こんばんは。
中国史のことで教えていただきたいんです。
「南北朝時代」とは、一体いつからいつまでのことを指すんでしょうか。
(西暦や、前後の王朝名が分かれば見当がつくのですが・・・。)
探し方が下手なのか、借りた本にもことごとく載ってない・・・
どなたか御存知の方、いらっしゃいましたら教えてください。
お願いします。

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A 回答 (2件)

西暦420年から589年です。


589年に陏が中国を統一して陏の時代に突入します。
その後が唐ですね。
日本では607年に遣随使が派遣されていますから
その前の時代と考えていただいたら
わかりやすいでしょうか?

こんなところでいかがでしょうか。
お役にたてましたら幸いです。
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この回答へのお礼

とっても分かりやすいです!
本当にありがとうございました。

お礼日時:2000/12/13 02:13

南北朝時代とは、西暦でいうと420年~589年です。


始まりとしては、4~5世紀初めの華北一帯では、北方異民族による王朝が乱立していました(五胡十国時代)。
いっぽう、ひとたびは中国全土を統一した漢民族の晋は、北方異民族におされるかたちで中国の南半分を掌握するにとどまっていました(東晋)。
その後、華北では五胡の1つ鮮卑氏のタクバツ氏が北魏をたてて北方を統合し(439年)、江南地方では東晋の武人から身をおこした劉裕によって宋王朝が成立していました(420年)。こうして中国の北と南に、北魏・宋(劉宋)の二大王朝が峙立した時代を南北朝時代と呼んでいます。
終わりとしては、北魏は急激な漢化政策が民衆の反感をまねき、東魏と西魏に分裂し(534年)その後、東魏は北斉に、西魏は北周にとって代わられ、さらに北周は北斉を滅ぼします(577年)。覇権の交替がめまぐるしいなか、北周の武人から出た楊堅(のちの隋の文帝)は、北周の皇帝から位を譲り受けて隋を建国し、589年には南朝の陳を滅ぼして中国全土を統一しました。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます!
本当に助かりました!

お礼日時:2000/12/13 02:13

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Q中国の南北朝時代とはいつ頃を指すんでしょうか

こんばんは。
中国史のことで教えていただきたいんです。
「南北朝時代」とは、一体いつからいつまでのことを指すんでしょうか。
(西暦や、前後の王朝名が分かれば見当がつくのですが・・・。)
探し方が下手なのか、借りた本にもことごとく載ってない・・・
どなたか御存知の方、いらっしゃいましたら教えてください。
お願いします。

Aベストアンサー

西暦420年から589年です。
589年に陏が中国を統一して陏の時代に突入します。
その後が唐ですね。
日本では607年に遣随使が派遣されていますから
その前の時代と考えていただいたら
わかりやすいでしょうか?

こんなところでいかがでしょうか。
お役にたてましたら幸いです。

Q。応仁王朝から継体王朝への交代について

雄略天皇について質問があります。応仁天皇から始まる王朝は、雄略天皇で絶頂を迎えたようにおもいます。吉備の反乱を鎮圧したり、関東の埼玉古墳からの剣の出土を考えてもこのことは裏付けられます。
しかし、雄略天皇の死後急速に応仁王朝は衰え、継体王朝にとって変わられます。どうしてこういうことがおこったのでしょう? 
世界的には絶頂期を向かえた王権がその次の代で滅亡することは珍しくありませんが、これはナンバー2不在で後継者がいないまま死去してしまう、絶頂期を作るために財政が破綻しカリスマを持つ権力者の死と共に体制が崩壊する、というようなことだと思いますが、日本の古代の天皇は豪族連合の議長のようなものなので、こういうことになならないと思います。
応仁王朝から継体王朝への交代の時になにが起こったのでしょうか?

Aベストアンサー

4番です。

>#5の記述を読みますと、それすら怪しいようですね。

平安時代などは、通い婚が中心です、だれの子かは、自己申告みたいなところが有りますから、当然考えられる事ですが、それを言い出したら、話しが全く進みませんから、このような場所(歴史として)では避けるべき事だと思っております。

>なんらかの理由で当時の実質的な権力者である藤原氏に見限られたのだとおもいますが

質問内容とかけ離れるのですが、光仁天皇の擁立には、右大臣の吉備真備に反対すると藤原氏によるものです。

称徳天皇は、吉備真備を重要視し、藤原氏の押す淳仁天皇を廃位させています。
もっとも、称徳天皇が、孝謙天皇であった時、藤原氏により強制的に淳仁天皇に譲位させられていますから、その仕返しともいえます。

つまり、光仁天皇の擁立は、朝廷内の主導権争いにほかなりません。

Q魏晉南北朝時代について調べています。

魏晉南北朝時代について調べています。

下記したものはあるサイトからの引用なのですが、これ以外に明確な特徴と言えるものはあるのでしょうか?
少々急いでいます。

[魏晉南北朝時代]220~589
 【南北朝時代】317~589 
   晉滅亡からの270年間、中国は南北に分裂
  1.南朝
   東晉→宋→斉→梁→陳
    江南中心:後の南京に都
    豪族勢力が強大で王権が弱体、王朝は「名前だけ」
    ※江南開発の促進
     自由な貴族文化=六朝文化
  2.北=五胡十六国時代
    5つの異民族による13の国と漢民族による3つの短命な国
    ↓この異民族の内“鮮卑族”が強大化
   =北魏(386~439~534)
     ※439年、華北統一=北朝開始
  3.北朝
   北魏→東魏→北斉─┐
    └→西魏→北周(華北統一)→隋
                ※589 南朝の陳を滅ぼし南北統一

Aベストアンサー

これでほぼ完璧でしょう。付け加えるとしたら、「胡」(野蛮な民族を意味する)という文字を避けて最近は「東晋十六国時代」と呼ぶことが多いとか、北朝勢力が発達するにつれて南朝は押されていきどんどん弱体化していったとか、あとは中国史上で東南に逃げた政権はほとんどが滅亡の運命をたどっている、ぐらいでしょうか。
それより、引用されているサイトがどちらなのか気になります。こういう場合には明示しておくことが先方への礼儀だと思うのですが。

Q王朝の歴史で、長男世襲が最も長く続いた王朝は?

世界の歴史で、王朝と言うと、基本は、実子の長男世襲が、基本のような気がしますが、現実は、親や周囲がそれを望んでも、現実に、子供がいなかったり、夭折したり、とにかく、上手く言ってる例は少ないような気がします、

現実に、お隣、北朝鮮の金王朝も、現在の3代目は、3男ですし。。。。

そこで、質問です!

過去、人類は、数多くの王朝を誕生させました。

その中で、実子尾の長男世襲が、最も長く続いた王朝を、教えて頂けませんか?

Aベストアンサー

細かい事ですが、

  大正天皇も3男(兄に 稚瑞照彦尊、建宮敬仁親王)ですよ。

  ルイ16世も3男(兄にルイ・ジョゼフ・グザヴィエ[ブルゴーニュ公]、グザヴィエ・マリー・ジョゼフ[アキテーヌ公])ですよ。


 フランス王家は、サリカ法典のせいで結構順調に実子継承しているのですが、純粋長男継承(カペー朝なんかいい感じだったのですが…。)だと3~4世代くらいしか…。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E5%90%9B%E4%B8%BB%E4%B8%80%E8%A6%A7

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南北朝時代(なんぼくちょう じだい)は、日本の歴史区分の一つ。建武の新政の崩壊を受けて足利尊氏が新たに光明天皇(北朝側)を擁立したのに対抗して京都を脱出した後醍醐天皇(南朝側)が吉野行宮に遷った1336年(延元元年/建武3年)から、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位するかたちで両朝が合一を見た1392年(元中9年/明徳3年)までの、56年間

Qこのトルコ系王朝ってどの王朝のことですか?

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Aベストアンサー

突厥のことでしょうか?

トルコはテュルク系という言い方すると思います。

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Q現在の天皇の家系は、南北朝時代の北朝の家系なんでしょうか?

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100 後小松天皇(北朝6)ー 101 称光天皇 」(南北朝時代96~102)・・・125 今上天皇 (北朝、持明院統の家系)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E3%81%AE%E7%B3%BB%E5%9B%B3%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E5.8D.97.E5.8C.97.E6.9C.9D.E6.99.82.E4.BB.A3.EF.BC.8896.E4.BB.A3.E3.81.8B.E3.82.89102.E4.BB.A3.E3.80.81.E5.8C.97.E6.9C.9D.E5.88.9D.E4.BB.A3.E3.81.8B.E3.82.896.E4.BB.A3.EF.BC.89

Q南北の対立・・・・

アメリカの話なんですけど、(南北戦争あたり
北部がなぜ保護関税を望んだのかまた、なぜそれによって連邦主義の主張が強かったのか?
同様に、南部はなぜ自由貿易政策を望んで、州権主義的な主張が強かったのか・・・・
教えてください。。困ってます。。よろしくお願いします。。

Aベストアンサー

No1です。

「連邦主義」と「州権主義」が抜けてましたね。
北部にとっては保護関税政策を維持するためには各州まちまちな対応をされるよりはアメリカ全体としてこうするんだという連邦主義を主張するのは当然ですね。
逆に南部は安い輸入品が入り、また自州の農産物を自由に輸出したいわけですから、州として好きにやらせてくれよという州権主義を主張したわけです。

Q日本の歴史の南北朝時代を調べようと思ったのですがここの部分で日本の歴史で一番難しそうなんですけど

日本の歴史の南北朝時代を調べようと思ったのですがここの部分で日本の歴史で一番
難しそうなんですけど
ポイントを教えてください。

Aベストアンサー

ポイントは人によって説明の仕方が異なると思います。
 一つは、動乱や統合(統治する幕府の変化の原因と他の政権への変遷の原因となるもの:つまり〇〇の乱:争いの原因は何か、〇〇時代~〇〇時代で、誰が中心的な役割を果たしたか? 誰の政権下:〇〇天皇、〇〇将軍等:にあったか?)等を中心にまとめることがわかりやすいかもしれません。

 ここに、とてもわかりやすくまとめて説明している動画があります。
これを見ながら、もう一度考えてみたら如何でしょうか?
①わかる歴史【南北朝時代】南北朝の動乱 https://youtu.be/hYipWhLxAqg @YouTubeさんから
②わかる歴史【南北朝時代】南北朝の合一 https://youtu.be/EOeqZv2bD_U @YouTubeさんから

これをコアにして、自分なりに、教科書や他の参考書などと読み比べて、まとめ直してみたらいかがでしょうか?

Q世界史上の南北の争い

歴史上、ある程度まとまりのある国や地域や文化圏が南北に分かれてる場合、勝って統一してるのはほとんどが北の勢力だと思います。
日本や中国の南北朝時代、アメリカの南北戦争、ベトナム戦争。
インドも分裂してる時期も多いですが、全体をほぼ統一したマウリヤ朝とかムガル帝国は北の勢力ですし、近代のドイツ統一も概ね北ドイツが主体です。
朝鮮戦争でもアメリカやソ連や中国が介入してきたので引き分けになってますが、本来は北が圧倒していました。
例外ももちろんあります。イタリアの統一は南の勢力のサルディニアだし、ブリテン島でいえば南のイングランドが北のスコットランドを併合しています。
しかし全体的には北が勝った例が多いように思います。
これは偶然そうなってるのでしょうか?それとも何か理由があるのでしょうか?

Aベストアンサー

たしかに北から南に進出したり勝ったりすることが多いですよね。
でも実際になぜそうなるのか、それをはっきり説明するのは難しいと思います。

私はその理由としては「コラプサー化」に納得しました。
コラプサー イスラム でググると面白いと思います。長沼真一郎氏とか。極論も多いですが。
他の回答者様も仰ってますが、南下して文明に入り込むと何故か弱くなる、というのは本当に多いです。
例としてはどこでもいいですが、中国とかはもうほんと多いです。南下して君臨して弱体化です。
明の朱元璋のように北上して君臨してしまう人は少ないです。だからすごいと言われるのでしょう。
コラプサー化の例外としてはイスラム勃興とかはほぼ完全に南から北ですね。
コラプサー化については、イスラム帝国というかイスラム教は、
南の土地の人たちが北の人たちと比べて国として(勢力・組織として)陥りやすいコラプサー化を
防ぐ役割を果たした、という評価もあります。(南でも強いよ状態)

あと、今回の話(北→南)の例外としては、
海が関わる場合、むしろ南→北ということも多いですよね。
ヨーロッパのアジア植民地化は大海を抜けて南→北を続けてあそこまでなったわけですし。
他にも、南米太平洋戦争とか、ノルマンコンクエストとか、
日本も古墳時代に朝鮮半島南部を勢力下に置いたりしてます。
黒海のクリミアもオスマンの属国になってたかな?
逆にモンゴルが日本やインドネシアを攻めて失敗してます。
日米戦争も基本は日本から南が戦場です。(アメリカ軍としては)

北→南が多いのは基本大陸の陸地だらけ、つまり海が無いか少ない状態での傾向なのかな、と思っています。
仮に進出はしなくとも、海を隔てて北に位置する国にとって、南の国って歴史的に脅威になってると思います。
アメリカにとってのキューバ危機とか、イギリスもヨーロッパを一つの大勢力にしないよう四苦八苦したり……
スペインやポルトガルはレコンキスタ以降もモロッコに苦労してます。
デンマークが主導したカルマル同盟とかも含まれるかな?

日本史におきましても、東北や北海道への進出は南→北と言えるのではないかと思っています。
神話から見ても神武天皇は宮崎出身ですし、南北朝でも足利尊氏が九州勢力を引き連れての湊川でした。
南北朝後半は南朝勢力は九州中心でしたし、戊辰戦争でも薩摩が活躍したり、
個人的には日本の南側はいつも脅威的な印象です。というか九州が、ですが。
逆に島国にとっての北……つまり日本なら東北、イギリスならスコットランドあたりというのは、
どちらかというと「独立や権力簒奪というよりは自立を示せればそれでいい」のイメージです。奥州藤原氏とか。
南北朝なら北畠顕家が北からの進軍を行って活躍しましたが、勝者となるには至りませんでした。
源平での木曽義仲とか戦国の上杉謙信とかも自立や活躍を示すところまでで終わるのは似てるかもしれません。
でも都の位置で言えば、北朝が勝ちましたよね。あれはちょっと説明できるものが見当たりません。
普通に大陸の感覚でいいのか、それとも他の説で考えるべきなのか、たまたまなのか。

他にも例外はいろいろあると思いますし、もちろん全てにあてはまるものはないと思いますが、
ベトナム戦争なら、北ベトナム人自体がもともと気を抜けない環境でくらしてきているのも大きいかもしれません。
気を抜くとすぐ中国に食われるというのもありますが、ジャングルか沼地か高山地帯だらけというのも大きいと思います。
そういう国は強いですよね……スイスとかネパール、アフガン、フィンランド……歴史は壮絶の一言ですが。

コラプサー化以外は例外ばかりで、ちょっと質問の趣旨とは外れたかな?
駄文ですがこれで。

たしかに北から南に進出したり勝ったりすることが多いですよね。
でも実際になぜそうなるのか、それをはっきり説明するのは難しいと思います。

私はその理由としては「コラプサー化」に納得しました。
コラプサー イスラム でググると面白いと思います。長沼真一郎氏とか。極論も多いですが。
他の回答者様も仰ってますが、南下して文明に入り込むと何故か弱くなる、というのは本当に多いです。
例としてはどこでもいいですが、中国とかはもうほんと多いです。南下して君臨して弱体化です。
明の朱元璋のように...続きを読む


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