前から気になっていましたが、哲学とはどういう学問なんですか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (5件)

 


  「哲学とは何か」という問いに正面から答えたものではありませんが、しかし、回答の性質上、それに対し、アウトラインを纏めたものと、もう一つ、哲学者とはどういう人かという問いに答えた回答があります。これらのなかに、哲学とは何かという問いに対するわたしの回答が記されているとも言えますので、以下に、参考URLを記します。なお、わたしは、回答に「自信あり」とします。わたしは誰かの受け売りをしているのではなく、わたしが考えて来たこと、学んで納得したことを述べているからです。
 
  No.172977 質問:河合隼雄と村上陽一郎の文章について
  http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=172977
 
  No.186765 質問:哲学者ってどんな人?
  http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=186765
 
  なお、「ソークラテース」で検索されると、上の二つの回答を含む、四つの質問が出てきます。そのどれも、わたしの回答が含まれています。(ソクラテスを、「ソークラテース」と書いているのは、わたしだけのようです)。これらも、回答の一部とします。検索して読まれるのも、読まれないのも、貴方の自由です。一つの質問に、回答が二つあるものがあります。長い方が、メインの回答です。
 

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=172977
    • good
    • 0

他者の意見は参考程度に、自分で考え抜くことです。


科学は、他者に「正しい」と証明されると、それを「認める」という形で使用します。科学信仰とか言いますが、科学を信じている人など実際にはいませんよね。
科学は「使用」されるんです。だから、新しい発見(証拠)なり、定理なりが発明されるとそれを使用します。そうして、論理の使い捨てのような現象が、おこります。
科学は人の頭で考えられたものを、そのまま使えますが、哲学では参考程度にしかなりません。なぜなら、哲学は、「当人が考える」ことに他ならないからです。他人の頭で考えれませんよね(笑。
 対話によって、考えを深める事は出来ます。しかし、深まっているのは、当人の思考で、対話に関わっていない人は深まりません。ところが、科学の場合は違うのは明白ですよね。科学は無関係の人にも使用でき、使用させることが出来るんです。そういう意味で、哲学は科学より大きいのです。万学の祖?とかゆわれるんです。
    • good
    • 0

哲学とはなにか、と問われた時、よくその語源を引いてきて「哲学は愛-知(フィロソフィア)である」なんて言います。

しかし、そういきなり言われても「愛-知」すなわち「知を愛すること」がわかりません。哲学者の中村雄二郎氏は、この「愛-知」を、「知のエロス」だと表現しています(*)。言ってしまえば、「知ることの面白さ」ですね。では、何を「知る」のでしょうか?中村氏の言葉を続けて引用すれば、「ドラマティックな現実の中で、哲学を通して、自己と世界について明察的であろうとする」ということになります。

しかし、自己と世界について、私たちはどのようにして知ることが出来るのでしょうか?フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティの「本当の哲学とは、この世をみる見方を学びなおすこと」という言葉を引用して古東哲明氏は、「異邦人の眼差し」が、「この世の見方」つまり「知る」ための方法であると言います(*2)。古東氏によれば、哲学者はまるで「エイリアン」です。「哲学とは、クセノス(異邦人、異星人、客人)のような目で、この世を感じ、考え、生き直すこと」だからです。

竹田青嗣氏は少し違う書きかたをしています(*3)。竹田氏によれば、哲学とは「(1)ものごとを自分で考える技術である、(2)困ったとき、苦しいときに役に立つ、(3)世界の何であるかを理解する方法ではなく自分が何であるかを了解する技術である」の三つに集約されます。しかし、自分で考え、生き直すという意味では、古東氏とそれほど遠いことを言っているわけではないように思えます。

ただし、哲学をしたいと思っても、「知りたい」という「知のエロス」の対象になるものがなければ、哲学は成立しません。それが、竹田氏の命題(2)「困ったこと」であり「苦しいこと」です。永井均氏が、「他人の哲学を研究し理解することは、哲学をするのとはぜんぜんちがう種類の仕事である」と述べているように(*4)、哲学するとは、ひどく個人的な問題なのです。

まとめると、哲学とは、自分の中にどうしようもない問題があって(困ったこと、苦しいこと)、それについて徹底的に考えたいという欲望(知のエロス)にのって、結果的に自己と世界を読み直す技術である、と言えるのではないでしょうか。知のアクロバットですね。この作業をプラトンの言葉を引用して古東氏は、「哲学とは、知識の習得なんかじゃない。変転きわまりない五感的世界から抜け出て、だれもがもっていながら眠らせている『こころのなかの器官や能力を、ペリアゴーゲー(向けかえること)だ』」と述べています。

具体的な方法は、個々の哲学者の仕事に当たってみないと、ピンとこないかも知れませんね。下に参考にした文献を挙げてみましたが、特に『AERA Mook:哲学がわかる』は、日本人哲学者25人が哲学をはじめたきっかけと研究テーマ、学習の方法について述べているので、面白いです。一人につき2ページほどですので、チラッと覗いてみるのもいいかもしれません。

(*)中村雄二郎「究極にめざす生命の根源」『AERA Mook:哲学がわかる』朝日新聞社、1995年
(*2)古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学』講談社選書メチエ127、1998年
(*3)竹田青嗣『自分を知るための哲学入門』ちくま学芸文庫、1993年
(*4)永井均『<子ども>のための哲学』講談社現代新書、1996年
    • good
    • 0

私の恩師はかなり有名な哲学者で、本もたくさん書いていますし自分のホームページも作っています。

テーマは色々ありますが、例えば「水族館の生き物は自由で幸せか」と言う問いや「神様の食べ物を勝手に食べ豚にされた両親が最後には豚にされたこと自体記憶に残っていないと言うのはどういうものか(千と千尋の神隠しより)」など様々なテーマで議論したりします。もし興味がおありでしたら「鎌田東二」で検索してみて下さい。許可は得ていますので大丈夫です
    • good
    • 0

 人生の根本問題をもっぱら理性により突き止めようとする学問。


 自分自身の経験から築き上げた人生観(世界観)を哲学とするようです。
 専門学的には、何を研究の対象としているかはっきりしていないし、進歩発達しているといえるかどうかはっきりしていない。
 ある面で、実にあいまいなものです。
 如何でしょうか?
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q哲学に経験は無意味か?専門用語が不可欠か?哲学という学問の根本意義とは?

きょう削除されてしまった某氏の質問に絡んで、いろんな観点から問題が紛糾しました。回答者側とすれば最終的な決着をみてから削除してもらいたかったと管理者側の無粋を咎めたくもあります。
ところで質問者とのやり取り、また他の回答者の意見をみて改めて哲学とは何ぞや?という原点に思い至らざるを得ない感がありました。
私は、この分野の専門知識には、まことに疎いのですが、哲学というのは世間でよく言われるところの屁理屈をこね回す学問なのでしょうか。

Aベストアンサー

元哲学専攻の大学院生です。(専攻は近現代ドイツ思想付近)
「某氏の質問」とやらを拝見していないので、見当違いでしたら申し訳ありません。

私は、哲学とは「誰もが当たり前だと思っていることをもう一度考え直してみる学問」だと思っています。
たとえば「世界は本当に存在しているのか?」とか、「人を殺すのは悪いことなのか?」とか。

普通の人は「そんなの存在してるに決まってるじゃん」「殺しちゃ悪いに決まってるじゃん」と、特に根拠があるわけでもないのに思いこんでいますよね。そこをあえてもう一回、本当に正しいのかどうか論理的に証明してみよう、という試みです。

確かにこの証明のプロセスを「屁理屈をこねまわす」と言い表すことも出来ますが、屁理屈をこねまわす理由は決して自己顕示欲ではなく、純粋な知的好奇心です。

証明に成功したら、「やっぱり正しかった」と安心してこれから生活できます。万が一「正しくない」という証明になってしまったら、我々は手遅れになる前に根本的な物の考え方を改めなければいけません。どちらにせよ、無意味ではないと思います。

*

ところで上記の通り、哲学とは常識を疑う学問であり、それは根拠のない常識の上に安住している一般市民を不安がらせ、敵に回す行為にも繋がります。

時に哲学者が攻撃的な人物に見えて、普通の人から煙たがられることもあるのは、その学問の性質上、仕方ないのかもしれませんね。

元哲学専攻の大学院生です。(専攻は近現代ドイツ思想付近)
「某氏の質問」とやらを拝見していないので、見当違いでしたら申し訳ありません。

私は、哲学とは「誰もが当たり前だと思っていることをもう一度考え直してみる学問」だと思っています。
たとえば「世界は本当に存在しているのか?」とか、「人を殺すのは悪いことなのか?」とか。

普通の人は「そんなの存在してるに決まってるじゃん」「殺しちゃ悪いに決まってるじゃん」と、特に根拠があるわけでもないのに思いこんでいますよね。そこをあえて...続きを読む

Q哲学って必要な学問ですか?

哲学って必要な学問ですか?

Aベストアンサー

哲学というのは、難しく考えなくても、思春期に人生のこととか、社会のこととか色々誰しもが考えると思いますがその延長でしょう。ですから、ある意味では皆通るものです。どんな知識を身に付けても、それをどう使うかという部分がしっかりしていて効果を得られるものですからね。そして、歴史上世の中のことについてどのような考え方が生まれてきたかを学ぶのは価値があることだと思います。

Q「哲学」が無意味な学問だと言われる理由はなんですか

この世で一番無意味な学問によう 哲学 があげられます

しかし私にはそうは思えません

解決出来ない心のモヤが晴れれば、この世で大切だといわれている、行動力も出ますし

日々、生きる力になっていると思います

哲学がそこまで無意味と言われている理由はなんだと思いますか?

Aベストアンサー

私は、哲学とは「現時点で真であるものとして定義できないことに関して思索を深めるもの」だと考えています。結果は出にくく必然的に考えることがメインになります。一方世の中では、往々にして考えることよりも動くことの方が求められます。そうした一般社会の実情と哲学の持つ性質のギャップが、一般社会の側からは‘哲学は無意味だ‘という批判になるのだと思います。

Q哲学は非生産的で無価値な学問分野という考え

工学部の教授の講義で、「哲学は非生産的で無価値な学問分野です。何が楽しくて4年間も勉強するのでしょうね?(笑)」
と言っていたのですが、哲学を専攻している人は哲学は非生産的で無価値な学問分野という批判をどのように反論しますか?

Aベストアンサー

私なら反論はしませんね。
質問攻めにします(笑)

まず、生産的・非生産的というのはどういう意味か問います。
生産的というのが、「物質を加工して何かを作る」事であると答えられたと仮定します。
非生産的な事が「無価値」という事は、農業・工業以外のサービス業に従事する人は無価値と言うことになりますね。
今や、日本でサービス業に従事する人は6割以上に昇ります。
つまり、この論理でいけば、殆どの人が「無価値」な事をしてるわけですね。
ということは、「無価値」な事でもそれなりに人間にとって必要ということですよね?(必要ないなら、サービス業は淘汰されねばならないでしょう)
ということは、哲学が「無価値」でも人間にとっては必要ということですね。

また、生産活動とは「人々に幸せをもたらす事」と抽象的な事を仮定したとしましょう。
確かに、サービス業も商品を分配したり娯楽の時間を作ったり(無形生産)しています。
しかし、同じように哲学も「知的好奇心を満たす」為の生産活動を行っています。
例えば、哲学者は自分の研究の結果を本という「形」にして世に送り出します。
これは「生産活動」とは言えないのでしょうか?
それを読んで愉しむ人が居るなら、他の娯楽のサービス業と何処か違いがありますか?
例えば、パチンコ店なんてパチンコ好きには価値ある存在ですが、パチンコ嫌いには無価値な存在ですよね?
ということは、哲学も貴方にとって無価値でも私にとっては価値があると言うことになりませんか?

まぁ、ともかく生産的・非生産的徒は何か、価値あるものと価値のないモノの違いは何かを定義してくれなくては、反論のしようがありませんので。
そうそう、私の経験則なんですが、「確乎とした信条・理論(≒哲学)」を持っていない人は、質問攻めにすると必ずボロがでます。

私なら反論はしませんね。
質問攻めにします(笑)

まず、生産的・非生産的というのはどういう意味か問います。
生産的というのが、「物質を加工して何かを作る」事であると答えられたと仮定します。
非生産的な事が「無価値」という事は、農業・工業以外のサービス業に従事する人は無価値と言うことになりますね。
今や、日本でサービス業に従事する人は6割以上に昇ります。
つまり、この論理でいけば、殆どの人が「無価値」な事をしてるわけですね。
ということは、「無価値」な事でもそれなりに人間...続きを読む

Q哲学は怖い学問ですか?

私は高校生の頃に倫理を勉強してからというもの、哲学や宗教に大変興味を持っています。現在24歳・男です。

たまにこちらで哲学的思考にとらわれてしまい、常に悩み苦しんでしまっている方の書き込みを目にします。

哲学を深めれば深めるほど、哲学無しには生きていけなくなってしまうのでしょうか?

私は哲学を"個の宗教的価値観"として捉えているので、他者に押し付けたりしませんし(押し付けた時点でその哲学は宗教へと変化してしまう)、他者の哲学をまるまる信じてしまうこともしません。

しかしやはりニュースなどを見ると、哲学的な観点で見ることが多いです。例えば、殺人事件のニュースを見たときに『加害者はどういう生き方を送り、どういった価値観を持って人を殺してしまったのだろうか』とか、『もし、この○○が××だったならばどうなっていただろうか』などなど、真剣に背景の推測をすることが多々あります。

倫理の資料集などで様々な宗教や哲学者について簡単に学んできましたし、それらが自分の生き方に大なり小なり影響を与えてくれたのも確かなので、哲学的思考は捨てたくありません。・・・もう癖になっているので捨てられるわけもないのですが・・・^^;

もしかしたら私の"哲学"という言葉の使い方は間違っているかもしれませんが、哲学の専門家の方がいらっしゃいましたら回答していただけると助かります◎

よろしくお願いいたします。

私は高校生の頃に倫理を勉強してからというもの、哲学や宗教に大変興味を持っています。現在24歳・男です。

たまにこちらで哲学的思考にとらわれてしまい、常に悩み苦しんでしまっている方の書き込みを目にします。

哲学を深めれば深めるほど、哲学無しには生きていけなくなってしまうのでしょうか?

私は哲学を"個の宗教的価値観"として捉えているので、他者に押し付けたりしませんし(押し付けた時点でその哲学は宗教へと変化してしまう)、他者の哲学をまるまる信じてしまうこともしません。

しか...続きを読む

Aベストアンサー

先ずhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6を挙げて置きますが、熟読済みの場合は無視して下さい。

さて、哲学が"知を愛する"事を源にしているのは良く知られている点ですが、質問者さんは「何を知りたいか?」との哲学の対象を死生(or死生観)に絞り過ぎているが故に、怖くなり易いのではないですか?

私も上手く比喩出来ていないのですが、「質問者さんが仮にドライブを趣味としている場合、(飲酒運転していないのに!!)曲りくねった山道で事故を起しそうになったからと言って、ドライブ迄止める」なら楽しみの1つと無縁でその後の人生が推移する訳で、それでは余りにも味気ない気が私個人としてはするのです。

ですから(山道から海岸線沿いへドライブの目的地を変更する様に)哲学に興味を持ちつつも深め続ける対象を"死生観以外の何か?"に切替えてしまうのが方策の1つに成り得る思うのです。
又、"対象は死生(or死生観)しかない!"場合でも「他人の死は時として不謹慎ながら、それ以外の人間の利と化す場合も在り得る」と切口を変えて深め続けたらどうでしょうか?
私は現実的な?性格の故でしょうけどhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa1456099.htmlのNO10の回答で、上記の点を絡めつつカキコんだ積りですが、この様な切口から死生を捉える変人もいるんだ?と思って(否呆れて?)下さっても構いません。(苦笑)

最後に>"哲学無しには生きていけなくなってしまう"云々と質問者さんは例示されていますが、「本来はそうであるべきなのに、(2007年1/21)現時点で、真逆の醜態をさらけ出している例に現内閣の面々が含まれる」点を強調して置きたいのです。
もし、質問者さんが将来政治家を志望されるなら、死生(or死生観)から対象を鞍替えさせるにせよ、哲学的思考を捨てたくない云々との姿勢が役立つ可能性が高い私見をカキコんで、回答を閉じます。
拙い内容にて失礼致しました。

先ずhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6を挙げて置きますが、熟読済みの場合は無視して下さい。

さて、哲学が"知を愛する"事を源にしているのは良く知られている点ですが、質問者さんは「何を知りたいか?」との哲学の対象を死生(or死生観)に絞り過ぎているが故に、怖くなり易いのではないですか?

私も上手く比喩出来ていないのですが、「質問者さんが仮にドライブを趣味としている場合、(飲酒運転していないのに!!)曲りくねった山道で事故を起しそうになったからと言って、ドライブ迄止める...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報