(1)天智天皇 中大兄皇子のこと
(2)天武天皇 (1)天智天皇の弟(大海人皇子のこと)
敗:大友皇子 (1)天智天皇の子供 壬申の乱で(2)叔父に敗れる。
(3)持統天皇(女) (1)天智天皇の娘+(2)天武天皇の妻
(4)元明天皇 (3)持統天皇の子供
(5)文武天皇 (4)元明天皇の子供
(6)元正天皇(女) (4)元明天皇の子供

合っていますか?
辞書で調べたら天智天皇の第4皇女と出ていましたが、
(1)天智天皇は自分の娘である(3)持統天皇との間の子供ということになってしまいます。

どこが変なのでしょうか?教えてください。

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A 回答 (5件)

専門分野ですが、文字で説明するのは難しいですね~。



(4)元明天皇(女)は…。

(1)天智天皇の第4皇女であり

父方((1)天智天皇)から見た場合
(3)持統天皇(女)の異母妹(いずれも父親は(1)天智天皇だけれど、(3)持統天皇の母は蘇我倉山田石川麻呂の娘・遠智媛で、(4)元明天皇の母も蘇我倉山田石川麻呂の娘ですがこちらは姪媛という人)であり

母方から見た場合
(3)持統天皇(女)の従姉妹((3)持統天皇の母と(4)元明天皇の母は、いずれも蘇我倉山田石川麻呂の娘で姉妹だから)であり

(2)天武天皇と(3)持統天皇(女)の間に生まれた息子((7)草壁皇子)の妻であり

(5)文武天皇と(6)元正天皇(女)の母親(父親は(7)草壁皇子)です。

こちらの系図が分かりやすいかも((1)天智天皇と(2)天武天皇が兄弟になっていないけれど)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kitanok/dokusho2/ozu …

はい。
「天智天皇の娘の子=(7)草壁皇子」と「天智天皇の娘=(4)元明天皇」が結婚しています。

ただし、(2)天武天皇…(1)天智天皇の弟(大海人皇子のこと)は、疑問視している説もありますよ。
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ずばり、ここを見てください。



『ウィキペディア』-『元明天皇』
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E6%98%8E% …

言葉で説明すると、元明天皇(阿閉皇女)は天智天皇の娘で、天武天皇と
持統天皇の息子である草壁皇子と結婚したので、持統天皇の義理の娘となり
ます。

しかし、持統天皇は実の姉であり、草壁皇子は甥なので、甥と叔母で結婚した
という非常にややこしい関係です。
(古代においては、こういう結婚は認められていました)

この辺のややこしい事情の背景は、No.2の方が紹介した
 『天上の虹』(作者:里中満智子、少女マンガです)
を読むと理解が早いかと思います。
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元明天皇は天智天皇の第四皇女です。


母は蘇我倉山田石川麻呂の娘で、持統天皇ではありません。
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この回答へのお礼

夫の草壁皇太子が天武・持統天皇の子ですか?
そうすると天智天皇の娘の子が夫で天智天皇の娘が結婚したのでしょうか?
なんかややこしくなってきました。
有難うございます。

お礼日時:2006/02/22 12:03

昔読んだ漫画に「天上の虹」というのがありました。



はっきりは覚えていないのですが、
天智天皇の第四皇女ということであれば、
持統天皇の母方のいとこ(母の妹の子)でもあり、
父(天智天皇)を同じくする異母姉妹の
「安部(アヘ)」のことではないでしょうか?
と、言うことは持統天皇の長男と結婚しているので、
「持統天皇の子供の奥さん」となります。

自信ないのですが・・・
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この回答へのお礼

有難うございます。

お礼日時:2006/02/22 12:08

下記リンク先の系図によれば、元明天皇と持統天皇は異母姉妹のようです。



参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%B3%BB% …
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この回答へのお礼

(1)天智天皇 中大兄皇子のこと
(2)天武天皇 (1)天智天皇の弟(大海人皇子のこと)
敗:大友皇子 (1)天智天皇の子供 壬申の乱で(2)叔父に敗れる。
(3)持統天皇(女) (1)天智天皇の娘+(2)天武天皇の妻
(4)元明天皇 (3) 姪娘という人のの子供
(5)文武天皇 (4)元明天皇の子供
(6)元正天皇(女) (4)元明天皇の子供

元明天皇の夫は草壁皇太子で天武・持統天皇の子だそうです。
・・・あれっ?

有難うございます。

お礼日時:2006/02/22 12:07

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そういえば、他の天皇陵が京都市内や奈良にあるのに(山科も一応市内ですが・・)
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当時、都があった大津からも離れており、山を越えて行かねばなりません。

天智天皇暗殺疑惑は事実でしょうか?
また、天智天皇陵はなぜ隔離された山科にあるのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。。

 ご質問文にあるあたりを扱っていて、面白く読める本に井沢元彦『隠された帝』『逆説の日本史(第2巻目)』があります。
 それぞれ描き方が異なりますが、小説仕立てに歴史を扱う著者の特徴が出ている本です。
 もしご存知でなければ、お勧めします。

 自分も、見たわけではないので(←当たり前ですが・・・)なんともいえませんし、井沢氏の見解を100%鵜呑みにしているつもりもないのですが、天智天皇と天武天皇が兄弟ではないという説と、天智天皇が暗殺されたという説はかなり信憑性のある話だと考えています。

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Q大友皇子 十市皇女

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壬申の乱で、フナのお腹に密書を詰めた?
この ことについてどう思いますか?
教えて下さい。
また、考えるきっかけになった本等 ありましたら
教えて下さい(^0^)
因みに 大友皇子のこと好きですか?
好き・嫌いの理由も教えて もらえると嬉しいです♪
よろしくお願いします!!

Aベストアンサー

こんにちは。
歴史小説好きからの意見として書かしてもらいますね。

>大友皇子 十市皇女の関係って、政略結婚のみだったんでしょうか?
どうでしょうねえ。そんな大昔のこと、事実を知るのは難しいですけど、小説を読む限りだと政略結婚だったのではないか、と思います。
壬申の乱で十市皇女は父の大海人皇子に味方しているようですし(母の額田王の影響もあったと思いますが)。
あまり愛情があったという感じは受けませんでした。

>武市皇子とは、大友皇子が生きている時から?
昔「天上の虹」だったか(題名はうろ覚えなのでわかりませんが)里中満知子先生の漫画で3人の三角関係が描かれていましたね。
ただ、小説を読む限りでは三角関係を書いたものにまだ出会えていません。
大友皇子が亡くなってからはとても親しくしていたというのは読んだことはあります。

>壬申の乱で、フナのお腹に密書を詰めた?
この ことについてどう思いますか?
どうでしょう?(笑)
実際にやったことないし、出来ることなのかぜんぜんわからないです。

読んだ本は黒岩重吾さんのものが多いです。
「茜に燃ゆ」上下巻 中公文庫
「天の川の太陽」上下巻 中公文庫

>因みに 大友皇子のこと好きですか?
私はあまり好きじゃないかな。
本ではどうしても悪役なんですよね。
母が采女だったということで身分の低さを恥じるように一生懸命背伸びをしているようで。
人柄は悪くなさそうですけど。

他の方の回答、楽しみにしてます。

こんにちは。
歴史小説好きからの意見として書かしてもらいますね。

>大友皇子 十市皇女の関係って、政略結婚のみだったんでしょうか?
どうでしょうねえ。そんな大昔のこと、事実を知るのは難しいですけど、小説を読む限りだと政略結婚だったのではないか、と思います。
壬申の乱で十市皇女は父の大海人皇子に味方しているようですし(母の額田王の影響もあったと思いますが)。
あまり愛情があったという感じは受けませんでした。

>武市皇子とは、大友皇子が生きている時から?
昔「天上の虹」だ...続きを読む

Q天智天皇と天武天皇は本当に兄弟だったのでしょうか?

天智天皇と天武天皇は本当に兄弟だったのでしょうか?

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天智・天武の兄弟を疑う説は有ります。

なぜなら日本書紀には天武の生年が記されていないからです。
欠史時代や古墳時代の天皇を除いて生没年がはっきりしてないのは、この天武天皇と崇峻天皇だけです。
崇峻天皇は唯一暗殺された天皇であるから、短命を特に悼んでの不記載と考えられます。

では天武は単なる書き落としかと言えばそんな筈はないのです。なぜなら日本書紀という書物自体が天武朝の編纂で天武の事跡の顕彰を大目的に書かれた物だからです。天武の記事は全体の一割に及ぶ、つまり本書の主人公です。
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Q壬申の乱・天武天皇について

壬申の乱で勝利した天武天皇は日本書紀に自分が正統な天皇だと永遠と書かせたのは本当ですか?

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天武天皇の年齢が不詳。天智天皇の弟ということになっているが、文献によれば天武天皇の方が年上と読めるものもある。
天智天皇の死に方がいかにも怪しく、暗殺されたのではないかと昔からささやかれていたこと。
天武天皇の皇子時代の記述が少なく壬申の乱の前になっていきなり歴史に登場すること。
破れた大友皇子(天智天皇の第一皇子)は後に弘文天皇と諡されていること。即位していたかどうかは不明だがその可能性はある。
天武天皇の皇后の持統天皇(天智天皇の皇女)の諡号が「持統」(皇統を保持する)であること。漢語の熟語で「継体持統」となる一方の「継体天皇」がまさに皇統を維持するために即位した(させられた)ことを思い起こさせる。
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天武天皇の年齢が不詳。天智天皇の弟ということになっているが、文献によれば天武天皇の方が年上と読めるものもある。
天智天皇の死に方がいかにも怪しく、暗殺されたのではないかと昔からささやかれていたこと。
天武天皇の皇子時代の記述が少なく壬申の乱の前になっていきなり歴史に登場すること。
破れた大友皇子(天智天皇の第一皇子)は後に弘文天皇と諡されていること。即位していたかどうかは不明だがその可能性はある。
天武天皇の皇后の持統天皇(天智天皇の皇女)の諡号が「持統」(皇統を保持する)で...続きを読む

Q義淵僧正を育てたのは天智天皇or天武天皇?

http://www4.kcn.ne.jp/~balance/cn4/index.html

上記によれば
義淵僧正は天智天皇に引き取られ、岡宮で草壁皇子とともに育てられました。
とあります。

一方、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E6%B7%B5
によれば
義淵僧正は天武天皇により皇子とともに岡本宮で養育されたという。

とあります。

義淵僧正を育てたのは天智天皇なのか、天武天皇なのか?
どちらが正しいのでしょうか?

Aベストアンサー

天智天皇が育てたとの伝承を支持したのは、義淵僧正の研究者の、横田健一氏でその著書「義淵僧正とその時代」吉川弘文館 に書かれています。

Q壬申の乱と大海人皇子など

 1. 国栖は服ろわぬ民と存じておりました。しかし吉野の国栖の里のひとが、大海人皇子を助けたとのお話をある新聞の記事で知り、国栖が服ろわぬ民というのは間違いであったのかと存じましたが、いかがなものでしょうか。

 2. その新聞の見出しでは国栖を国楢と書いていましたが、両者は併用されるのでしょうか?両者はおなじでしょうか。
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  どうかご教示ください。(いうまでもなく歴史には門外の自分でして)

Aベストアンサー

1.半分神話のような話なのでよくわかりませんが、神武天皇が熊野から大和へ入るときの、途中の吉野に住んでいた先住民なんだろうと思います。
早く服従したのが国栖で、土蜘蛛という先住民ははなかなか服ろわなかったという話ですが・・・。
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-68-3.htm

2.栖と楢は違う字ですね。
栖:セイ、す、すみか
楢:シュウ、なら(木の名前)
字が似ているから間違えたクサイですね。
国栖が正しいでしょう。
今でも吉野地方に国栖という地名があります。
こんなページもありました。いろいろあります。
http://kamnavi.jp/jm/kuzukami.htm

なにせ大昔の話ですから・・・。

Q日本史 飛鳥時代 白村江の戦い 天智天皇 仏教

白村江の戦いの敗北を受けて、天智天皇(中大兄皇子)が行った政策について80字以内で教えてください。

また、
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Aベストアンサー

天智天皇⇒670年、日本最古の全国的な戸籍「庚午年籍」作成。

それまで、氏寺(儒教)が主流であったが、馬厩皇子が仏教の蘊蓄を書き綴った書(三経義流)を発行後、有力豪族の蘇我氏の影響で全国に広く伝播した。薄葬制の制定により、徐々に古墳は消え、10世紀には消えた。

Q大友皇子

大友皇子の人生を主とした本をご存知の方
教えてください。
大友皇子関係の小説・マンガ等
おススメあったら教えて下さい(><)

Aベストアンサー

こちらなんかどうでしょう
http://homepage2.nifty.com/kazeutai/yomu/7th-book02.htm

http://homepage2.nifty.com/kazeutai/yomu/7th-book01.htm

本ではありませんが
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/4875/980606.html

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4642070346/250-1226391-9523419

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121012933/250-1226391-9523419

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883252523/250-1226391-9523419

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/456957971X/250-1226391-9523419

夕焼けに染まる二上山をご覧になった事がありますか?
いろいろ読んで山を見るととても感動します
ただね、はまりすぎるときりがないから、この世界は

ご参考までに

こちらなんかどうでしょう
http://homepage2.nifty.com/kazeutai/yomu/7th-book02.htm

http://homepage2.nifty.com/kazeutai/yomu/7th-book01.htm

本ではありませんが
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/4875/980606.html

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Q定慧・孝徳天皇後胤説と藤原不比等・天智天皇後胤説

こんばんは。よろしくお願いします。

今日、あれやこれやとググっていて
定慧・孝徳天皇後胤説と藤原不比等・天智天皇後胤説を知りました。

ご存知のとおり、定慧と藤原不比等は正史によれば中臣鎌足の子であるとされています。

しかし、中臣鎌足は孝徳天皇の后(名前がわかりましたら教えて下さい)を妻としてもらい、
その時その女性は孝徳天皇の子を身ごもっていた。
これが定慧である。

また鎌足は天智天皇の后であった鏡王女を妻としてもらい、
その時鏡王女はすでに天智を身ごもっていた。
これが不比等であるという説があるそうです。

この説の真偽についてどう思われますか。
またその理由を教えて下さい。

※このカテゴリーでときおり
「そんな昔のことはわからない」というような趣旨の回答を目にしますが、
そういった類の回答はご遠慮ください。
(それを言っちゃあおしまいです。)

Aベストアンサー

そんな昔のことはわからない、ですよね。
だから、歴史は面白い。記紀もどれほどの信憑性があるか
わからないし。素人が想像力を働かせる余地がありますね。

で、定慧でした。
元々、鎌足は先に孝徳に近づいてから、中大兄に乗り換えたわけです。
そのときにお荷物になった孝徳種の定慧を唐へと。

不比等については、後の竹取物語のヘタレ役(車持皇子)のモデルに
なったりしてます。これは不比等の生母が車持氏だったため、
バレるように書かれたという説があります。
つまり、不比等の母は車持氏ということが、当時の一般的な
認識だったのでは?

私としては、鎌足自身の出自に興味があります。
百済王家の余豊璋とか?
白村江のときはどこで昼寝してたのか、書紀にも出てないようだし。
中大兄がピンチのときに、右腕がおらんのはまずいでしょ?

Q逆説の日本史(井沢元彦)の天武天皇・持統天皇のあたりについて

逆説の日本史を2巻古代怨霊編までよみました。
なかなかおもしろい説だと思うのですが、聖徳太子のあたりは引っ張った割りに説明不足で消化不良気味です。

それ以上に、どうしてもおかしいと気になるのが、天武天皇が本当は皇位を継げる身分ではなかったので、持統天皇が自分の子孫が皇位を継ぐことに固執した、という点です。

その説でいくのなら、大田皇女の大津皇子を草壁皇子のために陥れて、草壁も急死してしまっても、持統天皇と同じく天智天皇の娘である新田部皇女に舎人皇子と大江皇女に長皇子と弓削皇子がいるので、皇統を守るなら彼らでも良かったのではないでしょうか?
(ということは、持統天皇が自分の子孫に継がせたかっただけ?)

天智の娘が4人嫁いだという割りに、舎人皇子、長皇子、弓削皇子が無視されていて、天武の父が新羅人だったと言う説を信憑付けるためにあえて無視しているのだろうか?とも思ってしまいます。

この辺について、井沢氏のほかの本などで触れられているのでしょうか?
あるいは、大田皇女・持統天皇と新田部皇女・大江皇女の身分は明らかに違うなど、井沢氏が全く触れないにも自明のわけがなにかあるのでしょうか?

小説だと割り切ればいいのでしょうが、他の部分はけっこう詳しく検討しているに、この点が流されているのがとても気になります。

逆説の日本史を2巻古代怨霊編までよみました。
なかなかおもしろい説だと思うのですが、聖徳太子のあたりは引っ張った割りに説明不足で消化不良気味です。

それ以上に、どうしてもおかしいと気になるのが、天武天皇が本当は皇位を継げる身分ではなかったので、持統天皇が自分の子孫が皇位を継ぐことに固執した、という点です。

その説でいくのなら、大田皇女の大津皇子を草壁皇子のために陥れて、草壁も急死してしまっても、持統天皇と同じく天智天皇の娘である新田部皇女に舎人皇子と大江皇女に長皇子と弓...続きを読む

Aベストアンサー

補足ありがとうございました。

井沢氏の「天武が天智の異父兄で父は新羅人だった(皇極が舒明と結婚する前の子)」とする説は、『日本書紀』において、天武の生年が不明であることを一つの切り口にしているのだと思います。そして後世の記録である『一代要記』『本朝皇胤招運録』にしたがえば、天智より天武が年上とされているところから、異父兄としているのではないでしょうか?しかし『一代要記』などは、中世に成立したものなので、信憑性は非常に怪しいです。

また皇統意識という点では、すでに他の方から回答があったように、推測しがたい点です。あまり過大な評価はしたくはないのですが、ご指摘のように「持統天皇が自分の子孫に継がせたかっただけ」と考えるほうが案外自然なのかもしれません。皇統の維持というなら、確かに他の妃の所生の皇子でも何らの問題がないということになりますよね。
おそらく井沢氏は、大津皇子の排除などを行ってまでも、持統の子である草壁及びその子孫に皇位を継がせていることに注目して、立論された結果、他の諸皇子との関連などを視野に置かなかったのではないでしょうか。つまり天武と天智の子である持統天皇という狭い血統の話でしか考えなかったのではないかと。
日本古代史の学界では・・・こんな話は聞きませんね・・・正直(苦笑)

補足ありがとうございました。

井沢氏の「天武が天智の異父兄で父は新羅人だった(皇極が舒明と結婚する前の子)」とする説は、『日本書紀』において、天武の生年が不明であることを一つの切り口にしているのだと思います。そして後世の記録である『一代要記』『本朝皇胤招運録』にしたがえば、天智より天武が年上とされているところから、異父兄としているのではないでしょうか?しかし『一代要記』などは、中世に成立したものなので、信憑性は非常に怪しいです。

また皇統意識という点では、すでに他の方...続きを読む


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