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ども、皆様方いつも勉強になります。

タイトルの件なんですが、京急電車の品川→川崎間と川崎以遠とでは普通電車の密度が何でちがうんでしょうか?

川崎以遠では、普通電車が頻繁に走ってます。

が、品川→川崎間ですと普通電車が10分以上も間を空けて走ってます。

どうしてでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

こんばんは。


No,10です。

>逗子線ってなんで3駅しかなく、しかも半端な路線で営業をしてるんでしょうか?ご存知でしょうか?

三浦半島の西側(相模湾側)に鉄道を走らせる計画はあり、古い資料には確かに、八景~逗子~葉山~武山~三崎と計画線が書かれてあります。

しかしながら、葉山のご用邸を通過する事もあり、戦前の時代のことゆえ、難しかった様です。
新逗子(旧逗子海岸)の駅が葉山方に曲線を描いているのは、過去にその事を想定しての様です。

しかしながら、今現在、葉山方面に延伸する計画は無い様です。

>また今日気づきましたが新町行きの
特急も運転されてるようです。新町で特急が終点ですか、京急電車って奥が深いですな。

長年、新町止まりの「特急(C特)」は運行されています。
○ 上大岡~横浜の利用客は多い事
○ 神奈川新町駅は近郊にあるオフィスビル「ニューステージ」や、企業(子安のMAZDAなど)の通勤客が朝時間帯は多い
○ すぐ後ろを走る快特(B特)のスジや、蒲田以北の羽田→品川の急行がある事
○ 車庫駅で折返しする事で車両運用を効率的にする事
、、、が理由としてあります。

12両で新町に着いた「特急(C特)」は、上りホームでそのまま分割し、前の4両は一旦入庫し、しばらくして下り6両の普通車と車両交換し新逗子に。新逗子から折返し羽田空港行き(D列車)に充当し、

後ろの8両はすぐ折返し、下りの特急に充当。
・・・なんて車両の回しをしていたりします。
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この回答へのお礼

長々とお付き合いありがとうございました。

お礼日時:2005/12/04 17:20

鶴見駅は、踏切立体化の計画と合わせて高架の大きめの駅に生まれ変わったので、退避ができるようになりましたね。

土地がなければ拡張できませんし、横浜駅を埼京線渋谷のように動かしたら、えらく不便です。
蒲田駅が空港アクセス&第一京浜・環状8号他踏切がらみの立体化で大きく便利になるのは喜ばしいことです。

京急は、横浜で乗客をJRに取られてしまうい、横浜以遠からの乗客は、かなりが横浜経由JRでの通勤通学者(まあ横浜都心への人も多いですが)なので、それらの乗客は横浜までいかに便利になるかが鍵なんですね、残念ながら。他の首都圏私鉄も多かれ少なかれ、東京から遠い沿線住民を都心にいかに速く大量に運ぶかに苦労なさっているわけですが。
都内の京急沿線住民は、JRもあるし、バスもあるので、京急だけに頼ることも少ないですが、横浜以遠の沿線新興住宅地だと、京急が重要な移動手段ですね。
あとは、空港輸送もからんだりなどなど、専門家さんのおっしゃる通りでしょう。
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追伸です。



>列車種別の話が出てきましたんで伺いますが、急行は羽田行きのみで全線で運行してるのは快特と特急、普通の3つですね。(ウィング号は別枠ってことで)

本線の列車種別は、
○「快特(A・SH)」と「普通」が終日
○「特急(H・C)」はラッシュ時と早朝深夜
 横浜方面~羽田空港直通列車の内、快特の後ろにくっ付く列車(D)

・・・になります。

>京急電車では、特急と急行の間に”準急”ってのを検討しなかったんでしょうかな。特急も上りですと12両編成は走ってますが、川崎以南では8両ですよね。
快特と特急の下り12両編成ってのは別個なんでしょうかな。

下り特急が川崎で切り離し8両になる理由として、神奈川新町下りホームが8両分しか無いことがあります。
走らせないのではなく、停められないのです。

下り12両特急は、2つのパターンがあります。
○ 川崎で切り離し、分割された4両はそのまま普通車充当
○ 川崎で客扱いは終了し、特急にくっ付いた「回送電車」として、神奈川新町まで12両で運転。4両切り離しそのまま車庫に入庫

・・・になります。

神奈川新町が12両ホームになれば、金沢文庫まで12両運転出来ますが、かのホームは車庫線などもあり延伸が難しい為、このようなカタチになっています。

ちなみに、ダイヤが荒れた際に、B特(文庫まで特急、文庫→品川は快特)の下り回送を、横浜から客扱いし、12両特急久里浜行き(前4両文庫止まり)で運転した事はあります。

この回答への補足

koge-maguさん、素晴らしいですね。京急電車の関係者でしょうか。いやはや、素直に脱帽です。

今日、新町の下りホームを見ましたがホント12両を勘案しますに短いですね、上りホームと比べますと
よく解りました。また今日気づきましたが新町行きの
特急も運転されてるようです。新町で特急が終点ですか、京急電車って奥が深いですな。

補足日時:2005/12/03 18:49
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現行ダイヤで、文庫~川崎5分ダイヤですが、元々逗子急行(D急と呼んでいましたが)を普通に格下げした結果なのです。



理由として、
○ 普通のみの停車駅の利便性向上
○ 種別を「快特」、「普通」の二種にして、分かりやすくするため
○ D急は停車駅が多くて普通車とあまり変わらなかった
○ 今までの普通車の退避時間が長かった(優等列車の連続待ちで10分待ちなどあった)のを改善し、基本的には追い抜かれる時の停車時間を2分までつめる為

・・・などあります。

本当は全線で行ないたかったのですが、
逗子~川崎の急行ダイヤを使って普通車を増発した事。
蒲田以北の場合、羽田直通電車がスジに入ってきます。入れたくても入れられなかったのが正直なところです。

品川~羽田の直通電車は、「急行」、「快特」の二種なのも、途中駅のアクセスと羽田最速アクセスの両立の為です。

確かに普通車で、平和島で本線快特待ち、鮫洲で羽田快特待ちとありますね。
ダイヤ見るとスジがぎっしり埋まっている状況です。

現行「普通」「快特」二種ダイヤで組む限りはちょっと直すのは厳しいかなと思います。
蒲田の平面交差があるので・・・。

平沼駅跡、いま保線の用具置き場になっています。
屋根の鉄骨は撤去していますが、土台はそのままです。
高架橋そのものの立て替えになり大掛かりになるので、土台はそのままになる様です。
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#4です。


南太田は、昔から高架線でした(日の出町まで)。

また、急行も以前は(羽田空港開業までは)、都営線からは川崎まで、京急車両が川崎~新逗子(当時は「逗子海岸」)や浦賀を結んでいました。

「準急」っていうと「準・急行」というイメージなので急行より停車駅が多いように感じますが、いかがでしょうか? 急行の停車駅が増えたのも事実ですが・・・。

この回答への補足

いやはや、昔からですのね。z56は、ここ最近に沿線に越してきましたんで不勉強でしたよ。

>京急車両が川崎~新逗子(当時は「逗子海岸」)や浦賀を結んでいました

最近は、優等列車の快特や特急は須らく”三崎口”ないし”久里浜”ですな、昔日の感があります。
一応、路線図では浦賀って本線なんですよね。
でも、支線の三崎口に主役を取られて主客逆転ですな。沿線に詳しいようですんで、後1つ。
逗子線ってなんで3駅しかなく、しかも半端な路線で営業をしてるんでしょうか?ご存知でしょうか?

補足日時:2005/12/03 18:55
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平沼駅跡は撤去すると高架の強度不足に繋がるので撤去できないそうです。

(別に市が許可を出す云々ではない)
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初めまして。


京急にいつも乗っています。

京急川崎以北の普通電車が少ない理由。

1.京急川崎以南は需要が多い
2.京急蒲田以北には急行もあり、特急も終日走っている。(京急蒲田~川崎は3駅)だから、これ以上普通電車が増やせない状況。
3.京急川崎以南は快特停車駅の幅が広い。

横浜から戸部間には太平洋戦争以前まで「平沼(ひらぬま)」と言う駅がありました。
空襲で焼けた後が2年くらい前まであり鉄骨がトンネルのようにあった。

補足があったらどうぞ。
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>またまた便乗でスミマセンが、戸部、横浜間でホームらしきコンクリートが朽ちてるんですが、駅があったんでしょうか?



その通りです。
戦争遺構です。
京浜急行の駅だったのですが、横浜大空襲で焼けてしまい、廃駅となった駅の跡です。
京急はさっさと取っ払いたい様ですが(維持責任は京急)横浜市が許可しないので未だに戦争跡をさらけ出しています

この回答への補足

ほぇ~、そうなんですか。

因みに、横浜市が撤去を認めない理由をご存知で?

俄然、興味が出てきました。

補足日時:2005/12/01 22:56
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#3、4さんではないですが。



横浜−戸部間にあるホームの跡は、旧平沼駅のホームです。
昭和18年に休止、翌年に廃止となりました。
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追加の質問にお答えします。


元々、追い越し(退避)駅は、鮫洲、平和島、京浜川崎(現・京急川崎)、子安、神奈川新町、上大岡、金沢文庫、八景、逸見、堀の内
でした。私が知る、今から40年くらい前の話で。

当時は快速特急も通勤快特もなく、急行も通勤時間帯だけ。つまり日中は特急(4両か6両)と普通(2両か4両)のみの運行でした(空港線、大師線は蒲田、川崎での折り返しのみで、初詣時期などを除き、本線とは別の運行でした)。都営地下鉄との乗り入れもなく。


その後、沿線の宅地開発が進んで、さらに地下鉄との乗り入れも始まって、本数が増えたため、途中で普通を追い越す必要が発生しました。

そこで生麦、南太田、京急富岡、京急鶴見などに待避線を作っていったのですが、敷地がなかったので、上下線を作ることはできませんでした。

この回答への補足

>敷地がなかったので、上下線を作ることはできませんでした。

だから南太田や鶴見は高架になったんですね。

列車種別の話が出てきましたんで伺いますが、急行は羽田行きのみで全線で運行してるのは快特と特急、普通の3つですね。(ウィング号は別枠ってことで)

京急電車では、特急と急行の間に”準急”ってのを検討しなかったんでしょうかな。特急も上りですと12両編成は走ってますが、川崎以南では8両ですよね。
快特と特急の下り12両編成ってのは別個なんでしょうかな。

補足日時:2005/12/01 21:02
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