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人間の尊厳ってなんですか?
具体的に説明していただきたいです><

A 回答 (8件)

猿とは違うということですね。


猿から進化した存在であるならば猿並みの尊厳しかないですね。人間は猿とは違うから人間の尊厳があるのですね。自分は猿から進化した猿並みの人間であると信じ込んでいる方が非常に多いので、理解できないかもしれませんが、人間には人間以外の全ての生き物から見ると神近き生き物という本来の尊厳があるのですね。猿は人間にはなれないが人間はその信じるところにより人間にも猿にも犬にもなれるということなんです。その自由さゆえに神近き尊厳があるといわれるのです。
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尊厳死とかよく言いますよね。

あれは、本人の世界観や状況判断に任せて、本人の死を無理に伸ばさないで自由に選ばせると言うものですよね。
人間の尊厳を考える時、本人の世界観が密接に関係していると思います。世界観は一人ずつ違うものです。普通人の世界観を壊すと言うことは、必要性がない限り、相当に失礼な行動です。本人が大好きな趣味について馬鹿にする。本人が正しいと思っている宗教が、現実社会に何も影響を及ぼさなくてもそれは違うとわざわざ否定する。本人の苦しみを全く考えずに一方的な、強引な手段を用いて不治の病の治療をする。こういうときに人間の尊厳を考えさせられます。
基本的に、他人には本人の気持ちを完全に汲み取ることはできないから、きちんと本人の意向を聞いて、それが多少今まで自分が持っていた当然と思っていた考えと違っていても、それを容認してやる、と言うことで作られた概念ではないでしょうか。
権利とは違います。権利は客観的な世界の線引きです。ですのでここでは互いの世界観の領域侵犯もありえます。むしろそういったものが避けられないところに権利は現れます。約束事として存在するわけです。尊厳は主観的な世界の線引きです。これが客観的な世界の線引きと交わってしまった時に、すぐに客観的な世界のほうに持ってこないで、主観的な世界観を、できることならそのまま維持するのが尊厳の線引きです。
これが私の意見ですが、専門家ではないので、本当のところはわかりません。
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尊厳=品位です。

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「人間の尊厳」をどう考えるかは、人によって違うと思いますので、以下は私の解釈です。



「人間の尊厳」の意味を私は、「人間存在の尊厳」と解釈しています。どういうことかと言うと、「”私”はコーヒーが飲みたい。」と言った場合の「私」に尊厳があるのかどうか、私にはよくわかりません(ないというわけではなく、実際よくわからないのです)。一方、「”私”はコーヒーが飲みたい。」と言えるような「人間存在」そのものについては、無限の尊厳を感じます。「”私”はコーヒーが飲みたい。」と言えるためには、実は、その前提として「人間存在」というあり様があって初めて可能なわけだからです。

ところが、その「人間存在」のあり様そのものは、決して人間が作り出したものではありません。人間を超えた、人間が存在する以前からある何らかの働きが「人間存在」を生み出した訳です。特に「神」とかを考える必要はありません(考えてもいいですが)。ただ、現実の事実関係を言っているだけです。

「人間存在」は、我々にとって、あまりにも当たり前の前提条件になってしまっているため、あらためてそれを意識することは通常ないのだと思いますが、実は、「人間存在」は、ある種の奇跡としか言い得ないものだと思います。どのように奇跡なのかというと、「人間存在」なくして、「この世界の存在はない」からです。全人類が滅亡しても、この地球上には、青い海があり、大陸があり、緑の植物、赤い花、様々な動物が依然として存続し続けるではないかと一般には考えられていると思いますが、それは、実は間違いだと思います。「人間存在」のない「この世界」は、実は、「単なる混沌」に過ぎないと思います。「人間存在」によって初めて「この世界」に「意味」と「秩序」が与えられるのだと思います。

このような見方は賛同しかねるかも知れませんので、比較的わかりやすいと思われる例を挙げてみます。「人間存在」がなくなったとき、「青い海」は存在するか? これは、明らかに「NO」だと思います。何故なら、「青い海」と我々が言うときの「青」とは、例えば、0.45ミクロン・メートルの波長を持つ電磁波に過ぎません。電磁波自体には何も色が付いていませんし、それが、眼球から取り込まれ、視神経経由で脳細胞に到達しても、それは依然として、生理的電気量に過ぎません。「人間の心」の存在があって初めて、0.45ミクロン・メートルの電磁波が「青い色」に変換されるのです。従って、桜の花や新緑を美しいと感じるのは、人間なしの客観的な桜の花や新緑が美しいのではなく、「人間の心」がそれらを「美しく映し出す」働きを持っているため美しいと感じるのです。

また、「青い海」と言うときの「海」は、「人間存在」がなくなっても存在するか? これも、やはり、「NO」だと思います。何故なら、「海」と「陸」を違うものとして区分けしたのは「人間の心」だからです。「人間存在」が、「海」と「陸」を分けて考えることに「意味を感じる」ような存在であるからこそ、区分けしたのです。もし、そこに意味の違いがなければ、単なる分子・原子の粗密の差異があるだけです。実は、分子・原子という概念自体も人間の心が生み出したものであり、自然を区分けする一つの物差しに過ぎません。

ということで、「人間存在」が、「この世」のありとあらゆる「意味」を生み出し、あらゆる文化、その中には、崇高な精神や至高の芸術も含まれますが、を生み出す大前提条件になっているわけです。そのような「人間存在」ということが、もしかしたら、存在しなかったこともあり得たのかどうか、非常に不思議なのですが、とにかく、全くあり得ないような、そんな奇跡的な事実が現にあり得てしまったという意味において、「人間存在」の尊厳を考えることができると思います。
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【尊厳】とは,広辞苑によりますと,


「とうとくおごそかで,おかしがたいこと」との事。

 人間とは,尊い存在だ,ということですが。
 じゃあ何で尊いのか。
 イヌネコと,どう違うのか。

 それは,人間に生まれなければ果たせない,尊い目的があるから,です。

参考URL:http://www.shinrankai.or.jp/jinsei/index.htm
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受け売りですが、。


『その人をそうだと決め付けないこと』これがその人の尊厳を護っているということらしいです。

喩えば車を買いに来た人がいます。ディーラーは、その人の予算を知らなければ車を勧めることができません。そして、単刀直入にならないように、上手にその人の元手を把握するわけですが、そのときに、たとえ即金で買える車がなかったとしても、ローンを用意するなどして、車を買えるようにする。それが、お金ない=車買えない と決め付けることではなく、お金なくても=ローンで買える と言う風に、相手の尊厳を保っているのです。

ちょっとわかりにくいですよね。でも、このようなことが尊厳を護ることになるようです。

私の思う尊厳とは、高貴さの事であると思います。喩えば人間は、幼い人、老いた人、病んだ人、あるいは性別などに関わらず、人としての気高さを有しています。苦境にあるからと言ってその人のすべてが奪われるわけではありません。逆に、良い状況にあるからと言って、その人の尊厳が増すかと言えばそうではないのです。そのような平等に認められる人間としての存在価値のようなものを、尊厳と言うのだと私は考えます。
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一言で言えば「主体的に価値を為す」ということだと思います。

社会的動物にすぎない人間にとっての価値とは社会への貢献。具体的にはいろいろな貢献があります。励みになるだけでもその一つです。
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2008年の秋、米国第3位の証券会社リーマンブラザーズが倒産し、世界中に金融不安を与えその影響が日本にまで及びました。

日本の大企業は次々と非正規社員を解雇し、住むところを失った人々が東京の日比谷公園に集まり日比谷村の住民と呼ばれながらさびしい年の暮を過ごしました。私は、これを見て、当時哲学を研究していたのですが、これを止めて、人間の尊厳と労働という本を書くことにしました。それは2010年に出版されました。この中で、私は人間の尊厳についていろいろと考えました。次に、私の考えたことを説明し、理解していただきたいと思います。
 まず、人間の尊厳という意味ですが、これは人間の持っている尊厳という意味だと思います。「これは私の本です」というとき、私がこの本を持っているということになります。同様に、人間の尊厳というとき、人間が尊厳を持っているということになるでしょう。そうすると人間は一つの価値を持っているということになります。したがいまして、この価値の内容を明らかにすることによって尊厳の意味を理解することが出来ると思います。
 ところで、尊厳という言葉の起源は日本でもなく、東洋でもなく、ヨーロッパのようです。今から数百年昔のヨーロッパ中世ではキリスト教が最盛期をむかえ、神は人々から尊敬を受け尊厳を持っておられるが、神は人間をご自分に似せて作られたため、人間も神に似て尊厳を有すると考えられてきました。、
 つぎに、尊厳の意味について述べたいと思います。
 英語で尊厳はdignityという言葉ですが、フランス語も、イタリア語も、スペイン語も、ほぼ似たような言葉で、いずれも、これらの語源はすべてラテン語のdignitasに遡ります。しかし、このラテン語も尊厳の意味を十分に伝えていません。。
 ところで、詳しいラテン語の辞書でdignitasをしらべていると、ギリシャ語のデコマイ(δεχομαι)を参照するよう書かれていましたので、ギリシャ語の辞書を調べたところ、そこに答えが書かれていました。
 それは「喜んで受け取る」ということです。ある人の、あるいは、人々の、尊敬、敬愛、好意、賞賛などを喜んで受け取るということで、ある辞書によると、デコマイは名誉のある(honarable)という意味であるという説明のついたのもありました。
 
、従いまして、尊厳という言葉の奥には、まず、名誉があるということになると思います。しかし、尊厳は単なる名誉ではなく名誉の上に恭しさとか、荘厳とか、畏れ多いなど、特別の尊敬のための感情、精神状態あるいは環境が加わっているのではないかと考えられます。
 派遣労働者と正規社員とでは、同じ仕事をしていても、給料も、待遇も、将来の保証も異なり、このような差別は、派遣労働者の名誉を傷つけ人間の尊厳に反するということが出来るでしょう。
 尊厳死という言葉もありますがこれは死をめぐる難しい問題であるため別の機会に考えてみたいと思います。
 人間の尊厳について以上のように考えてみました。

参考URL:http://w01.tp1.jp/~a610232271/
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