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ヒトは孤独に勝てますか。

A 回答 (8件)

単為生殖が可能になるならば勝てるかもしれません



孤独に勝つとは、孤独が無意味なことになることだと考えます
つまり孤独でありながら孤独なんて平気!と思ってる内は孤独に勝てていません
孤独でありながら孤独の意味が理解できないようになって初めて勝つのです

そのためヒトは孤独に勝てません
なぜなら社会的動物だからです
我々は社会に適応するようにできているので
そもそも孤独で生きることを想定していません

もしも進化して社会がなくても生きていけるように(単為生殖できるとかね)なるならば
孤独は死にますが、ヒトも死にます
進化したらホモサピエンスではないですから
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この回答へのお礼

ありがとうございました。感情的になっている時に尋ねたため、再考してみると、よく分からない質問でした。

また機会があれば、改めて尋ねさせていただきます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/28 13:34

>孤独の吐き出す辛い気持ちからは、僕は逃れられない気がします



大変に苦しんでおられるようですね。

私に効果的な解決策を提示する事は、確かに難しいです。(てか、無理w)

まぁ、会話が愉しいので、質問を立てられているのを見かけたら、また書き込ませて頂く程度の事をして行こうと思います。
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この回答へのお礼

苦しんでいると思います。

またよろしくお願いいたします。

お礼日時:2014/07/28 13:35

>揚げ足を取るようで申し訳ないのですが、あなたは負ける事を負の事かと捉えられるのでしょうか。

そこだけ気になりました。

私が発言したのは、「勝ち負けに意味を見出そうとしている時点で負け」ですが、この中の「負け」を指しているのでしょうか。

別の言い方にしましょう。

「勝負に拘る事は、己を見失う」

負ける事を私は負(ふ)とは考えません。(気に入りませんがw)

勝ち負けは、競う相手がいる事で、また生きている限りは日々逃れる事の出来ない事柄です。


孤独も交わりも「勝」つのではなく、「楽」しめば良いと思います。

誰も貴方の「孤独」に勝負を仕掛けてはいません。

貴方が貴方に「孤独」の勝負を仕掛けているのです。
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この回答へのお礼

受け入れても、楽しんでも、どれだけ気丈になろうとも、孤独の吐き出す辛い気持ちからは、僕は逃れられない気がします。よく考えればこの問いかけ自体無意味なものですね。気分の波が落ち込んでいたので、変なことを考えていました。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/26 11:41

量子論的世界像において、宇宙は、認識される事で


存在性を派生させる。
即ち、宇宙は心の中にあり、一人である事は何一つ
失う事ではない。
孤独に負けるとは、そうした真の自覚(自我仮説と時空
仮説の相補分化=自我成立の為の必要としての環境性)
のできない認識の浅さにおいて、短絡的自覚=肉体的
自己チュー(即物的欲求、虚栄心etc.)に堕した自分に
負けているのだ。
自己存在の本質的な自覚に基づかぬ短絡的な欲望は、
真の自己の必要としての環境において、自己矛盾として
“ぶつかる”のだ。

この回答への補足

毎度回答ありがとうございます。
すみませんが、不勉強の僕にはよく分かりませんでした。

気になるのですが、哲学を本格的に学ぼうと思えば、psytexさんのような口調、文体の本を読むことになるのでしょうか。

補足日時:2014/07/26 11:46
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孤独を勝ち敗けと捉えている質問者さんもきっと、人間はもっとも孤独に弱いというご意見だからではないかと思うのです。



私は勝ち負けで考えたことはありませんが、「寂しい」と思ったら孤独だと思います。
人生や運命は思い込みで決まると思っています。心底「寂しくない」と思う孤独ならば孤独ではありません。

まだ本能のままに近かった人間が生きていた太古の時代では人間が肉体レベルで生き残れるためには社会と関わっていかなければなりませんでしたが、現代は「常に」人と関わざるをえなくとも、社会保障がある国では孤独でもまあまあやっていけます。

そして人間には「群居」という本能あるらしいですから、本能が大脳新皮質の下にある限り、やっぱりなんらかの本能のひとつひとつに従って生きていかなければならないかもしれません。そういう意味では孤独には勝てないということでしょうか。勝てないという対象はリア充にではなく本能に、ですが。

私は孤独が好きです。母がいうには、幼稚園にあがるまえから、近所の子と遊ばせてもすぐに帰ってきて一人で積木で遊んでいることの方を好む子供だったらしいです。(子供らしくないから心配したという母ですが、私は大事なことを守ってきたのだから余計な考えだと、その話を聞いたときから思ってますが)
その子供の時分のまま、今の私があるのでしょうが、とにかく私は孤独が好きです。孤独が忌まわしいと思ったことなどありません。ですが私ほど孤独な人間はいないと思うことはしょっちゅうです。
ですが大勢で楽しく飲むことも好きです。たまに寂しさを感じるのは、ここには通じあるものをもっている人がいないと思うからでしょう。それでも孤独と社会と、どちらがよいかなどと比べるものではないし、ましてや勝敗という天秤にかけられる性質のものではないと思います。

孤独とは人にとっての基盤であり、サンクチュアリであり、肉体にとって水や食べ物が必要なように心の栄養に不可欠なものです。孤独は人間の原点です。孤独は創造力の原動力ですし、墓場には「孤独」しかもっていけません。

私にとっては不慣れな「リア充」という言葉を繰り返しますが、「リア充」と言われている方々こそ、もっとも孤独を恐れているのかもしれません。自分や他人との深い対話をせずに、とにかく浅く広く群れをなすだけで充足しているような人もいるかもしれません。

人は「もう一人の自分」というものを内在させています。
もう一人の自分が充実している限り、その自分と上手に付き合っている限り、その間は孤独を感じません。これが本能を凌駕する理性の偉大さだと思うのです。
だから「人間は群居という群れをなさなければいられない、食欲よりも強い本能だ」という説には私は反対です。
リアルに何を充実させるかというのは人それぞれで、非リアという自虐的な言葉も好きではありません。
孤独がいいか悪いかは他者から押しつけられるものではなく、ましてや勝ち負けのレベルではなく。
何か(時間や精神力や労力など)と引き換えに自由に選択できる「自由」のものでありますが、代わりに人を束縛もします。しかしそれ以前に常に自分につきまとうものですから、上手に付き合わないと真の孤独に陥る…「人」よりもまず「孤独」とは上手に付き合いたいものです。

それでも最後にはやはり、「孤独」を味方につけて深い精神力を充実させていた者だけが最後に「勝つ」のではないでしょうか。
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この回答へのお礼

同意できるところが多々ありました。僕ももっと勉強しないといけません。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/26 11:43

孤独が「苦しみ」とは、誰が決めたのでしょう。



交わりが「幸福」と決まっているのでしょうか。

両方がある事が、「人間」を人間たらしめる原動です。


孤独で生きる事は可能でしょうし、好き好きですが、勝っているのか負けているかで意味を見出そうとしている時点で「負け」でしょう。

この回答への補足

確か少し前にも回答してくださった方ですね。ありがとうございます。

なるほど、確かに孤独が全い苦しみであるとは限りません。おっしゃる通りですね。

孤独で生きるという事は、一匹狼のような感じでしょうか。確かに可能ではあります。ただ、一匹狼は孤独を制して(征して)いるかといえば、そうではない場合が多くあるように思えます。僕の母や姉や、もしかしたら自分自身がそうです。だから、ヒトは根本的なところで、孤独にはやっぱり勝てないのではないかと思ったんです。自分でも言葉に上手くしきれない世界の事なので、表現は合ってないところもあるかもしれません。

また、最後に、揚げ足を取るようで申し訳ないのですが、あなたは負ける事を負の事かと捉えられるのでしょうか。そこだけ気になりました。

補足日時:2014/07/26 08:50
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生涯孤独だと生きている意味が見つけられませんね。


でも生きていれば、友や家族が見るかる可能性はあります。

ヒトは孤独に勝てるか?は死に様で決まると思います。
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何も戦う必要は無いですよ。


受け入れれば良いのです。
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