下の「安楽死に賛成するための論拠」の質問とは逆に、
安楽死に対しては否定の側からの、
厳しい質問、反対する論拠、また、
賛成側から質問したこと
→(http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=175232 参照)
がどのように返される可能性があるか
ぜひとも教えてください!!

やっぱり、私たちだけで考えていると
どうしても考えが偏ってしまうようなので…
よろしくお願いします。

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A 回答 (2件)

[

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=175232]の回答に挑戦的に反論する形になりますが、これはあくまでディベートの素材です。
回答者の方々の意見を否定しているわけではなく、このような意見に対してこのような反論が存在するという情報提供です。
そもそも、私自身は安楽死賛成派です。

<No.1>
>安楽死の根拠に挙げられるのは、『個人の幸福の追求権』だと思っています。
そもそも、なぜ個人に幸福追求権が認められるかは、問題が深すぎるので敢えて問わない。しかし、近代的権利概念を前提としたとしても、個人の権利というものは他者の権利を侵害しない限りでは無制限に許容されるが、他者の権利を衝突する場合には多かれ少なかれ制限を受けるはずである。
それでは果たして、「死の自己決定権」は、他者の権利を全く侵害しないか。ひとつだけ例を挙げれば、残されるものの悲しみ、すなわち家族の幸福追求権、を無視しているではないか。
この点の利益衡量を示せない限り「死の自己決定権」を直ちに認めることはできない。

>「現在の医療で治療法がなく、合理的に考えて、患者が死を迎えるまでの時間までに、苦痛を取り除く治療法が新たに開発されえない時」、この患者に救われることのない苦痛の時間をあえて継続させる理由を示せるかどうか。
不治の病に安易に安楽死を認めることは、医学の発展を妨げる。「何とか助けたい」という家族の思いが、新しい治療法を発見する努力の推進力となってきたのである。
なるほど、確かに安楽死を認めても最後まで治療を続けるという選択肢もある。しかし、安楽死が容認されてしまうと、「さっと殺せ」という暗黙の社会的圧力に家族と患者は晒されることになるであろう。特に「他人に過ぎない」医者は病院経営の事情から治療に消極的になる可能性も否定できない。
とすると、安楽死を認めることは医学の発展を妨げるばかりか、「とにかく治療する」というヒポクラテス以来の医学の基本テーゼを否定し、医学そのものの基礎を危うくする。
患者にとっての苦痛の時間は、「絶対避けられない死」に対して人間が無駄な抵抗を試みる人間の歴史・存在意義そのものである。

<No.2>
この方は反対派なんですよね。

<No.3>
>残されつつある者の側の経済的・精神的負担
すると、他人に迷惑をかける人間は死んでもよいということになる、。
なるほど、今のところ家族は「大変だ」と苦しんでいるかもしれない。しかし、実際に死なれた後、どのような感慨を持つか。
人間が社会関係的存在である以上、他人の死とは自己の一部の死といえる。老いていくに従い、ぽつりぽつりと家族・友人を失い最後には自分も消える。この一連の過程が死である。
生老病死が個人にとって不可避の苦行であるなら、他者の死に付き合うことも全く同じ意味で不可避の「苦行」です。そこで無駄な努力をすることに生の存在意義があるはずだ。

>安楽死に反対するということは安楽死を希望する人の決定権を侵害しているが、安楽死に賛成することは必ずしも生きつづける権利を侵害するわけでなく患者さんの選択肢を増やすものである
理論上そうかもしれない。しかし、社会的圧力というものがある。
それは明示のもでなかったとしても、患者を、なんか死ななきゃいけないような気にさせてしまわないか。
確かに、選択肢が増えるだけなら何の問題もないかもしれない。しかし、それが一人でも死ななくてもいい人間を殺す可能性があるとしたら、やはり問題があるのである。

<No.4>
>そもそも私達は望んでもいないのに無理矢理(存在)を被ったのですからその押し付けられた迷惑な(存在)を返上するのは至極当然のことです[原状回復請求権]。
>原状回復はさせない、できないと言うのであれば私達に許可なく私達を産み落とさないでもらいたい[発生拒否権]。
>発生は拒否できず原状回復はならずというのならこのオトシマエはどうつけてくれるのか?[損害賠償請求権]。
これに対する回答は既に<No.1>の方に対する第一の回答で示したので、ここではもう少し根本的な問いを立てます。
人間が生きていることは所与の前提であり、これが厳然たる事実である。生きている前の「原状」というのは存在するのだろうか。
なぜ、我々は発生を拒否できるのか。むしろ我々の発生は独り父母の行為にのみかかるのであるから、我々の存在は父母の所有に服するのではないのか。それなのに、我々は父母から自由で有り得る。それだけで不思議なことである。
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この回答へのお礼

本当にどうもありがとうございます!

とても参考になります。
幸福の追求権については、反論のしようがないだろうと思っていました。

[原状回復請求権]については、そうなのかーと感心しましたが、
実は、その「原状」の存在が問題だったんですね!

書いていただいたこと全てがとても為になりました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/11/28 16:02

 もともと、「安楽死」があるのか疑問であり、誰がそのように決めているのでしょうか?


 「三世の因果」を知らず、堕獄すら認識していない。
 そのように、知らない、教えられていないことも、問題でなかろうか?
 堕獄が決定しているのに、「安楽死」とは決して思えません。
 自殺と同様に、自己破壊思想が跋扈しているようです。
 生命の尊厳もあったもんじゃない。生命軽視の助長ではないか?
 如何でしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですか、そもそも「安楽死」というものの
存在から問題にしていくわけですね。
生命軽視の助長ではないか との意見には同感です。

お礼日時:2001/11/28 15:57

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Q安楽死・尊厳死について

安楽死と、尊厳死の違いがイマイチよく分かりません。

私は、安楽死と尊厳死はまったく別物と思っていたのですが、
安楽死と、尊厳死は完全分離されたものなのですか?
それとも、安楽死の中に尊厳死は含まれるのでしょうか?

それと、消極的安楽死と、積極的安楽死についても
違いを教えていただければ光栄です。

Aベストアンサー

 安楽死は「病苦に苦しむ患者を救うために、意図的に死を与える」こと、尊厳死は「人間としての尊厳を保ちつつ死を迎えること」です。なお、安楽死はさらに「積極的安楽死」と「消極的安楽死」に分かれ、前者は死を至らしめる行為を積極的に行うこと(注射器で毒物を注入する等)で、後者は死を至らしめる行為を積極的に行うわけではないが、具体的な延命措置を取ることを中止すること(生命維持装置をはずす等)です。なお、これらの用語は他にも様々な定義が成り立ちえます。私は法学部の者ですので、その方面の観点から定義させていただきました。

 ご質問にあるように、この用語説明だけでは、「安楽死」と「尊厳死」の区別は曖昧です。そのひとつの原因に、安楽死の是非論が挙げられます。安楽死については、倫理・実務において未だ全面的な支持を得たわけではありません。安楽死がごく自然で人間的なことであると主張する人もいれば、安楽死は非人道的で許されないことだと主張する人もいます。「尊厳死」については、これを否定する人はあまり見られず、これを目指すべきであることは意見の一致するところですが、果たして「安楽死」が「尊厳死」に含まれるのかという問題があります。安楽死を肯定する人にとっては、安楽死とは人間的で尊重されるべき死ですから「尊厳死」と言っていいでしょうが、安楽死を否定する人にとっては、安楽死は非人間的な死であると考えますので「尊厳死」とは呼べない、ということになります。

 結論としては、安楽死を自然で人間的な死であると捉える人にとっては、安楽死は尊厳死のひとつであり、そうでない人にとっては、尊厳死そのものは肯定するが、安楽死は尊厳死とは呼べない、ということになるのではないでしょうか。

 安楽死は「病苦に苦しむ患者を救うために、意図的に死を与える」こと、尊厳死は「人間としての尊厳を保ちつつ死を迎えること」です。なお、安楽死はさらに「積極的安楽死」と「消極的安楽死」に分かれ、前者は死を至らしめる行為を積極的に行うこと(注射器で毒物を注入する等)で、後者は死を至らしめる行為を積極的に行うわけではないが、具体的な延命措置を取ることを中止すること(生命維持装置をはずす等)です。なお、これらの用語は他にも様々な定義が成り立ちえます。私は法学部の者ですので、その方面...続きを読む

Q安楽死に賛成するための論拠

安楽死の是非について、ディベートをしようと思っているのですが、
安楽死の賛成派として、反対側に対する、何かするどくていいツッコミってないでしょうか?

リビング・ウィルについても教えていただけたらうれしいです。
どこかいいページの紹介なども大歓迎です。

Aベストアンサー

昔、安楽死反対派側としてディベートをやったことがあります。

その時、想定していなかった相手側の反論として「家族などの経済的負担の問題」を突っ込まれました。「臭いモノにふたするように『処分』するようなことは如何なものか」とその時は答えましたが、この視点は有効だと思います。つまり、残されつつある者の側の経済的・精神的負担です。精神的負担の方を強調した方がクリーンなイメージがあっていいでしょう(不謹慎な言い方ですいません。しかし、ディベートは思想・信条とは別物だと思っていますのでご容赦下さいませ)
「介護に疲れて不治の病にかかっている親や配偶者や子供を殺してしまう事件は今までに何度も聞いたことがあるかと思います」「もしあなたなら、現実的に快復の見込みのない人をどのくらい看病していられると思いますか?」といったフレーズが有効ではないかと思います。

あとは、ディベート開始すぐに(相手側から限定されないうちに)「安楽死」ということばに尊厳死に近い部分を取り込んで定義してしまうことで、安楽死=積極的安楽死=犯罪・悪者という潜在的な意識に対する予防線が張れると思います。

そして、おそらく相手は「生きつづける権利」を主張するでしょうが、賛成派としては「安楽死に反対するということは安楽死を希望する人の決定権を侵害しているが、安楽死に賛成することは必ずしも生きつづける権利を侵害するわけでなく(安楽死を希望しない人には安楽死はほどこされない→リビングウィルや東海大の安楽死事件裁判で提唱された4原則などの説明をする)患者さんの選択肢を増やすものである」と言えばよいのではないでしょうか?

思いつくのはこれぐらいでしょうか。
リビングウィルを発行している尊厳死協会のアドレスを貼っておきますので、問い合わせをすればリビングウィルのホンモノを使わせてもらうことができるかもしれません(本物を見せることはすごく効果的だと思います)。

では、長々と書いてしまいましたがディベート頑張って下さいね。

参考URL:http://www.songenshi-kyokai.com/index.htm

昔、安楽死反対派側としてディベートをやったことがあります。

その時、想定していなかった相手側の反論として「家族などの経済的負担の問題」を突っ込まれました。「臭いモノにふたするように『処分』するようなことは如何なものか」とその時は答えましたが、この視点は有効だと思います。つまり、残されつつある者の側の経済的・精神的負担です。精神的負担の方を強調した方がクリーンなイメージがあっていいでしょう(不謹慎な言い方ですいません。しかし、ディベートは思想・信条とは別物だと思っていますの...続きを読む

Q構成要件に該当しない安楽死

いま大学で安楽死について発表をしています。
安楽死は積極的・消極的・間接的など諸類型あるのですが、ぼくは「構成要件」を満たさない積極的安楽死はあり得るかというテーマなのですが、いくら調べても積極的安楽死は嘱託殺人罪の構成要件該当性を満たすが、名古屋高裁の6要件を満たせば違法性が阻却される、ということしか分かりません。

嘱託殺人罪の構成要件に該当しない積極的安楽死はあり得るのでしょうか?

Aベストアンサー

>ぼくは「構成要件」を満たさない積極的安楽死はあり得るかというテーマなのですが

そもそもなぜそのようなテーマを選んだのですか?
なにか見込みがあってなされたのでしょう?


個人的には、積極的安楽死が絡む嘱託殺人罪の構成要件該当性を否定するのは難しい感じがしますが、ただ唯一攻めるなら「被害者の同意」ですかね?
状況により、嘱託殺人罪の成立”だけ”は否定できるかも。。。

Q安楽死ディベート反対側の意見について お助け願います。

来週、安楽死についてディベートをします。私、個人的に賛成なのですが反対側から討論しなければいけません。

そこで安楽死を反対する理由についてご意見を持っているかたなどいらっしゃいましたらおしえていただけますか?

反対する理由を宗教的にしか今のところ見出せません。
ぜひおねがいします。

Aベストアンサー

私も安楽死には大賛成ですが、ディベートをなさるなら次のような点を、「反対」の論拠とすればよいでしょう。

もし、安楽死が法的に認められると、

● 介護に伴う負担をなくすために、安易に安楽死を選んでしまうようになる。この場合の負担とは、介護する側の金銭的・物理的負担もさることながら、患者自身の(介護で迷惑をかけているという)精神的負担の両方を意味します。

● 医師あるいは病院が、経営上の観点から、あまり金を取れない患者(儲からない患者)にベッドを占領され続けるよりは、新しい患者を入れるべく、安楽死を勧めるようになる可能性がある。

● 最も重要な要素として、安楽死が本当に患者本人の意思に基づくものかどうか疑わしい事例が頻発する可能性が高い。
  つまり、上の1番目の理由とは逆に、介護を続ける苦痛(特に金銭的負担)を安易に回避する手段として、安楽死させられる可能性がある。
  安楽死の対象となるような患者には、意識のない患者や、自己の判断が出来ない患者が多いはすである。このような患者本人の意思を、どのようにして「証拠」として残すことができるのか、大いに疑問である。

「宗教的に安楽死は認められない」とか、「人は生きようとする努力を惜しんではならない」といった反対理由は、ディベートの論拠としては弱いので、避けたほうが無難でしょう。

私も安楽死には大賛成ですが、ディベートをなさるなら次のような点を、「反対」の論拠とすればよいでしょう。

もし、安楽死が法的に認められると、

● 介護に伴う負担をなくすために、安易に安楽死を選んでしまうようになる。この場合の負担とは、介護する側の金銭的・物理的負担もさることながら、患者自身の(介護で迷惑をかけているという)精神的負担の両方を意味します。

● 医師あるいは病院が、経営上の観点から、あまり金を取れない患者(儲からない患者)にベッドを占領され続けるよりは、新し...続きを読む

Q安楽死について

 東海大学安楽死事件にもあるように、安楽死は殺人に当たるのか否かと
問題になっていますが、安楽死はその要件を満たせば正当化事由として罪
を問われない。東海大学の事件では、その要件の、本人の承諾の部分が問
題となっていたが、この点にも関連して、患者の苦痛が見るに忍びないと
の理由で安楽死行為を行ったとの意見が見受けられる。そもそも、本人の
承諾が出来ない状況で、その苦痛が本人の承諾にも値するような場合、こ
れを承諾だと思い込み安楽死行為に着手した医師はやはり、安楽死要件を
満たしていないとの理由で殺人罪に問われるのでしょうか。

Aベストアンサー

 議論を整理するポイントは、安楽死による刑事免責の根拠を違法性阻却に求めるのか、責任阻却に求めるのか、だと思います。

 違法性阻却に求めるならば、いわゆる誤想防衛の処理とパラレルに考えることができます。違法性判断を基礎づける事実の認識に関する判断を誤ったと考えて事実の錯誤(故意阻却)とみるのか、医師の意思は患者の死という構成要件的結果に向けられており、誤って許されると信じたにすぎないと考えて法律の錯誤(錯誤がやむを得なければ故意阻却)とみるのか、でしょうね。

 責任阻却(期待可能性の欠如)に求めるならば、期待可能性に関する錯誤の処理の問題です。要するに、期待可能性の有無の判断に吸収されてしまうことになりますね。

 具体的な事件に直面してお悩みなのではなくて、刑法の講義の課題でお悩みのようにお見受けしました(もし違っていたら、大変失礼いたしました。よろしければ、具体的事実関係を補足いただけませんでしょうか。)。
 私としては、ヒントをお示しするに止めたいと思います。がんばって勉強してくださいね。

Q中世キリスト教と安楽死

「中世キリスト教思想のもとでは生命の神聖さを徹底的に重視していたので安楽死を議論することさえ禁止されていた」とレポートを書いたら、(1)「中世のキリスト教思想」の出典を明記し、「生命の神聖さ」と「安楽死を議論すること」の両者の関係をもう少し説明して下さいという講評で不合格になりました。

(1)「中世のキリスト教思想」はトマス・アクィナスだと思うんですが、それは『神学大全』に自殺を具体的に非難する文が載っているのでしょうか?
また(2)ですが、中世キリスト教社会では、キリスト教支配が広まり、自殺を厳しく非難するようになったのは分かったのですが、具体的に引用できる本が見つかりません。トマス・アクィナスも自殺を厳しく批判したのは分かったのですが、これも「具体的にこの本のこの部分から分かる」という明確な記述が見つからず途方に暮れています。「神学大全」も図書館で見ましたが、膨大すぎてどこがその記述にあたるかを見つけられませんでした。

どうか皆さんのお力を貸して下さい。宜しくお願い致しますm(_ _)m

Aベストアンサー

調べてみました。


>(2)ですが、中世キリスト教社会では、キリスト教支配が広まり、自殺を厳しく非難するようになったのは分かったのですが、具体的に引用できる本が見つかりません。


不合格になったのは、『生命の神聖さ」と「安楽死を議論すること」の両者の関係をもう少し説明して下さいという』と指摘があったとおり、レポート内に、両者の関係をきちんと説明していなかったからではないかと。

例えば、起承転結の<起>で、<中世キリスト教思想のもとでは生命の神聖さを徹底的に重視していたので、安楽死を議論することさえ禁止されていた>と書いた場合、その下に<承>として、<起>で述べたことを、具体的に書かなければならない。

<起>を補うわけです。

で、その時 文献をもってきて、「○○神学者は △△において こう述べた」 とか、ずらずら例をあげていく。


転は略してもかまわない。

で、最後に<結>で、「ゆえに中世において、安楽死を議論することさえ 禁じられていたのである」と結ぶ。


ただし、安楽死という言葉は、他の方も言うように、その当時無かったようです。


しかも、トマス・アクナイは、自殺を悪とした理由は、生命が神聖だからとしたのではないようです。

『 ・永遠のいのちに移るために自殺は禁止

  ・悲惨を避けるために自らの命を殺すことはより多くの悪を引き受けることになる

  ・自殺は回心の機会を奪う

  ・強姦されることを回避の自殺はより大きな悪を引き受けることとなる

  ・罪に陥ることからの回避の自殺もまた大きな悪

  ・迫害の時の自殺も禁止  』


人間の死も、神の計画のひとつであり、神が計画を実行する前に、人間が勝手に自殺してしまうと、神の計画が実行できなくなり、神に対して大変失礼である(自殺は神への冒涜)という考えだったからではないでしょうか。


だから、トマス・アクナイをもってきて、主題を論じるなら、生命の神聖さ じゃ 説得力が無いように思えるんですね。


>中世キリスト教社会では、キリスト教支配が広まり、自殺を厳しく非難するようになったのは分かったのですが

古代ローマでは、変な習慣があり、自殺がはやったそうです。
それを阻止するため、キリスト教は自殺を禁止したのだそうです。

えっと

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA

『キリスト教で自殺に対する否定的道徳評価が始まったのは、聖書に基づくものではなく4世紀の聖アウグスティヌスの時代とされる。当時は殉教者が多数にのぼり、信者の死を止めるために何らかの手を打たねばならなくなっていた。また10人に1人死ぬ者を定めるという「デシメーション」と呼ばれる習慣のあったことをアウグスティヌスは問題にした。693年にはトレド会議において自殺者を破門するという宣言がなされ、のちに聖トマス・アクィナスが自殺を生と死を司る神の権限を侵す罪であると述べるに至って、すでに広まっていた罪の観念はほぼ動かし難いものになった』

トマス・アクナイのこの言葉の出展元。。。。


>「神学大全」も図書館で見ましたが、膨大すぎてどこがその記述にあたるかを見つけられませんでした。

ですね。
普通に検索してもでてきませんでした。

再度 ググってみます。

ふーー あった。

http://www.nanzan-u.ac.jp/JINBUN/Christ/NJTS/011-Hamaguchi.pdf

『このようなことを 前提しながら , トマスは「自分自身を 殺すこと」 (seip.sumoccidere) が許されるか (11 一 1I, q.64 a. 5) を問い,7,) ア ウグスチヌス の 仁 神の国』とアリストテレスの『ニコマコス 倫理学』を根拠にし・・・』

ということで、彼がどうして自殺が罪だとしたかが、ここに書かれているようです。


というわけで、主題が正しくないようです。
あなたのあげた主題を説得力を持って説明するためには、トマス・アクナイじゃ駄目ですね。

調べてみました。


>(2)ですが、中世キリスト教社会では、キリスト教支配が広まり、自殺を厳しく非難するようになったのは分かったのですが、具体的に引用できる本が見つかりません。


不合格になったのは、『生命の神聖さ」と「安楽死を議論すること」の両者の関係をもう少し説明して下さいという』と指摘があったとおり、レポート内に、両者の関係をきちんと説明していなかったからではないかと。

例えば、起承転結の<起>で、<中世キリスト教思想のもとでは生命の神聖さを徹底的に重視していたの...続きを読む

Q現在、日本では安楽死は認められているのですか?

東海大学病院安楽死事件では
裁判長が積極的安楽死には当たらないと判断したうえで判決が下されたとありますが積極的安楽死ならば医師は罪には問われないのですか?

Aベストアンサー

私が既に「消極的安楽死も積極的安楽死も法的に概念が存在しない」と述べており、それをbismarks0507さんは繰り返しているだけなのに、「回答者諸君は誤っている」とは勘違いも甚だしいです。日本語読めねーのかなこの人…。

「毒舌回答で削除される」とか言っていますが、毒舌なんじゃなくてまるてトンチンカンなことを書いてるから削除されてると気づかないのかな。

あと質問者は「違法かどうか」聞いているのに、「違法の中で、殺人か嘱託殺人か」というのはもはや完全に質問の趣旨から外れているんですが。

消極的安楽死と積極的安楽死の区別については、東海大事件判決文において「治療の中断」と「毒薬の投与」は異なると明示されたことについて、別の人間が後から分かりやすいように前者を消極的安楽死、後者を積極的安楽死と名づけただけに過ぎません。

これだけ聞くと治療の中断(=既に行われている気管挿管の中断)も消極的安楽死に含まれそうですが、実際には殺人罪で処罰された案件が存在するため、説明を加えさせていただきました。

質問者様への明確な答えとしては、「積極的安楽死であれば罪に問われないのではなく、条件を満たした積極的安楽死であれば罪に問われないかもしれないという意味」で終了です。すなわちNo.2さんの回答で全て足ります。

私が既に「消極的安楽死も積極的安楽死も法的に概念が存在しない」と述べており、それをbismarks0507さんは繰り返しているだけなのに、「回答者諸君は誤っている」とは勘違いも甚だしいです。日本語読めねーのかなこの人…。

「毒舌回答で削除される」とか言っていますが、毒舌なんじゃなくてまるてトンチンカンなことを書いてるから削除されてると気づかないのかな。

あと質問者は「違法かどうか」聞いているのに、「違法の中で、殺人か嘱託殺人か」というのはもはや完全に質問の趣旨から外れているんですが。

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Qなぜ人は死ぬのに頑張るのですか? 最近死についてずっと考え辛くなり。 何とか耐えてさぁ頑張ろうとなる

なぜ人は死ぬのに頑張るのですか?
最近死についてずっと考え辛くなり。
何とか耐えてさぁ頑張ろうとなると次はなぜ死ぬのに頑張るの?とブレーキがかかってしまいます。
どうせ最終的には努力してきた人もしてこなかった人も何も考えられなくなるのに頑張るのかと言う質問です。
これは思春期の悩みによくある事なのか、
教えてください。

Aベストアンサー

初めまして

死んだら、すべてが無になるのに、なぜ頑張るのか?・・・という事でしょうか?

だとしたら、それは、死んでもなにも無しには、ならないからだと思います

人は、近代において、科学を発達させ、科学の発達において、何も根拠のない、非科学的な事を排除してきました

しかし、ある意味で、その結果ともいえる現代の状況は、その科学的な見解が、人類に幸せをもたらしたといえるのでしょうか?

ただ言えることは、物理的な環境は、確かにめざましく発達しましたが、精神的なものは、不安だらけで、希望的な未来さえ、夢見る事も出来ないのが、現状ではないでしょうか・・・

だとしたら、その原因は、死んだら、すべて無になる・・・という考え方にあると思います

人類は、死んだらすべて無になる・・・という考えをもとに、利己的な、今さえ良ければいいというような発想で、地球の資源を消費してきました・・・その結果、人間の物理的環境は、めざましく発達しましたが、自然環境は、破壊され尽くし、深刻な自然災害の原因となっています

今の世界環境を、素晴らしい・・・と思える方は、そのままの破壊を続ければいいのですが・・・もし、危機感を感じるのでしたら、まず、死ねばすべて無になる・・・という考え方から、改める必要があると思います

すべて無になる・・・という考え方から、今さえ良ければいいという考えが生まれます・・・死んでも終わりではないと考えれば、これから先の事も、心配しなければなりません・・・そこに、未来を危惧する考え方が出てくると思います

死ねばすべて無になる・・・という考え方は、今までの過程を見直し、そろそろ決別すべき考え方ではないかと思います

初めまして

死んだら、すべてが無になるのに、なぜ頑張るのか?・・・という事でしょうか?

だとしたら、それは、死んでもなにも無しには、ならないからだと思います

人は、近代において、科学を発達させ、科学の発達において、何も根拠のない、非科学的な事を排除してきました

しかし、ある意味で、その結果ともいえる現代の状況は、その科学的な見解が、人類に幸せをもたらしたといえるのでしょうか?

ただ言えることは、物理的な環境は、確かにめざましく発達しましたが、精神的なものは、不安だらけで、...続きを読む

Q安楽死と尊厳死の違いと日本の法律など

みなさんはじめましてこんばんわ!
3つの質問をさせていただきます!

①安楽死と尊厳死の違い
②安楽死の日本の法律
③安楽死の条件と出来る?国

ご回答よろしくお願いいたします!

Aベストアンサー

①安楽死と尊厳死の違い
   ↑
目的が違います。

安楽死は、苦痛が我慢できないので死を選ぶことです。

尊厳死は、人間としての尊厳を護るために死を選ぶことです。
その根底には、己の死は己で決める、という実存が
あります。

つまり、安楽死はいじめによる苦痛から逃れるために
自殺するようなモノであるのに対し、
尊厳死は、己の名誉を護るために切腹する武士のような
モノです。


②安楽死の日本の法律
    ↑
安楽死を認めた法律はありませんが、一定の条件を満たせば
認めるとした下級審判例は出ています。


③安楽死の条件と出来る?国
    ↑
判例では次のようになっています。

1962年(昭和37年)の名古屋高裁の判例では、
以下の6つの条件(違法性阻却条件)を満たさない場合は
違法行為となると認定している。
1.回復の見込みがない病気の終末期で死期の直前である。
2.患者の心身に著しい苦痛・耐えがたい苦痛がある。
3.患者の心身の苦痛からの解放が目的である。
4.患者の意識が明瞭・意思表示能力があり、自発的意思で安楽死を要求している。
5.医師が行う。
6.倫理的にも妥当な方法である。


1995年(平成7年)の横浜地裁の判例では、下記の4つの条件
(違法性阻却条件)を満たさない場合は違法行為となると
認定している。
1.患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいる。
2.患者の病気は回復の見込みがなく、死期の直前である。
3.患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために可能なあらゆる方法で
取り組み、その他の代替手段がない。
4.患者が自発的意思表示により、寿命の短縮、
今すぐの死を要求している。


認めている国については、他の方の回答を
参照下さい。
スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、
米国の一部の州など。

①安楽死と尊厳死の違い
   ↑
目的が違います。

安楽死は、苦痛が我慢できないので死を選ぶことです。

尊厳死は、人間としての尊厳を護るために死を選ぶことです。
その根底には、己の死は己で決める、という実存が
あります。

つまり、安楽死はいじめによる苦痛から逃れるために
自殺するようなモノであるのに対し、
尊厳死は、己の名誉を護るために切腹する武士のような
モノです。


②安楽死の日本の法律
    ↑
安楽死を認めた法律はありませんが、一定の条件を満たせば
認めるとした下級審判例は出て...続きを読む

Q死んだ後のことを考えますか。考えませんか

ダンシャリで何も持たない人はいいと思いますが、
結構余計なものをたくさん持っている人は、
死んだ後それらのものがどうなるか、見られて恥ずかしいとか考えますか
それともどうせもうこの世と関係ないのだから、どうでもいいですか

Aベストアンサー

考えますよ。

特に、エロDVDの処分には頭を悩まして
います。

ヤフオクで売るのは面倒だし、友人に送りつけ
商法しようかと思ったけど、相手も同じ事を
考えていたりして、
全く困ったものです。

今は、少しずつ選別して、優良? なモノだけ
残すようにし、あとは破壊するようにしています。

こうやって、少しずつ処分していって最後はゼロに。

何時死ぬか、判っていれば便利なんですけど。



死んだ後それらのものがどうなるか、見られて恥ずかしいとか考えますか
それともどうせもうこの世と関係ないのだから、どうでもいいですか
     ↑
理屈で考えれば、どうでもよいはずなんですが、
人間て悲しいですね。


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