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帝国と王国の違いについて教えてください。

帝国の定義としては「ある特定の民族が他の民族や領土の支配をともなって統治している場合」という記述がありました。

歴史を見るとナポレオンは自らを皇帝と称しましたが、この時代のフランスは帝国ですか?

また明治維新以後敗戦までの日本は「大日本帝国」ですが、これは台湾や朝鮮などを支配していたからでしょうか?

ドイツは小王国に分かれていたのが統一されてドイツ皇帝
Kaizerを戴きましたが、ワイマール共和国が成立するまでは帝国だったと言えますか?

中国は明帝国、清帝国など、周辺の諸民族を柵封し、支配していたので帝国ですよね。

しかし、オランダ、スペイン、ポルトガルなどは植民地をもって多民族を支配していたのに、王国でした。

はっきりとした違いはあるのでしょうか。

A 回答 (5件)

本来は他の方もおっしゃるとおり、皇帝の称号はある文明・文化圏における最高の君主が名乗るものです。


古代ペルシャの「諸王の王」という表現が一番ぴったり来るでしょうか。

××帝国、という言い方はかなりあいまいな基準によります。
皇帝を擁する大国を帝国と呼ぶのはもちろんで、オーストリア帝国とかムガル帝国、歴代の中国統一王朝などはそれにふさわしいものですが、これが中央アフリカ帝国となると歴史も由緒も???なところがあります。
このほかにイギリスやスペインのように、帝国主義政策を取った国とその植民地をあわせて帝国と呼ぶことがあります。この場合、アメリカ合衆国やソビエト連邦のように君主国ですらない国についても帝国と呼ばれることがあります。

西アジア~南アジアではペルシャ帝国崩壊後、イスラム教のカリフ(後にスルタン)が皇帝と訳されるようになります。

ヨーロッパ圏ではローマ皇帝の後継を称する君主が名乗るものでした。エンペラーだのカイゼルだの、という称号はそれぞれ古代ローマのコンスルが有していた最高指揮権(インペリウム)、及びカエサルの名に由来します。ローマ帝国末期の東西分裂などのため皇帝位は大雑把に西系(ローマ教皇により戴冠)と東系(ビザンツ皇帝→ロシア皇帝)に分かれますから、皇帝が複数いる事態が異常とは思われていなかったようですが、相応の由緒と実質がないと他国が認めませんでした(ロシアの君主が皇帝となるのは1721年のことです)。

スペインが皇帝位を名乗らなかったのは、すでに本家オーストリアのハプスブルク家が神聖ローマ皇帝位を名乗っており、分家たるスペイン・ハプスブルク家が皇帝を名乗るわけにはいかなかった、という事情があります。
ポルトガルやイギリス・フランスといった他の王家が皇帝位を名乗れなかったのも同様の理由によります。

ナポレオン1世もローマ教皇から戴冠を受ける、という形式を整えた点ではこのラインに属しますが、あまりにもなりあがりぶりが露骨だったため評判はよろしくありません。また、神聖ローマ皇帝がありながら皇帝を名乗ったため、皇帝位の価値を下げた、とする見方もあります。いずれにせよ、まずありえないことですがボナパルト家の人間がフランスの君主になった場合、その人物はフランス皇帝を名乗ることになるでしょう。

オーストリアはナポレオン1世による神聖ローマ帝国解体後も皇帝位を維持しました。ただしオーストリア皇帝、ということになったため、結果的にプロイセンが統一したドイツが、我こそは神聖ローマ帝国の後継国家なり、としてドイツ皇帝を名乗る余地を与えています。

東アジアでは始皇帝が皇帝という称号を発明しました。それまで分裂していた中原諸国を統一した、という点で、王という称号に満足せず、伝説の三皇五帝からとって皇帝と名乗ったとされます。
本来は天帝から天命を受けた者が皇帝として地上を支配する、という建前なので、皇帝が乱立する分裂状態は中華文明としては異常事態と考えられていました。
中央アジアの遊牧民たちのハーン位も皇帝と訳される場合があるのは、中華皇帝が大ハーンを名乗ったことがあるためです。唐のように遊牧民への威圧から皇帝がハーンを名乗ることもあれば、元のように遊牧民が中国を占領して皇帝になる場合もあります。

日本はまあ、夜郎自大、という見方もありますが、大陸及び半島に対しては欧州の海に比べ格段に波の荒い海で隔てられた別個の文化圏と見るべきでしょう。なお、天皇の称号の由来はどうやらかの則天武后によるようです。
今となっては日本の天皇は世界唯一の皇帝になってしまいました。

大韓帝国は日清戦争により清の冊封体制から外れ独立国となったときに李朝の王が皇帝を称し、皇帝と名乗るにはいささか弱小でしたが、独立した君主国であることを明示しました。

エチオピアの君主は15世紀ころから皇帝を名乗っていましたが、1974年に社会主義クーデタにより最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世が廃位されました。

中央アフリカでは1976年のクーデターでボカサが政権を掌握、77年に壮大な戴冠式を挙行して皇帝を名乗りましたが79年に失脚しました。数々の残虐行為で何かと物議を醸した人物で、大統領と名乗っておけば十分なところを皇帝と称し、戴冠式まで挙げたのは彼の虚栄心のなせる業と思われます。

以下蛇足。
 奇人変人の類ですが、アメリカ合衆国皇帝にしてメキシコの護国卿ノートン1世、なんて御仁もいました。よーするに南北戦争前後、19世紀後半のサンフランシスコにいた浮浪者なんですが、なぜかアメリカ皇帝を名乗った人物です。当時のサンフランシスコ市民も相応の敬意を払って彼の発行した国債を引き受け、税を納め(商店主に月50セント)、汽車などの交通費は請求せず、衣装や靴が傷んだら洋品店が無料で代わりの品を献上(?)したとか。1880年に死去した際、彼の葬儀には1万人以上の市民が参列したといいますから立派なものです。
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この回答へのお礼

この場をお借りして何件もの丁寧な回答をいただいたことにお礼を申し上げます。

何となくわかっているようでわからなかった帝国と王国の違いについて実に詳しい説明をいただき、納得することができました。

いろいろなケースを具体的にご説明くださり、大変よくわかりました。

豊富な知識、恐れ入りました。有難うございました。

お礼日時:2005/10/31 19:48

皇帝は、天や神に代わって地上を統治する人です。


本来その宗教・文化圏では、唯一の存在です。

基本的に、中国の皇帝、ローマ帝国の皇帝の系列に属する人を指します。

イスラム圏では、カリフが皇帝に相当します。

近代以降、皇帝が乱立するようになってしまいましたので、定義が分かりにくくなっています。

国王は、皇帝の下位にあたり、国王を任命する権利を有します。
ただし、命令はできません。

現在、皇帝の地位を持っているのは、日本の天皇だけです。

中国系の皇帝の場合、歴代中国の王朝、モンゴル帝国の分裂により、チムール帝国、チムール帝国の亡命政権のムガール帝国、ムガール帝国を乗っ取ったイギリスの大英帝国などにつながります。

西ローマ帝国の場合、フランク族のカロリング帝国、神聖ローマ帝国、神聖ローマ帝国を解体したナポレオンのフランス帝国、ナポレオン敗退後共和国になった後、ナポレオンの甥が作ったフランス第二帝国、神聖ローマ帝国の皇帝だったオーストリアが分離してできたオーストリア帝国、その後継のオーストリア=ハンガリー帝国、フランス第二帝国を破って成立したドイツ帝国があります。

東ローマ帝国の系列として、ヒガシローマ帝国がギリシャ化したビザンツ帝国、一時ビザンツ帝国を滅ぼした、ラテン帝国、ビザンツ帝国の亡命政権の、ニケーア帝国とトレビゾンド帝国、再興したビザンツ帝国、ビザンツがトルコにに滅ぼされた後継国家のロシア帝国があります。

ナポレオンが、強引に皇帝となったため、以後皇帝を名乗る者が、続発します。
ブラジル帝国、メキシコ帝国、エチオピア帝国、イラン帝国、大日本帝国、大韓帝国などなどです。

その他に、帝国とは名乗りませんでしたが、実質帝国であったのが、サラセン帝国(神の代理人カリフ)、ペルシャ帝国(アケメネス朝)、オスマン=トルコ帝国(スルタン=カリフ制)が、あげられます。

ヨーロッパにおける国王は、皇帝か教皇に正式に認められた者に限り、それ以外は、国王を名乗れません。

王国クラスで、国王を名乗れなかったのは、現在のウクライナを支配した、キエフ公国、ポーランド、リトワニア、ベラルーシを支配したリトワニア公国、オーストリア、チェコ、スロベニア、ポーランドの一部を支配したオーストリア大公国などがあります。

その他に、広大な領土を持つ国家を、帝国と呼ぶ場合があります。
スペイン帝国、アスティカ帝国、インカ帝国など。
(大英帝国も、インド皇帝位はありましたが、実質はこちら)

2番の方が書かれていますブルガリア帝国ですが、第一次ブルガリア帝国は、913年ビザンツ帝国のレオ6世が、ブルガリアのシメオン1世に、「ブルガリア人の皇帝」の地位を授けています。
(ビザンツ帝国を荒らしまわり、首都コンスタンティノープル攻略に出たため、懐柔策として授けました)
自称とは言い切れない面があるかと思います。
ただし、「ビザンツ皇帝」よりも格下ですから、実質「王」の称号と同じだと考えてよいでしょう。
第2次ブルガリア帝国の場合は、第一次ブルガリア帝国の復興といった意味で、自称したようです。

多民族を支配しているかどうかは関係ありません。
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ヨーロッパでは、一つの文明圏を代表するような国が帝国です。

神聖ローマ帝国はカトリック圏を代表し、その後裔であるオーストリアも帝国でした。ロシアは東ローマ帝国やギリシャ正教を受け継いだと自負したし国も強かったのです。
そんなことには関係なく、自分は帝国だと言えば帝国です。ナポレオンのフランス帝国はイタリアやスペインなど広い世界を支配していましたから誰も文句を言いません。ドイツ帝国はドイツだけですが、プロシアは多くの王侯国を併合したので帝国と名乗ったのでしょう。
イギリスは帝国ではなく、国王がインド帝国の皇帝を兼ねていただけです。ヨーロッパの外ではヨーロッパの規範は適用されないので、どこが帝国と言おうがヨーロッパは静観していました。しかし、清は間違いなく文明圏の代表です。大日本帝国や韓帝国(日韓併合前の朝鮮)は夜郎自大とでも言いましょうか。もっとも日本には昔から天皇がいたし、天皇は皇帝と同じように天子です。
最近では中央アフリカ帝国(名称不確か)がありました。
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帝国(ていこく)とは、多民族・多人種・多宗教を内包しつつも大きな領域を統治する国家で、通常、その君主、元首、支配者は、皇帝と呼ばれる。

また、君主の名称が王であっても強大な国家の場合は、皇帝のような強大な王が治める国家という意味をこめて「帝国」と呼んだり、超大国を比喩的に指したりする。また逆に大きな領域を保有していなくても、君主が「皇帝」と称している場合は「帝国」と呼ぶ場合もある(例:第一次・第二次ブルガリア帝国)。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD
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皇帝が統治するのが帝国で、国王が統治するのが王国でしょう。


ただ、植民地を含めてイギリスを大英帝国と読んだことはありますが、この場合はイギリス国王であるとともにインド皇帝をかねていたと思います。
ドイツについてもかつての神聖ローマ帝国はさておき、カイザーは皇帝ですからドイツ帝国でしょう。
それで、国王と皇帝の違いですが、近世の皇帝はさておき、中世のカール大帝以降はローマ教皇から体感された場合は皇帝で、そうでなければ国王でした。
フランスの場合、ナポレオンはローまで教皇から皇帝として戴冠されていますから皇帝で、カペー、ヴァロア、ブルボン朝の君主はそれをしていないために国王でした。
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