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No.15
- 回答日時:
哲学の論考であるかぎり、言葉の定義を厳密にしておく
必要があります。「私の定義と違う」というのは、お断りです。
それは出題者が概念の定義を明確にしていない責任であって、
大工に家をつくらせてから出来たものにケチを
つけるのと一緒だからです。
(1)この世
この世という限り、「主観」が認知できる限りの現実という
ことになります。主観というのは観測者と言い換えてもいいです。
とにかく、その現実を生きた「主観」の数だけ「この世」は
感得可能なわけです。
ただ、主観が個に閉じている以上、他の現実は「伝聞」にすぎず
ひとつの主観が感得できる現実には限りがあります。
また、ひとつの主観であっても、過去の体験は記憶にすぎず、現在
感得しうる目前の現実が唯一感得可能な「この世」です。
ですから、ひとつの主観が認識できる「この世」とは目の前の現実に
膨大な伝聞と記憶が付加された総体ということになります。
それとも、何か別の観測者(神の視点?)ですべの存在する「主観」が
認識可能な観測、伝聞、記憶の総体という定義も可能です。
そういう視点は観念的には想定できますが、実質を表記不能です。
なぜなら、主観の総和を数えることが不可能です。
それが有限であるというのは「楽観的な空想」に過ぎません。
地球の果てまで、ニューギニアからモンゴルの遊牧民の今生まれた
ばかりのあかちゃんの「主観」を全て把握しつくしたところで、動物や
昆虫の「知覚」は及びもつかない。あるいは地球外生物、アンドロメダとか
オリオンだとかよくわからない生命体の「意識」は保証できません。
ですから、「この世」というのは、現世という解釈で「俺」という主観が
認識可能な「世界」ということに限定させていただきたい。
なぜなら、質問者さまが、地球外生命体であったとするなら、この世の
認識そのものが大きく「俺」とは違うわけですから。
これって、実はせんじつめたら「実存主義」と同じ立場なんですけどね。
実存主義とは、本来本質存在に対する現実存在の優位を説く形而上
学説ですが、絶対的な個人偏重思想はすぐに構造主義に
よって乗り越えられたわけで実存はごく当たり前も取り立てていうまでも
ないことなわけです。
(2)全て
これも、定義が難しい。「この世の全て」というのなら、一つの主観が
認識できる目の前の現実に膨大な伝聞と記憶が付加された総体
ということでいいわけですが、今の一瞬の「俺」の認識できる世界は
次の瞬間にはあらゆるものが「変更」されています。
具体的には、世界の人口は、今と一分先とでは大きく変動しています。
この瞬間に、人が生まれ、次の瞬間には存在した命が消えています。
また、コップの中の水は、今も10分前も目の前にありますが、その
中のクラスターの構造は変化しているかもしれないし、水素原子の電子の
位置はめまぐるしく移動している。潜熱も変化しているし表面からは分子が
気化している。
もちろん、変化していることと、存在とは意味が違います。
オタマジャクシがカエルになったからといって、オタマジャクシが消えたとは
いい難いです。でも、愛し合った二人が明日別れたならば、愛は消えたと
言ってもいいわけです。あれほど熱く確かめ合った愛はもはや存在しない。
変化することと、現実存在とは無関係ではなくある状態にあることを「存在」と呼ぶ
ならば、様態が変化したらそれはかつての「存在」とは別の存在になっていると
解釈すべきでしょう。
時間を停止させない限り、認識を同時に行うことは困難です。
このことから、一定の主観の一定の期間においてのみ、伝聞と記憶とほんの
一瞬の観測の総体として「全て」が定義しうるわけです。
(3)存在すること
「存在しない」というこのほうが定義しやすいですね。
要するに誰も知らないのは「存在しない」ということと等価です。
女房が会社の同僚と浮気している。でもその事実を知らない亭主にとって
知らない限りは浮気は存在しないのと同様です。
亭主の認識の外に「女房の浮気」という事件が存在しているのです。
観念というのはいつでも造ればその人の頭に「存在」します。
ですから、現実存在という意味での存在とは、極めて定義の曖昧な概念なのです。
人間が考える「存在」とはサルトルでなくても、ありふれたヒューマニズムに
陥るのは目に見えています。
記号論では「意味するもの」「意味されるもの」の差異を意識します。存在とは
まず、テーブルの上に花瓶がある。という場合でも、花瓶という表象の意味する
概念と現実のテーブルの上に置かれた、陶器の壷上の製品(実は医療用の
痰壷かもしれない)のふたつの差異を意識する必要があります。
誰かが、存在すると主張したものは、他の観測者からは別の見え方になる
可能性は大いにあります。自分の観測であっても誤解や、「意味するもの」と
「意味されるもの」の乖離の問題などさまざまな誤謬を内包しているのです。
これは、実は「見方を変えると、対象物も変容しうる」という重要な原理を内包して
いるのですが、ここでは詳述を避けます。
五蘊皆空
存在するものは皆空である。これは、玄奘の持ち帰った教典の骨子をまとめたと
いわれる般若心経に書かれている文言です。
存在するものは皆、不定、無常であって確定した世界というのは存在しない。
これは主観の数だけ世界は存在しうるという謂いでもあります。
存在とは、主観が誤謬なく認知できる状況と定義するなら
「この世の全ては存在する」
というのは、二重の曖昧性を含んでいあmす。つまり主観をどこに設定するかで意味が
違うのです。
「女はみんな嘘つきだ」
というのとよく似ています。
だって、このよの女すべてと付き合う必要もないしそんなの不可能なのに
皆、という無鉄砲な対象を引き合いにだして、嘘つきというこれまた微妙な言いまわしを
使って主張を曖昧にしているのです。
この世の全ては、一定の主観において一定時に認識不能である。
であるから存在しなくてしていても意味は等価である。
逆に言えば認識したいと欲するときに存在が確定する。
そういうことですから、みつける限りかぎりなく見つかります。
シュリーマンの遺跡発見も、女房の浮気も
現時点では存在するかしないか未確定であって、将来発見したいと欲して
行動すれば存在が確定するかもしれない。
ですから、質問の答えは
「この世の全ては存在する。を証明できる人はいますか」
答え。1人では無理だ。
No.14
- 回答日時:
#9です。
補足をありがとうございました。素人の門外漢にも丁寧にお答えいただき感謝しております。「この世の全てについて、存在すること」について愚考を新たに少し。
「この世」と言い、「全て」と言い、そして「存在」と言う。
どれも全て人間が作り出した言葉です。
言葉である限り、人間の認識が生み出したものということには同意なさるでしょう。
「存在という言葉」が安易な認識の基に生み出されたのではないかという疑念は面白いと思います。
しかし、過去を記憶し未来を想像できる思考能力を持った生物であれば、「存在する」という概念は必然的に認識されるはずです。
「存在すること」とは「現在生きている。あるいは今認識できる」ということに過ぎないよいうに思われます。
過去や未来は、あくまで「今在る」ことを確信する為の概念に過ぎないと考えています。
つまり現実的には常に始まりであり、常に終わりではないでしょうか。
また、この世が有限か無限かも未だに証明されてはいないでしょう。
「昨日有った」と言うのが事実であっても、「今無い」のであれば、やはりそれは「無い」と規定されるべきでしょう。
(無論、元素としては形を変えて「有る」のでしょうが)
ただ、「昨日有ったと思いたい」という思念を人間は操ることができます。
そして、最初に戻りますが言葉が人間の認識によって生み出されたものである以上、「無い」と規定されるものであっても「有る」ことは可能だと思われますし、それを否定するのは野暮というものでしょう。
そういう考えでいくと、たとえ存在が無であるとしても、「今有る」と認識できるのであれば、それはやはり有るのであり、つまり「無」でさえも「有」になり得るというのが私の考えです。
仏教徒ではありませんが、「色即是空」と言い、また同時に「空即是色」とも言う。
この真意はそういったことか、などと愚考を巡らすこともあるというわけです。
No.13
- 回答日時:
私があると感じ私があるといい、私がある感じることができ私があるいうことのできるものが「この世の全て」です。
ゆえにこの世の全ては存在しますよ。嘘だと思うなら私が存在しないことを証明してください。
No.12
- 回答日時:
#10です。
>「有限なこの世界に存在すると認識されるものは、無限の中の存在か無か」
最初の質問よりだいぶ複雑になってきましたね。文章の終了部分があいまいなので、一見、疑問文のように見えます。そこで、命題の形に書き換えてみました。質問者の方が証明したいのは、以下の命題1でしょうか? もし、違うようでしたら、疑問文風ではなく、証明したい命題の形(○○はXXである)で提示していただければ、回答しやすいと思います。
命題1: 「有限なこの世界に存在すると認識されるものは、無限の中の存在であるか、あるいは、無限の中の無である。」
ここでは、とりあえず、証明したいのが命題1だと仮定して、考えてみたいと思います。命題1の値は、以下の命題2と命題3の両方がともに「偽」であれば、「偽」になり、どちらか一方でも「真」なら、「真」になります。
命題2: 「有限なこの世界に存在すると認識されるものは、無限の中の存在である。」
命題3: 「有限なこの世界に存在すると認識されるものは、無限の中の無である。」
<命題2の証明>
「有限なこの世界」という表現の中に、「この世界は有限である」という暗黙の前提が含まれています。また、「無限の中の存在」という表現の中に「無限世界の存在」という暗黙の前提が含まれています。従って、世界の有限性と無限性が同時に成り立つことを前提にしているので、命題2は、「偽」です。その根拠は、以下の2つの前提です。以下の2つの前提が真でないという証明ができれば、結果は変わります。
前提1:この世界は「有限か、無限かのいずれか一方」であり、「同時に両方であったり、あるいは、どちらでもない」ということはない。
前提2:「この世界」とは認識し得る最大範囲を表し、「この世界」の外に、さらに世界があるということはない。
<命題3の証明>
「有限なこの世界に存在すると認識されるものは、無限の中の無である。」 は、「存在を認識されるものは、無である」という命題を含みます。しかし、
「存在を認識されるもの」は、無ではないので、この命題は、「偽」です。
従って、命題2、命題3ともに「偽」となり、その結果、命題1は、自動的に「偽」となります。
(注)質問者の方は、このような証明をお求めなのでしょうか? もし、そうでないとすれば、証明すべき「命題」が、質問者の方が求めているものと違っているような気がします。その場合は、「命題」そのものをもう一度検討された方が良いかと思います。
No.11
- 回答日時:
質問者さんのお考えのとおり
すべての概念を捨てて直感で得るしかない。
それは間違いないです。
この回答への補足
無限と有限の概念で考えておられるのはあなただけのようです。ただ「全ての概念を捨てて」とは言ってませんよ。有限な人間だからこその「理性」「感情」。不完全であるからこそ人間だし、またそこから抜け出せないのもやはり人間なんですから。
補足日時:2005/11/06 08:24No.8
- 回答日時:
『あなた自身が現存する』を以て証明出来ませんか?
ご自分が生きている証を自分でたてられないなんて考えられないですよね。結論はあなたの死を以て『あなたの仰るあなたのこの世の全て』の存在は『無』に期すのです。
No.7
- 回答日時:
「存在」は原因と結果の間にある「過程」の連鎖だと思います。
確かに存在しているとは、原因があってその結果が今認識されている。けれど、それが原因ともなりうるものではと思います。
No.6
- 回答日時:
この世の全てでなくても、まずは、ただひとつでも存在することが証明できればいいのでしょうか?ひとつ証明されれば全てを証明したことになるのでしょうか?
私は私が存在することを証明できるか考えましたが、無理でした。私が存在することがわかれば、全てが存在することにもなると思うのですが、それがわかりません。
「この世は、ただある」←これが真理ではないでしょうか?そして神秘なのです。
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