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モーゼの十戒の2番目は、
「自分のために偶像を作ってはならぬ」
ですが、
なぜ、偶像を作ってはならないのですか?
お願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

 一神教であるユダヤ教では「神(ヤハウェ)」は唯一絶対の存在とされています。

で偶像を作れば人々が作ったその偶像を崇め奉ることになります。しかしそれは作った偶像の数だけ神が増えることを意味します。そして人々は唯一の神はなく偶像という人間が作り出したものを崇拝することになります。これは一神教の考えに反するということでモーゼは偶像崇拝を禁じた・・・というよりそう「神のお告げ」があったのです。余談ですが一神教であっても宗教によっては偶像崇拝を認めていますし、何を持って偶像とするかは意見が分かれています。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%B6%E5%83%8F% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/15 11:25

ちなみに、モーセ自身が偶像を作った記述などありません。


モーセが山頂に行って十戒を受ける間、イスラエルの民が偶像を作って祈ったため、
神が「すっかり堕落してしまった」と怒ったとあります。
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人間崇拝・物質崇拝は宗教的(≒倫理的)堕落・荒廃に繋がると考えられていたからです。


新約聖書には悪魔との契約だとすら書いてあります。
荒廃し「神に焼き尽くされた」ソドムとゴモラの街も偶像を拝めていたとあります。
モーセ流「カルト防止法」ですね。
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モーセに彫像の才能が無かったからではないでしょうか?モーセが試しに神様の像をつくってみたところ、ひどく不細工で、みんなから笑われてしまった為、モーセは怒って、以後、誰も神様の像をつくってはならないと言ったのでしょう。



宗教には分けの分からぬルールがあるものです。もともと科学ではないのですから。

最近、ムハンマド風刺漫画が問題になっていますが、尊敬しているものを不細工に描けば誰でも怒りますよ。昔は日本でも天皇の写真を扱うには特別な注意が必要でした。実際、今でも天皇の写真は郵便切手のデザインには原則として使われていません。切手にはスタンプを押さなければならないからです。つまり、「お顔」が汚れるからです。もっともイギリスなどでは、平気で女王の写真を切手に使っていますが・・・

つまり、偶像を禁じると言う事は表現の自由を否定する事に他なりません。だからと言ってモーセが間違っているというわけでは無いのです。モーセが禁じたのは「神の像」なのですから、つまり、神は信じるべきものであって、あれこれ批判したり、その存在を疑ったりすべきものではない、と言いたかったのでしょう。

ですから、神の存在を信じているのであれば、どのような像を造るのも自由です。もとより、「神の像」など制作不可能なのですから。
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 モーゼがユダヤ人でありながら、古代エジプトの知識階級に属していたことと関係があるのでは? 古代エジプトの庶民の間では怪しげなイカサマまがいの呪術が横行しており、神の名を唱えたり、神の像を刻んだりすることによって、その神の力を借りるばかりか、支配し、使役できると本気で信じられていたようです。

これは意外と怖い信仰で、極論、敵国がその偶像を使って古代エジプトに呪詛を行うこともありえたわけです。きわめて日本人的な感じ方ですが、そんなエジプト人を周辺国の人々は変わってると感じていたようで、そういう人々が長くエジプトにいるとモーゼのようになってしまうのかも、とか勝手に考えています。
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 像を作ってはならぬとゆう理由のひとつに、神を見たことのある人がいないからです。


 神は光を放っていて見えなかったとあったような(記憶が曖昧です)。
 聖書の中(歴史)では偶像崇拝が起こるときは決まって、信仰心が揺らいで他の宗教に染まったりとゆうことが書かれていますし。
 偶像崇拝が起きる原因として、言葉が通じない人でも偶像があると信者を集めやすいとう歴史的な背景もあるそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
色々な理由があるのですね。
参考になります。

お礼日時:2006/02/17 02:19

たしか世を愛してはいけないということで禁じたのだと思います。

世と自分を愛することは地獄に通じ、神と隣人を愛することが、幸せに通じるのだと教えていたと思います。「あなたの主を魂を込めて、心をこめて愛さなければならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛さなくてはならない。これら二つが律法と預言者のすべてである」とキリストは言っています。エホバの偶像を作って奉ることは世の偶像を奉ることになり世を愛することになるからではないでしょうか。神は霊です。エホバは自分しか人を救うことができないと言っています。偶像に魂、すなわち霊がありません。霊のないものに祈っても救われないわけです。単純明快です。ヨハネの福音書に「言葉は神とともにあった。言葉は神である。」とあります。こころ、すなわち霊が話すと霊は言葉そのものになります。人も同じです。よく注意をして観察すれば納得いく発見ができると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/16 10:43

僕はこの件では聖書が間違っていると思います。

僕は毎朝、お地蔵様にお参りしております。なんともありませんよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/16 01:32

皆さんの回答の通りですが、別の側面もあります。


偶像崇拝の偶像とは、為政者や政治・軍事権力を現すことがあります。モーセの時代ならエジプトの王権ですね。
要は、世俗の権力に媚びるな、得ようとするな、ということで、ユダヤコミュニティの団結の為でしょう。
神のみ崇拝する一神教は当時は未だ少数派だった当時、その存続は大きな課題だったはずです。
栄枯盛衰を繰り返す政治権力に依存しない強固なコミュニティの結成こそが、その手段と考えたのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/16 01:31

偶像を作ると神をに認識の対象にできると錯覚するからではないでしょうか。

すでに神の名さえみだりに口にすることが強く戒められていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/15 11:25

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