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こども(小6)が
「宿題をやって行かないと 連帯責任で 体育の授業が受けられない」
と 言ってました。

先日 ニュースで どこかの中学でタバコを吸った生徒たちに連帯責任を取らせて坊主にした記事がありました。(検索エンジンで 「連帯責任 坊主」で出てきます。)
==質問==========================
何故、連帯責任では 指導する立場の人が一緒に 責任をとらないのでしょうか?
例えば タバコを吸った生徒がいたら 「私の指導が悪かったので 私が責任をとります」でしょう。
何回言っても わからなかっくっても それでも 責任は大人側ではないのでしょうか?
(これが 現行の少年法の考え方にも反映していると思います。詳しくはわかりませんが。)

もうひとつ質問があります。
何故 坊主になることが 責任を取ることなんでしょうか?これだけ 髪型や髪色が多様化してて 坊主もひとつの髪型ではないのでしょうか?
それ以前に 「人は見かけで判断しないこと」と教えるのに何故?
(第一 髪の毛は 半年もすれば 男子ならフツーの長さになるのに・・・。)
(もちろん 強要するのは ダメだし、他人の体の一部分ですから 無理に切ったら 傷害罪?)
不思議です。
==================
私は 40代のオヤジです。
気分でたまに坊主(0.5mm-3mm)にします。
伸ばしてオールバックだったのが 翌日 いきなりってこともあります。
短くすると 電車などで ぶつかられて よく謝られるような気がします。不思議??

A 回答 (14件中11~14件)

的外れな回答でしたらスルーしてください。



単に強制力を持たせただけの「連帯責任」という罰が、教育上有益なるものを与えることが可能だとは到底思えません。
宿題忘れに対しての授業放棄・・・大人であれど理解は出来ませんよ。子供に理解できるはずなどありませんし、私も説明できません。

私が書きたかったのは「連帯責任といえど、様々な状況の中では、やり方次第で何とか出来なくもない(否定の否定で極めてゆるやかな肯定)」という事です。

ただ現実問題として、理解出来もしないことを無条件に受け入れる時代ではなくなった事を教育者側が理解しておかなければならないと思うのですよ。
連帯責任がその役目を果たせなくなってしまっている事にさえ気付かず、それを指導や教育という範疇で行われていることに疑問を感じます。
うちの息子のように個別にねぎらいの言葉をかけることが必要なのだとすれば(教員がその点を理解していたのが救いではあったものの)、一体何の為の連帯責任なのかが疑問です。

相手を鉄砲や爆撃で殺傷し国を滅ぼすことが目的の軍隊などと、知性を与え、人を愛し育まれ育むことを目的とした教育現場が、同じ理論の下で不条理な罰則を与えるというやり方で人間そのものを矯正しようと考えるなら、それはやはり根本的に間違っているとしか言えません。
罰だから何でもありですか・・・。
そんなものから本当に仲間意識が生まれるでしょうか?
確かに子供によっては迷惑をかけないよう配慮する力が育つでしょうけれど。
それにしてもやはり『道理』は必要であると感じます。
マスクを忘れて当番を2週・・・これは取って付けたような友情論で何とか子供への説明がついた為黙認しましたが、授業放棄となっておれば「何故そうするのか?」と教員に尋ねたと思います。
教育における罰にも条理が必要です。
法の場における罰にも条理は必要です。だからこそ長い時間をかけて裁判が行われます。同じように1人の人間を殺したとしても量刑が違うのもその為ですね。

そして子供を育てた経験のある人間であれば分かるはずですが、「理解」のみならず、「納得」のないところには何も育たないという点は無視できません。
納得のいかない部分から反省は生まれません。反発が生まれるだけです。

余談ですが、喫煙は何故20歳以上ならOKなのでしょうか?
答えは一つしかありません。それがルールだからです。
19歳ならダメで20歳なら許される。何故??
統計上まだまだ明確になっていない部分もあるようですが、健康上の理由からなら全面禁煙にすべきですね。
最近では学校内での教職員の禁煙も珍しくなくなりましたが、今でもスパスパ吸っているところがあります。
子供達が頻繁に出入りするにもかかわらず・・・受動喫煙の観念はなさそうです。
なのに子供がタバコを吸えば罰則ですか?
警察に通報すればよいのです。そこで国が定めた処罰を受けさせればよいのです。それが法律なのですから。
逆に、教員に違法行為を処罰する権利があるとでも言うのでしょうか?
教員は裁判官ですか?どこぞの刑務所の刑務官ですか?

そこには納得も理解もありません。
納得や理解がなくても許されるのは罰ではなく取り決めに関してのみです。それも法で規制されていない部分でのみです。
勘違いしてはなりません。

要するに「宿題を忘れたら罰を与える」という取り決めは指導する側が必要に応じて行えばよいのです。
問題は、『罰の度合い』を一教員が個人的な感情の下に決定することにあります。
学活の時間にでも「宿題忘れが何人いた時にどのような罰を与えるか?」を子供達に話し合わせると良いのです。
そうすれば細かな部分で納得がいかなかったとしても「クラスの皆で決めた」という点で説得力があり効果が期待できます。

別に批判するつもりはないのですが、確かに質問内容に対してのNo.10さんの回答は的確です。
ただ、
>No,7に補足質問が投稿されているので回答します(以下省略)
の部分についてはどう読んでも補足質問には受け取れません。学校側に対しての発言であることは十分理解できると思いますし、実際私はそう理解しました。
別に説明不足ではないと思いますが・・・。
(この発言もルール違反ですね。お気に触れば削除依頼して下さい。)

参考URL有難うございます。がんばります。

この回答への補足

私がバカすぎてわかりません!
これは 私に対するご回答なのでしょうか?
難しすぎる・・・。ん~。

補足日時:2005/10/31 22:31
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すみません、余計ややこしくなりましたね(笑)



基本的には

>No.4にも書いたように連帯責任とは学校側が生徒に対して科す「罰」であり、いかなる「罰」も受ける側が納得するかどうかなど考慮しません。これは「罰」だけではなく「罰」を与える判断基準となるルールも同じで、お子さんが通う学校でもすべてのルールと処罰を生徒が納得した上で決定してはいないでしょう。
 つまり「ルール」や「罰」というのは、それを決定し実行する側と従う側に権力の偏りと強制力が生まれます。そして「ルール」や「罰」は集団全体の秩序を守るために作られるので、従う側の心情というのは考慮されません。質問内容が「何故、連帯責任では指導する立場の人が一緒に 責任をとらないのでしょうか?」と「何故 坊主になることが 責任を取ることなんでしょうか?」の二点でしたので、私は連帯責任という「罰」の性質についてNo.4で説明したことをご理解ください。
 ただし『教育現場における「連帯責任」の弊害や「坊主」という罰の問題に関しては質問と関係ない』と書いたように、教育現場で用いる「罰」として連帯責任が正しいかどうかは疑問です。overtoneさんはお子さんが納得していないことを気にしていらっしゃいますが、問題は子供が連帯責任を「納得するかどうか」ではなく「理解できない」ことで、子供が理解できない「罰」を用いても教育効果は現れません。ですからovertoneさんが連帯責任という「罰」をなくしたいならば、「子供が納得できない」を理由にするのではなく「子供が理解できない」ことを申し出るべきだと思います。

というNo.10さんの回答に対する個人的見解を述べたまでで、あくまでルール違反ですから削除対象かと思われます。
勿論No.10さんの回答は質問に忠実であるとは思いますしそれを教育現場に適用することに賛同されているのではないことも理解しています。
ただ、もしも教育現場に「連帯責任」という名の罰があるとすれば、それは少し違うのではないかと感じた次第です。
しかしマナー違反には変わりありません。反省しています。

しつこいようですが、私は教育現場における連帯責任を他の連帯責任と同一線上で語ること自体が基本的に間違っていると思います

ところで他の連帯責任と・・・と自分で書いておきながら何ですが、日常生活において連帯責任があるとすれば、一体どのような場面で出合われた事がおありでしょうか?私は数十年前に小学校で経験したのが最初で最後です。笑い話の一つにはなっていますが、それによって何か得たか?と言えば、不満以外は何もないですね。

そもそも教員に処罰を与える権限があるということ自体不思議でなりません。親の私でさえ処罰の資格は無いと考えているのに・・・。
あ~、関係ないかもしれませんが、我が家では理に適ったルールしかありませんので。
宿題を忘れれば翌日に2日分させますし、失敗すれば初めからやり直し、物を壊せば小遣いから弁償し、法に触れるような悪い事をすれば交番に連れて行きます。
それが「責任を取る」ということだと考えています。ですので親子双方に罰という認識は一切ありません。

又、質問にお書きの「喫煙に対する処罰」は教員が行うものではないと考えます。
きちんと警察に自ら出頭させる・・・それが唯一指導者が取るべき行為ではないかと思います。
それを一斉に丸坊主・・・。
連帯責任という名目で真っ当な教育をしたかのような気分に陥っている教員を可哀相な人と評価するのはそういった考えのもとに発したものです。

責任を取ることと罰を受けることは、全く次元の違う問題です。
罰から得られる物があるとすれば、それは子ども達が自らそれを決定した場合に限り一部有効であると想像します。
あまり好きなやり方ではありませんが、どうしても罰を利用した教育を求めるならば(色んなやり方があるでしょうからあえて否定はしませんが)、教員はあくまで提案だけにとどめ、後は子供達に委ねるのが最良の方法かと思います。

余談・・・家庭で「連帯責任」と称して関係のない兄弟にまで罰を与えたなら、一生兄弟関係は上手くいかないだろうな~。学校ならそれが有効に働くのかな~・・・ちょっと不思議。私はまだそんなことしたことないし、しようとも思わないけどな~。
上の息子がタバコを吸った罰として下の息子の髪の毛も一緒に切るの?え~っ!

「辞職」することによって「責任を取った」つもりのお偉方・・・あれと同じような発想かな(笑)

この回答への補足

複雑すぎますっ!

もう わかんないんで、見当違い過ぎることを書いてしまうかもしれません。
========================
「連帯責任」は、
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1745267
のNo.6で書いたような、こどもに対する保護者としての責任なんかはそうだと考えてます。
でも 連帯が足して100%なら そうではなく 保護者各人が 100%の意識を持つ必要があると考えています。

保護監督の責任として、警察に連絡する。ものと思われます。未成年者に出頭させるのも一理とは思いますが・・・。

教師は特権階級?では ないですものね!
ただ、次世代に対して大きな影響を与える職業なので 責任と権限を明確にして より大きな責任と権限を持たせるのが良いと考えております。
(「なんでも 学校に相談下さい」的では破綻してます。)

指導=処罰 と世間で考えられてしまっているのが残念です。指導=指差して、導く と考えております。(間違えているかも)
「教育現場ではそんな悠長なことはしていられないんだ。現場をしらないからだ。」と突っ込まれそうですね。
でも、テロの憎しみの連鎖については 否定していながら、自分の目の前の矛盾を容認する。そんな 教師の方もいらっしゃいます。残念です。(論理の飛躍?)

辞職などで責任をとるのを容認するは世間と思いますが・・・。
====
教育=教え育む(そだてるではない!)
労働=(共に)働き(共に)労う、(他人を)労わるために働く
そんな 概念なんだと思いますが・・・。
よく こどもともそんなことを話しています。

補足日時:2005/11/01 10:23
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>教師は特権階級?では ないですものね!


ただ、次世代に対して大きな影響を与える職業なので 責任と権限を明確にして より大きな責任と権限を持たせるのが良いと考えております。
(「なんでも 学校に相談下さい」的では破綻してます。)

「権限」の意味をご存知でしょうか?
教員が公の職業である以上、法規制以外の処罰を与える権利はありません。
又指導者にとって『より大きな権限』なんてものは存在しません。
権限が大きさを増せば個人的な『権力』でしかありませんから。

あまりに極論なので閉口してしまいますが、「学校に相談してください」という意味もどうやら誤解されているようです。何でもかんでもじゃまるで馬鹿としか言い様がありませんよね。ポリシーは持ちつつも相手の意向を受け入れ思考する柔軟性をと余裕を持つことこそ指導者に必要な要素であるわけで・・・。
よく教員が発する「相談してください」はそういう意味合いですね。「私は私なりの考えでより良い環境を整えていますが、疑問に感じたことなどがあれば遠慮なく・・・。」といった意味ですね。

>指導=処罰 と世間で考えられてしまっているのが残念です。

誰が決めた「世間」ですか?少なくとも私はその様には考えていませんが。
指導=処罰と認識しているのは、ほんの一部の処罰に対する快楽主義者でしかないと今日の今日まで思っていました。
躾と称した虐待で我が子を殴り殺す殺人鬼と、行っていること自体は何ら変わりありませんよ、極論で言えば・・・ですが。

>「教育現場ではそんな悠長なことはしていられないんだ。現場をしらないからだ。」と突っ込まれそうですね。

そうですね・・・(笑)

どうしても議論になってしまいますので、もし自動的に削除がかからなければ自分で依頼します。
それでは、またどこかで・・・。

この回答への補足

言葉の定義とか 言い回しとか これだけの短文で書き表すのは難しいですよね。
(ISO用語での 責任と権限 でつかってみました。)

だから バカなんですってば。
でも、愛想の良い校長や教育長などの発言はそうもとれなくもなくないですし。
(私はそうは理解していないのですが、PTAなんかで話していると なんでも こどものことを任せられると考えている保護者の方がいらっしゃいます。)

なんとなく 私と似たような 考えなのかなぁと感じてしまうこともありますが・・。
(と思われるの嫌でしょうけど・・・。)

でわ でわ~

補足日時:2005/11/01 12:55
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この回答へのお礼

補足です。

>だから バカなんですってば。
って 主語は「私自身が」です。

お礼日時:2005/11/02 19:55

連帯責任。

確かに馬鹿げた話だと思います。
坊主になることが責任をとることではないと思います。日頃から坊主頭にしている人に対して失礼でもあります。
しかし「指導する立場の人が一緒に 責任をとらないのでしょうか?」というのはどうでしょうか。
本当にその人の「指導が悪かった」のでしょうか。
教育とは、その時に生徒に理解されなくても、後で「あの時に先生が言っていたのは、このことだったのか…」と生徒が気づけば成功なのです。
ですから、もし先生が悪いとするなら、それは法律を犯すような行為をした生徒に何も言わなかった場合や、連帯責任などという理不尽な処置をした場合ということになるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>「指導する立場の人が一緒に 責任をとらないのでしょうか?」というのはどうでしょうか。

そうですね。ここの部分は、なんともです。
連帯感を強制的に持たせるための指導者からの強制的な連帯責任であるなら、指導者自身が連帯責任に入ってしまったほうが、連帯感を持ちやすくなるのではないだろうか?と直感的に私が考えてしまっているためです。
(これ以上の説明がつきません・・・。)

お礼日時:2005/11/03 11:13

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