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今社会では、患者の安楽死においての人権について問題になっていると思うのですか、生命尊重や人間の尊厳という形をとりながらも患者の人権侵害という問題に繋がってしまう、背景や理由について、
何故そのような人権問題が生まれてしまったのか教えてください。

A 回答 (6件)

何故そのような人権問題が生まれてしまったのか


教えてください。
 ↑
法制化されているわけでもない、
広く認知されているわけでもないのに
一部の人が、勝手に判断してやって
しまったからです。

「名古屋安楽死事件」では、農家である
息子が、農薬で実父を殺害。
執行猶予になる。

「東海大学安楽死事件」では、医師が
やって殺人罪になったが、
執行猶予。


このようなことが行われると
保険金や相続財産目当てで、
安楽死がやられるような弊害が
懸念されます。

安楽死に頼ると、医学の発展が
遅れるかもしれません。
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生命保険詐欺になっちゃうから

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すへてな日本人に人権を与えたから、政府与党自民党が選んだ人(生産性)にだけ与えればよい

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何かについて矛盾して言うと感じるとき、自分の中に思考のバイアスがあるのでは無いかと考えて見ると良いですよ。

疑いもしないあたりについて疑問を持って見ると見え方が変わってきます。

「人権とは個人を守るものだと思いがちであるが、
 実は国家や社会を守るものであって、個人を犠牲
 にする精神はいまだ健在なのではないか?」

私は上の内容で理解しており、人権が私を守ると思っておりません。

そうである以上、

「人権とは国家繁栄のために採用した方策であり、
 個人に対する国家の姿勢を他の国民に見せて意識
 改革を促すために存在する」

となりますよね。実は困っている当事者よりも、それを見ているその他大勢へのプロパガンダや意識づけが目的です。なので自殺をする人権を主張する人に対しては厳しく対応するという事が考えられるのです。この時に、合理的な理由や解釈はあるでしょうけど「他の国民にとって害になるので否定する」と言う決定事項は揺らがないんです。

「元々国家に借りて守って貰っている武器なのだか
 らそれを国家に向けて機能するはずがない」

そして現代では観察している人が国民だけではなく、他国の人も見ているので、これらにも配慮して対応するというのがメタです。世界への影響も踏まえてアピールするという事です。決して当事者が救われるという事ではありません。

「自分で自分を守る権利はある。そこは尊い」

というスタンスを取ります。しかし自力で自分を守れな人は国家が変わって庇護するという仕組みを作ります。それは簡単に言えば国民全体で負担をするという事なので、国民全体の総意に沿っていなければ行けません。

「人権=守ってらえる権利ではなく、自分で自分を
 守る権利。守ってもらう方に関しては世間による
 好き嫌いの話が大きい」

どうしても守りたくないという人が居た場合は、その人にだって人権はあるので救われるべきだと皆がいい、じゃあアンタがやれと言われたら「俺に強制する権利は誰にもない。俺はコイツを助けたくない」と人権を主張する分けです。そして誰もがそういう立場を取ったとき、誰にも守って貰えないと成ります。

「自分にも人権がある」

「お、俺もあるよ」

「俺も俺も」

という状態に成るので人権について議論をしなくなるというのが普通。人権を議論するという場合は政治的(国家の総意を問う)な話が多く成り、個人と言うより今後の国の考え方を議論する場合が多いです。

「あの・・・という事で僕の人権を訴えたいです」

「お・・・いいネタをありがとう。ちょっと皆で
 議論してくる。あと何十年かかるか分からない
 けど訴えるだけの価値はあるよ」

「あの・・・僕はどうなるの?」

「う~ん。君が自力で何とかしちゃったら、この
 話は無しだ。それほど大きな話じゃない。
 君が自力で悲惨な事になって、君に何の責任が
 無かったって事例になれば、この後の君の後輩
 達は救われるかもしれない」

という話なので人権を自分に適用して得をするという事は無いんです。自分が死んだ後の子孫のために何かするという人は頑張ればよろしいです。

この後の社会の為に議論しているのであって、当時者についてはこれまでどおりそれなりに対応するだけです。

「大人達が議論している内容は自分の死後の話だ
 と思って期待をしない事だ」

まずは自分の人権について論議されるような人生に成らない事です。それは最悪の流れであり、そう成る展開を許してはいけません。そして自分の人権を主張する状況に成ったら「ダメもと」程度の期待値にしないと行けません。

人権について社会が大真面目で議論する姿勢を見て「どこかで使えるかも」とワクワクする子供がいたら「使う前に何とかしなさい」と私は気づかせますね。何せ「人権を必死に主張するクラスメート」と「それについて他人事として議論するクラスメート」が同じ教室にいるとしたら、後者になるべきです。前者になって人権を主張するシーンを夢見ては行けません。

以上、ご参考になれば。
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詳しくもなく、背景や理由も知りませんが


死刑に関する事柄に当てはめて回答します

執行者、補助者の精神的苦痛
一般人が人殺しの手助けをする事への良心の呵責に耐えられるのか?
医者や介護者の人権(人殺しのレッテル)問題

故意の安楽死問題
本人の意思とは関係ない所でワザと安楽死されるのでは?という問題
仕事で安楽死手伝ったのに殺人ほう助に問われるのでは?という問題

未来の不確定さ
安楽死を望む、望んだ人の死にたい理由が近未来で解決した場合
それでもなお死を望むか、望んだだろうか?
安楽死は安易な問題解決で本来はその人の抱える問題を解決する手助けが
必要なのでは?という問題
無職が死にたいと願った時、法秩序が安易に安楽死を選ばせるのは
法治国家としてどうなんよ?って問題
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殺す側の人権をどう考えるかですね。

死ぬ方は別にいいんでしょうけど、殺人者にされるのは誰でも嫌ですわな。
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