年がタバコすうのはある意味しょうがないと思いますがね(どうしても一部吸う奴は吸うし)大人への反発もあるのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

まぁ 体育の件は 冗談かもしれませんので・・。
担任教諭とはよく話しているので、時間を見つけて聞いてみます。

憲法では 内閣と国会が連帯責任なんですねぇ。
(議院内閣制だから当然?)

>俺らもやっちまおうぜ
これではまずいですよね。
いじめの原因にもなりかねませんよね。

タバコは個人的に嫌いなんですが・・・。

お礼日時:2005/10/27 17:28

 No,4に投稿したKotarou-BBです。

私の回答が質問者さまに誤解を与えているようなので、回答の補足として投稿します。

>強制的に連帯責任を負わせるのは こどもでも納得ができないようです。(大人なら納得できますか?)

 No.4にも書いたように連帯責任とは学校側が生徒に対して科す「罰」であり、いかなる「罰」も受ける側が納得するかどうかなど考慮しません。これは「罰」だけではなく「罰」を与える判断基準となるルールも同じで、お子さんが通う学校でもすべてのルールと処罰を生徒が納得した上で決定してはいないでしょう。

 つまり「ルール」や「罰」というのは、それを決定し実行する側と従う側に権力の偏りと強制力が生まれます。そして「ルール」や「罰」は集団全体の秩序を守るために作られるので、従う側の心情というのは考慮されません。質問内容が「何故、連帯責任では指導する立場の人が一緒に 責任をとらないのでしょうか?」と「何故 坊主になることが 責任を取ることなんでしょうか?」の二点でしたので、私は連帯責任という「罰」の性質についてNo.4で説明したことをご理解ください。

 ただし『教育現場における「連帯責任」の弊害や「坊主」という罰の問題に関しては質問と関係ない』と書いたように、教育現場で用いる「罰」として連帯責任が正しいかどうかは疑問です。overtoneさんはお子さんが納得していないことを気にしていらっしゃいますが、問題は子供が連帯責任を「納得するかどうか」ではなく「理解できない」ことで、子供が理解できない「罰」を用いても教育効果は現れません。ですからovertoneさんが連帯責任という「罰」をなくしたいならば、「子供が納得できない」を理由にするのではなく「子供が理解できない」ことを申し出るべきだと思います。

>少年法は 詳しくないですが、まだまだ大人で無いんだから罰するよりも立ち直らせようと言うものとイメージしております。

 少年法に限らずどのような刑罰も「更正」を目的にしています。しかし少年法の場合は「成長過程であり判断力が未成熟な未成年者」が一人前の大人ではないという考えから一般の刑罰に比べて寛大になっているだけです。「罰するよりも立ち直らせよう」という点だけを過剰に考えるのは、「子供は悪いことをしても罰を受けない」という極論に結びつきやすいので、あくまでも一人前の人間ではないから処罰が緩くなっていると考えた方が良いですよ。

この回答への補足

>「子供が理解できない」ことを申し出るべきだと思います。

ではなくて、
「連帯責任の小学校における教育効果を教えてください」
と聞いています。

明確な答えはまたまた 出てこないだろうなー。
どっちにしても 文書では回答ないだろうなー。
嫌われオヤジだよなー。

補足日時:2005/10/27 17:35
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

coolで logicalな補足ありがとうございます。

>「子供が理解できない」ことを申し出るべきだと思います。

それ以前に 保護者で大人の私が 理解できていないので困ったものです。
(情け無いオヤジであります。)


>あくまでも一人前の人間ではないから処罰が緩くなっている
のですね!勉強になります。

============
「罰」ですが、確かに受ける側が納得するかどうなのかは考慮しないですよね。
(シロートなんで ほんと わかんないんですが)
法とかなら 多数決と言うか民主主義の原理で決まりますよね。学校側のこういうルールと言うか 罰って同なんでしょうね。どうやって 決めているんでしょうね?
連絡帳で担任と管理職に質問してみますね。
(緊急時の判断は、学校にいる時は 学校側に全面的に任せるしかないですけど・・。)

あと こどもの「体育」件ですが 結局は 宿題をやってこなかったこどものみが 休み時間に宿題をやるように指導されたとのことです。
===================================
この質問は、「こどもが罰を受けるのが嫌」だからではなくて、「こどもと 罰 今回は連帯責任によるものを 話していて 疑問に思った点が出てきた」ことによる保護者の質問と 捉えてください。

お礼日時:2005/10/26 08:16

他の方々がすでに回答されていますが、私は以下のように考えます。



「連帯責任」というのは、極めて不自然であると感じます。「宿題をやらない」、「未成年者がタバコをすった」というような具体的なことが判明しているならば、当事者だけにペナルティを課すべきかと思います。成人社会は、そのようなルールと思いますので、子供(未成年者)を対象に別のルールを適応することは不自然に感じます。

最近、高校の野球部員の不祥事が報道されていますが、高校生は未成年者です。高校の野球部・監督・部長だけが非難されているように思いますが、保護者である親に対する非難はほとんどありません。これも異常と感じています。ニュースからえる情報では、野球部員個人の不祥事の結果、連帯責任として野球部全体が非難されるという構図になっていますが、納得できるものではありません。

小学生・中学生・高校生については、家庭の責任と学校の両方の責任があります。主には、家庭(両親)の責任だろうと思います。しかし何か不祥事が起こると、当該の生徒(両親)の非難・糾弾はほとんどなく、学校(先生)だけが非難されていると思います。しかし、学校(先生)は、学外での生徒の言動を管理監督できないと思います。このような基本的な事情を無視したまま議論しているように思います(最初から攻撃相手を想定しているように感じます)。

マスコミから非難されると、学校サイドは、いつも責任回避の態度に終始しているように思います。その結果、一般人は、学校の対応はまずいと感じます。すなわち、管理職の職に適していない人が管理職に就いているように感じます。不祥事が起きたら、どのように対応すべきか「危機管理」についての対応が身についていないように思います。

「頭の丸刈り」については、他の方の意見のような「ペナルティ」に対する慣習的にものがあるように思います。表面的なことは、どうでもいいですと思います。心から「反省」するようなことなら、何でもいいと思います。

我慢できるような「連帯責任」であれば不満はでないかと思いますが、行き過ぎると我慢できない「連帯責任」になります。そのような場合、事態は全く別の方向に進み深刻になることもあります。この場合、先生の責任は追及されるのではないでしょうか。

基本的には、「連帯責任」は軍隊のような組織では問題ないかと思いますが、一般の教育現場では「先生の憂さ晴らし」という色彩が濃いと思います。現代では、教育の一環として受け入れることは難しいように思います。

家庭というか、生徒に対する責任は保護者にもあることを声を大にして主張すべきではないかと思います。現在の風潮なのか、生徒に対する責任は「学校」というのは如何かなと思います。

この回答への補足

No.6さんに向けてではありませんが、この補足欄をお借りいたします。
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自分の質問を読んでいて気づいたのですが、
ひとことも「学校側が責任をとるべき」みたいなことは書いて無いですよ!
(意識して書いたわけでは無いんですが・・。学校が責任を取るとは考えてもいないので。)

「指導する大人が」と書いてありますよね。
これは 保護者が第一です。
(指導って 処罰とかでなくて 指して導くですよ。ご注意を)

補足日時:2005/10/25 19:57
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

申し訳ありませんが、他の方へのお礼欄もご参照下さい。

==まとまっておりませんが================
連帯責任ですが、やはり 自分から申し出るような 状況でなければ おかしいですよね。
罰を与えて 心から反省する でしょうか?親身で指導(指導は 指して導くで 罰したりすることではないですよね)する人に 感銘を受けたりして、反省するのではないでしょうか?

丸刈りで 反省では、「人は見かけで判断しなさい」と教えているようなもの。

元々 現憲法に 「連帯責任」の概念はあるのでしょうか?

そうです、こどものことで 学校に責任を押し付けることは まったくおかしな状況であります。

お礼日時:2005/10/25 13:44

>何故、連帯責任では 指導する立場の人が一緒に 責任をとらないのでしょうか?


例えば タバコを吸った生徒がいたら 「私の指導が悪かったので 私が責任をとります」でしょう。
何回言っても わからなかっくっても それでも 責任は大人側ではないのでしょうか?

この部分だけ、しかも専門的なことは全然わかりませんが・・・。
今学生ですが、ほとんどどのクラスにもタバコを吸っている人、一人はいるんですよね。
悪い学校じゃないですよ。進学校です。
それで教師に責任を取れと言ったらほとんどすべてやめてしまいそうです。
それに、親に責任はないんですか?
家のほうがすごす時間は多いですよね。
「責任を取れ」と教師に言うなら
親にも責任を取れといっていいんですかね?
もし、家で吸うことを覚えたらなら、
「親のせいでそういう風になってしまった。責任取れ!」と言われて親をやめる、もしくは絶対にきちんとやめさせることができるのでしょうか???

論点がずれていたらすみません。
ひとつの意見としてみていただけたら幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

もちろん 保護者に責任があると考えます。

質問では、「教師が生徒だけに責任を取らせるのは それも 連帯責任をとらせるのは ちょっと」と言う内容のつもりです。

うちでは こどもが何かやってしまったら、一緒に謝りに行ってますし・・。いくつになっても こどもですから そうなんだと思います。
「恥ずかしい」とか「お前が悪い」とは 言いません。
一緒に謝り 善処するだけですね。

元々 学校なんかは 保護者ができない(時間的に能力的にいろいろと)所をフォローするものと言う位置づけで考えてます。
学校側は「なんでも任せてください」的なところがあり、無理がありすぎます。(そうでない校長、はっきり 「これはできない」と言う校長などもおりますがそのほうが 真摯に生徒のことを考えていると感じます。)

お礼日時:2005/10/25 13:38

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