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「秀頼が秀吉の実子ではなく、石田三成が淀殿と密通して生ませた子」
と言う説がありますよね。
その事に関してどのような説があるのか知りたいのですが……。
宜しくお願いします。

A 回答 (6件)

三成はたしか側室を持ってなかったと記憶してます。

そんな三成は主君の側女に手を出せない。いや彼にとっては考えられないでしょう。しかし淀殿からアプローチされれば三成も修理も拒否出来ないのでは。個人的には、修理が怪しいと思ってます。秀吉の子であるわけがないでしょう。
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NHKの大河の影響でしょうか?


石田三成=真田広行
淀殿=松たか子
で、その様な演出もありましたが。
別の大河では皆さんの仰る大野治長のパターンでした。
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石田三成説はあまり聞いたことがありません。



一般には秀頼は淀殿の側近だった大野治長の子ではないか?という説が有名です。
大野治長は淀殿の乳母だった大蔵卿局の息子だったために、母親の力によって淀殿の側近として常にお側に仕えていた男です。
大野治長と淀殿が怪しい関係という噂は昔の記録にも残っているようです。

なお、石田三成は豊臣家を主家と仰ぐ実直なタイプのようですから、主に当る淀殿とオカシナ関係にはならない人だと思われます。
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それは、大野治長ではないでしょうか?



石田三成説は聞いたことがないので。

大野説であれば急に大野が秀吉が死んだ後家老になるなどありえませんのでやはり大野説が有利かなと。
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秀吉はあれだけの側室を持っていながら、それまで全く子宝に恵まれませんでした。


それがもうヨボヨボの老人になってから急に子供が生まれたとなれば、疑われるのは当然でしょうね。
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大野修理ではないでしょうか?


石田にそんな度胸は無かったと思います。
日本家屋は,音が筒抜けですから,密通も簡単ではなかったと思います。
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